ザンビア留学体験記

――行ってみないと分からない、やってみないと分からない――


by 廣瀬イリヤス

(西南ヨーロッパ地域専攻、2020年度入学)

はじめに

こんにちは、フランス語科4年の廣瀬イリヤスです。私は3年次の2022年7月~2022年12月にかけて大学の交換留学制度を通じてザンビア大学に派遣留学しました。12月は近隣の南部アフリカ諸国をぶらぶらと旅していたので、ザンビアには実質的に5ヶ月程滞在していました。日本とは大きく異なる環境に身を置くことに多少の不安はありましたが、現地で実際に見て感じたことはかけがえのない経験になり、密度の濃い刺激的な時間を過ごすことができました。この体験記では、ザンビア留学での経験やそこから学んだこと、感じたことを共有できればと思います。

目次

1. ザンビアってどこ? どんな国?

2. なぜザンビアに?

3. ザンビア大学-The University of Zambia

4. ストレスフルでも学びのあった授業

5. スリル満点の寮生活

6. 日本語講師

7. とりあえずやってみる

8. おわりに

1. ザンビアってどこ? どんな国?

皆さんはザンビアと聞いて何が思い浮かぶでしょうか?地図上ですぐに場所が分かるでしょうか?恐らく多くの日本人にとってはあまり馴染みの無い国かもしれません。恥ずかしながら私自身も留学を決めるまではザンビアについてほとんど知らなかったです。

図1:アフリカ大陸におけるザンビアの位置(Google Mapsより作成)

ザンビアはアフリカ南部の内陸に位置し、8カ国と国境を接する国です(図1)。面積は日本の約2倍で、人口は約1,900万人 (注1)。公用語は英語ですが、70以上の民族それぞれで異なる言語が話されており、日常会話では英語より現地語が多く用いられていました。主要な産業は鉱業、農業、観光が挙げられます。

鉱業に関しては、とりわけ銅の生産が有名で、高校で地理を履修していた方はコッパーベルトと呼ばれるザンビアからコンゴ民主共和国にかけて広がる銅山地帯について聞いたことがあるかもしれませんが、世界有数の銅産出国となっています。観光ではジンバブエとの国境にまたがるヴィクトリアフォールズが有名です(図2)。

図2:ヴィクトリアフォールズ。乾季で水量は少なかったですが、それでもすごかった水しぶき。

ナイアガラの滝、イグアスの滝と並んで世界三大瀑布に数えられる滝で、ザンビアに行くなら外せないスポットです。因みに、ヴィクトリアフォールズと呼ばれていますが、ロジ語 (注2)では「轟く水煙」という意味のあるMosi-oa-Tunya(モシ・オ・トゥニャ)と呼ばれています (注3)。

  2.      なぜザンビアに?

 

正直なところ、派遣留学申請の締め切り1、2週間前まではあまり留学しようとは考えていませんでした。実は、高校在学時に1年間交換留学をしていたので、大学では多分しないだろうと思っていました。


しかし、フランス語科の同期に話を聞くと、留学を考えている人が多く、留学のサポートも結構手厚いということが分かりました。一応留学について調べてみると、派遣先が豊富で、何となく楽しそうと思うようになりました。


コロナ禍まっただ中に入学した私は、入学式やボート大会、外語祭の模擬店といったイベントを経験せず、どこか味気ない大学生活を送っていたので、このまま大学生活を終えることに違和感を覚えていたことは間違いありません。そして、せっかく外大に入ったのだから留学しないのはもったいないと思い、急いで申請書類の作成に取りかかったことを覚えています。

 

フランス語科なのでほんの一瞬は派遣先にフランスを考えましたが、2年半で培ったフランス語力で現地学生と同じ授業をフランス語で受け、内容を理解できるとは到底思えなかったので、断念しました。そんな時、派遣先としてアフリカが良いのではないかと思いました。


アフリカの地域研究に関する講義を履修していたので、アフリカに興味があったのと、自分が全く知らない、日本とは環境が大きく異なる土地に行ってみたいという思いがあったからです。


また、当時は環境保全論のゼミに入ることが決まっており、元々環境問題に関心があったので、アフリカへの留学は現地の視点で環境問題について考える良い機会になるのではないかとも思いました。そして、アフリカで環境について学びたいという条件で派遣先を探し、最もマッチしたのがザンビア大学だったのです。

3. ザンビア大学-The University of Zambia

私が留学したザンビア大学は1965年に設立され、国内で最大規模を誇る大学です。学生の間ではUNZA(ウンザ)という愛称で親しまれていました。最大規模という名の通り、敷地はとてつもなく広いです。運動場ではよく牛が散歩していました(図3)。

図3:運動場にいた牛たち。恐らく農学部で飼われていました。

たまに馬もいました。学生の数もかなり多かったのですが、交換留学生はたったの4人(日本から3人とチェコから1人)だけでした。大学には13の学部があり、私はSchool of Natural Sciences(自然科学学部)のDepartment of Geography and Environmental Studies(地理・環境学科)に所属していました。

キャンパスは本当に広々としていて、自然豊かで居心地が良かったのですが、講義棟や大学図書館にWi-Fiが無いという大き過ぎる欠点がありました。寮にもWi-Fiはなかったので、結局インターネットを使うには現地で購入したポケットWi-Fiが必要だったのですが、まさか大学にネット環境が無いとは思いませんでした。

4. ストレスフルでも学びのあった授業

授業はEnvironment and Development(環境と開発)、Environmental Planning and Management(環境計画・環境管理)、Environment and Natural Resource Management(環境と自然資源管理)の3つを受講していました。

1コマ50分で、それが週に3回あります。正直、かなり非効率に感じました。問題は授業の遅れとキャンセル(休講)です。まず、授業の遅れに関してですが、私の経験上、授業が予定通りに始まる可能性はかなり低いです。生徒の大半はキャンパス内の寮に住んでいるので、すぐ来られるはずなのに、時間通りに教室に来る学生はごくわずかした。生徒だけでなく教員もかなりの頻度で遅刻します。

そのため、週に3回ある授業の冒頭で授業時間が削られるので、全体として授業がかなり遅れてきます。しかし、遅刻はまだマシな方です。1番困るのは授業のキャンセルです。教室に行き、数十分間教員を待っていると、突如クラスメイトから「今日は授業ないらしい」と伝えられることが多々ありました。

「今、教員が隣の州にいるから来られない」といった明らかに授業前に分かっているようなことが授業中に伝えられ、呆れて家に帰るなんてこともありました。「時間」に対する意識が異なることは理解していたつもりで、授業以外で気にすることはほとんど無かったのですが、授業だけはもう少し整った形で受けたかったというのが正直な感想です。

授業内容とは関係のないところでストレスを溜めることは多かったですが、授業での学びは確かにありました。授業では教員が一方的に講義を行うという形式は少なく、学生が積極的に質問をしたり、議論を交わしたりする対話型の形式が多かったのですが、現地学生の質問や議論を聞いている中で、気候変動等の環境問題に対する彼らの危機意識が色濃く表れていたのが強く印象に残っています。

大学があるのは首都のルサカですが、クラスの中には地方の農村出身の学生が多くいました。そうした学生の家庭の多くは自然環境に大きく依存する農業や畜産で生計を立てており、環境問題を身近に感じているという意見を多く聞きました。

実際に、数年前にはザンビアで大規模な干ばつが発生し、食糧不足が大きな問題となりました (注4)。日本で暮らしていると、あまり身近に感じられない問題でしたが、クラスメイトの実体験に基づいた発言はとても説得力があり、リアルに感じました。

気候変動の要因である温室効果ガスの排出量は、先進国をはじめとする経済大国がその大部分を占めていますが、不十分な医療体制や高い貧困率、地理的条件などを背景に、気候変動に対する脆弱性の高い地域はアフリカやアジアの途上国に集中しているという不平等な現実があります。

こうした国家間の格差から環境問題のしわ寄せを受ける状況にありながら、将来を憂い、ザンビアの豊かな自然環境を保全するための方策や自身の境遇について熱心に議論する学生にはとても感心しました。

一方で、人生の大半を先進国としてカテゴライズされる国で過ごしてきた私は、自身が享受してきた暮らしの豊かさは他国の貧しさや搾取の上に成り立っており、結果的にその地域の環境を著しく損なっている可能性があるということを心に留めておく必要があると強く感じました。

5. スリル満点の寮生活

留学期間中はキャンパス外にあるMarshlands Village(マシュランズ・ビレッジ)という大学寮に住んでいました。交換留学生は基本的にここに住みます。私は、2人1部屋をルームシェアしていました。キッチンとバスルームは共用ですが、部屋の中に別々の個室があったので、プライベートな空間は確保されていました。

風呂はバスタブがありましたが、シャワーがありませんでした。お湯も出ませんでした。シャワーが無かったので、バケツに水を溜めて、コップですくって体を洗っていました(図4)。ザンビアは南半球に位置し、住んでいた首都のルサカは標高が高いということもあって渡航直後の7月は気温が低く、朝晩は摂氏10度前後と寒かったので、鍋でお湯を沸かして、それを水と混ぜて使っていました。

図4:風呂。バスタブの中でしゃがんで水をかぶっていました。

食事に関しては、朝晩は基本的にルームメイトと交代で自炊をしていました。キャンパスのすぐ近くに大きなショッピングモールがあったので、そこで必要なものは大体揃いました。物価は物によりますが、全体的に日本より安いと思います。

水は500mlのペットボトルが30円程度で買えます。昼は寮内にある食堂に行くことが多かったです。主食は米とシマがあり、メインはフィッシュ、ビーフ、チキンから選ぶことができます。食堂で初めてフィッシュを食べた時に食あたりを起こしたので、それ以降はずっとビーフかチキンを食べていました。

今まで経験したことのない腹痛で1日中寝込んでいましたが、正露丸を飲んでなんとか乗り切りました。シマはザンビアの主食で白トウモロコシの粉をお湯と混ぜて練ったものです(図5)。ザンビアではこれを手でちぎっておかずと合わせて食べます。モチっとしていて美味しいのですが、重量感があってすぐお腹がいっぱいになります。そのせいかシマを食べるとものすごく眠くなります。

図5:食堂のご飯。右がシマ。

寮生活では大変なことがいくつかありました。まずゴキブリです。とにかくゴキブリがいっぱい出ます。最初の頃は本当に嫌だったのですが、不思議なことに徐々に慣れていきました。寮生活の終盤には、私が靴裏で叩いて、ルームメイトが箸で部屋の外に出すという連携プレーが確立していました。ゴキブリが好きという人はほとんどいないと思いますが、あまり心配する必要はないと思います。人間の適応力はすさまじいです。

次に断水と停電です。夜に断水することが多かったのですが、トイレや風呂、水道が使えなくなるので結構困りました。特にキッチンで水が使えなくなると、調理器具や食器が洗えなくなるので面倒でした。不衛生ですし、ゴキブリの格好のエサ場になってしまいます。そのため、そういう時は外に行って食器を洗っていました(図6)。停電は断水ほど起こらなかったですが、起こると大変です。1回長めの停電が起きた時は、冷蔵庫内の食材がダメになり、冷凍庫から水がもれて床が浸水しました。

図6:棟と棟の間にある断水時に唯一使えた水道で食器洗い。

洗濯は洗濯機が無いので手洗いです。洗濯物は部屋の前の廊下にひもがかかっているのでそこに干します(図7)。寮内とは言えど部屋の外なので、セキュリティーは甘いです。ルームメイトは靴と下着を盗まれました。洗濯物は万が一盗まれる可能性があるので、お気に入りの服や靴はあまり持って行かないほうが良いかもしれません。もしくは、乾きはそこまで良く無いですが、物干し竿を買って部屋の中で干すのが良いかもしれません。

図7:干されている洗濯物。盗難には要注意。

設備の故障も大変でした。故障自体はそこまで大きな問題では無いですが、修理までの時間が問題でした。寮にはハウスキーパー(管理人)がいたので、部屋の設備で故障があるとその人に報告します。報告すると大抵の場合「今週中には部屋に行くから」と言われますが、実際に来ることはほとんどありません。キッチンの蛍光灯が壊れた時は、結局修理までに1ヶ月以上かかりました(図8)。催促すると「週末までには行くから」や「明日には行くから」と言われますが、会う度に同じような会話が繰り返されました。

図8:蛍光灯が壊れて、スマホのライトで料理をするルームメイト。

この他にも寮生活でのトラブルは日常茶飯事でしたが、どこかトラブルを楽しんでいた自分がいたと思います。日本では得難い経験をすることができたという意味では、日常生活の苦労やトラブルも留学の醍醐味だったのかもしれません。

6. 日本語講師

ザンビア大学では北海道大学アフリカルサカオフィスの協力のもと学期中に日本語の短期集中講座が開講されています。以前は日本から派遣されるJICAの隊員が日本語授業を行っていたそうなのですが、パンデミックを機に途絶えていました。

そこで、私を含めた日本人留学生はこの講座に講師のボランティアとして参加することになりました(図9)。日本語を教えた経験が皆無だった上、授業計画や教材、テスト問題をゼロから準備する必要があったのでかなり大変でした。

図9:日本語授業の様子。

授業では、独特な日本語の表現を説明することに最も苦戦しました。例えば、「それ」と「あれ」の違いを教えるのには難儀しました。英語であればThatでまとめて置き換えられますが、日本語の「それ」と「あれ」には微妙な違いがあるので、図を使ったり、例文を使ったりして、工夫して説明する必要がありました。

「それ」と「あれ」のように感覚的に理解していて、無意識に使いこなせるからこそ逆に上手く説明できないという歯がゆい思いは何度もしました。それでも、回数を重ね、説明方法を試行錯誤していくうちに生徒の理解が徐々に深まっていった気がします。

講師として日本語を教える機会は後にも先にももう無いかもしれませんが、生徒の日本語スキルが上達していくのを実感することができるやりがいのある良い経験ができたと思います。

7. とりあえずやってみる

半年間の留学で得られた経験は限られているので偉そうなことは言えないですが、私が留学を通して大切だと感じたことは「とりあえずやってみる」という心構えを持つことです。

異国の地、ましてや全く知らないアフリカの土地で暮らすことに不安を抱えるのは当然だと思います。そして、そうした不安から中々活動的になれなくなるかもしれません。実際ローカルな場所に行くと、珍しいものを見るかのような周囲の視線を一身に浴びたり、露店商の強引な客引きに遭ったりするなど、不安を感じることは多々ありました。

それに対し、寮は安全で、日本のアニメを見たり、サッカーの試合を見たり、自分の好きなことをして落ち着ける場所でした。確かに、プライベートな空間でリラックスすることはストレスを溜めないために大切です。しかし、凝り固まった先入観や食わず嫌いで、無意識に自身の活動範囲に制限をかけてしまうのはもったいない気がします。

もちろん身の安全を管理することは最優先事項ですが、居心地の良い空間から飛び出し、できるだけ外に出て、人と交流したり、知らない場所に行ったりして、常に新しい経験を求めることが大事だと思います。そうして得られる経験は新鮮な学びになるはずです。

ザンビアに行った直後はもちろん知り合いは1人もいなくて、右も左も分からない状態でしたが、大学のイベントに参加したり、運動場で行われているサッカーに飛び入りで混ぜてもらったりするなどして交流の輪を広げていき、その輪から様々な経験を得ることができました。

全てを挙げるとキリが無いですが、大学の友人にお願いして芋虫をごちそうしてもらったり、サッカーを通じて出会った友人に隣国のマラウイに連れていってもらったり、数々の経験がありました。中でも生きたホロホロ鳥をもらった時は印象的でした。ホロホロ鳥は美味しいという噂を聞いたので、自分も食べたいなと思っていたところルームメイトのつてで譲ってもらうことになりました。

最初はお肉をもらうとばかり思っていたのですが、いざもらいに行くとそこには生きたホロホロ鳥がいました。まさか生きたままのホロホロ鳥を手渡しされるとは思いませんでしたが、どうすれば良いのか分からずにとりあえずホロホロ鳥を抱えて寮まで歩いたことを今でも鮮明に覚えています(図10)。

自分では調理することができなかったので、寮にある食堂のスタッフにお願いして絞めてもらいました。ついさっきまで自分の手の上で生きていた鳥が調理されている様子を見届けて少々複雑な気持ちになりましたが、同時に、こんな経験は滅多に無いだろうからザンビアに来て良かったと心底思いました。

図10:ホロホロ鳥を抱えて寮まで歩いた時。

こうした経験をすることができたのは「とりあえずやってみる」精神であらゆる事に挑戦した結果だと思います。一歩踏み出してみることで、そこには思いがけ無い出会いや経験が転がっていました。

8. おわりに

ザンビアでの生活は楽しいことだけでなく、苦労したことも多々ありましたが、キャンパス内外を通して有意義で何物にも変え難い時間を過ごすことができました。ここでは私の体験を記しましたが、例え同じ場所に行ったとしても、得られる経験や感じることは人それぞれで千種万様だと思います。

また、「アフリカ」と一口に言っても様々な国があり、それぞれ異なる文化や暮らしがあリます。今の便利な時代、ネットひとつで多種多様な情報が手に入りますが、現地に行って経験してみないと分からないことや感じ取れないことがたくさんあると留学を通して身を持って感じました。これからアフリカへの渡航を考えている人は、自身の興味や直感にしたがって、自分だけの特別な体験を作り上げてほしいと思います。

ここまで長々と綴ってきましたが、最後まで読んでいただいてありがとうございます。アフリカに興味のある方やこれから留学を控えている方にとって少しでも参考になれば幸いです。

末筆ながら、このような貴重な留学経験を実現するにあたって準備段階から留学後までサポートしてくださった皆様にこの場を借りて感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

※アフリカ展開力事業のHPにも留学中のレポートを掲載しているので、興味がある方はそちらもご覧ください!(http://www.tufs.ac.jp/iafp/category/ilyas-ja/

最終更新:2023年6月23日