アフリカ5カ国滞在記

―ボランティアと旅の7カ月間―


川瀬康太朗(アフリカ地域専攻、2014年入学)

こんにちは!東京外国語大学国際社会学部アフリカ地域専攻4年の川瀬康太朗と申します。私は2017年4月から12月の約7カ月間に渡って、ウガンダの私立学校(幼稚園と小学校が併設)で教師のボランティアを務めました。また小学校の夏休みにはアフリカ4カ国を1カ月かけて旅しました。そこでこの滞在記ではこの2つの体験について書いていこうと思います(^^)

[目次]

1.ウガンダ編

ⅰ.活動先にウガンダを選んだ理由

ⅱ.現地での生活

ⅲ.小学校での活動

ⅳ.その他(食事・観光)

2.旅編

ⅰ.ザンジバル

ⅱ.エチオピア

ⅲ.南アフリカ

ⅳ.ルワンダ

3.結び

1.ウガンダ編

図1: ウガンダの位置を黒丸で囲んだ。

(出典:『世界の国々』http://atlas.cdx.jp/nations/africa/africa.htm、2018年11月13日閲覧)

図2:活動先であるワキソ県ナンサナの位置を赤点で示す。

(出典:“Political Map of Uganda,” https://www.nationsonline.org/oneworld/map/uganda-map.htm, 2018年11月13日閲覧)

ⅰ.活動先にウガンダを選んだ理由

日本でアフリカについて学び、実際に現地で空気を感じ現地の人々と関わりたかったからです。また英語力を向上させたいと思っており英語圏アフリカを希望し、初めてのアフリカへの渡航だったため英語圏アフリカの中でも治安が良いウガンダを選びました。

ⅱ.現地での生活

私は首都カンパラから乗合バスで30分程の距離にあるナンサナという都市に住み(図3)、家から徒歩5分で行ける小学校で教師のボランティアを務めていました。ウガンダに来て最初に持った印象は「思った以上に涼しい」というものです。実は国土の大半が1200m以上の高地にあり、年平均気温が23℃なのです。「暑いだろう」という先入観を持っていたためとても驚きました。

また現地ではかなり英語が通じます。しかし現地語(ルガンダ語)で話すととても喜ばれることに私は気づきました。値切りも現地語のほうがうまくいくのです(笑)そこで首都カンパラの本屋でルガンダ語の辞書を買い、インターネットでルガンダ語フレーズ集を見つけ出し、ウガンダ人の知り合いに習い、ルガンダ語を勉強しました。教育を受けられなかった人の中には英語を理解することができない人もいるため、そのような場合でも現地語であれば会話ができます。「現地語を学ぶ」ことの大切さを実感しました。

図3:家の周辺。真ん中に写っているのは乗合バスです。

家はボランティア団体が管理するゲストハウスで、欧州やアジア等様々な国のボランティア10数名と共同生活をしていました。一番多かったのがドイツのボランティアで、他にはフィンランド・フランス・イタリア・オランダ・台湾等のボランティアがいました。学校以外にも孤児院や病院等様々なプログラムがあり、各々このゲストハウスからそれぞれの活動先まで通っていました。

断水が続いて洗濯ができなくなったり、停電のためにスマホで照らしながら調理をしたり、テーブルに蝋燭を立てて夕食を食べたりと、日本ではなかなかしないような経験の連続でした。その中でも特に強烈だったのはマラリアを患ったことです。家のすぐそばにクリニックがあり2日で完全に回復したのですが、発症時は高熱とだるさでとても辛かったです(泣)就寝時に蚊帳をちゃんと掛けなかったことが原因と思われるので、皆様がウガンダに滞在するときには蚊帳を毎晩しっかり掛けて寝てください(笑)。

ⅲ.小学校での活動

Step By Step Primary Schoolという私立学校(図4,5)で、年少さんから小学校5年生までの計8クラスで授業を担当しました。

図4:写真の2階建ての校舎では小学校3年生から7年生までが学び、併設された平屋の校舎では年少さんから小学校2年生までが学びます。

図5:平屋の校舎。左から年長さん・小学校1年生・小学校2年生の教室。トタン屋根のため、大雨が降ると音がうるさくて授業になりません。

この学校では13名の先生が働いており、各学年に1名担任の先生が就いています。全校生徒数は合計約200名で、学年別の人数はクラスによって10数名~40名弱と幅広いです。因みにウガンダの小学校は1年生から7年生まであります。授業(図6)は基本的に英語で行われ、休み時間も含めて生徒たちは学校で英語以外の言語(現地語等)を話すことを禁止されています。年長さんにもなると多くの生徒が英語を聞いて理解し話すことができるので驚きです。授業のスタイルは担任の先生が授業で板書をし、それをノートに写すというもの。金銭的な問題で生徒が教科書を持っていないため、授業に占める「写す」時間が多いです。また図6で見られるように、日本と違って1つの机に生徒3名もしくは4名(4名にもなるとぎゅうぎゅう)で座ります。

ウガンダの教育制度における大きな問題の1つに授業料の未納が挙げられますが、それはこの学校でも見られました。時々月曜日の全校集会で授業料未納の生徒が点呼され、その場で授業料を支払えない場合は強制帰宅を命じられます。帰っていくその寂しげな後ろ姿は今でも思い出されて悲しくなります。

図6:年長さんクラスの様子。

この学校には水道が通っておらず、雨水を貯める大きな貯水タンク(図7)が設置されています。また井戸水を小さいタンクに貯めています(図8-9)。これらの水は調理のほか、食器洗いや洗濯に利用されます。日本のように蛇口を捻れば飲み水が出てくる状況ではなく、かつタンクの水は雨水もしくは井戸水でありそのまま飲むことはできないため、子どもたちはいつも喉を乾かしています。また水が切れて手洗いも満足にできないことも多いです。

図7:雨水を貯める貯水タンク(手前)。

図8:井戸でタンクに水を汲む教師。

図9:生徒が井戸水の入ったタンクを運びます。

この学校では給食が提供されます。学校にキッチン(図10)が設置されていて、朝から調理担当の方がポショ(白トウモロコシの粉をお湯で練ったもの)(図11)と、豆のスープ(図12)を作ります。他の学校や孤児院等でもこの組み合わせはよく見られます。ほとんど毎日この2つが給食のメニューで、生徒たちの中には「ポショはもう嫌だから今日は給食いらない。」と言う生徒もいました。またスープは塩味で、時々ナスやニンジンなどの野菜も入っていますが、基本的には豆だけのことが多いです。つまり野菜が不足しているのです。ウガンダ人の先生に話を聞いてみると、栄養よりも腹を満たすことに主眼が置かれているようでした。

図10:キッチン。左に見えるのが井戸から汲んできた水の入ったタンク。

図11:ポショ。

図12:手前の赤いスープが豆のスープ。

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コラム:~ウガンダの教育制度~

ウガンダの教育制度は日本のそれと少し異なります。詳しくは下記を参照してください。

①就学前教育(日本でいう幼稚園・保育園):3年間(2,3歳~5歳)

②初等教育:7年間(6歳~)

③前期中等教育:4年間

④後期中等教育:2年間

学力などの理由で留年する生徒も多く、学年と年齢が一致していない場合がよくあります。なおそれぞれの教育段階を卒業するにあたっては、全員国家試験を受けなければなりません。また他にも進学先として、大学や教員養成学校、技術専門学校などがあります。

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ⅳ.その他

~食事~

「ウガンダ料理はおいしくない」という噂を渡航前に聞いていたのですが、実際は日本でも馴染みのある食材が多く利用されていて、味付けもくせがなく、どれもとてもおいしかったです。(ポショは慣れるのに少し時間がかかりましたが。) 例えば市場ではトマト・ナス・タマネギ・ジャガイモ・サツマイモ・ピーマン・オクラ・パイナップル・マンゴー等が安価で手に入り(例えばパイナップルは1つ約60円)、ローカルレストランではライス・スパゲティ・調理用バナナ(イモのような食感・味)等が供されます。ウガンダ流ではスパゲティを結構長く茹でるようで、ローカルレストランで食べるスパゲティはそうめんの食感に近いです。そのせいか提供まで1時間以上待つこともあります...(笑)

ここではその食事をいくつか紹介します。


図13: ポショにビーンズソースをかけたもの。学校の給食ではこれほど野菜が入っておらず、豆だけの薄いスープがかかっている場合がほとんどです。

図14: カトゴ。キャッサバを主材料とする煮込み料理で、他には豆などが入っています。とろっとしていておいしい!給食でごく稀に出てきます。

図15:ジャガイモ・マトケ(調理用バナナを蒸して潰したもの[皿の右上] )・ピラウ(肉の炊き込みご飯)・ナカチ(緑色の野菜)。これで4000シリング程(約130円)だったと記憶。安くて美味しい!

図16:調理用バナナ。黄色くて甘いバナナのように手でするっと皮は剥けず、包丁で皮を剥きます。

図17:ピラウとギーナッツソース(赤茶色のソース)とキャッサバ(左)とサツマイモ(右)。ギーナッツソースはナッツのコクのある、若干甘いソースです。

図18:スーパーマーケットではこのようなおいしそうなケーキやドーナツなども売られています!

図19:ソーダ(コーラ・ファンタ・クレスト等)はウガンダでも人気です。

~観光~

ゴリラトレッキング

ナンサナから車で約10時間、ウガンダ西部コンゴ民主共和国国境近くのブウィンディ原生国立公園(図20)でゴリラトレッキングに挑戦しました。

図20:赤丸がブウィンディ原生国立公園

(出典:“Daltons in AFRICA -- UGANDA.”, http://www.bhs1986.com/africa/html/where_uganda.htm, 2018年11月13日閲覧)

ロッジ(図21)に1泊して翌朝7時に国立公園へ移動し、まずトレッキングツアーにおける注意点(トイレのルール・リタイアした場合の対応等)についてツアーガイドから説明を受けました。絶滅危惧種に指定されているマウンテンゴリラの半数(約360頭)がこの山に生息しており、彼らの保全のため細かいルールがあるようです。それからほぼジャングルの山道(図22)を2時間強ひたすら登り続けました。木の根っこや岩、ぬかるみで足元が安定せず、急な斜面も多く、植物をかきわけながら進むような形であるため、大変疲れましたが、最終的にゴリラに出会うことができて疲れが吹っ飛びました!(図23-24)ゴリラは人間馴れしているようで、我々観光客が現れても平然と食事をしたり、遊んだりしていました。

図21:ロッジ周辺には野生のカメレオンが生息していました。

図22:道なき道をひたすら進む。

図23:想定以上の距離感。

図24:10頭ほどのゴリラの群れ。

赤道

カンパラからバスで1時間ほど。赤道の真上に立ちました!(図25)ウガンダの観光名所の1つです。北半球と南半球では渦巻きが逆で、それでは緯度0度の赤道上ではどうなるのか、という実験がここではできます!私も実際に実験してみました。実験結果は秘密にしておきます(笑) ここは観光名所ということもあって観光客が多かったです。ところがカンパラからの他の都市への中間地点であり、カンパラからは始発で乗れても帰りがそうでないため、帰りに空席のあるバスに出会えなくて大変でした...(笑)

図25:赤道の真上にて。

他にもナイル川ラフティング・サファリ・ビクトリア湖観光等をしました。このようにウガンダは観光名所がたくさんあります。また比較的治安が良い(もちろん危機管理意識は必要)ため、安全に観光できると感じました。

2.旅編

8月から9月中旬まで活動先の小学校が夏休みに入り、せっかくアフリカ大陸にいるのだから他のアフリカの国も実際に見てみたいと思い、1カ月のアフリカ4カ国の旅を決行しました。ケープタウンとルワンダに大学の友だちがいたこと、ザンジバルで美しい海に癒されたかったこと、エチオピアの独特な文化を見たかったこと等が、それぞれの国を選んだ理由です。またエチオピア航空で空路を全て繋げることができ、交通費を抑えることができたことも理由の1つです。

旅の行程(図26 参照):ウガンダ→タンザニア(ザンジバル)→エチオピア(アディスアベバ・ラリベラ)→南アフリカ(ケープタウン)→ウガンダ→ルワンダ(キガリ・フイエ)→ウガンダ

補足:ウガンダ→タンザニア→エチオピア→南アフリカ→ウガンダは空路、ウガンダ・ルワンダ間は陸路(バス)で移動しました。

図26:旅の経路を地図に書き込んだ。

(出典:『世界の国々』URL: http://atlas.cdx.jp/nations/africa/africa.htm, 2018年11月13日閲覧)

ⅰ.ザンジバル

イスラム教の人々が多く、町は穏やかで治安がとてもよかったです。周りを美しい海で囲まれた島で、ナイトマーケット(図27)では様々な魚介類の串焼きを初め、チャパティ・サモサ・焼き鳥・サトウキビジュース等、たくさんの種類の料理がとても安価で売られていました。その上どれもおいしい。また朝には魚市場が開かれ、マグロやタコ等たくさんの魚介類が売られており、活気に満ちていました(図28)。

図27:ナイトマーケット。

図28:朝の魚市場。

そして何よりも印象に残ったのは美しい街並み(図29)と心が洗われるほど綺麗な海(図30)です。海ではシュノーケリングに初挑戦し、サンゴ礁で様々な魚を見ることができました。夕方には地元の子どもたちが浜辺で海水浴をして遊んでおり、その姿がとても楽しそうで印象的でした(図31)。

図29:洗練された美しい街並み。

図30:透明度の高い美しい海。

図31:夕方にビーチで遊ぶ地元の子どもたち。

ⅱ.エチオピア

アディスアベバ中心部は都市化がとても進んでおり、道路がしっかり整備されて車の交通量も多く、まさに「大都市!」という印象を受けました(図32)。特に驚いたことは、点字ブロックが設置されていたことです。さらに中国の出資でトラム(路面電車)が敷かれており、車内はいつも混雑していました(図33)。運賃が激安で、20分程乗っても8円という日本では考えられない安さでした。

また印象的だったことが、靴磨きでお金を稼ぐ人がよく見られることです。彼らは靴磨き用具と小さい椅子を常に持ち歩いており、1回数十円で靴をピカピカに磨いてくれます。私も靴磨きをお願いしたのですが、ウガンダで泥だらけになっていた靴が見事にピカピカになり、とても感動しました。

加えて食文化が豊かで、エチオピア独特の料理(図34)やおいしいコーヒーに加えて、イタリアからの侵攻で根付いたイタリアの食(図35)も見られます。

図32:アディスアベバ中心部の街並み。

図33:トラム。

図34:エチオピアの名物、インジェラ(クレープのようなもので、生地を発酵させてから焼いており酸味がある)とワット(シチュー)。

図35:スパゲティとパン。

ラリベラは岩窟教会(図36)で有名な都市です。アディスアベバと異なり高いビルはなく、人は多いですが街の雰囲気は静かな印象を受けました。毎週決まった日に大規模な市場(図37)が開かれており、家畜や野菜の他、特産品のハチミツ(図38)や香辛料、布等、様々なものが売られています。岩窟教会周辺では地元のガイドが観光客に「俺がガイドしてやるよ。」とたくさん声をかけており、私自身もしつこいほど声をかけられて圧倒されました(笑)。

図36:岩窟教会。上には雨による劣化を防ぐためのシェルターがかかっています。

図37:ラリベラのマーケット。

図38:ハチミツ。強烈な見た目にびっくり(笑)。

ⅲ.南アフリカ

ケープタウンは「ここはアメリカ?ヨーロッパ?」と思ってしまうほど発展した場所で、ウガンダやその他それまで訪れてきたザンジバル・エチオピアとの歴然たる違いに目を見張りました。(写真39)。ウガンダ人の友人も「南アフリカはアフリカではない。」と冗談交じりに言っていました。しかし一方で道端に座って貧しい身なりで座り込んでいる人もいて、格差の大きさを目の当たりにしました。

写真39:ケープタウンのショッピングモール、「ウォーター・フロント」。

ⅳ.ルワンダ

ウガンダから長距離バスで国境を超えて訪れました。500km以上の距離を9時間かけて移動する、しかも初めての陸路での国境越えでドキドキしましたが、特に大きな問題なく無事にルワンダの首都キガリに到着することができました。

食事はウガンダのそれと共通しているものもありましたが、タンの串焼きやホルモン煮込み(図40)、メランジェというライスやイモやおかずのビュッフェ等、ルワンダならではの食事もあり、隣国同士でも違いがあって面白いと思いました。特に驚いたのが「アガトゴ」というホルモン煮込み。朝から食べるというのだから驚き。私も食べてみましたが、意外と朝からペロリと食べられました。

また他にもウガンダと似ているようで違うところがあり、それはバイクタクシーの乗り方でした。ウガンダでは運転手に加えて2人乗りすることがままあるのですが、ルワンダではそれが禁じられています。またヘルメットの着用もウガンダと違って義務付けられており、安全性に対する意識の違いを感じました (図41)

キガリでは虐殺記念館、フイエではプロテスタント人文社会科学大学(PIASS)や地元の小学校を訪れました。両都市とも約20年前に大虐殺があったとは思えないほど落ち着いた空気があり、治安も良いように見えました。今後も平和な国であり続けてほしいと強く思います。

図40:ホルモンの煮込み(通称アガトゴ)。

図41:ヘルメット着用が義務。

3.結び

ここまで読んでいただきありがとうございました。

私がウガンダでの長期滞在、またアフリカ4カ国への旅を経験して感じたことは、アフリカへの初めての旅は難易度が高いということです(笑)これは治安の問題ではなく、バスの乗り方等ローカルルールが難しいからです。実際私はタンザニアやエチオピアでは乗合バスを見つけられても乗り方が分からず、右往左往しました。逆に言えば、ツアーであれば問題ありません。現地に知り合いがいる場合でも問題ありません。つまり案内してくれる人がいればアフリカは「怖いところ」ではないです。もしくは長期滞在すれば、ローカルルールに自然に順応していきます。もちろん外務省の安全情報等で治安が明らかに悪いことがわかる場合はツアーであっても渡航は避けるべきです。

とにかく言いたいことは「アフリカ=危険」という認識を持たないでほしいということです。日本でも危険なところがあるように、アフリカにも危険なところ・そうでないところがあるのです。「アフリカ」と聞くだけで懸念してしまうのはもったいないです。

またもし今後アフリカに行くことを検討している人は、現地語で挨拶できるようにしておくと楽しいと思います。先述したように、現地語は現地の方々に喜ばれることが多いです。あと予防接種はしっかり打ってくださいね。

最終更新:2018年11月28日