こんにちは。国際社会学部アフリカ地域専攻4回生の榑林輝奈乃です。私は2023年の7月から2024年の6月まで、派遣留学制度を利用して、南アフリカ共和国のステレンボッシュ大学にて1年間の留学を行いました。私のこの体験記が、今後南アフリカ及びステレンボッシュ大学への留学を考えている方々の一助となれば幸いです。
私はアフリカ専攻に所属していたということもあり、以前からアフリカという土地に強い興味がありました。2020年にはルワンダ共和国を訪れ、長年の夢であったアフリカ大陸上陸を果たしましたが、派遣留学の応募が始まった当初、留学先にはアフリカ地域の大学を考えてはいませんでした。
しかしながら、応募書類提出の締め切り直前に、アフリカへ留学をされた先輩の留学報告会があると先生から声をかけていただき、それに参加しました。やはり旅行とは違い、1年間現地で生活をすることでしか学べないことが多くあるのではないか、とアフリカにある大学で勉強をするということに強い魅力を感じました。
「アフリカ留学、面白そう」と思った私は、最終的に南アフリカを留学希望国としました。南アフリカを選んだ理由としては、まず自然が多く、特にステレンボッシュから海が近かったということがあります。
学問的な側面としては、社会学を学んでいる私は、アパルトヘイトについて南アフリカの大学で学ぶということに大きな価値を見出し、ポスト・アパルトヘイトの現状を実際に見てみたいと考えました。
また2023年時点では、ステレンボッシュ大学はまだ協定が結ばれてから間もなく、誰も本学からは派遣留学生が送り出されていない大学であったため、情報が少なく、興味が掻き立てられました。パイオニアになってみるのもいいかも、と思ったのも、留学先に選んだ理由の一つです。
南アフリカの国土面積は、日本の約3.2倍である122万平方キロメートルであり、非常に大きな国です。私はその中で、南西部にある西ケープ州に位置する、ステレンボッシュという場所に住んでいました(地図1)。
地図1:南アフリカ共和国全体図。赤いピンの立っている場所がステレンボッシュ(Google mapより筆者作成)
私の住んでいたステレンボッシュは、山々とワイン畑に囲まれたとても美しい街でした。イメージは、学生タウンです。キャンパスには門やゲートがなく、街全体にキャンパスが広がっており、南アフリカの中でも特に治安が良かったため、日中は一人でも歩きやすい街でした。
私の住んでいた寮はキャンパスの横にあったのですが、キャンパスが広いため、私の通うArts and Social Sciences学部(人文社会科学部)の建物までは、徒歩25分程度かかっていました。教室間の移動を踏まえて時間割を組まないと、大変なことになりそうなキャンパスでした。
キャンパスは広々としていて建物も美しく、外の芝生で友達と過ごすことが日々の楽しみでした(写真1)。
写真1:キャンパスにて、大好きな友人たちと。
どうやらステレンボッシュ大学のキャンパスは、「世界で最も美しい大学トップ25」にも選ばれているようです(注1; 写真2)。
注1:DiMarco, S. (2022). The 25 Most Beautiful College Campuses Around the World. Veranda. [2024年08月30日アクセス].
写真2:キャンパスにあるCoetzenburg Stadiumの様子(出典:Stellenbosch大学公式インスタグラム @stellenboschuni)
気候はというと、非常に過ごしやすい気温であったため、日中は外にいることが多かったです。私は7月の真冬に到着をしたため、初日の夜は寒さに驚きました。冬の朝晩は気温が一桁代まで冷え込みますが、なんといっても太陽が信じられないほど強いので、日中は冬でもとても暖かいです。
なので学生の多くが、半ズボンにサンダル、タンクトップの上にダウンジャケットを着て、ニット帽をかぶっている、という非常に不思議な格好をしていました。私も朝はコートを着込んで登校し、日中は半袖でいることが多かったです。夏は35℃を超える日もありましたが、日本と比べて湿気が少なく、カラッと気持ちのいい夏でした。
生活を振り返り、どうしても書かずにはいられないと思ったものは格差です。初めて街を見た時は、こんなにも不平等な社会が存在しても良いのか、と衝撃を受けました。南アフリカは、世界的に見ても失業率が非常に高い国です。
2024年に南アフリカ政府が行った統計によると、失業率は32.9%であり、特に15~24歳および25~34歳の若者の失業率は極めて高く、それぞれの失業率は、59.7%と40.7%でした(注2)。
注2:Department: Statistics South Africa. (2024). Quarterly Labour Force Survey (QLFS).
一歩外へ出ると、道で寝ている人々、段ボールにメッセージを書いて道の真ん中で立っている人々を目にします。ラップトップを持って、コーヒーを片手に勉強をする私たち、ワイナリーでドレスを着て食事を楽しむ人々がいる横で、ゴミ箱を漁り食べ物を探す人々がいます。
そんな人々を見えない存在として扱う人、ご飯を分けたり小銭を渡したりする人、街ゆく人々の対応は様々でした。いくら大学で「格差」や「人種」を学んでも、一生社会に、そして私自身に、問い続けなければならないものであると感じました。
当時、外大からステレンボッシュ大学に派遣留学に行った学生はまだおらず、私たちが第一号であったため、情報を集めるのがなんといっても大変でした。大きく分けて必要であったのが、大学への留学書類の提出、希望コース及び授業の申請(外大のシステムとは異なり、受講をしたい授業を事前に提出する必要がありました。
これまでの成績表を基に、授業に参加して良いかをステレンボッシュ大学が判断し、許可の降りた授業のみ受講することができます)、奨学金の申請、ワクチン接種(必須のものは当時特にありませんでした)、そしてVISAの取得です。
この中で特に大変だったものが、VISAの取得です。手続きには最大14営業日がかかるとのことだったので、留学が決まってからできるだけ早く取り掛かることをお勧めします。私も、以前南アフリカに留学に行かれた先輩に助けていただきました。
想像以上に準備するものも多く、時間も費用もかかったため、先輩方からの情報がなかったらもっと準備に手こずっていたと思います。以下に、私が提出した書類一覧を記載するので、今後留学をされる方の参考になればと思います(全て英語の書類)。
ただし、時期によって提出書類も変更する可能性があるので、まずは駐日南アフリカ大使館に問い合わせてください。私は一度の申請でビザが降りたので、入念に準備をすれば大丈夫だと思います。
パスポート
2枚の証明写真
所定の申請書類(大使館にメールをして取り寄せる)
ステレンボッシュ大学からのアドミッションレター
両親からの手紙と直筆サイン(所定の様式なし)
日本の大学の在学証明書
留学中の保険証明書(日本の保険会社及び、南アフリカの保険会社のもの)
滞在予定先の受け入れ証明書(私の場合は大学寮)
健康診断証明書(所定の様式)
レントゲン検査証明書(所定の様式)
戸籍謄本
残高証明書(留学期間過ごすのに十分な金額が預金されている口座)
3か月分の口座取引証明書(英訳したもの、ただしプロのエージェンシーに頼むこと)
犯罪経歴証明書
飛行機予約確認書(往路・復路どちらとも)
黄熱病ワクチン接種証明書(南アフリカに入国する前に、特定の地域に降り立つ場合)
申請料
私は大学の寮に住んでおり、キッチンやリビングを私を含めた8人の留学生とシェアしていました。寮には24時間警備員さんがゲートに立っており、非常にセキュリティが強く安全でした。南アフリカには計画停電というものがあり、毎日のように停電がありました。
短い時には2時間、多い時には1日の半分以上の時間電気が使えない、なんていう日もありました。初めの3ヶ月程は、寮の棟にWiFiが無く、停電中は料理も作れず、電気ヒーターも使えなかったため慣れるまでは大変でした。
ですがルームメイトとリビングでキャンドルを焚いて映画を見たり、停電中はWiFiも使えないため本を読んでみたり、とても楽しい停電ライフを送ることができました。電気が無いと早く寝るため、おかげで少し生活リズムが改善した気がします。
南アフリカは治安が悪い、というイメージをお持ちの方も多いかと思います。確かに、治安がとても良いとは言い切れません。ですが、していいことと悪いこと、行って良い場所と避けるべき場所を押さえておけば、危険なことが起きる可能性をグッと抑えることができるのも事実です。
ステレンボッシュは南アフリカの中でも特に治安の良い街ですが、日が暮れ始めてからは決して一人では外出しませんでした。夕方遊びに行く時は大人数で出かけたり、移動手段はUberを利用しました。携帯を後ろポケットに入れて歩かない、パソコンを置いたままトイレに行かない、イヤホンをして歩かないなど、基本的な部分を心がけることが重要です。
まずは現地の友人を作って、気をつけなければいけない点や、危ない地域を聞くことがとても大切かと思います。また、一人でUberを利用する際は、友人と位置情報を共有するなどしていました。
私はArts and Social Sciences学部で、主に社会学の授業を受講していました。キャンパスは、刺激にあふれた環境でした。一つの科目につき、週に3回程度授業があることが普通で、その度に大量のリーディング課題が出されるので、現地の学生のスピードについて行くため、資料を読み直したり、授業毎に共有されたプレゼンテーションを基に復習を行う必要がありました。
また、一つの科目につき、数回少人数で開催されるチュートリアルという特別授業では、積極的に発言をする機会も設けられていました。とにかく課題が多く、単位を取得することが難しい大学、という印象が強かったです。その分勉強の設備も整っており、楽しく学問に取り組むことができました。日本での学びと大きく異なった点としては、全ての事象を学ぶ際に、まずはアパルトヘイトの歴史を踏まえた上で議論が行われるということです。
とても印象に残っているのは、人種に関する授業を受講していた際、人種及び性別等のアイデンティティが重ね合わさったインターセクショナリティ(交差性)が、南アフリカの政治にどのような影響を与えているのかについてディスカッションを行っていた時のことです。学生同士の議論がヒートアップし、言い合いが始まりました。
最終的に、このトピックを続けるべきか、中断すべきかの多数決が取られました。これは、多様なバックグラウンドやアイデンティティを持つ学生が、一つのクラスルームに集まり、「人種」という非常にセンシティブなトピックを扱うという、南アフリカだからこそ、またこの授業だからこそ起きたのだと思います。
2018年にステレンボッシュ大学が行った統計では、アジア人は在籍学生の0.2%だと報告されています(注3)。街やキャンパスを歩いていても、アジア人を見かけることはほとんどありません。
その分、無意識の偏見や思い込みによって引き起こされるマイクロアグレッションや、より直接的な差別も受けることがありましたが、なかなかこのような環境で1年間生活をする機会もそうあるものではありません。マイノリティとして、ポスト・アパルトヘイトを生きるということ。大学の中の学びだけでなく、日々の生活の中でも考えさせられることが多くありました。
注3:Sun.ac.za. (2019). Statistical profile. URL: https://www.sun.ac.za/english/Pages/Statistical-profile.aspx [2024年8月29日アクセス].
私は南アフリカに滞在中、ボランティアプログラムに参加をし、カヤマンディというタウンシップにて、子供たちに勉強を教えていました。タウンシップとは、アパルトヘイト時代に黒人専用地区として指定された居住区を指しますが、アパルトヘイトが撤廃された今でも、一般的にこの単語が使用されています。
主に私は、放課後学校と小学校で、先生のアシスタントとしてコサ語を母語とする子供たちに数学及び英語を教えていました。南アフリカには手話を含んだ12言語が公用語としてあり、コサ語はそのうちの1つです。コサ語は、アフリカに広く見られる言語体系の1つであるバントゥー語群に属し、クリック音という舌を打ち付けるような音を出すことが特徴です。
また夏休みを利用して、2020年に一度行ったルワンダ共和国を再度訪れることにしました。そこで私は、現地の人権団体にてインターンシップを行いました。主には、生理の貧困問題解決プロジェクトと、LGBTQ+の人々への法的支援プロジェクトに携わりました(写真3)。
写真3:ルワンダの人権団体にて、職員の方たちと。
また私は、留学前までオンラインで、外大の先輩が立ち上げられたプログラムにインターンという形でお手伝いをさせていただいていました。首都キガリに住むシングルマザーの方々に英語を教えるというものでしたが、6ヶ月という月日を経て、ようやくインターン先のお母さんたちに会いに行くことができました(写真4)。
写真4:お母さんたちと、感動の再会。
私は休日や空きコマには、ハイキングをしたり、海で泳いだりしていました。ステレンボッシュはワインの名産地なので、ワイナリーでワインを楽しむ学生も多くいました。また大学には、Recessという約1週間の休みが学期の真ん中にあり、学生は旅に出たり、実家に戻ったり、パーティーをしたりします。
私はその時期を活用して、旅へ行きました。まずはなんといってもクルーガー国立公園。私はPractical Conservationという、自然保護と生態系に関する授業を受講しており、授業の一環でサファリを訪れました。1週間をサファリの中で過ごしましたが、毎朝4時に起き、車で動物を探しに行きました。
少し車を進めるだけで、様々な種類の動物と出会うことができました(写真5)。サファリの真ん中で見る太陽は、普段見る太陽と同じものとは思えないほど赤く燃え、とても感動しました。
写真5:サファリでの私のお気に入りの一枚。
思い出に残る旅の一つに、ガーデンルート(Garden Route)があります。ガーデンルートとは、モッセルベイとポートエリザベスの間の西ケープ州をつなぐルートを指し、美しい自然が広がる場所です(地図2)。
地図2:青線で繋がれた部分がGarden Route。青のピンがステレンボッシュ(Google Mapより筆者作成)
2023年に東京外大に派遣留学生として、ステレンボッシュ大学から来ていた友人のJuliaと、友人DylanとJamesの4人でロードトリップへ行きました(写真6)。そこで見た景色は、何ものにも変え難いものでした。
写真6:ガーデンルートロードトリップでの1枚。外大に来ていたJuliaと。
そして私は、夏休みの1ヶ月を使ってこれまでの人生で最大と言える挑戦をしました。それは、留学生11人と、南アフリカ人1人でミニバスを借り、陸路で南部アフリカ6カ国を、キャンプで旅するというものです(写真7)。
写真7:一緒に旅をした友人たちと。ナミビアの南回帰線にて。
私たちはステレンボッシュを出発し、北へ車を走らせ、ナミビア、ボツワナ、ジンバブエ、ザンビア、モザンビークを周り、最終的に南アフリカのヨハネスブルグからケープタウンまで車で帰ってきました(地図3)。
地図3:ロードトリップで回った国々(Polarstepsより筆者作成)。
旅にハプニングはつきもの、とはよく言いますが、砂漠のど真ん中でバスの窓が粉砕したり(写真8)、ゾウが横にいる時に沼にタイヤがハマって全員でバスを押したり、賄賂を請求されたり。話していて笑ってしまうようなことばかりでした。1ヶ月間、ネットもない場所でテントを張って生活をし、時にはバケツでお風呂に入るという生活をしていましたが、これまでの人生で最も刺激的かつ楽しい旅でした。
写真8:ロードトリップの際に利用したバス。ナミビアの砂漠で窓が粉砕。
あの有名な『トム・ソーヤーの冒険』を書いたマーク・トウェインの名言にこんなものがあります。
“Travel is fatal to prejudice, bigotry, and narrow-mindedness, and many of our people need it sorely on these accounts Broad, wholesome, charitable views of men and things cannot be acquired by vegetating in one little corner of the earth all one's lifetime.” (注4)
「旅は、偏見や凝り固まった考え、狭い視野を破壊するものであり、我々の多くにとって、これらを克服するために旅が必要なのだ。広く健全で、慈愛に満ちた人間や物事に対する見方は、地球の片隅で一生を過ごしているだけでは身に付けることができないものだ。」(筆者訳)
この1年間で経験した旅は、まさにこの言葉を体現したようなものとなりました。
注4:Twain, M. and Cardwell, G. (1984). The innocents abroad, Roughing it. New York, N.Y Library Classics Of The United States.
いかがでしたか。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。南アフリカで1年間過ごすということは勇気のいる決断でしたが、一生忘れることのできない経験をすることができました。楽しかったことも、大変だったことも含め、ステレンボッシュでの生活は、私に新たな一歩を踏み出すきっかけを与えてくれました。私のこの体験記も、誰かの新たな挑戦に向けた背中を、そっと押すものになることを願います。
最後になりましたが、この留学は多くの方々の支えがなければ、決して達成することのできないものでした。神代先生をはじめとする世界展開力アフリカの皆様、武内先生、アフリカ地域専攻の先生方、留学支援共同利用センターの皆様、ステレンボッシュ大学及び東京外国語大学の留学生課の皆様、ステレンボッシュ大学で共に生活した大切な友達、ルワンダのインターン先の皆様、そのほか様々な場面でわたしを支えてくださった方々に、この場をお借りして心より感謝申し上げます。
最終更新:2024年9月2日