ザンビア留学体験記2023


by 宮川光

西南ヨーロッパ地域専攻、2021年度入学

なぜザンビアに?

私は2023年7月から11月までの4カ月間、交換留学生としてザンビアの首都ルサカで暮らしました。長期留学経験が無かった私は、特定の国に行きたいという気持ちよりも、とりあえず海外で長期間暮らしてみたいという思いが強く、派遣留学が可能な海外協定校のリストを見ながら行き先を吟味していました。

そんな中でザンビア 大学を留学先に選んだ理由 は、自分たちが暮らしている日本と同じ先進国である欧米諸国に留学をするよりも、自分にとって未知の場所であったアフリカで暮らすことで新たな発見があるのではないかと考えたからです。しかし、アフリカに留学することに対する不安もあり、親にも当初は反対されていました。

そのためアフリカにある協定校の中から、先輩や先生方から比較的治安が良いと聞いていたザンビア大学を選択しました。また、大学卒業後の進路について悩んでいたことから、今回のザンビア留学を通して自分の将来の指針となる何かを得たいとも考えていました。


最悪のスタート

ルサカにあるザンビア大学の大学寮に到着し、まず待ち受けていたのは5日間の体調不良でした。同じくザンビア大学に留学をしていた先輩 にキャンパスを案内してもらった次の日から、私と、外大から一緒に留学に来ていた男の子の体調が悪くなり、それから5日間ほどベッドとトイレの往復生活を送っていました。

人生で1,2を争う体調の悪さで、学校にも通えず帰国してしまうのではないかということも頭をよぎりました。日本から持参した薬を服用しなんとか回復したのですが、その後の身体測定では体重が大幅に減っていました。

留学開始直後にこんなことになってしまい、これから大丈夫なのだろうかと不安になっていましたが、話を聞いていると、ザンビアに来てすぐに謎の体調不良を起こす日本人は少なくないようで少し安心しました。実際その後は大きく体調を崩すこともなく、病院のお世話になることもありませんでした。

ただ、私たちが生活していた寮で心身ともに健康を維持するのは至難の業でした。真っ白に塗られた牢屋のような部屋には全くと言っていいほど風が通らず、昼はサウナのような暑さでした(写真1)。

写真1: 外大生二人のシェアルーム

僕が滞在した7月~11月のルサカは夜になると肌寒くなるほどに気温が下がるのですが、室内は風通しのなさ故に蒸し暑かったため、外に出て本を読んだり、他のザンビア人の住人と立ち話をしたりすることが多かったです。

また、その高い室温につられてやってくる無数の蚊にも毎日悩まされました。『もしかしたら使うかもしれない』と思い持ってきていた電流で蚊を殺すラケットが大活躍し、毎日何十匹単位で退治していました。

寝ようとすると蚊帳の間を通って顔や足に近づいてくるため、なかなか寝付けない夜も多々ありました。帰国後に居ないはずの蚊の羽音が聞こえてきた  ときは自分でも驚きましたが、それほど悩まされていたのだと改めて実感しました。

他にも、あの部屋では数えきれないほどの大小のトラブルがあったため、ザンビアにはもう一度行きたいですが、あの部屋には二度と行きたくないと心から思います。


ザンビア留学中の1週間ルーティン

ここでは、私のザンビアでの1週間のスケジュールについて記録してみようと思います。私はザンビア大学で無形文化遺産について学ぶコースを履修していましたが、とてもマイナーなコースであったため授業は基本的に少人数のディスカッション形式で行われました。

少人数のため、授業時間も先生と生徒が空いている時間を相談して決めるというフレキシブルなやり方でした。また無形文化遺産の授業に加えて、南部アフリカ地域の伝統宗教や呪術に関する授業も履修し、合計で週に8コマの授業を受講 していました。ただ授業がキャンセルされることも多く、週に1度以上は必ず何かの授業がキャンセルされていた印象があります。以下が私の1週間の授業スケジュールになります(表)。

表:ザンビア大学での1週間の時間割*

*科目名の説明: RES: Indigenous Religions in South Africa;  ICH1100: Intangible Cultural Heritage 入門; ICH2100: Intangible Cultural Heritage Safeguarding (ICHの保護に関する授業); ICH2200: Intangible Cultural Heritage and Environmental Studies

月曜日は昼に1つ授業を受講するのみで、午後はAlliance Française という学外の施設 でフランス語の授業を受講していました(写真2)。家から車で20分ほどの所にあるNPO団体が運営している施設で、フランス語の映画上映やフランス語学習コース、フランスに関するイベント等が提供されています。

フランス語を専攻しておりザンビア留学終了後にフランスでの留学を控えていたことから、私はAlliance Franç aiseで週2回1回2時間のフランス語の授業を受講していました。講師はフランス人も少しいましたがザンビア人が多く、授業レベルはA1~C2まで網羅されており、授業内容もかなりしっかりしとしていました。

毎週大学の授業をこなすだけでは少し物足りないと感じていたので、フランス語を学べて尚且つ学外でのコミュニティを広げることができてとても満足しています。

写真2: Allicance Françaiseの建物

火曜日と水曜日は大学での授業は無く、適当に過ごす日が多かったです。ただ、友達 とサッカーをしたり同じ寮に住んでいる方に色々な場所に連れて行ってもらったりと、なるべく外に出るようにはしていました。水曜日にはAlliance Francaiseでの授業もあり、大学の授業がある期間がほぼ毎日外出していたように思います。

木曜日は昼から夕方まで3コマの授業があり、さらに夜には日本語授業の講師のボランティアを行っていました。ザンビア大学にある北海道大学アフリカルサカオフィスの皆様が、青年海外協力隊から引き継いで行っていた日本語授業プロジェクトに参加し、日本語を学習したい方々 に向けて英語での授業を行いました。生徒は学生から社会人まで幅広く、オンライン授業では国外からの生徒もいました。英語で日本語を教えることには苦戦しましたが、とても良い経験が出来たと思います。

金曜日も同じように授業後に日本語授業のボランティアというスケジュールでしたが、金曜日の夜に在ザンビア日本人の方々と参加するサッカーの試合を毎週とても楽しみにしていました(写真3)。大きなフィールドでザンビア人のチームと毎週試合を行うのですが、高校での部活以来真剣にスポーツをする機会が無かった自分にとってはとても楽しかったです。

写真3: 邦人サッカーの様子

以上のように、私のザンビアでの生活は基本的に授業、Alliance Francaiseでのフランス語学習、日本語授業ボランティア、そしてサッカーで形成されていました。特にサッカーに関しては週に4日サッカーをする週もあり、ザンビア生活を通して英語とサッカーが同じくらい上達したのではないかと思うほど熱中していました。


ザンビア生活の楽しみ方

ザンビア到着直後は体調を崩したこともあり、1カ月間ほどは大学と近くの大型モールと家を行き来するだけの生活をしていました。モールで食事をすることも多かったのですが、モールでの食事は日本のレストランと同じくらいの値段がします。

モールで食事をしているのは外国人が多く、このままではただの観光客で終わってしまうと思っていた頃に、同じ寮に住んでいたザンビア人の友達が連れて行ってくれたのが、寮から徒歩10分ほどにあるKALUNDU地域の飲み屋です(写真4)。

写真4: KALUNDUのバーの様子

友達の行きつけらしく、知り合いの連れということで店主やお客さんが良くしてくださり、とても楽しく印象に残っています。日本人だけで夜に行くのはとても無理があるような場所だったので、友達がローカルな、ザンビア人の夜の楽しみ方を見せてくれたことにとても感謝しています。

KALUNDU地域はその後も何度も飲みに行きましたし、友達は他のローカルスポットにも沢山連れて行ってくれました。家でシマの作り方を教えてくれたり、帰りも空港まで送って行くよと行ってくれたり(彼の車が故障して叶わずでした)、本当にお世話になりました。また、日本語授業の生徒がインドのディワリを家でやるからと誘ってくれたり、たまたま寮で知り合った方とお酒を飲んだりと、色々な体験が出来ました。

終わりに

2023年11月上旬に帰国しザンビア留学を終え、振り返ってみると大変なことやストレスフルなことは無数にありましたが、ザンビアに行って良かったと心から思っています 。1つ少し後悔していることは、何か出来れば良いなと思っていたフィールドワークが出来なかったことです。

留学前はザンビアでの野菜の路上販売に興味があり、実際に現地でも路上販売を多く利用しました。野菜や果物を少しだけ買いたいときにとても便利で、フリッターというサーターアンダギーのようなお菓子もとても美味しかったのですが、調査をするとなるとなかなか腰を上げることができませんでした。

また、現地に行ってみてザンビアのミニバス文化も面白いなと感じました。無数に走っている乗合バスであるミニバスは個人が運営しているものだと勝手に思っていたのですが、後から聞くとミニバスを管理している大元がおり、以前全てのミニバスの値段が一斉に上がったこともあったそうです。ただこれに関しても、ミニバスの拠点に一度行ったときは人と車がごった返しており、とても調査をするような余裕はなかったです。

フィールドワークが出来なかったことは少し後悔ですが、日本とは全く異なる環境下で暮らせたことは、トラブルなども含め自分を成長させてくれたと感じますし、何より自分と関わってくれたザンビア人の明るさや優しさに本当に助けられました。今回の留学を通してアフリカの良さを実感したので、必ずまた訪れたいと思っています。

最終更新:2024年4月17日