Withコロナのルワンダ留学記

by 深澤智子

(東南アジア第2地域専攻、2017年度入学)

1.はじめに

 皆さん、初めまして。国際社会学部タイ語専攻3年の深澤智子です。私は2019年10月からルワンダ共和国に留学していました(写真1)。


タイ語科出身の私がなぜルワンダに行ったのか、その理由は後ほど説明しますが、私はアフリカ留学という人生最大の挑戦に、人生最高のワクワク感を抱いていました。「これからどんな生活が待っているんだろう!」と期待を胸に飛び込んだルワンダ生活。しかしいざ蓋を開けてみると、新型コロナウィルスの影響により半年で帰国するという誰1人として想像していなかった結末に終わりました。


これまで多くの先輩方がルワンダ留学を経験されましたが、私の場合はコロナ禍での留学ということで今までとは少し違うものでした。そこで本稿では大学での学びやボランティア活動についての内容は割愛し(詳しくは内田歩さん飯野真子さん梅津知花さんの体験記をご覧ください)、コロナ禍でどのような生活を送っていたのか、そして留学を通じて何を感じたのかについてお話しさせていただきたいと思います。

写真1:別名「千の丘の国」とも呼ばれるルワンダは、緑豊かで長閑な国です。

2.ルワンダを選んだ理由

 本題に入る前に、私がなぜルワンダに留学したのかについて簡単に説明させていただきたいと思います。


留学先を決めるにあたり、私には3つのやりたいことがありました。それは、①紛争について学びたい、②国際協力に従事したい、そして③アフリカに行ってみたい、の3つでした。


これはどこで実現できるのかを留学支援センターの方に相談したところ、PIASS(Protestant Institute of Arts and Social Sciences:プロテスタント人文社会科学大学)を勧めていただいたのがルワンダとの出会いでした。その後外大で開かれたPIASS留学の座談会に参加し、実際に留学された先輩方から話を聞いて「ここだ!」と留学を決意しました。

3.コロナ禍でのルワンダ生活

 10月にルワンダへ降り立ち、そこから3ヶ月間は本当に充実した生活を送っていました。PIASSでの平和構築の学びやニャンザでのボランティア、休日には友人とコーヒーショップに行ったりキテンゲ(アフリカの伝統的な布)探しに出かけたり。まさか年末に偶然見かけた「中国で原因不明の肺炎症状相次ぐ」というニュースがここまで影響を及ぼすとは、当時は微塵も想像していませんでした。

 ルワンダで新型コロナに関連する動きがあったのは、2020年3月に入ってからでした。公共施設やマーケットの入り口に簡易的な手洗い場が設置され、中に入る際に必ず手を洗いました。挨拶も握手やハグから肘タッチに変わり、日常が少しずつ変わっていく感じがしました。その後、3月14日に国内で初の感染者が確認されてから事態は急変します。

 2日後に大学が休校となり、20日に空港閉鎖、22日からロックダウンと次から次へと規制がかかり、気付いたら外を自由に出歩けない生活となっていました。食料品や日用品の買い出しは許可されていましたが、少人数での移動に制限され、街中には銃を携帯した警察官が見張っているなど非常に重苦しい雰囲気でした(写真2)。

写真2:ロックダウン中の大通り。普段は車や人が行き交う賑やかな場所です。

 当時日本人留学生は私を含め5人いましたが、元々3月に帰国予定だった学生は空港閉鎖当日に滑り込みギリギリで帰国し (あの時は本当にドタバタでした...)、その他4人は全員ルワンダに残ることを決めました。というのも、空港閉鎖の通達があってから実際に閉鎖するまでに2日しか猶予がなかったこと、そして空港閉鎖期間が1ヶ月と指定されていたのでその後どうにかなるのではないかと思っていたからです。しかしその後感染者数が拡大し、何日も篭城生活を送る中で「本当にこのままで大丈夫なのか」と徐々に不安を抱くようになりました。

 最終的に私が帰国の決意をしたのは4月10日でした。理由として、大学の授業やインターン活動の再開に全く目処が立たず、自分自身が今の状況に大きな不安を感じたこと、そして「トビタテ!留学JAPAN」(注1)という留学制度からの奨学金の給付が中止されてしまい、経済的に留学の継続が厳しくなったことがあります。その間も空港は閉鎖されていましたが、アフリカ各国の日本大使館職員の方々が臨時便の手配にご尽力くださり、最終的に4月18日に帰国の途につきました(写真3)。

※注1:「トビタテ!留学JAPAN」URL: https://tobitate.mext.go.jp

写真3:ソーシャルディスタンスに気をつけながら手洗いの順番を待つ人々。

4.帰国後の留学生活

 無念の帰国となったものの、日本でもオンラインを通じてPIASSの授業を受けることができました。オンライン授業というと日本では多くの大学がZoomを使用していると思います。しかしPIASSではZoomではなく、WhatsAppというチャットアプリ (いわゆるLINEのようなもの)を使って授業を行なっていました


「LINEでどうやって授業するの?」と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、「百聞は一見にしかず」ということで当時の授業の様子をお見せしたいと思います。

写真4:まずは先生がボイスメッセージで資料内容の確認をします。

写真5:その後、このようにチャットでディスカッションを行います。ちなみにこれは非暴力運動についての授業でした。

 先生がまず授業の資料を写真で送り(写真4)、音声機能で説明を行なった後にチャット形式でディスカッションを行う(写真5)という流れで行っていました。


 映像による授業とは違い、「文字を打つタイムラグが生じる」「周りの生徒の様子が見えない」「議論が白熱すると収拾がつかなくなる」など様々な困難はありましたが、データ通信量の負担が少なかったり、文字に起こすことでいつでも振り返ることができたりしたという点ではチャットの方が学びやすかったと思います。


 様々な機能を駆使してグループワークをしたりプレゼンテーションをしたりと、試行錯誤を重ねながら皆で授業を作っていく過程はとても面白く、貴重な経験でした。そして何より、帰国後も現地の学生と交流できる機会を持てたということが本当に嬉しかったです。

5.留学を通じて考えたこと

 周りからよく「半年での帰国なんて残念だったね」と言われますが、私はむしろ半年だけでも留学できて本当に良かったと思っています。もし留学時期が1年遅かったら、と思うとこの半年間の思い出を噛みしめずにはいられません。とはいえ、これだけ半年間が充実していたのなら残りの半年間はもっと楽しかっただろうな、と考えると少なからずやるせない気持ちにもなります。


 そこで最後に私が半年間の留学で得た学びについて、特に印象的だったエピソードを2つシェアしたいと思います。

①ある時、日本に留学経験のあるブルンジ出身の学生が、日本で経験した出来事について次のように語ってくれました。

「電車に乗っていた時に突然電車が止まった。僕は何が起こったのかわからなくて周りに聞いてみた。すると人が線路に飛び込んで亡くなったって知ったんだ。自分は人が自ら命を絶ったということにショックでたまらなかったけど、それよりもショックだったのは、周りの人が時間を気にしたり上司に電話したり、中には自殺した人に怒っている人もいて、誰1人として自殺した人のことを心配していなかったことだ。」

 1つの社会に浸かっていると、そこでの出来事がいつしか疑いようのない当たり前になってしまうように思います。決してそれらに正しいや間違いといった明確な答えがあるわけではありませんが、その中でも絶対に忘れてはいけないこと、見逃してはいけないことというのは少なからずあるのではないでしょうか。彼の言葉は、私にそのことを教えてくれました。これからは考えることを放棄せず、当たり前に縛られることなく、様々な世界に身をおきながら自分自身について振り返ることを忘れずに生きていきたいと思います。

②PIASSでは様々な授業を受けましたが、その中で最も印象に残っている授業が「和解」の授業です。


 授業の最終日、ジェノサイドを経験された1人の女性がご自身の体験について話をしてくれました。その女性は父親がジェノサイドの加害者であったため周囲の人から疎外され、虐げられ、後ろ指を指されながら生きてきたそうです。想像を絶する過酷な日々を過ごしてきた彼女が、最後に私たちに向けてこう言いました。

「Reconciliation is possible. (和解は可能である。)」

この言葉を聞いたとき、私は救われた気持ちになりました。日々ニュースで国や人が永遠に互いを傷つけ合う姿を見ながら「敵対する人たちがわかり合うなんて絶対に不可能だ」と思っていたからです。最初から和解に対する諦めが強かったため、和解の術を学んでもどこか懐疑的でした。しかし彼女が紡いだこの言葉は私の心に深く響きました。「人は必ず和解できる」という、本当は信じたかったことを「信じても大丈夫だ」と教えてくれたからです。


「和解は可能である。」


 この言葉を胸に、平和を信じ、和解を信じながら今後も学びを続けていきたいと思います。

6.最後に

 留学を通じて得たものは幾つもありますが、その中でもルワンダで出会った人々とのつながりは今後も一生大切にしていきたい財産となりました。彼らは現地においてマイノリティである私たちを温かく受け入れ、気にかけ、そして大切にしてくれました。中には帰国の際に日本語でメッセージを送ってくれたり、私の両親に手紙を書いてくれたりする友人もいました。人との関係が希薄になりやすい現代にこれほど温かい人たちに出会えたことは、一生忘れることのできない思い出となりました(写真6)。

写真6:日本食パーティを開いた際、皆におにぎり作りを体験してもらいました。

 最後に、日本人留学生を家族のように迎え、支えてくださった佐々木先生ご夫妻、たわいもない話から深い話まで多くのことを語り合った日本人留学生、帰国した今でも「元気?」と連絡をくれ、気にかけてくれるPIASSの友人、この留学を通じて出会った全ての方々にこの場をお借りして深く感謝申し上げます(写真7)。

 この状況が落ち着き、人々が自由に世界を行き来できるようになったら再び必ずルワンダを訪れ、半年間で叶わなかった思い出をたくさん作ってきたいと思います。

写真7:帰国直前の1枚。彼らともう1度ルワンダで会えることを願っています。

最終更新:2021年1月9日