南アフリカでの留学、

そこで感じたこと


by 萩野佑磨

(アフリカ地域専攻、2020年度入学)

1.  はじめに

みなさまはじめまして。私はアフリカ地域専攻4年(2020年入学)の萩野佑磨と申します。3年生の秋学期の時に派遣留学を行うことを決め、南アフリカの首都、プレトリアにあるプレトリア大学に1年間滞在しました。


ここでは、その体験とそこで感じたことについて書かせていただきます。この文章が将来アフリカに留学したい、もしくはアフリカに興味を持っている人に、少しでも役に立ったら幸いです。

2. 南アフリカ、プレトリアについて

私は当初、派遣先の大学を選ぶ時になんとなくアフリカ地域で英語が使える国が良いという理由で、この大学を選びました。実際その判断は間違ってはなく、プレトリアでは英語を基本的にどこでも使用することができ、スーパーやアジア食材店、映画館などの娯楽施設も整っています。

やはり南部アフリカ地域で有数の発展国という評判は伊達ではなく、学生が学ぶ上で必要なものが十分に揃っている環境でした。ただ、プレトリアの歴史は想像以上に波乱に満ちています。当初、南アフリカにやってきたオランダ系移民はケープタウンで暮らしていました。

しかし、イギリスが南アフリカに進出してきたのと同時に「グレートトレック」と呼ばれる大移動を行い、居住地を現在のプレトリアやヨハネスブルグに移し、トランスヴァール共和国を設立しました。Voortrecker Monumentと呼ばれる建造物はそれを記念して作られたものです(写真1)。

写真1: Voortrecker Monument

やがてイギリスはトランスヴァールに金鉱やダイヤモンドが発見されたことをきっかけに、南アフリカ北部の方面にも進出し、2度のボーア戦争が引き起こされました。その戦争の痕跡は今でもプレトリアで見つけることができます。

ボーア戦争の結果でトランスヴァール共和国は併合されたものの、この戦争によってイギリスは疲弊し、その権威が損なわれたと言われています。このようにプレトリアという地は、ヨーロッパ、アフリカ大陸において世界史的にも重要な場所だと気づかされました。

3. 留学先での生活について

先ほども書いたように、プレトリアは南アフリカの中でも重要な都市であるため、基本的に生活に必要なものは全て手に入ります。ショッピングモールやジム、美味しいレストランなどにもUberを使えば片道300円から400円程度で簡単に移動できるので、そこまで苦労をしたという感覚はないです。

しかし、重大な問題が2つほどあります。計画停電(Load Shedding)と治安の悪さです。近年では国営電力会社、Eskomの放漫経営や発電所での組織的犯罪、インフラの劣化などで電力不足が深刻になっています。私の居た2022年では、最悪で12時間電気が使えなかった時があったので、大変困ったのを覚えています(笑)。

政府は民間電力会社の参入やEskomの改革、再生可能エネルギーの活用でこの問題の解決を図っていますが、この問題は当分続きそうです。また、南アフリカの治安の悪さは2000年代ごろから言われていますが、今でも気をつけないといけないです。

失業率の高さや格差の拡大によって、富裕層や中間層を中心に強盗で狙われる事件が発生しています。私は夜に出歩かない、友達と一緒に出かける、Uberを使って車で移動するなどの対策をしていたおかげで危険な目には遭いませんでしたが、これから南アフリカに行かれる方は外務省の安全の手引き(注)を読んでおくのをおすすめします。

注:南アフリカ滞在安全の手引き2023年度4月版(在南アフリカ日本大使館)

https://www.za.emb-japan.go.jp/files/100513845.pdf

4. キャンパスでの授業について

留学先での授業は予想していたよりも難しかったです(笑)。というのもプレトリアは東京やヨーロッパの大都市のように遊べる場所が無限にあるというわけではないので、教授陣や生徒も勉強が優先という感じでした(写真2)。

写真2: プレトリア大学

私は人文学部のどの授業も好きに履修して良かったので、1年間で国際関係論、社会学、哲学、犯罪学などを学びました。モジュール制になっており、それぞれの科目で週に1コマ50分の講義が3回ありました。最終試験前に発表されるセメスタースコアという結果で50点以上あれば、最終試験を受けることができ、その試験に合格すれば単位がもらえるという仕組みです。

予想以上にやるべき課題が多かったですが、その分やり切った時には達成感を感じました。また、留学することでしか学べない内容多数ありました。例えば、南アフリカのアパルトヘイト廃止に伴う企業の労働環境の変化や南アフリカから見たBRICS諸国の外交政策などです。このような講義がとても濃密にあったので、行って良かったなと思えました。

5. 他の留学生との交流

私は留学生たちと一緒に過ごすための寮に入っていたので、自然と彼らとの交流を楽しむようになりました。出身国や年齢もバラバラでしたが、主にヨーロッパから来ている人が多く、オランダ人が一番多かったです。

皆とても良い人たちで、彼らのおかげで留学を楽しめてたと思っています。空いている時間でたくさんの人が旅行に行っていたので、私もピラネスバーグサファリやケープタウン、ハーマナスといった場所に遊びに行きました(写真3; 写真4)。

写真3: ケープタウンの風景

写真4: ピラネスバーグサファリの象 

日本人以外の友人と集団で旅行するという経験がなかったので大丈夫かという不安はありましたが、とても刺激的でした。レンタカーでのドライブ中でアンテロープにぶつかって、車体が半壊するというトラブルはありましたが、大学生活の中でも忘れられない思い出になりました。

どの地域に留学するとしても、他の国からの留学生たちと交流する機会は必ずあると思うので、ぜひこれから行く人は積極的に関わることをおすすめします。

6. 南アフリカで感じた壁

私にとって貴重な経験となった留学でしたが、南アフリカという国で暮らすうちに、この国に存在する問題を嫌でも考えさせられました。

1994年でアパルトヘイトが終了してからも社会的な分断がすぐに解決されたわけではありません。むしろ経済面では正規労働者と非正規労働者の待遇差が露骨に現れるようになり、南アフリカは世界で最も格差が激しい国の一つになっています。

私の肌感覚では、プレトリアやケープタウンの裕福な層が住む家はとても豪華であり、それを鉄格子や電子鉄線が守っています。しかし、少し電車に乗って出かけるとタウンシップやスラムが窓から見え、この国の格差を一目見て感じました。

社会問題になっている停電も、家に発電機がない低所得の人々に最も負荷がかかります。この国の人々の間の壁は自分が想像していたよりも大きく、一つの国の中に別々の社会があるという感覚を味わいました。

この問題への回答は、歴史が長い分簡単には出てこないと予想します。しかし、経済面、社会面、文化面において南アフリカがさらに成長するにはこの壁を少しでも低くしていくことが最重要だと認識しました。


7. 終わりに

私の南アフリカへの留学はとても新鮮で、日本にいるだけでは見ることのできないものが多数ありました。1年生の頃から勉強してきたアフリカを生で見ることができたことにはやはり感動し、さらに知りたいこと、やってみたいことが増えたと思います。

楽しいことばかりではない留学でしたが、自分を支えてくれた現地の友人やゼミの先生、家族のおかげで無事に成長して帰ってくることが出来ました。これから自分のキャリアを築いていく中でも、アフリカには絶対に関わっていきたいと思っているので、この留学経験を活かしていきたいです。ここまでお付き合いいただいてありがとうございました。

最終更新:2023年8月28日