「ジンバブエ体験記」

杉山翔洋(アフリカ地域、2015年入学)

1. はじめに

はじめまして。私は東京外国語大学の国際社会学部、アフリカ地域専攻4年に所属しております、杉山翔洋と申します。私は3年次課程の修了後の2月から12月までの間、大学の休学制度を利用してジンバブエ大学(University of Zimbabwe)に留学していました。ジンバブエに関する情報、特に留学に纏わる色々は英文日文を問わずあまり出回っておりませんので、何かの一助になればと思い筆を取らせて頂きました。アフリカへの留学に興味がある方、またジンバブエの諸事情に関心がある方は、大変短いですが最後までご付き合いいただけると幸いです。

2. ジンバブエについて

少々の私見を交えながらお話しします。先の2017年に権力の座からロバート・ムガベ大統領を追放したジンバブエは、かなりのいざこざがありつつも、2018年の総選挙の後にエマニュエル・ムナガグワ氏を大統領とする新たな体制へと移行しました。選挙前に暗殺未遂があったりまた選挙直後のデモで死人が出たりと色々とごたごたはありましたが、私がジンバブエを去る頃(2018年12月)には、一応ではありますが政治的な落ち着きが戻りつつあるように思いました。

ジンバブエといえばハイパーインフレ(写真1)を連想する方も多いのではないでしょうか。私が留学中していた際、ジンバブエは貨幣に米ドルと代理通貨(ボンドノート、エコキャッシュと呼ばれるものです)を用いて各種の取引を行っておりまして、ほぼ問題なく日々の買い物が出来ました。しかしながらまだ経済は安定しているとは言い難く(これを書いている2019年1月ではガソリンをはじめとして殆どの物価が高騰しています)、状況も流動的ですので、注意をされた方が良いかと思います。

写真1: 2008年当時に使用されていた10兆ジンバブエドル。勿論現在は使用できない。

また、個人的に特筆すべきジンバブエの点としては、治安の良さが挙げられると思います。ハラレの市街(写真2)は(推奨はしませんが)夜に出歩いても全く問題ないというレベルですし、また何か困ったことがあっても周囲の人に聞けばすぐに助けてもらえます。完全な無警戒で行くべきだとは思いませんが、私自身は留学期間中に身の危険を感じたことは一切ありませんでした。

写真2: ハラレ市街の写真。9月に撮影したので、ジャカランガの花が咲いている。

3. ジンバブエ大学について

あまり、ジンバブエ大学の情報がインターネット上に無いので少々の言及をしておきます。ジンバブエ大学(University of Zimbabwe)は、その名が示す通りジンバブエ最大の大学であり、文理問わずほぼ全ての学部を網羅しているマンモス校です。寮の一部の機材やWifiなどには少々難度がありますが、それ以外の設備はほぼ全て揃っており(特にスポーツ施設が充実しておりバスケットやサッカーコート、陸上トラック、果てには武道場やプールまであります)、特に留学中に不自由することはありませんでした。中でも大学図書館は圧巻の一言で、ローデシア時代の公的記録文書や民族誌、人口統計資料などの極めて貴重な文献が豊富に揃っていたため、資料を探す際には非常な助けになりました。

アジア系の留学生は学部レベルでは全くおらず、大学院でも片手で数えるほどといった程度でした。逆にアフリカの他地域から来ている留学生はそれなりに多く、レソトやモザンビーク、南スーダンからの学生が医療系の学部に多く在籍していました。ですので、留学生同士で会って話すまたは勉強するといった機会は、自分から探さない限りは殆ど無いと思います。

4. 留学準備

そこまで特殊なことはしておらず、必要な携帯品が全て揃ったのが出発の2週間前であったように記憶しています。ただ、各種の予防接種は留学に行く一年前(確か、5月辺りだったような気がします)から打つようにしていていました。持って行って良かったものとしては、電気ポット、折り紙、コネクター、そしてインスタント食品。反対に、持って行かずに苦労したものには湯沸かし棒があります。というのも、ジンバブエでは水道からお湯がまず出ないため、水を予めバケツに汲んでから各種の機材で温める必要があるからです。一応現地で購入することも出来ますが、余力があれば持って行った方が良いと思います。

また、これら個人での準備とは少し位相の違う話にはなりますが、学生ビザの取得はかなり注意を払って行うべきだと思います。学生ビザの確保にあたって、私はジンバブエの出入国管理局の公式ホームページのビザ取得要項に則って書類を揃えたのですが、現地の出入国管理局では要項に記載されていない書類(犯罪経歴証明書)を要求され、面食らったことがありました。予め在ジンバブエ日本大使館に連絡を取るなどをして、細心の注意を払って進めるべきだと思います。

5. 留学中の生活

基本的には大学の寮で生活をしていました。2月から5月、8月から11月の間に講義を受け、それ以外の長期休暇期間中には近隣諸国(私の場合はルワンダとモザンビーク、少しではありますが南アとザンビアに行きました)への旅行に行ったり、ジンバブエ大学の友人の家にホームステイしたり(写真3A, 3B)として過ごしていました。

写真3A: ホームステイ先の風景その1。

写真3B: ホームステイ先の風景その2。

ジンバブエ大学では、社会学・心理学・人類学・アフリカ思想・社会調査法などを中心に勉強していました。授業はどれもそれなりに難しかったのですが、特に後者二つの難易度がかなり高く、学期末の試験ではかなり苦労しながら英文の論文と向き合っていました。年間を通して12の講義を受けたのですが、中でも抜きんでて印象に残っているのはアフリカ思想の講義です。「アフリカの伝統哲学は、「世の中の全てを理解することは絶対に出来ない」という前提から始まるんだ。「無知を滅ぼす」前提から始まる西洋式の思考がいかに間違っているか、分かるだろう?」と講義して下さった先生の言葉は、私の中で鮮明に焼き付いています。

大学の講義は午前中や午後早くに終わる日が結構あり、また土日も無いので、慣れてくれば結構な空き時間が出来ます。私はこれらの時間を使ってハラレの市街を散歩したり、大学のテコンドークラブの練習に参加したり、地元のワイヤー・アーティスト(写真4)に弟子入りして針金細工を教えてもらったりしたりと過ごしていました。他の学生もこれら空き時間を使ってスポーツをしたり酒を飲みに行ったりと各々青春を謳歌していましたので、極端に忙しい大学であると言う訳ではないと思います。

写真4: ワイヤアーティストの師匠と。

6. 終わりに

街の酒場で友人と交わしたビール。夏の熱気の中大講堂で行われた人類学の講義。現地で教わった針金細工の技術やアフリカ思想。そして、ジンバブエで語り合った人々が時折見せる、気高さと優しさ。その全てが、経験や思い出として私と共にあります。地理的条件や政治的情勢を考慮するならば、ジンバブエは決して手放しに勧められるような留学先ではありません。ですが、それらの諸条件を全て顧みても、私にとってのジンバブエ留学は非常に良い糧になったと考えています。決して大手を振って勧める訳には行きませんが、それでもジンバブエに興味がある方は、一度留学先として検討してみては、あるいは旅行先として足を運んでみてはいかがでしょうか。きっと何か得られるものがある筈だと、私は信じています。

最終更新: 2019年1月23日