世界剣道紀行

~アフリカ編~


by

 西間木優樹

アフリカ地域専攻、2019年度入学

皆さんお久しぶりです!はじめましての人は、はじめまして。アフリカ地域専攻2019年入学のまっきーです。大石先生から、旅の寄稿依頼を頂いてから早1年。どうやら旅の間に現地のアフリカンタイムが染み付いてしまったようです。「流石に卒業までには」ということでようやく筆を取りました。

さて早速、本題へと入りますが、自分は語科同期の上原賢斗と菅沼蓮と男3人でアフリカ縦断の旅をしました。賢斗が「アフリカ縦断しようぜ」と自分を旅に誘ってくれて、そこに蓮も引きずり込んで、という感じでした(実はもう1人、福岡という男子同期がいますが、旅の終盤にのみ参戦しました)。

賢斗と蓮と僕はそれぞれタイプの全く違う3人でした。道中揉めたこと(特に賢斗と僕との間で。蓮はいつも潤滑油、というか板挟みでした(笑))も何度かありましたが、2人と一緒にいた毎日は本当にかけがえのない時間でした。旅に誘ってくれて、どんな時でもみんなを盛り上げてくれた賢斗、柔らかで、時々トチ狂ってる蓮、ありがとう。

そんな僕たちの旅は、「誰かが車を運転して次の目的地まで向かっていれば(編注)、他の2人は離合集散自由」という、旅のハードさと規模の大きさの割に、なんとも自由な旅でした。だからこそ、半年以上にも及ぶ長い期間でも一緒に過ごせたのかもしれません。また僕の場合は剣道の大会に参加したり、借りた車を返すため、日本帰国後に1度アフリカへ出戻りしたりなど、少し複雑なルートと期間になっています。

編注:東京外国語大学では、留学中の学生による現地での自動車の運転による移動を推奨していません

① 南アフリカ(同国域内のレソト王国、エスワティニエスワティニ王国も訪問)→ナミビア→南アフリカ→ボツワナ→南アフリカ→ジンバブエ→ザンビア→マラウイ→タンザニア→ルワンダ→タンザニア→ケニア→エチオピア→南アフリカ→エジプト

② ケニア→タンザニア→マラウイ→モザンビーク→南アフリカ


① 2022年8月〜2023年3月(約7ヶ月間)

② 2023年8月(約1ヶ月)

また同期の玉井遥と吉田いぶきが、ほぼ同時期に逆ルートで縦断旅を行っております。旅先の事情に関しては2人の寄稿の方が詳しいと思うので、ぜひこのHP内でご参照を(吉田さんの記事 玉井さんの記事)。

僕からはせっかくなので、彼女らとは少し毛色の違った話をお届けしたいと思います。それはアフリカと剣道のお話です。かくかくしかじか、まあ色々と訳あって、僕はアフリカを縦断しながら剣道を教えてくれと頼まれ、幾つかの国で剣道を教えることになりました(笑)。

具体的には、南アフリカ、ナミビア、マラウイ、タンザニア、スーダン、モザンビークの6カ国です。タンザニアとスーダンに関しては旅の旅程などもあり志半ばで諦めましたが、現地で剣道をしている方々との交流などはありました。

これを読んでいる方々の中には、「そもそもアフリカ、とりわけサブサハラで日本古来の武道である剣道があるのか?」と不思議に思う方がいるかもしれません。それは何というか、当たり前の反応だと思います。何を隠そう、約15年もの間、剣道を続けている僕でさえも知らなかったのですから。

ですが確かにそこに、日本古来の武道である剣道(KENDO)という文化は存在し、また日本にいる剣道家と同じく、もしくはそれ以上に剣道を強く愛している人々がいました。以下に、僕が剣道を教えていたアフリカ各国での写真とエピソードを載せました。

南アフリカ

サブサハラでは圧倒的な剣道人口を誇る。特にヨハネスブルクには4つもの道場が存在し、それぞれメンバーや指導法など、道場ごとに特徴がある。アフリカにはアフリカ剣道連盟がないため、アフリカ諸国で唯一、欧州剣道連盟に所属し、世界剣道選手権にも出場している。プレイヤーに黒人は少なく、裕福なアジア人や白人が多い。とにかく剣キチ(剣道キチガイの略。剣道が好きすぎる人のこと)が多い。毎年、3月には後に詳説するドイツ人の剣道家が大規模な国際セミナーと大会を開催しており、そこで開催される昇段審査では級や段位を取ることも可能。アフリカで昇段審査が開かれているのは南アだけである。

写真1: ヨハネスブルクにある道場にて。剣道指導の最終日、縦断旅スタートの直前です。

写真2: 南アフリカ代表のみなさんと。まさかこんな所に剣道大好き人間がいるなんて。

ナミビア

道場は首都であるウィントフックに1つだけ。旧宗主国のドイツ人のおじいちゃんが道場主となってやっている。かつてナミビアに日本国大使館を立ち上げた日本人の方がこの道場とナミビア剣道連盟の立ち上げに尽力し、今でもナミビア剣道連盟の会長を務めている。彼と協力して道場立ち上げに尽力したドイツ系の道場主によって、孤児院の子どもたちに剣道を教えるなどの慈善事業も行われている。

また上に挙げた南アフリカとナミビアでは不思議な縁が。写真に写っているトトロかというくらい身体の大きなドイツ人のおじさんは南アフリカとナミビアで毎日、剣道の国際セミナーを行っている人で、ドイツ剣道連盟会長、世界剣道選手権では決勝戦で主審を務めるなど、剣道界では大御所の人物。剣道もバリ強く、日本人の剣道家以外では最高位の七段を有している。ちなみに奥さんは日本人で、なんと東京外国語大学体育会剣道部のOG。神様のイタズラか。世界というものは本当に狭い。

写真3: 首都ウィントフックの道場のみなさんと。中央下がトトロです。

写真4: 孤児院の子どもたちに剣道を教えている様子。毎週、行われているそう。

マラウイ


首都リロングウェに次ぐ大都市、ブランタイアに道場が存在する。かつて謎の慶應大学剣道部の学生が大学を休学し、マラウイ剣道連盟の立ち上げに尽力した。南アフリカやナミビアのように道場はなく、普段は体育館を借りてやっているようだが、レンタル料のコスト問題や他スポーツとの競争から、屋外のテニスコートで稽古することも少なくない。ちょうど僕が訪問した時はテニスコートで雨まで降っていました。剣道という競技の性質上、地面への踏み込みは避けられないので、僕はここでの稽古でかかとを破壊されました(泣)。

写真5: マラウイ剣道連盟のみなさんと一緒に。みんなカッコつけています(笑)

写真6: 竹刀運びを手伝ってくれている子ども。どこの子か分からないらしい。

モザンビーク

首都のマプートに道場が一つだけ存在する。旧宗主国であるポルトガル系の人が多い。なぜかモザンビークは剣道との縁が深く、現地の日本国大使館派遣員や何代か前の大使の尽力もあり、JICAから継ぎ目なく、青年海外協力隊の剣道隊員がやってきて剣道と居合道を指導している。(アフリカでは希少、というか世界的にも青年海外協力隊の剣道隊員がいるというのはかなり珍しい。)

写真7: マプートの道場にて。この日は偶然、現地のNGOで働いている日本人女性も参加。

写真8: 入手の難しい大きいサイズのコテを寄付した時の写真。写真10も参照。

とまあこんな感じで紹介をしてきた訳ですが、これらは僕がアフリカを旅しながら剣道を教えるなかで経験したこと、感じたことのほんの一部に過ぎません。ですが、1つだけ、僕が強い印象を受け、ここに書き残しておきたいことがあります。

それは、かつて先人とも言える剣道の大先輩たちが、アフリカというハードシップの高い大陸で灯した「剣道の灯火」は、今や下火となってしまっているということです。

上で紹介した国々では、かつて現地に駐在していた大使館や商社、JICAなどの剣道家と、日本文化や剣道に面白さを見出し、本気で剣道を広めようとしている人たちとの、並大抵ではない努力によって、ようやく作り上げられた環境がありました。

それはマラウイのテニスコートで行われた剣道のように、決して立派なものではないかもしれません。また目に見えるものではないかもしれない。ですが自分はそこに、かつてそこにいた日本の剣道家と彼らの伝えた剣道というものに惚れ込んだ現地人とが時間と労力をかけて積み上げてきたアツい思いのようなものを感じました。

ですが、現地に駐在する日本の剣道家たちのほとんどは、永遠にそこに居続けて、剣道を教えることが出来る訳ではありません。もちろん、そこに居る間に出来る限りのことをしようと、伝えられるだけのことを伝えていこうとしていたと思います。

しかしながら、事実として、彼らが去ってしまうことで、かつてのパートナーが居なくなってしまうことで現地の剣道家たちが失ってしまうものは少なからずあります。それは単に剣道の指導法やスキルに留まらず、剣道そのものへのモチベーションなどもあるでしょう。そして少なくとも僕は、そうした状態に、つまりピーク時ほどは下火へと向かってしまっている現状をいくつかの国で見てきました。

ですが、それと同時に現地の剣道家の方々が、何とかしてその灯火を絶やさないようにもがいている姿も見てきました。彼らが持っている、剣道に対する熱や注ぎ込む熱量は日本にいる一般的な剣道家のそれを凌駕するものだと僕は思いました。

旅が終わって日本へと戻り、淡々と毎日を過ごしている訳ですが、今でもその時に感じた熱を、自分に向けられたあのアツい眼差しと期待を忘れることはありません。これは傲慢すぎる解釈かもしれませんが、彼らにとっては日本から剣道をやっている奴が来たというだけで希望の光にさえ見えていたのかもしれません。

例えそれがケツのまだ青い学生であったとしても。事実、それは「なんとかして欲しい」、「あれもこれも教えて欲しい」、「また来て手伝って欲しい」というメッセージを頂くこともありました。彼らの中に感じたアツいものを、先人たちの築き上げてきたアフリカ剣道の灯火を絶やさないように、何か自分に出来ないかと悶々と悩む日々です。

現地で出会った剣道家の方々と連絡を取り合ったりなど、少しずつではありますが、色んな人と協力して、一歩、また一歩とアフリカ剣道を大きくしていこうと頑張っています。具体的には、かつてアフリカで剣道を教えていた経験のある方やJICAの方と協力し、現地で供給の足りていない防具を寄付したり、アフリカ諸国の剣道家たちのネットワークとなるようなものを立ち上げたりなど。

今後、直近の目標としては、アフリカ諸国における剣道普及に携わったことのある方々(日本人だけでなく、現地人の方も含め)に当時の話などをインタビューし、ゆくゆくは『アフリカ剣道史』のようなものを作ることが出来たらと考えています。本当にまだ、よちよち歩きの状態ですが、見守って応援して頂ければ幸いです。

補遺(付録の写真)

写真9: 現地の初心者に剣道を教えている様子。行ったその場で「あれ教えて!これ教えて!」という感じでした。本学の体育会剣道部で留学生相手に剣道を教えるときも感じたことですが、英語で剣道を教えるというのは恐ろしくハードルが高いです。中には、「必殺技を教えてくれ!」という無茶振りも。。

写真10: モザンビークの道場に寄付するための防具でパンパンのスーツケース。地元の道場や知り合いの先生、剣道繋がりの友人にお願いしたり、Twitterで寄付を募ったりして、状態の良い大きいサイズの甲手(コテ)を集めました。

最終更新:2024年3月25日