3ヶ月の旅のお裾分けと

私がアフリカで考えたこと 


 by 吉田いぶき

(アフリカ地域専攻、2019年度入学)

はじめまして、アフリカ地域専攻2019年度入学の吉田いぶきと申します。2022年6月から9月までの3カ月間で東・南アフリカ10カ国をバックパッカーとして旅してきました。この旅行記を通して、一部ですが皆様に旅の思い出をお裾分けできたらなと思います。

目次

1. 旅の概要

2. 旅のはなし

3. 旅を通して考えたこと

4. 最後に

まず初めに私の旅の概要はこんな感じになります↓↓

・期間:2022年6月21日〜9月17日

・訪れた国:ケニア、ウガンダ、ルワンダ、タンザニア、ザンビア、ジンバブエ、ボツワナ、ナミビア、レソト、南アフリカ(訪問順)(図1; ザンビアまで玉井さんと一緒に、その後は主に一人で)

・移動手段:陸路、バス(ナミビア→レソト間のみ空路)

・費用:準備も含めて100万円以内

・旅に出た理由:大学でアフリカや開発援助について学ぶ中で、実際に自分の目で見て理解したいと思ったから。先生方がアフリカの魅力を語られるのを聞いて、行かずにはいられなかった。

図1: 旅の経路。ナミビア からレソトまでは飛行機で移動した。 

今回の旅が私にとって人生初のアフリカ渡航であり、初のバックパッカー経験でした。行く前は本当に不安で、実は出発前に遺書も書いておいたくらいです。

幸運なことに遺書の出番はなく、大きなトラブルに巻き込まれることもなく、無事に帰国いたしました。

また、今回の旅は途中までアフリ科同期の玉井遥さんと、途中からはそれぞれ別々で興味のある国々を回りました。玉井さんは私とは別にエッセイを書いているので、内容が被らないよう、私のエッセイの中では主に旅後半の、一人で行動した部分について綴ろうかなと思います。

なお、これから綴る内容は主観的なものになりますので、あくまでも「私」という一個人を通したエッセイになる点、アフリカのほんの一部をほんの短期間訪れた者が書いたものでしかないという点を念頭において読んでいただけたらなと思います。

2. さあ旅に出よう

前置きが長くなりました。早速、私がアフリカで見たもの感じたことを共有させてください!前述したように私は3カ月間で10か国を訪れたのですが、全部について書くと大変なことになってしまいますので、私のお気に入りエピソード3つをご紹介しようと思います。3つのエピソードで取り上げた場所は上の図1に①〜③で印をつけましたので、参考にしてみてください。

2-1. ボツワナでのヒッチハイクと世界でいちばん綺麗な星空のはなし

人が太陽みたいに明るくて、動物だらけなボツワナ!旅の中では7カ国目に入国した国になります。とても素敵で、訪れた中で2番目に好きな国です。ひとつめの魅力はなんと言っても動物!道路脇を野生のゾウやキリンが歩いていたり、羊やヤギが道路のど真ん中をゆっくり歩いて車にクラクションを鳴らされています。日本ではありえない光景に、見ていてワクワクが止まりませんでした(図2)。

図2: 道路脇にいたゾウ。 

私が感じたふたつめのボツワナの魅力は人で、穏やかで優しい人が多い印象でした。少し話がずれますが、私は「国民性」という言葉が苦手で、例えば、「日本人だからこういう性格」だとか、「中国人だからこういうことするんだ」というような考え方は好きではありませんでした。今でも注意して使うべき言葉だと思っていますが、アフリカを旅する中で、いわゆる「国民性」というものが実感できるレベルで存在することを感じました。

道ですれ違った時に見慣れない外国人に対してどのような反応をするか、他人にどれくらい気を使うか、どんなことを考えているかなど、国によって、もしくは国の中でも地域によって、そこに生きる人々の考え方や行動には違いがあるように思えました。

例えばタンザニアでは道を歩いていると話しかけられることがほとんどだったけれど、ザンビアではチラチラ見られるくらいであまり話しかけられない、など。その国に生まれたからこうなる、というのではなく、人が生きていく社会や環境は、その人の生き方や考え方に無意識のうちに影響しているのだと思います。

さて、ボツワナの話に戻りますが、ボツワナは本当に穏やかで明るい人が多い印象です。歩いているといろんな人が手を振ってくれましたし、バスに乗るときはみんなが他の乗客全員に対して挨拶をしていたのが印象的でした。

旅をしていると人との関わりを通して嫌な気持ちになることもありますが、ボツワナでは一度も嫌な気持ちになりませんでした。ケニアやタンザニアでは「観光客はお金を持っているはずだ」という現地の人のイメージ(実際その通りだが)から、タクシーなどで正規料金より遥に高い料金を払わされることも少なくありませんでしたが、ボツワナではそのようなことはほとんどなく、気持ちが楽でした。

そんなボツワナ、印象的だったのが移動手段です。現地の人曰く「人口が少ないから」、中距離バス(街と街をつなぐバス。東京から名古屋くらいの距離をイメージしていただければ)の本数がとても少なく、待っても待ってもバスが来ません。やっと来ても満席で乗れないなんてこともありました。そんな理由からか、ボツワナではヒッチハイクが主な移動手段として使われています。

皆さん、ヒッチハイクをしたことはありますか?日本ではあんまりないんじゃないかなと思います。私の中のヒッチハイクのイメージは映画『魔女の宅急便』(宮崎駿監督、1989年)のワンシーンで、そこでは主人公が簡単にヒッチハイクさせてくれる車を拾っていたのですが、現実はジブリのようには甘くなかったです。

私がヒッチハイクをしたときは、2~3時間以上も乗せてくれる車を待ち続けるなんてことはザラでした(運が悪いだけ?)。そもそも通る車の数が少ないというのもありますし、白人の観光客の方も結構通るのですが、彼らは絶対に乗せてくれないので、ケチだと思いながら眺めていました。

ボツワナでは、ちょっと奮発してマカディカディパンでの星空ツアーに参加しました。マカディカディパンは干からびた塩湖で、まるで月面のように360°一面真っ白な世界が広がっています。(図3注1

図3: マカディカディパンはこの辺り。 

注1:数百年前に流れ込んでいた川が枯れ、渇いた土地になった。今は雨季のみ水が溜まり鳥たちが集まる。私が訪れたのは乾季)。

地面は土と泥が混ざって乾いていて、歩くとぽくぽく音がなります。塩分が強いので植物が生えず、動物も虫のような小さな生き物すら何もいません。自分の呼吸音しか聞こえない、怖くなるような静寂でした(図4)。

図4: マカディカディパンでの夕日。 

夜になり辺りが暗くなったら、直接地面に寝袋をポンと置いてそのまま外で寝ます。暗くなるにつれて星が見えるようになり、やがて一面満点の星空になりました。「5 star hotel」ならぬ「5 billion star hotel」の出来上がりです。何個見えるだなんて到底数えられないくらい空一面に輝く星たち。星空を眺めながら眠りにつく幸せは忘れられません。

夜中に一度目が覚め空を見上げると、先ほどは出ていた月が沈み、さらにたくさんの星がキラキラと輝いていました。美しさに思わずため息が出ました。たまたまその日のツアーには私しか参加していなかったので、最高の星空を独り占めしているようなとても幸せな気持ちになりました。一生忘れられない美しい記憶です。

2-2. ザンジバルで現地医療を体験する

アフリカのリゾート!といえばザンジバルではないでしょうか。ザンジバルはタンザニアの首都ダルエスサラームからフェリーで約2時間のところにある島で、透き通った海が魅力のリゾート地です(図5)。

図5: ザンジバル 、パジェの美しい海。 

やっぱり綺麗な海を目の前にしたら泳がないわけにはいかないですよね。ということで、私も裸足になって海に入りました。リゾート満喫かと思いきや、海に入ってすぐに足の裏に岩を踏んだような痛みを感じました。初めはあまり気にせず放置していたのですが、痛みが長引くのでなんだろうと見てみてびっくり。ばっちりウニのトゲがグサグサと足の裏に刺さっていました。

予想もしていなかったウニからの攻撃に頭が追いつかず、すぐ海から上がるのも嫌だったのでその後数分泳いで遊んでいましたが、最後は痛みに耐えきれず上がりました。現地の方が状態を見てくださり、何か植物のトゲのようなもので私の足の裏をえぐって抜ける範囲でトゲを抜いてくださいました(このとき容赦なく傷をえぐられ本当に痛かった)。

トゲをある程度抜いた後は、小さいパパイヤの汁を傷口に塗り込んでもらいました。みんなが「パパイヤパパイヤ」と叫んでいて、どうやらザンジバルでは、ウニが刺さった時にはパパイヤに絶対的信頼があるようです。パパイヤを塗ればウニの毒が消えるそうです。半信半疑でしたが、藁にもすがる思いで塗ってもらいました。

その後私の足はかなり腫れ、帰国する時まで2ヶ月間ほど痛い状態が続いたのでパパイヤの効果はイマイチのように思えますが、パパイヤを塗っていなかったらもっとひどいことになっていたかもしれないと思うと、助けてくださった現地の皆さんに感謝しかありません。ちなみに帰国後皮膚科で抗生剤をもらったらすぐ治りました。

2-3. 大好きマレアレア!

今回の旅で訪れた国の中で私がダントツ一番好きな国、それがレソトです。みなさん、レソトという国はご存知ですか?簡単に説明するとレソトは南アフリカ共和国の内陸にポツンとある小さな国になります。ドラケンスバーグ山脈をはじめとする高い山々に囲まれている国で、標高は低いところでも1,400mを超えています。

実はこの国、アフリカを訪れる前から私の中では一番楽しみにしていた国でした。レソトは標高の高さと自然の美しさから、「天空の王国」と呼ばれています。「天空の王国」って!ラピュタじゃないですか!そんなこんなで、大学1年生の時からずーっとレソトに憧れを持っていました。

レソトには11日間ほど滞在し、4つの場所を訪れました。その中で私の1番のお気に入りがマレアレア、首都マセルから車で2時間ほどのところにある農村地域です。「Gate of Paradise(楽園への入り口)」と呼ばれる絶景ポイントを通ってマレアレア唯一の宿泊施設であるMalealea Lodgeに向かうと、ちょうどその日は政府の援助配給(政府から現金がもらえるとのこと)の日だったようで、ロッジの周りに住民の方がたくさん集まっていました。

マレアレアは数十の村で構成されており、私が実際に見たのはその中でもロッジ周辺の村のみになります。村には住民の家(バソトハットと呼ばれるレソトの伝統的な形の家や、その四角いバージョンが多かった。)、幼稚園・小学校、観光客向けのクラフトセンター、小さい商店(軽食、フルーツ、日用品など。品数は多くない。)が3つくらい、そして広い畑が一面に広がっています。私がマレアレアを訪れたのがちょうど春が来たタイミングだったので、あちこちで桃の花が咲いていてとても綺麗でした(図6,7,8)。

図6: バソトハットの家。写真はサニパスで撮影。 

図7: マレアレアの風景。畑がどこまでも広がっている。 

図8: 渓谷も美しい。前にいるのは牛の散歩をしている少年。 

私の考えるマレアレアの魅力は、その風景の美しさと人々の暖かさです。村一面に畑が広がり、牛やヤギがのんびり歩いていて、遠くには美しい山々が見えます。標高が高いからか空が広く近く見え、手が届きそうに感じました。私はマレアレアで特にやりたいことを考えていなかったので毎日村をぐるぐる散歩したり、ハイキングをしたりして過ごしました。道を歩いていると村の人たちが話しかけてくれて、幼稚園に入れてもらったり、放課後の小学校で子供達と塗り絵や折り紙をしたり、セソト(レソトの公用語)と日本語の言語交換をしたりと人との交流がとても楽しかったことを覚えています。あるときは畑の周りを歩いていたら小学校低学年くらいの男の子二人がニヤニヤしながらついてきて、初めは警戒しましたが次第に仲良くなり、村中を駆け回りながら一緒に遊びました。彼らは英語がほとんどできなかったのですが、遊びながらたくさんのセソトを教えてくれました(図9)。

図9: たくさん遊んでくれたボカンとタビサ。 

マレアレアは温かい人でいっぱいでした。皆優しくて村全体が平和でした。セソトを教えてくれたクラフトセンターのおじちゃん、家の前に座っていた耳が遠いけど笑顔が素敵なおばあちゃん、夕食用のスピナッチを見せてくれてこれから調理すると言っていたおばちゃん、一緒に遊んでくれた子供たち、牛の散歩中のおじさん、カゴを作っていたおばあちゃん、数年マレアレアに住んでいるけどセソトは喋れないイギリス人のおじさんと爆笑していたお店のおばちゃん、ハイキングしながらマレアレアについて教えてくれたサッカー選手のお兄さん、幼稚園の子供たちと優しい先生、いつもロッジの前に座っていたおじいさん、ロッジのお姉さんたちとボブとデイビット、庭に入れてくれてたくさん写真をとった同い年のセプレゾ、優しく迎えてくれたホームステイ先のメシャール、ポリニ、お父さんとお兄さんたち、思いやりがあって素敵な考え方を持っているクティ、私をマレアレアの大ファンにしてくれた可愛い先生ボカンとタビサ…。マレアレアは素敵な出会いに溢れていました。ぎゅうぎゅう詰めのバスに乗って村を離れるときには寂しさと感謝で心がいっぱいでした。

また、マレアレアではもうひとつ私にとって重要な出会いがありました。Malealea Development Trust(MDT)、ほとんどの方が聞いたことがないのではと思いますが、マレアレアをより良くするために現地の人々で構成された自助グループであり、高齢者、教育、孤児への支援など様々な領域で活動を行っています(注2)。

私がマレアレアを訪れたときは準備中だったパソコンルームも、最近オープンしたようです。資金こそ観光客からの寄付を頼りに活動を行っていますが、全て現地の人々のアイディアで自主的に良い方向へ変化を生み出しているMDTに魅力を感じ、今後はMDTとマレアレアについて研究していきたいと思っています。

興味を持ってくれることが嬉しい、と私に温かいメッセージをたくさん送ってくれたリーダーのコツォをはじめとするMTDの皆さん、またぜひお世話になりたいなと思います。

注2: もっと詳しく知りたい方は以下のHPをぜひ読んでみてください。URL: https://www.malealeadevelopmenttrust.org/about-the-trust

3. 考えたこと

ここからは旅の中で私が考えたことを綴ろうと思います。少し真面目な内容になりますが、興味を持っていただけたらぜひ読んでいただきたいです。

「世界はあまりにも不平等だ。」

これは、私が今回の旅を通して一番感じたことです。皆さんは「貧困」という言葉を聞いてどのようなイメージを持ちますか。食べるものがないとか、新しい服が買えないとか、家が狭くて暗いとか、そんなイメージでしょうか。

私は大学に入って様々な授業を受ける中で、貧困、貧しさについては何度も考える機会があったと思います。豊かさ、貧しさとは何か、お金があれば豊かでお金がないと貧しいのか、などなど。

その中で私が一貫して考えていたのは、お金や物が豊富にあることがすなわち豊かさだとは言い難いのではないか、今の資本主義の世界では物質的に豊かになることが良いとされているけれども、違うベクトルで考えたらそうではないと思う、だからこそ自分たちの暮らしに比べて「発展レベルが低い」と称されるような人々の生活に対して「かわいそうだ、先進国のようになるよう変えるべきだ」と考えるのは、あまりにも一方的ではないか、というようなことでした。

私は今回の旅を通して、「貧困」には私が考えるだけでも2つの意味があると気づきました。ひとつめは、物乞いやホームレスの人々など、住んでいる社会において一定の基準よりも遥かに低い水準で生活しており、生きることだけに精一杯にならざるを得ない状況にいる状態。そしてふたつめは、自らが属する社会において標準以上のレベル、もしくはそれに近いレベルで生活することができるが、他の社会と比較したときにその貧しさが露わになる状態です。ここでは後者について考えたことを綴っていこうと思います。

サブサハラ・アフリカの多くの国々は、一般的に開発途上の「貧しい」国だというイメージを持たれていると思います。実際に現地を訪れて、様々なものを見て経験しました。日本と生活レベルが変わらないと感じる場所ももちろんありましたが、インフラが脆弱であったり衛生環境が悪いと感じる場所も多くありました。しかしそのような場所は、それ自体では「貧しい」と思うものではなかった。

どんな社会にも共通して言えることは、そこに人が当たり前に暮らしているということです。電気がなくても水道がなくても道がボコボコでも、そこに人は暮らしています。電気がなくてもランタンを使えば部屋は明るくなるし、道路が整備されていなくて車が通れなくてもロバに乗って移動できます。

日本に暮らす私たちからしたら不便そうに思える生活環境でも、そこに住む人々にとっては普通で、その中で当たり前に生活ができる。このように考えると、彼らの生活は、「貧しい」もの、「可哀想」なものでは全くないと思います。衛生面や教育面など、口を突っ込みたくなるような点があるのは事実ですが、それでも彼らの生活は彼らなりのやり方で作り上げられており、それを哀れむことは、やはり良い気がしないと考えました。

一方で現代では、「自分の社会は自分の社会、他人の社会は他人の社会」と分けて考えることには限界がきていると考えます。スマートフォンの普及とともに、私たちは自分と遠く離れたところで暮らしている人々のライフスタイルをSNSで見ることができるようになりました。欧米や中国などのグローバルな資本がアフリカ大陸にも進出し、農村に住む人々も資本主義の渦の中に取り込まれました。

私たちは飛行機で世界中を飛び回れるようになり、自分と違う社会を実際に覗き込むことも、逆に覗き込まれることもできるようになりました。このような社会の中では、自分たちの社会の基準だけでなく、世界的な基準を目の当たりにすることになります。

記憶に残っている人の話があります。ボツワナで星空ツアーに参加した時、スタッフのおじさんたちと暇つぶしに話していたときに出た話題でした。

「もし海外旅行に行けるのならば、ニュージーランドに行きたい。行けないけどね。」

ボツワナは私が訪れた国の中では比較的裕福な国で、生活レベルも日本とそこまで大きく変わらないのではないかというのが私の印象です(日本の生活に染まった日本人でもボツワナに住むのはそこまで困難なことじゃないと思う)。そのとき一緒に話していたおじさんはツアーガイドさんで、30か40代くらいで家族もいるし家も車も定職もある、さらに英語も話せる(ボツワナは英語話せる人少なかったので、おそらくそこそこ勉強ができる環境にいたと予想)、ボツワナの中では、決して貧しくない生活をされていると思います。

もし日本だったら、30代で英語がペラペラで定職があり家族もいる人なら、海外旅行に行ける人が多いのではと思います。そうでなくても日本では私のように数年アルバイトでお金を貯めただけで、簡単に飛行機に乗って数ヶ月旅行することができる。海外旅行だけじゃない。iPhoneの最新機種だって、持っていても全然珍しくないですよね。でもボツワナに住んている人々にとって、海外旅行やiPhone最新機種なんて、ほんとにほんとに一部の裕福な人が、手に入れられるもの、ほとんどの人にとっては夢のまた夢です。

これって、おかしいと思いませんか。環境は違えど、同じように生まれ同じように学校に通い、同じように一生懸命お金を稼いで生きているのに、得られるものには大きな差がある。日本人の私が努力しなくてもなんとなくできることが、ボツワナの人にとっては本当に本当に頑張らないとできない、頑張ったって届かないようなところにある。

日本とボツワナが全く違う次元にあって、お互いがお互いのことを知り得ない状態なら、まだ良いかもしれません。でも今はもうそんな時代じゃない。「うらやましい。ずるい。」今の自分の生活に大きな不満があるわけではなくても、自分に選択肢すら用意されていないとき、そのように感じるのではないかと思います。

ボツワナを例に書きましたが、このことは他の国々にも当てはまると思います。私がアフリカで出会った人々は、例外はもちろんあれど、決して「貧しい」生活をしているわけではない。彼らなりの生活スタイルがあり、歴史がある。一方で世界の中で彼らを捉えると、彼らは「貧し」くなります。

でもそれは、彼ら自身が貧しいことを意味するのではなく、彼らの社会が貧しいということを意味すると思います。私はまだ22歳の半人前だけどあなたよりもたくさんお金を持っている、iPhoneも持っているし飛行機に乗れる金もある、でも別に努力したわけでも富豪の家に生まれたからでもなくて、ただ日本に生まれたから。

私が出会った人たちは優しくて面白くて、仕事も毎日頑張っていて、普通の生活を送ることができる、でも一生海外に行けることはないかもしれない、生まれた国がたまたま、「貧しい」国だったから。どうにかしたい、どうにかするべき、おかしいと思う、でも自分の力で今の社会のシステムを変えることはできない。おかしさに気づきながらもどうすることもできない自分の無力感をひしひしと感じました。

4. 最後に

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。かなり長く書きましたが、旅の内容に関しても私が考えたことについても、今回エッセイにできたのはほんの一部で、まだまだ皆さんに共有したい話がたくさんあります。

このようなエッセイを書くのは初めてなのですが、自分が伝えたいことを文字にするのはとても難しかったです。書きながら何度もつまずき、書き終えた今も果たしてこれでよかったのか不安で仕方がありませんが、このエッセイが少しでも皆様にとってポジティブな意味を持つことができたら、とても嬉しいなと思います。アフリカ旅、本当に本当に楽しかったです!!

最終更新:2023年1月25日