コロナ禍の私とシングルマザー15人
の奮闘記 in ルワンダ
伊藤夏海
アフリカ地域専攻、2017年度入学
1. はじめに
みなさん、こんにちは。国際社会学部アフリカ地域専攻4年(5回生)の伊藤夏海です。
私は、2020年2月から9月まで、ルワンダのキガリでインターンシップをしました。当初はルワンダで半年間のインターンシップを終えた後、違う国で3ヶ月ほどインターンシップをすることを考えていました。しかし、コロナの影響を受け他国への移動は断念せざるを得なくなり、ルワンダの滞在を1ヶ月延長した7ヶ月間滞在することになりました。
この度は、ルワンダについての基礎知識は割愛させていただき、私の経験を中心に書かせていただきます。
2. ルワンダを滞在先に選んだ経緯
私は、高校3年生の頃にアフリカ地域出身のクラスメイトとの出会いをきっかけに、アフリカ地域に強い関心を抱き、いずれはアフリカの国々を訪れたいと考えるようになりました。しかし、大学に入学してからは部活にバイト、単位を取得することに必死になり、いつしかアフリカへの想いも薄れていました。
そんな中で、部活の引退が迫る3年生の夏を迎え、このまま大学生活を終えていいものかと考えるようになりました。特に行きたい国や学びたいことが明確にあったわけではなかったものの、漠然と1年間休学したいと思うようになりました。そこで、大学に通って学ぶことよりも、現地の人と生活を共にしながらアフリカを肌で感じたいと常々思っていたので、大学ではなくインターンシップを受け入れてくれる企業や団体に焦点を当てて探し始めることにしました。
そして、ルワンダのシングルマザーの雇用創出を支援する活動をしている山田美緒さんに辿り着き、彼女がオーナーを務める日本食レストラン兼宿である「KISEKI」に興味を持つようになりました(注1)。 したがって、ルワンダを滞在先に選んだというよりは、「KISEKI」があったのがルワンダだったの方が正しい言い方かもしれません。
注1: KISEKIのホームページのURL:https://www.kisekirwandatravel.com
3.「KISEKI」でのインターンシップ
KISEKIは、ルワンダにある日本食レストラン兼宿です。「地域のお母さんが笑顔で暮らせるように」をコンセプトに、コミュニティと連携して、シングルマザーの雇用を創出し、彼女たちが抱える課題の解決に取り組んでいます。
当初のKISEKIは、シングルマザーを雇うカジュアルなレストランではなく、高給で働くシェフとウエイトレスを雇う高級レストランでした。しかし、スタッフが献身的に働かないだけでなく、常習的に店の備品を盗むなど、目に余る行為が続いていました。そんな時に、真面目に働く1人のシングルマザースタッフに美緒さんが「あなたみたいな人がもっといたらいいのに」と愚痴をこぼしたところ、すぐさま50人以上から応募がありました。
その大半が職のない貧しいシングルマザーでした。そんなシングルマザーが安心して働ける場所を作りたい、その子どもたちの生活を守りたいという想いを抱いた美緒さんは、現在のKISEKIへと形を変えました(注2; 写真1)。
注2: KISEKIの設立・経営の経緯については、以下の記事を参照。
日経 xwoman「ルワンダで起業し、シングルマザーに雇用を 山田美緒」
URL:https://doors.nikkei.com/atcl/column/19/013000032/102300013/
写真1:KISEKIのシングルマザーが暮らす家
私が訪れた2020年2月時点では、約15人のシングルマザーをレストランの従業員として雇っていました。現在の従業員数にオーナーである美緒さんは満足しておらず、更なる雇用機会を生み出すことを目指しており、私に新しいプロジェクトに挑戦するチャンスを与えてくれました。
私は、ルワンダが観光に力を入れている点に着目し、ツアーガイドの育成を試みました。滞在して1ヶ月の間は、料金プランやツアーコースを熟考し、スタッフが必要なスキルを身につけるサポートを行いました。
しかし、新型コロナウイルスの影響を受け、2020年3月にルワンダはロックダウン・空港閉鎖が施されました。日本人インターン生・ボランティア生は、私を除き全ての人が帰国する選択を取りました。私は、一度やり遂げると決めたことを途中で断念したくないとの思いから、ルワンダに残る決断をしました。ビジネスの大半が止まり無職となった現地スタッフを目の前に、KISEKIの目標を「現在雇っている15人の雇用を守ること」へと変更しました(写真2)。
写真2:コロナ禍で奮闘するKISEKIスタッフ
そして、コロナ禍でもできることを考え抜いた末、『オンラインビジネス』を立ち上げることになりました。具体的には、日本とルワンダをオンラインで繋ぎ、文化や知識を伝えるプログラムと、ダンスや歌をメインに楽しむプログラムの2つを日本人向けに売り出しました(写真3)。
写真3:伝統的な歌とダンスを披露する現地スタッフ
私は、日本人利用者の需要を把握してプログラム化すること、宣伝して集客することを担当しました。しかし、日本で知名度がないルワンダに興味を持つ人はほとんどおらず、当初は全く売れませんでした。
芽が出ないオンラインビジネスの微々たる収入だけが頼りの日々に、強い危機感と焦りを感じたため、志半ばで帰国を余儀なくされた元インターン生に協力を要請することにしました。
その結果、15人以上の元インターン生の協力を得ることができ、連日のミーティングで試行錯誤を重ねながら、プログラム内容と宣伝方法の改善を行いました。最終的に、需要に対応したプログラム提供が徐々に進み、15人の現地スタッフの生活を守ることに成功しました(注3; 写真4)。
注3: KISEKIオンラインプログラムは、こちらから申し込みいただけます。
写真4:オンラインで日本人のお客さんと談笑する現地スタッフ
4. ルワンダでの生活
私は、KISEKIのレストランに併設している宿泊施設に滞在していました。私が訪れた当初は、日本の春休み期間であったため、常時10~20人前後の日本人が滞在していました。様々なバックグラウンドを持つ人たちとの出会いは、私に多くの刺激を与えてくれました。ルームメイトと夜な夜な語り、現地の人の生活を変えるにはどうしたらいいかの議論に白熱したこともありました。アフリカに興味を持つ多くの日本人と出会えるKISEKIという場所は、控えめに言っても私にとって最高の場所でした。
しかし、新型コロナウイルスにより生活が一変しました。騒がしかったKISEKIは日夜問わず静まり返り、年の近い友人は一人もいなくなりました。商業施設は軒並み営業停止となり、ルワンダ政府が定めた規定の中で認められた私の外出は非常時を除き、スーパーへの買い出し時のみとなりました。
これまで友好的だった道ですれ違うルワンダ人の中には、新型コロナウイルスをきっかけに、アジア人を差別する人が出てきました。歩いているだけで汚い言葉を投げかけられたり、若いルワンダ人男性に執拗に跡をつけられたりと、怖い思いをすることが頻繁に起こるようになりました。幸運にも職場が併設していることからインターンシップは続けられていたものの、仕事以外は部屋で大人しくする他ありませんでした。
異国の地で不安が募る私の唯一の支えは、一緒に働く現地スタッフの存在でした。仕事以外ではそれほど関わりのなかったスタッフたちと、プライベートの時間を一緒に過ごすようになりました。徐々に規制が緩まり、近場を出歩くことができるようになった頃には、家に幾度となく招待してくれました。近所の人やすれ違う人に私が害を与える人間でないことを説明してくれているうちに、周囲のルワンダ人も徐々に私を受け入れてくれるようになり、いつしか仲間のように接してくれるようになりました。
イレギュラーな状況の中、孤独を感じずに毎日楽しく過ごせたのは彼女たちの存在があったからだと思っています。生活様式が全く異なる彼女たちの家で長時間過ごすことで、全身虫に刺されたり、お腹を壊したりすることがありました。しかし、そんな事が気にならないほど、私にとってはかけがえのない時間でした(写真5)。
写真5:家族のように私を迎え入れてくれたルワンダ人家族
5. おわりに
未知の世界であるアフリカに足を踏み入れること、そこで半年という月日を過ごすことは、私の人生で最も大きな挑戦の一つでした。しかし、それだけでは終わらず、新型コロナウイルスの世界的流行を現地で迎えることとなりました。先が見えない状況の中で、今できることを必死に探して苦労した経験は確実に私を強くしてくれたと思います。
ルワンダ人の底なしの明るさと前向きな姿勢に刺激され、どんな状況も悲観せず立ち向かうことができました。そして、私はルワンダ人を心から好きになりました。現地に直接行かなければ、私とアフリカの接点は大学を卒業した時点で終わっていたかもしれません。
しかし、今後もアフリカに関わり続けたいと思うようになった私は、アフリカ地域の進出に力を入れている日系企業への就職を決めました。ルワンダでの滞在経験は、私の人生を大きく変えてくれたと思います(写真6)。
写真6:帰国日の集合写真
最終更新:2021年9月3日