アフリカから、南アフリカから、
世界を見つめる
~プレトリア大学留学体験記~
by 山下ちひろ
アフリカ地域専攻・2022年度入学
アフリカ地域専攻・2022年度入学
こんにちは!アフリカ地域専攻2022年度入学の山下ちひろと申します。
私は2024年7月から2025年6月までの約11か月間、南アフリカ共和国(以下「南アフリカ」)のプレトリア大学に派遣留学制度を利用して留学をしていました。
この留学体験記では、留学中の大学生活や長期休暇のアフリカ旅行、そしてこれらの経験から感じたこと、考えたことを書いていこうと思います。今後南アフリカやプレトリア大学への留学を検討している方はもちろん、アフリカや南アフリカについて関心を持っている方の参考となれば幸いです。
私はこの大学のアフリカ地域専攻に入学した当初から、4年間かけて学ぶ地域に実際に留学をし、現地で生活してみたいと考えていました。
私が最終的にプレトリアに行きたいと考えた理由は2点です。
① アフリカにいながらもヨーロッパに近い学術的環境で学ぶことができる
南アフリカはサハラ以南アフリカの中で最も発展した国であり、教育レベルもアフリカの中でトップレベルです。アフリカ地域で生活しながらも、大学でイギリス式のレベルの高い教育を受けることができることが、私にとって大きな魅力でした(写真1)。
② 人種や民族の多様性の尊重がアフリカの中でも特に強い環境で生活できる
南アフリカはアパルトヘイトという歴史を経て、現在では多様性の尊重が国家レベルで浸透している国です。公用語が12個定められており、Black Africanの中の多様な民族だけでなく、White、Black、Colored、Indian、Asianなど様々な人種の人々が共に生活しています。多様なアフリカの中でもより多様性の強い南アフリカという地域で生活してみたいと考えました。
南アフリカにあるもう1つの協定校(ステレンボッシュ大学)も選択肢としてはありましたが、個人的な英語力の問題と、行きたい同期の人数を考慮し、プレトリア大学への留学を決断しました。
写真1: プレトリア大学のキャンパスで一番古い建物
私はHumanities(人文学部)への派遣でした。留学生向けの授業などはなく、人文学部の授業であれば基本的にどの授業でも履修可能です(専門科目などは一部先生への確認が必要)。私は2学期間で、社会開発、教育学、ジェンダー論、社会学、犯罪学、そして公用語の1つであるズールー語の授業を履修していました。
各科目週2回1-2時間の講義があり、各学期に何度か1時間のTutorialと呼ばれる少人数のディスカッションベースの授業があります。
講義は基本的に100人ほどの大人数の講義がほとんどで、留学前に想像していたほどディスカッションやプレゼンテーションの時間はありませんでしたが、Tutorialでは30人ほどの人数でお互いに意見を交換し合いながら内容の理解を深めていました。
また普段の講義でも、学生は積極的に挙手をして自分の意見を共有し、それに対する議論が白熱することもしばしばあり、日本との違いを感じながらとても興味深く聞いていました。
予習の量や課題の重さ、何より中間テストや期末テストで3時間ひたすらエッセイを手書きで書く時間は想像以上に大変でしたが、関心のある分野をしっかりと勉強でき非常に有意義な時間だったなと思います。
勉強面で1番学んだことは、「アフリカ・南アフリカの視点で物事を考える力」です。どの科目を学んでいても、そこには南アフリカの植民地支配やアパルトヘイトの歴史、パンアフリカニズムや旧宗主国の抵抗運動、現在南アフリカが直面している経済格差などの社会課題など、現地の視点から背景を解説されることが多くありました。
そのため、自然と「南アフリカの視点では、アフリカ諸国の視点では、どう見えているのか、どう考えられるのか」という考え方を身につけることができ、日常で出会う様々な物事に対してそれを実践できるようになったことが、私にとっての1番の学びでした。
交換留学生はTuksdorpというメインキャンパスから徒歩5分ほどの場所にある寮で生活します。個室(写真2を参照)が8部屋、トイレとシャワーが2つずつと共同キッチン・ダイニングがあり、基本的には自炊での生活になります。
個室のため自分のプライベート空間は保ちつつ、フラットメイトをはじめ交換留学生同士のコミュニケーションを取りやすい環境でした。
交換留学生は主にヨーロッパ出身の人が多く(主にオランダ、フランス、ドイツ)、他にも中国やマダガスカル出身の学生がいました。他のアフリカの国ではあまりない洗濯機も寮の敷地内にあり自由に使えるなど、基本的に生活には困らない設備が整っています。
写真2: Tuksdorpの個室
南アフリカではLoad Sheddingと呼ばれる計画停電が頻繁に起こります。寮には発電機があり停電しても自動的に電源が切り替わるためあまり影響を感じることはありませんでしたが、信号機が機能していないなど日常的に停電を感じることは多かったです。
また、断水も時々起こり、数日間続くこともあるため、普段から大きいボトルに水道水を入れて常備するようにしていました。こうしたインフラ面のトラブルが頻繁にあったことから、日本では当たり前だった基礎インフラの重要性を実感しつつ、やるべきことはすぐに終わらせる臨機応変な姿勢が身についたと感じています。
生活において最も気を付けていたことは防犯意識です。南アフリカは治安がかなり悪く、特に都市中心部は頻繁に強盗や殺人などの事件が発生します。大学周辺はそこまで悪くなかったものの、大学や家は大きなゲートや柵で囲まれ警備員が常駐し、現地の友達も防犯対策は徹底していた印象です。
私も貴重品の管理や夜出歩かないといった基本的な対策はもちろん、1人で歩ける場所を見極めて行動する、遠くへ行く場合はUber TaxiかGautrainというプレトリアと大都市ヨハネスブルグを繋ぐ電車を使う、都市中心部は極力避けるなどの意識をしていました。Gautrainも駅によって治安が悪い場所があるため、現地の友達に聞きながら行動していました。
普通に生活しているだけではなかなか留学生以外の友達や知り合いを作るのは難しいため、私は自分から積極的に課外活動に参加していました。参加したいくつかの課外活動について書いていきます。
3-3-1. クラブ活動
1学期目の初めからスカッシュというラケット競技のクラブに参加していました。
他のクラブと比べて費用が安かったというだけで始めたのですが、ここで出会った友達が私の留学生活を一番支えてくれた子になりました。活動日に往復の車に乗せてもらうことに始まり、他愛のない会話から留学生活での悩みまで共有できる仲になりました。
日本語や日本文化について教えたり、逆に南アフリカの文化や言語を教えてもらったり、クリスマス前後の1週間は彼女の実家に滞在させてもらい南アフリカの家庭のクリスマスを体験したりと、様々な形でお互いのことを理解し合う機会を得ることができました。
これは留学生活の中で非常に大きな出会いと学びになり、自分の殻を破って行動を起こすことの重要性を実感した経験でした。スカッシュクラブは他にもコーチやチームメイトをはじめ優しく温かい人々に恵まれたとても良いコミュニティでした。
それ以外にも、2学期目からの約4か月は、外部でダンススタジオにも通っていました。外大でストリートダンス部に所属していたため、ダンスを続ける機会を持てるとともに、違う言語や文化の中でレッスンを受けることで日本との共通点と相違点に気づくこともあり良い経験だったなと感じています。
3-3-2. イベント
また、私は学内のイベントにも積極的に参加していました。大きな2つのイベントについて書いていきます。
① International Students Day
プレトリア大学では毎年10月の1週目に、International Students Dayという留学生が自分の文化を披露する1日限りのお祭りがあります。プレトリア大学には正規生を含み4000人ほどの留学生(多くがアフリカ地域内から)が通っており、多くの人が集う盛大なイベントです。
留学生は出身国ごとにブースを出したり、伝統的な歌やダンスのパフォーマンスをしたりします。私は2人の交換留学生(1人は外大から、もう1人は北海道大学からの留学生)とともに、日本大使館の協力を得ながら、ブースで書道や折り紙の体験を行ったり、3人で練習した和風のダンスを踊ったりしました。こちらのダンスは、2024年度のダンスパフォーマンス部門1位をいただきました(写真3)!
もし見てみたい方がいらっしゃいましたら、外大公式YouTubeに投稿されているプレトリア大学の紹介動画に一部載せていますのでぜひご覧ください。
書道体験はとても人気で、現地の人々にこれほどまでに日本文化が人気であることに驚きつつ、誇らしい気持ちになりました。
写真3: ダンス部門で優勝した時の集合写真
② Got Talent Show
毎年2月の半ばに行われる学内のチャリティーイベントで、Got Talent Showという特技披露コンテストのようなものが行われます。現地の仲のいい友達が出演するという話を聞き、せっかくの機会に挑戦してみようと考え、ソロでダンスを披露する形で参加しました。
日本のマンガやアニメが人気である状況を踏まえ、「鬼滅の刃」映画の主題歌「炎」を使ってダンスを披露し、ダンス部門で3位をいただくことができました。(ちなみにその後もう1つのコンテストにも呼ばれ、そちらでは2位をいただきました。)
ソロで踊ったのが初めてだった上、国籍も言語も文化も違う人々の前で踊るということに不安はとても大きかったのですが、ここで挑戦できたことは自分の自信になった大きな経験になりました。
3-3-3. ボランティア
寮から車で30分ほどの場所にある孤児院を他の日本人学生から紹介してもらい、月に1回ペースでボランティアをしていました。ボランティアの内容としては、生活している子供たちと遊んだり宿題を見たり、食事作りの手伝いをしたり皿を洗ったりといった基本的なお手伝いでした。
様々な理由から孤児院で生活する子供たちと接することで、虐待などの問題が子供にどのような影響を与えるのか、教育のあり方など、少ない活動時間の中でも考えさせられる機会になりました。何より子供たちが本当にかわいくて、自分自身元気をもらえる場所でした。
3-3-4. フィールドワーク
私は留学の目的の1つとして、研究のためのフィールドワークを滞在中に行うことを掲げていました。私の研究テーマは南アフリカの初等教育なので、1年間の留学中に現地の小学校へ複数訪問することを目標にしていました。
英語にある程度慣れた2学期目から行動を起こし、まずは寮の近くの小学校にひたすらメールを送りました。全くメールの返信が返ってこないという状況に陥りながらも、なんとか1校だけ返信が返ってきた小学校への訪問が叶い、授業見学と先生へのインタビューを行うことができました。
どう進めるべきかを悩んでいた際に、治安面も考慮してツテを使うべきだと外大の先生からアドバイスをいただき、その後は留学期間中に培った人脈を駆使するという方法を取るようにしました。
アフリカ専攻の先輩でヨハネスブルグ周辺のタウンシップ(旧黒人居留地)で研究をされている桶谷さんから繋いでいただいた現地の方にその地域の小学校を紹介していただいたり(写真4)、ボランティアに行っていた孤児院の院長から子供たちが通っている小学校を紹介してもらったり、外大にも留学に来ていた友達の母校を教えてもらって車で5時間かかる田舎町まで弾丸で行ってみたり…。
写真4: 訪問した小学校の教室
人脈を総動員することで、南アフリカとナミビアの計5校の小学校に訪問をすることができ、実際に現地に行ったことで研究のテーマを少し変えるなどの調整をしながらデータの収集ができたと考えています。
この経験で、私は自分から積極的に様々なことに挑戦して人脈を広げることは非常に大切だということ、そして実際に足を運び自分の目で見るからこそ、立てた仮説との相違や本当に抱えている課題に気づくことができるのだということを学びました。
3-3-5. 日本人コミュニティとの繋がり
ほとんど日本人学生がいないプレトリア大学ですが、先に留学に来ていた外大の先輩を通じて、唯一正規の大学院生として通っている方と知り合い、そこからプレトリアに駐在している日本人の方々との繋がりを得ることができました。
毎週土曜日に行われているテニス会に何度か参加することで、主に日本大使館とJICA職員の方々と関係を深めることができ、実際に駐在で仕事をしている方々ならではの経験や考え方などを聞くことができました。
またそれ以外にも、アフリカ専攻OBをはじめとして、ヨハネスブルグに多くある日系企業の駐在員の方とお話をする機会もあり、実際に南アフリカで働かれている方々の仕事やキャリアを聞くことができたことは、就職活動をはじめ自分の将来を考える上でとても貴重な経験でした。
また、5月に毎年プレトリアのショッピングモールで行われている大使館主催のJapanese Festivalにも大使館の方々からお誘いをいただき、書道ブースのお手伝いをさせていただきました。
学内のInternational Students Dayよりも大きなイベントで、本当に多くの方々が来場していて、物理的にも心理的にも遠いはずの南アフリカでたくさんの方に日本文化を愛されていることを実感しとても嬉しかったのを覚えています。
プレトリアは行政の首都ですが、車か電車で40分ほどの場所にあるヨハネスブルグは南アフリカ、そしてサハラ以南アフリカの経済の中心地となっているためより大きな都市です。
その一方で、アパルトヘイトという南アフリカの負の歴史と、それを乗り越えた南アフリカの光と影を感じられる場所です。私がプレトリアに留学して本当に良かったと思う1番の理由は、訪れる度何度も考えさせられるヨハネスブルグに近い場所で生活できたからです。
ヨハネスブルグは、世界最恐都市と呼ばれるほど治安が悪い場所で、特に中心部は凶悪犯罪率も高いです。訪れる場合は、決して一人で歩かないこと、貴重品などには十分注意を払うことなどを徹底して観光することをお勧めします(観光客向けのSightseeing Busまたは市内ウォーキングツアーなどに参加すると安心だと思います)。
市内の観光地を巡っていると、多くのアパルトヘイトにまつわる場所が存在しますが、その代表格が南部にあるアパルトヘイト博物館です。受付でランダムに「白人」「非白人」のチケットをもらい別々のゲートを通る(写真5)など体験しながら、アパルトヘイトについて全体像を知ることができる場所です。
写真5: アパルトヘイト博物館の2つのゲート
その他にも、アパルトヘイト期まで使われていた刑務所やソウェトというタウンシップにあるソウェト蜂起にフォーカスした博物館、ネルソン・マンデラの家など、アパルトヘイトにまつわる観光地が多くあり、人種差別が法律で認められていた状況、それに対し必死で抵抗した人々の存在をより身近に感じ考えさせられる機会が多いです。
また、アパルトヘイト後の治安悪化によりかつてギャングの巣窟となっていたPonte Towerという高層ビルや中心部に乱立するビルの半数近くが廃墟であること、都会のそばで物乞いをする人々、ソウェトでのスラムの様子(写真6)などをツアーなどで実際に見ることがありました。
写真6: Soweto Townshipのインフォーマル居住区(スラム)
それによって、日常的に目にする発展と多様性を認め合えるようになったアパルトヘイト廃止後の良い面の傍らで、アパルトヘイトによる弊害として残り続ける人種間の経済格差などのネガティブな側面を感じることができました。
現代南アフリカの光と闇をどちらも映したような街にすぐに行ける場所で生活できた経験はとても貴重でした(もちろん遊園地やショッピングモールなど楽しい場所もたくさんあります!)。
大学の長期休みが非常に長かったため、私は南アフリカ国内と国外のアフリカの国々をたくさん旅行しました。主に行った場所は以下の通りです(地図)。
国内:ケープタウン、ダーバン(インド洋沿い)、ブルームフォンテン(司法首都)
国外:9月→ジンバブエ、ザンビア 12月→ケニア、タンザニア、マラウイ
1月→ナミビア、ボツワナ 4月→レソト、エスワティニ
地図: 旅行先の位置
国内に関しては、主要都市は大体行けたかなという感じです。個人的にはケープタウンが1番お気に入りで、観光地が本当に多く、海と山をはじめ自然が本当に豊かで美しくて感動した場所でした(写真7)。ダーバンはインド系の方が多く住んでいる地域で、海の幸はもちろんインド系の料理がとても美味しかったです。異国情緒あふれる雰囲気も素敵な場所でした。
写真7: ケープタウン・喜望峰にて
国外旅行は、ジンバブエとエスワティニ、ナミビアの3日間以外は全て一人でバックパッカーとして旅行しました。ほとんど陸路でバスを使いながら移動し、過酷ではありながら本当に充実した日々を過ごすことができました。
ジンバブエとザンビアの間にあるビクトリア・フォールズ(写真8)、タンザニアのキリマンジャロ山やダルエスサラームの美しい海、マラウイ湖、ナミブ砂漠(写真9)、ボツワナの国立公園で野性のライオンやゾウなどを見られたことなど、挙げれば切りがないくらいたくさんの美しく不思議な自然に触れられました。
写真8: ジンバブエ側からのビクトリア・フォールズ
写真9: ナミビア・ナミブ砂漠
それと同時に、ケニアにあるキベラスラムやフォート・ジーザス、グレートジンバブエ、各国の博物館や文化村などで、国や地域で異なる文化や歴史、生活や抱える社会問題などの一端を自分の目で見ることができました。
観光をする中で、また移動中に見る景色から、留学前に想像していたよりも何倍も発展したアフリカの姿と、想像通りのアフリカの風景のどちらも感じることができ、発展とは何なのか、この国における本当の課題は何なのか、自分はどんな立場を取るべきなのか、何度も考えさせられる旅でした。
移動は10時間以上のバス移動がほとんど、最長は24時間バス移動(!?) で何十年分かのバス移動をした気持ちです笑 ある時は舗装されていない道に揺られ、ある時はバスのタイヤのパンクや車両の故障で乗り換えを余儀なくされ、またほとんどの国で長距離バスの休憩は建物すらないただの草原で…というように、毎度かなりアフリカの洗礼を受けた時間だったなと思います。
また、現地の人々が使うミニバス(乗り合いタクシー)に乗る必要があった際、1番衝撃を受けたのは現地の人々の時間感覚でした。ミニバスは席が埋まるまで発車しないため、時刻表はなくいつまで待たされるかわからない移動手段です(私は最長4時間車内で待たされました…)。
私は毎回かなり不安や焦りが大きかったのですが、現地の人々にとってはそれが当たり前で、おそらく予定も遅れてもキャンセルしても仕方ない、というスタンスなのだと思います。この時間感覚の違いはカルチャーショックではありつつも、忙しい日本の生活よりもゆったりと余裕がありいいなと思える部分でもありました。
それ以外にも宿泊する予定だった宿の住所が全く違って取り直す羽目になったり、タクシーの運転手に観光地案内を頼んだらかなりの金額をぼったくられたりと様々なハプニングがありました。
その分現地の人々に自分から積極的にコミュニケーションを取りに行くことで、彼らしか知らない観光スポットやお店を知ることができたり、彼ら自身がどんな生活をしていて何を考えているのかを知る機会にもなりました。
何より、全く計画通りにいかない中で宿と交通手段さえあればいいという臨機応変な対応力や、現地の人との交渉力、過酷な状況下でも生き抜くためのサバイバル能力など、多くの学びがあり、私自身成長を感じて自信になった日々でした。
かなり長々と書いてしまいましたが、こんなに長く書いても書ききれないくらい、1年間の留学は私にとって、自分の視野を大きく広げ、一回り自分を成長させることができた、本当に大きな経験でした。すでに上記に書いてある学び以外のことを最後に記しておきます。
・南アフリカ、アフリカ、日本、世界、そして自分を、より俯瞰的・客観的に見ることができるようになった
一度日本を離れ、南アフリカという日本人がほとんどいない環境に身を置いたことにより、南アフリカやアフリカの視点はもちろん、アフリカや日本、そして世界全体を、一歩引いた目線で見ること、客観的に見たそれぞれの魅力や課題、課題の原因や背景を考えることが日常的にできるようになりました。
特に日々プレトリアで生活する中で、発展した街並みと不自由ない自分の生活の傍らで、どこに行くにも物乞いがいる、お金や食べ物が欲しいと訴えてくる、その状況に対して背景や原因をよりマクロな視点で構造的に考えようとする意識が強くなりました。それは国や地域だけでなく、自分自身をも客観的に見つめ直し、自分は何者なのか、自分の生きる意味は何かなどを考えることにもつながっていたと思います。
・当たり前が当たり前ではないことに気づき、日本の良い部分をより好きになった
日本文化や日本食の魅力はもちろん、インフラが安定しているとはいいがたく電車もほとんどない場所で生活したからこそ、当たり前だった日本での生活が、先人たちの技術と見えないところで支えてくださっている多くの人々の努力によって成り立っていることを実感しありがたさを痛感しました。
南アフリカにも、他の国にも違う部分で魅力がたくさんあるけれど、私はやっぱり日本が大好きで、この生活に感謝しながら大切に守っていきたいとより強く感じるようになりました。
・多様性の中で生きることの尊さと難しさ
初めて多様な人々のいる環境の中で生活をして、お互いを尊重し、個性を認め合う社会の素晴らしさを強く感じました。
言語も文化も宗教もバックグラウンドも全く違う人々が協力しながら共に生きる姿は私にとって新鮮で、アパルトヘイトを乗り越えた人々の生きる力と多様性を認め合う価値観に尊敬の念を持ちました。
その一方で、多様性があるからこそ可視化されてしまう自分のマイノリティーさに孤独を感じることがあったり、勉強してもどこか理解しきれない宗教観であったり、多様性の尊重というものの難しさをより実感した機会にもなりました。
こうして多くの学びを得て、何事もなく無事に1年間の留学を終え帰国できたのは、外大やアフリカ地域専攻、プレトリア大学の教職員の皆様、現代アフリカ地域研究センターの皆様、家族、アフリカ地域専攻をはじめとした同期や先輩後輩、現地の友人など、様々な方のご支援とご協力のおかげだと思っております。本当にありがとうございました。
この体験記が、これからアフリカへ訪れる方々の一助となれば嬉しいです。最後にプレトリア大学の紹介動画のURLを記載しておきます。ぜひご覧ください。
最終更新:2025年12月27日