「アフリカで学ぶこと、働くこと

〜ザンビア留学とスーダン勤務~」

池田梨穂(アフリカ地域専攻2014年度入学)

皆さんこんにちは。アフリカ地域専攻4年の池田梨穂と申します。2014年入学で、先日ケープタウンでの素敵な生活について紹介してくれた鳥居紗衣さんと同期入学です。

今回はこの場をお借りして私が留学と勤務で経験した2度のアフリカでの生活を、比較体験記という形で執筆させていただきます。アフリカに行ったことのない方、興味はあるけどなかなか一歩を踏み出せない方、これからの進路を考え中の方、皆さんに楽しんで読んでいただきご参考にしていただけますと幸いです。

【目次】

1.2度のアフリカ体験

2.言語・宗教・文化

3.留学生として・大使館職員として

4.平和なザンビア・激動のスーダン

5.振り返って

1. 2度のアフリカ体験

はじめに、私のアフリカ経験について、いつ、どこで、どのような経緯で、どんな身分として過ごしたのかをご説明したいと思います。

私にとって最初のアフリカ生活は、3年次秋の2016年11月から2017年9月までの約10ヶ月間のザンビア留学で幕を開けました。「アフリカに留学するなんてきっとすごい動機があるのだろうな」と思われがちですが、私の場合は、「せっかくアフリカについて学ぶなら本場だろう!」という安直な考えと、ザンビアに留学した先輩の話を聞いて本当に楽しそうだったから、という単純な理由だけでザンビアを選んだのを覚えています。

案の定最高に楽しいザンビアライフを終えた私が2度目のアフリカ生活の舞台として選んだ国は、スーダンでした(図1)。4年次秋の2018年9月から休学して、2年間の契約のもと、鳥居さんと同じ在外公館派遣員注1)として現在も在スーダン日本国大使館にて勤務しています。派遣員制度についてはザンビア時代に出会った東京外大OGの派遣員経験者の方から聞いて知り、学生のうちに実務経験が積めることのメリットの大きさを感じて応募を決めました。その中でスーダンを選んだ理由は、アフリカ文化とアラブ文化のちょうど交差点に位置し、幾度もの紛争を経験してきたこの国の文化と歴史に興味を持ち、深く知りたいと感じたからです。

図1: ザンビアとスーダンの位置

2. 言語・宗教・文化

つぎに、ザンビアとスーダン、似ているようで全く異なるこの2国の言語や宗教、文化などの基本的な情報をご紹介します。

まずはザンビアから。1964年にイギリスから独立したザンビアの公用語は英語で、特に私の住んでいた首都ルサカではほとんどのザンビア人が英語を話せます。滞在序盤は彼ら特有のアフリカ訛りの英語への適応に一苦労しましたが、慣れてしまえばこちらのものです。学校教育も英語で行われ、私の留学先のザンビア大学注2)でも全ての授業が英語によるものでした。加えてザンビアには70以上もの部族が存在し、そのそれぞれに独自のローカル言語があります。ザンビア人同士の会話によく使われる言語は英語ではなく、これらのローカル言語の中でも主要なニャンジャ語、ベンバ語、トンガ語などです。旧宗主国のイギリスの影響で、国民の大多数がキリスト教で、日曜日はみんなミサに行きます。首都ルサカは比較的発展が進んでおり、大きなショッピングモールが多数存在し、南アフリカ資本のチェーンのスーパーやアパレルショップがたくさん出店しています。街全体の標高が高いため気候も比較的穏やかで、当時の私のようなアフリカ初心者にとってはとても過ごしやすくオススメの都市です(図2)。

図2:ザンビア料理。白トウモロコシの粉をお湯で練って蒸したシマと付け合わせ。絶品。

つぎにスーダン。独立は1956年とアフリカ諸国の中でも早く、イギリスからの独立だったもののそれ以前にエジプトの支配を受けていた影響で公用語はアラビア語、主な宗教もイスラム教です。彼らは1日に5回、聖地メッカの方角に向かって礼拝をします。礼拝の度に礼拝用の音声(コーランの音読)が大音量で街に放送され、1日の最初の礼拝は午前4時頃から始まります。最初のうちは毎日放送に起こされていましたが、これも慣れてしまえば爆音の中でも眠り通すことができます(図3)。また、イスラム教国特有の金曜、土曜が休みのカレンダーに慣れるのも大変で、慣れないうちは、木曜の終業後に「また来週」という台詞を聞く度に思いがけない幸福感に浸っていました。もちろんその分日曜に働くわけですが…。そして、イスラム教特有の文化といえばやはり、ラマダン(断食)です。イスラム暦と月の満ち欠けによって毎年日程が決まるのですが、今年は5月頭から6月頭の30日間でした。この期間は、日の出から日の入りまでの時間、水を含む一切を口にすることが許されません。私も挑戦してみましたが、見事に1日も我慢できず断念…。

図3:スーダンの自宅からの風景。

3.留学生として/大使館職員として

このように、一言で「アフリカ」と言っても、ザンビアとスーダンでの生活は言語や宗教、文化などにおいて全く異なる体験となりました。そして次に、私の「留学生としての」ザンビア生活、「大使館職員としての」スーダン生活の経験をお話ししたいと思います。

図4:ザンビアでの青年海外協力隊の方の任地の小学校訪問。みんなカメラ大好き。圧がすごい。

ザンビア大学では開発学コースに所属し、ザンビアを中心とするアフリカにおける様々な分野の開発・発展の現状、その過程や問題点などを学びました。このような大学内での勉強ももちろん興味深かったのですが、私のザンビア留学の中で最も楽しく印象に残った経験は、大学外での日々でした。学生ストにより大学が閉鎖される期間やタームブレーク(学期の中間休暇)など、授業のない平日の日中を有意義に使うことができるのは、留学生の特権で最大のメリットだと考えます。仲良くなった青年海外協力隊の隊員の方々のいろんな任地を訪問して活動を見学したり(図4)、NGOの方々のフィールドワークにお手伝いとして参加したりと(図5)、現地で暮らす日本人が担う国際協力の最前線の現場をこの目で見て、肌で感じることができたこの経験は、その後の私にとってかけがえのないものとなりました。

この留学を通して、国連機関、大使館、政府系組織、民間企業、NGOなど、様々なバックグラウンドを持つ在留邦人の方々と知り合いお話を聞くことで、国際協力の形の多様性を感じ、自分のやりたいことや将来の進路などを考える上で非常に有意義な時間でした。生活面では常に断水と停電が日常茶飯事でしたが、この経験もサバイバル能力を培う機会となりました。今となっては世界中どこででも生きてゆけるという自信があります。

図5:ザンビアで活動する日本のNGOの5歳未満児検診にて、子供の体重をはかる現地ボランティア。乗せるのではなく吊るすスタイル。

スーダンでの主な仕事内容は、先日の鳥居さんの記事にあった通り出張者の便宜供与(航空券、ホテル、配車手配など)で、それに加えて会計補佐、イベント補佐、そしてその他細々とした庶務など多岐にわたる業務を担当しています。派遣員の仕事は外交の最前線を担う訳ではなく裏方で大使館の縁の下の力持ちのような存在ですが、だからこそ他の大使館職員が滞りなく仕事を進められた際やイベント等が成功した際の達成感はひとしおでした(図6)。この仕事を通して社会人として必要なビジネススキルはもちろんのこと、仕事の楽しさややりがいを感じることができています。また、平日の夜と休日は買い出しをしたり友達と過ごしたり趣味に費やしたりと、充実した時間を過ごしています。

図6:大使館の現地職員たちとの一枚。日本人職員12名に対し現地職員は25名。他の公館と比較しても多かった。

4.平和なザンビア/激動のスーダン

アフリカを目指す皆さんにとっておそらく一番の懸念事項が現地の治安や情勢ではないかと思います。この観点ではザンビアとスーダンはまさに正反対の状況で、特にスーダンでの政変を現地でこの目で見ることができたのは大変貴重な機会だったと感じています。

ザンビアは独立以降紛争などを1度も経験しておらず、国民も平和を愛しみな穏やかな印象を受けました(図7)。外務省の渡航危険度はアンゴラとコンゴ民主共和国との国境付近を除いて全土で外務省の海外安全情報で危険レベル「レベル1」となっており、通常の海外旅行において気をつけるべき事項(スリや置き引きに注意、夜間の一人歩きをしない等)に注意しておけば良い程度かと思います。

図7:チーム・ジャパン対チーム・ザンビアの野球大会。スコアラーとして参加。

一方、私が赴任してからのスーダンは歴史に残る激動の時間を経験しました。約30年続いたバシール元大統領の独裁が民衆のデモにより打倒されたのです。ハイパーインフレ一歩手前の物価高騰を受けて昨年(2018年)12月19日にアトバラという地方都市から反政府デモが拡散し、やがて軍を味方につけた彼らはついに今年(2019年)4月6日、バシール元大統領を退陣に追い込みクーデターを成功させました。しかし民政移管を望む民衆と、クーデター後に発足した軍暫定評議会との交渉は簡単には合意に至りません。そして6月3日、軍本部前で座り込みデモを行っていた民衆に対し民兵たちが実弾を用いて発砲し、わずか数日間で100名以上が亡くなるという最悪の事態に発展しました。この時点で外務省の渡航危険度が全土で「レベル3」に上がり、JICA職員をはじめとした在留邦人の多くが国外退避となりました。実は私もこのタイミングで退避を余儀なくされ、現在は日本で状況の好転を待っているところです。ここ半年余りのスーダンの政変は今後の歴史に確実に刻まれ、私もその一部始終を目撃した一人として外交団という一歩引いた立場から、見たことや感じたことなどを発信していかなければならないと思っています(図8)。

図8:ナイル川クルーズの際に撮影。白ナイルと青ナイルの合流点を見ることができる。

5.振り返って

ここまで私の2度のアフリカ体験をありのままに綴ってきましたが、留学と仕事のいずれかでアフリカを経験するのが良い!という結論を出したい訳ではありません。留学生なら自由に時間を使える一方で主体性や積極性が試され、仕事ならスキルを獲得でき外国組織の一員という俯瞰的な視点から国を見渡せる一方で時間的制約があります。皆さんがどのような経験を積みたいか、どのような能力を培いたいかによって答えは変わります。ただ一つ、「アフリカって面白い!!」と感じていただければとても嬉しいです(図9)。

末筆ながら、以上をもって私のアフリカ体験記とさせていただきます。ありがとうございました!

図9:ザンビアの世界遺産、ヴィクトリアの滝。広大な自然に終始圧倒されっぱなし!

注1:外務省在外公館派遣員は、国際交流サービス協会(社)の職員として世界各地の日本大使館等に派遣され、事務補佐を行うポジションのこと。詳細は、 国際交流サービス協会のウェブサイトを参照: http://www.ihcsa.or.jp/japanese/zaigaikoukan/hakenin-01/

注2:ザンビア大学(University of Zambia)は、ザンビア共和国の国立大学。首都ルサカにある。東京外国語大学とは、交換留学を含む協力協定を結んでいる。公式サイト(英語): https://www.unza.zm/

最終更新:2019年7月17日