モロッコでみつけたユダヤの文化

by 井森彬太

(大学院総合国際学研究科修士課程、2019年度入学)

はじめまして、私は現在修士2年生の井森彬太(いもり あきひろ)と申します。学部時代は国際社会学部アラビア語専攻にいて、2016年秋-2017年初夏にかけて語学学習を主目的にモロッコに滞在しました。その後院に進学し、今年(2021年)1月に修士論文を提出しました。

私自身はモロッコに滞在していたものの、大学院ではモロッコを直接的なテーマにして研究していたわけではありません。私はアラブ・イスラエル紛争に、宗教的な言説がどのように関わっているのかに関心を持っています。そして、修士論文はイスラエルのドゥルーズというアラブ系マイノリティー宗派が、どのように「他者」であるユダヤ人やイスラーム教スンナ派のアラブ人を敵視することなく、社会に溶け込んで暮らしているのか…をテーマに執筆しました(注1) 。

注1:論文のタイトルは『イスラエルのドゥルーズの「世俗化」―セクトからデノミネーションへ―』(東京外国語大学総合国際学研究科)

私がこのような研究テーマを選んだ理由やきっかけは、ここでは書ききれないほどたくさんあります。しかし、大きなきっかけの一つは、モロッコではパレスチナ・アラブ諸国とイスラエルの間の不幸な紛争にもかかわらず、ユダヤの文化が行政によって保存されており、ユダヤ教に対する高い度合いの宗教的寛容が受け入れられていることを知ったことにあります。

モロッコにはかつては数十万人のユダヤ人が住んでいました。ローマ帝国の支配下にあった時代からすでにユダヤ人は居住していたとされます。また、15世紀以降スペインからのユダヤ人の追放が始まり、多くは対岸にあるモロッコに亡命しました。

しかし、19世紀のフランスによる植民地化や20世紀半ばのイスラエルの建国・移住を経て、モロッコにおけるユダヤ人の人口は減少しました。現在モロッコに居住するユダヤ人は1万人ほどになっているものの (注2)、世界各地にモロッコの出自を持つユダヤ人が散らばっていて、その数は累計で100万人を超えるとされています。そして、モロッコは国籍において血統主義を取るため、彼らの多くは現在の居住地の国籍とともに、モロッコ国籍を有しています。

また、ユダヤ人は憲法にも登場します。モロッコ憲法(2011年改正)では、序文の部分で「(モロッコ王国の)統一の中に溶け合う、アラブ―イスラーム的、ベルベル的、サハラ的な構成要素は、アフリカ、アンダルシア、ヘブライ人、地中海(の文化)により豊かにされている」と記されており、「ヘブライ人」という表現でユダヤ人について言及されています。そして、行政はユダヤ人の文化の保護にもとりくんでいます。例えば、最大の都市であるカサブランカにはユダヤ教をテーマにした博物館(Musée du Judaïsme Marocain)があります (写真1; 注3)。

注2:モロッコにとどまり続けたユダヤ人としては、作家のEdmond Amran El Malehが有名。なお、彼は作品をすべてフランス語で発表している。参考URL: https://en.wikipedia.org/wiki/Edmond_Amran_El_Maleh 

注3:博物館のホームページURL: http://www.jewishmuseumcasa.com/ (フランス語・アラビア語)

写真1: ユダヤ教博物館の外観

この博物館は大きな博物館ではありません。所要見学時間は30分程度だと思います。しかし、興味深い展示がそこかしこにあります。例えばイスラエル建国以前にユダヤ人のこどもたちの宗教教育に使われていた、口語アラビア語で書かれた本が置いてあります(写真2)。

写真2: ユダヤ教の本

また、ヘブライ文字転写されたモロッコ口語アラビア語の看板もあります(写真3)。ユダヤ人モロッコ方言は社会言語学的な見地からも関心を集めているそうですが、言語に関する資料が国によって集められているというのは、幸運なことだと思います。

写真3: ヘブライ文字で書かれたアラビア語の看板

また、世界遺産の街フェズの「フェズ・エル・ジェディド街」のメッラハ(旧ユダヤ人街)には、Ibn Danan synagogueがあります(注4) 。このシナゴーグは、イスラエルの建国と多くのユダヤ人の移住以降、古びた状態のままにありましたが、1997年に国とユネスコの支援により再建されました。

建物はユダヤ人街通りの脇の道を少し入ったところにあります。門に入るすぐ右横に、警官2人組がいました。これは過激な思想に影響された人物による、ヘイトクライムを警戒してのものだと思われます。

中に入ると、多くの人の移住にもかかわらずこのフェズの街に住み続けた80代のおじいさんが案内してくれました。ぼくともう一人しか見学人がいなかったこともあり、かなり親切に案内してもらうことができました(写真4, 5)。

注4:英語版Wikipediaに、さらにIbn Danan synagogueの写真が掲載されています。URL: https://en.wikipedia.org/wiki/Ibn_Danan_Synagogue

写真4: シナゴーグの中二階からの写真

写真5: トーラー(直訳すると「律法」で、旧約聖書の最初の5巻が記されている巻物のこと)

また、モロッコで最も美しい町ともいわれる港町エッサウィラの博物館でもユダヤ教徒の礼拝用具や婚礼衣装などを見ることができました。これは、港町にはかつて交易を生業にしていたユダヤ教徒が多く住んでいたことによるものです。

写真6: エッサウィラの街

写真7: エッサウィラの博物館で展示されていた礼拝用具

写真8: ユダヤ人の婚礼衣装

このように、ユダヤ教の痕跡はモロッコに数多くみられます。しかし、必ずしもすべての国民がユダヤ教に対して好感を抱いているわけではなく、ユダヤ陰謀論を唱える者もいます。例えば、本屋でマルティン・ルターによって記され、ナチスによって利用された悪名高い本『ユダヤ人と彼らの嘘』が並んでいたところも見かけました。

そうであっても、モロッコはユダヤ教徒が気軽に訪れることができる数少ないアラブ諸国のうちの一つです。たとえばウェザーンというユダヤ教の聖者廟のある村には、例年2,500人ほどの巡礼者が国外から訪れています(注5) 。そして、自分のいた語学学校にはユダヤ教徒のアメリカ人男性も在籍していましたが、彼の存在も特別視されることなく教員たちに受け入れられていました。

また、モロッコは去年の年末に、イスラエルとの国交正常化に合わせる形で、教育カリキュラムにユダヤ教の文化や歴史について教えることを盛り込みました(注6) 。

2020年12月のモロッコとイスラエルとの国交正常化は、アメリカが西サハラに対するモロッコの主権を認めることと引き換えに行われました(注7)。この国交正常化は、西サハラの人権問題などを考えると、手放しに喜ぶことは難しいです。しかし、ユダヤの文化の紹介が教育カリキュラムに盛り込まれることは、モロッコでの多文化の共生によい影響をもたらすものではないかと、ひそかに期待しています。

注5: Largest Jewish pilgrimage starts in Morocco(ウェザーンへの巡礼者を描いた動画) URL: https://www.youtube.com/watch?v=miYQalzq95g

注6:「モロッコの学校、ユダヤ人の歴史と文化を授業に導入」(『ARAB NEWS』2020年12月13日付記事) URL: https://www.arabnews.jp/article/middle-east/article_28855/

注7:「米国、西サハラに対するモロッコの主権承認」(TUFS現代アフリカ地域研究センター「今日のアフリカ」2020年12月11日付記事) URL: http://www.tufs.ac.jp/asc/information/post-727.html

最終更新:2021年3月6日