2021年度にアフリカ専攻を卒業しました、山根佑斗です。このたび、都立大の西山雄二先生と共訳で、バルバラ・カッサン『ひとつ以上の言語』(読書人: 注)を出版いたしました。カッサンは、フランスの文献学者・哲学者で、翻訳論や古代ギリシアの哲学を専門にしています。
標題が伝える通り、本書のテーマは「言語」です。フランスや隣国ドイツの20世紀哲学の成果をもとにして、言語をめぐる思索を伝える入門書になっています。
注:バルバラ・カッサン(著)、西山雄二・山根佑斗(共訳)『ひとつ以上の言語』(読書人、2025年)、新書判 128pp.、定価 1,200円+税. hanmoto.com amazon
小難しい本に見えるかもしれません。でも、この本は、哲学者や作家による、子どもたちへの講演を元にした、「小さな講演会」シリーズの一冊です(この本のほかにも、いくつか日本語訳があります)。
このシリーズの特徴は、一級の書き手たちが、わかりやすく、楽しく、しかし根本的なことを、子どもたちに語りかけている点です。ですから、見かけほど小難しい本ではありません。
本書のテーマは「言語」。カッサンは、「母語とは何か」という大きな問いを入り口にして、平易に、そして率直に話し始めます。母語はなぜ特別なのか、他の言語とどうやって出会えばいいのか、翻訳はいかにして可能なのか(あるいは不可能なのか)、機械翻訳や英語の特権化にどんな危険が潜んでいるのか…。
語られるテーマは、根本的であると同時に日常的です。子どもたちによるQ&Aでは、素朴で鋭い質疑が繰り返され、考える助けになってくれます。
最後に、個人的に好きなエピソードを一つだけご紹介します。カッサンは、「言語は道具ではない」と言っています。言語は、その言語を話す人の世界を分節し、切り分ける。言語は世界を映し出す鏡、あるいはその世界そのものですらある。
だから、言語の核のようなものにわずかでもふれるには、言語に備わった秩序を感受しなければならない。そのためには、カフェの場所や切符の買い方を尋ねる言い回しを練習するだけでは不十分だ――カッサンはそう言っています。
もとより、誰かの言語を道具として使うというのは、他人の言葉や、言葉が作り出す世界を、すみずみまで思い通りに動かせる――というような、どこか思いあがった発想なのかもしれません。
カッサンが伝えているのは、言語を好き勝手に使うことなく、言語の秩序の方に身を任せて、言語のままならなさと付き合うということだと思います。そしてそれは、言語をめぐる小さなエチカでもあるかもしれません。
本書は、自分のものではない言語、つまりは「外国語」に触れ、それを尊重するための、ささやかな相談相手になってくれる本ではないかと思います。みなさまの言語の冒険への同伴者として、ぜひ手にとっていただきたい一冊です。よろしくどうぞ。
最終更新:2025年4月21日