ジンバブエで暮らす

~在外公館派遣員生活記~


by 青木芽衣

アフリカ地域専攻・2019年度入学

1.はじめに

 2022年3月から2023年12月までの2年間弱をジンバブエの首都ハラレで暮らしました。以下、第2章でアフリカへの渡航手段について、第3章でこの2年を経て思う「渡航手段としての派遣員制度」について、第4章でジンバブエ観光案内をまとめました。それぞれ興味のある箇所だけでもご覧いただけますと嬉しいです。


2.アフリカに行く

一口に「アフリカに行く」といってもそこには様々な手段があります。まずは、自分に合った手段を選択することからです。仕事、留学、インターン、ボランティア、旅。実際にアフリカで日本人に出会うと、皆さんの多種多様な渡航手段・目的に大変驚かされました。私は、在外公館派遣員としてジンバブエへ渡航しました。

派遣員制度に関しての詳細は、国際交流サービス協会のウェブサイト(https://www.ihcsa.or.jp/)をご覧いただければと思います。

私がこの制度を知ったきっかけは、アフリ科入学直後のオープンキャンパスでした。

企画の一つで、派遣員として南アフリカのケープタウンで勤務されていた先輩のお話を伺う機会があり、「自分もこの制度でアフリカへ行きたい、いや、行くような気がする!」と、これからの大学生活への期待もあって、わくわくしたことを覚えています。

3年生になりコロナも落ち着いてきた頃、周りが留学準備を始めだしました。私も在学中に一度はアフリカに行きたいと思っていたので、せっかくなら派遣員で、と応募を決めました。

といったわけなので、アフリカ渡航にあたり、派遣員以外の選択肢をしっかり検討することはなかったな、と思います。しかし、アフリカへの渡航方法はそれこそ人の数ほどあり、それぞれが一長一短、自分にあったものを見極めることがとても重要です(写真1)。

写真1:ジンバブエの主食はサザ(トウモロコシ粉の練り粥)。異国で暮らすには、食が合うかも大事。

3.在外公館派遣員としてアフリカで暮らす

つぎに、派遣員に合うのはどんな人か、実際に派遣員生活を終えて思うことをまとめます。2年前の自分にアドバイスするつもりで「渡航手段の一つとしての派遣員制度」という視点を心掛けたので、派遣員に応募するか迷っている方のちょっとした判断材料になれば幸いです。

派遣員の任期は基本2年間です。赴任が決まれば、大学生のうちに社会人経験を2年間も積むことができ、日本大使館員やJICA職員の方々をはじめ、「学生」では作れない人脈を築くことができます。また、日本の外交に関わる派遣員の仕事は、この先なかなか経験できないであろう、とても貴重な経験でした(写真2, 3)。

写真2:岸田総理がモザンビークを訪問した際にヘルプとして出張した。

写真3:ジンバブエで日本酒を紹介。

一方で、派遣員はインターンではありません。社会人経験豊富な他の大使館員と、社会人として共働することが求められます。私は、この2年間、初めての社会人経験(+一人暮らし)で毎日を暮らすので精一杯でした。

2年間という期間は短いようで、とっても長いです。暮らしていると2年間は飛ぶように過ぎていきますが、「20代前半の2年間」はただ過ぎていかせるにはあまりにも貴重です。

正直、2年あれば、旅もボランティアもインターンも全部できてしまう。もちろん任期中であっても、いろんなことにチャレンジすることはできますが、私が渡航前に想定していた以上に、時間的制約、そして大使館員としての行動の制約はいろんなところにかかっていたように思います。狭く深くか、広く浅くか、天秤にかけたら空中でいいバランスをとりそうです。

派遣員になってしまえば、何もしなくたって、ただアフリカに住むことができます。ひとところに長期間住んでいれば、どんどんいろんなことに慣れていき、あっという間に毎日が日常になります。

派遣留学では長くて1年間が相場ですが、派遣員はその倍の2年間を同じところで暮らします。アフリカでの暮らしが日常になっていく過程や、「私、アフリカで普通に暮らしてる!」という日々の気づきは大変面白いものでした。

例えば、ジンバブエでは深刻な外貨不足のため、大手スーパーでもお釣りがないと言われることがよくあります。それでお金のお釣りの代わりにキャンディを渡されることがよくあるのですが、 渡航したばかりの最初の頃は店員に言われるがままにキャンディを受け取っていました。

それがいつの間にか、自分から「お水にして」と普段飲むミネラルウォーターを自然にリクエストするようになっていることに、もらった水のペットボトルを冷蔵庫にしまいながら気づくのです。

また、ハラレの交通事情では、帰宅ラッシュの時間に帰宅しようとしたら、どの道を通っても渋滞を回避するのは困難なのですが、「どこどこの道で事故だって」と同僚から聞けば、その道を避けて違うルートで帰宅します。道を変えたのにやっぱり渋滞にはまってから、「そりゃそうか」とイライラするでもなく時間の流れを受け入れられるようになっている自分がいました。

このように、ごく些細なことから、生活への慣れを実感していました。赴任時に咲いていた街路樹の花がまた咲き始めたのを見て、1年経ったんだとしみじみしたのも、2年間という期間住み続けたからこそだったなと思い出します。  

派遣員は有給の大使館職員ですので、お金に困ることはそうそうないですし、家も広くてセキュリティ万全、いわゆるアップタウンでの暮らしです。言ってしまえば、ほとんど日本と変わらない(むしろそれ以上の)生活ができます。とにかく安全に渡航したい人や社会人経験を積みたい人、あるいはお金を貯めたい人には、在アフリカ公館の派遣員はピッタリですが、「アフリカ」に来た面白味、というものは少ないかもしれません。

水が出ないとか、電気が来ないとかといった暮らしの不自由はほとんどありませんし、たくさんのジンバブエ人に囲まれて、寝食を共にするというような生活からは遠いところにありました。

ただ、極論、やってみないとわかりませんし、やってみても、それがどうだったのかはあと数年後にわかるかな(?)という気がしています。果たして、私の貴重な2年間を日本アフリカ間の外交(のサポート)に捧げたのは正解だったのか…!!

4.アフリカを旅行する

派遣員の魅力は何といっても、お金を稼ぐことができるところです。私の場合、任期中に得た時間とお金のほとんどをジンバブエ内外の旅行に費やしました。また、2年間弱をジンバブエで過ごしましたが、人に恵まれたこともあり、ジンバブエ好き・アフリカ好きのまま、日本に帰還することができました。そこで、「ぜひジンバブエへ遊びに行ってほしい」という気持ちで、ジンバブエおすすめスポットを紹介させていただきます。

ビクトリアフォールズ 

世界的に有名なビクトリアフォールズですが、現地語ではMosi oa Tunya(霧の中の滝)と呼ばれています。その名の通り、時期によっては水しぶきで滝全体が見えないほどの迫力です(写真4)。

写真4:霧でなにもみえない。

アクティビティのおすすめは、ヘリコプターライドとディナークルーズ(写真5)。現地で声を掛けてきた代理店の人を通して、その場で予約する方が安かったりします。整いきっていない、まだまだ発展途上な観光地です。

写真5:ヘリコプターからの景色。まるで初期設定のパソコンのデスクトップの世界。

ハラレ

ジンバブエの首都はハラレ(Harare)ですが、ジンバブエを訪れる観光客のほとんどは南アフリカなど近隣諸国から直接ビクトリアフォールズへ飛んでしまうため、ハラレまで来る観光客はめったにいません。たしかに、ハラレに有名な観光地はありませんが、ぜひともアフリカ地域専攻の皆様には、ハラレまで足を伸ばしてほしいところです。

ハラレは標高1,600mと比較的高地に位置しているため、湿度は低くよく晴れる、暑すぎず寒すぎない非常に過ごしやすい心地よい街です。おすすめは10月。街中で紫色の花を咲かせるジャカランダが見頃です。市内には庭付きのカフェが多くあり、土日はカフェでゆったり過ごすのが毎週の楽しみでした(写真6)。

写真6:毎週のように通ったFriends café。おすすめはキャラメルミルクシェイク。

 また、観光客がほとんどいない分、道路の状態や会計時のトラブルなど戸惑うことも多く、楽しい経験になること間違いなしです。

ハラレからは日帰りで、ジンバブエドルのお札のデザインとなっているバランシングロックや、大昔の壁画が残るドンボシャワ(写真7)、イミーレ野生動物保護区でサファリを楽しむことだってできます。

写真7:ドンボシャワからの景色。道中の市場で買うローカルサザが絶品。

ニャンガニ山

ハラレから車で東に4時間。ニャンガは人気のある避暑地です。

ここでは、ジンバブエで一番高い山であるニャンガニ山に登ることができます。3時間ほどで登れてしまう山ですが、急こう配や岩肌に体力が奪われ、登るのは一苦労です。現地では神聖な山として大切にされており、登る際にはいろいろなルールがあるので注意が必要です(写真8)。

写真8:仲良く並んで登る

ブラワヨ

ジンバブエの第二の都市ブラワヨには、世界遺産にも登録されているマトボ遺跡があります(写真9)。

写真9:マトボ遺跡(世界遺産)

車で丘陵を越えていった先には、セシル・ローズの墓があります。世界史の一時代を築き、ローデシアの由来にもなった人物が自身の墓に選んだ場所からの眺めは、なんとも爽快。何もさえぎるものなく、アフリカの大地を見渡すことができます。

また、ブラワヨビーフのステーキも有名です(写真10)。ジンバブエ全体として、牛肉はとてもおいしいので、ぜひ試してみてください。スーパー等で購入して自分で調理する場合は、肉が傷んでないか要注意。

写真10:ブラワヨビーフのステーキ

ハラレとは違い落ち着いた雰囲気のある第二の都市は、ビクトリアフォールズとマシンゴ(グレートジンバブエ)、ハラレの中間地点にあり、各所からアクセスしやすいです。

5.おわりに

2年間弱お世話になったジンバブエ。ここでのたくさんのご縁は、これからもずっと大切にしたいものになりました。いろいろあった派遣員生活ですが、そのいろいろは、目の前のことで精一杯だった当時の私には日常の一部でしかなく、帰国した今、ようやく自分を褒めることができています。

一度ジンバブエのサザを食べた者は、またジンバブエに戻ってくる、とかなんとか。次に行くときは普通旅券。ジンバブエの税関を無事に抜けられるかどうか、楽しみです(笑)。

最終更新:2024年1月30日