【自由発表】
張培華「『源氏物語』「帚木」意象考」
『源氏物語』の帚木巻については従来多くの論考がある。しかし、古代中国美学の一環である古典意象論の視点からの考察は、現時点では未だ見られないように思われる。古典意象論とは、人間の心意と物象とを融合させる方法論であり、その視座から「帚木」を新たに照射する可能性があると考えられる。
物語では、十二歳の光源氏が密かに藤壺を慕った後、数年を経て、夏の雨の夜に宮中の宿直所で親友の頭中将とともに女性の手紙を観賞する場面が描かれる。さらに左馬頭や藤式部丞も加わり、当代一流の若い貴族たちが女性論を展開していく。例えば、頭中将は女性を上・中・下に区分して論じるが、光源氏は自らの愛する人をその枠外の特別な存在と感じ取っている。こうした議論の中から、彼らの経験を反映した多様な女性像が現れてくるのである。その後、暑さの続く翌日、光源氏は思いがけず空蟬と出会い、一夜を契ることになる。
このように帚木巻は、男性貴族たちの女性論と光源氏の直接的な経験とを織り交ぜて構成されている。しかし、これらの内容はどのように巻名「帚木」と結びついているのか。「帚木」とは果たして実在の木を指すのか、それとも別の意象を内包するものなのか。その意味をどのように理解すべきであろうか。本発表では、古代中国美学の理論である古典意象論を手がかりとして、「帚木」の意象を新たに考察したい。
【テーマ発表】
内田裕太「〈空白〉の埋めかた―川端康成「たまゆら」の位相」
昭和二二年一〇月、『社会』に発表され、昭和二四年十二月に同名の単行本に収められた随筆「哀愁」にある、「敗戦後の私は日本古来の悲しみのなかに帰つてゆくばかりである。私は戦後の世相なるもの、風俗なるものを信じない。現実なるものもあるひは信じない。」という一節は、「私はもう死んだ者として、あはれな日本の美しさのほかのことは、これから一行も書かうとは思はない。」(「島木健作追悼」、『新潮』一九四五・十一月号)、「僕は日本の山河を魂として君の後を生きてゆく。」(「横光利一弔辞」、『人間』一九四八・二月号)という追悼文における緒言とともに、川端康成の戦後文学を象る〈古典回帰〉、あるいは〈日本回帰〉宣言として受け取られてきた。戦前の作品群も無論、日本の古典文学や伝統文化と無縁ではないものの、川端自身のこうしたマニフェストは、戦前からの連続性を意図的に切断し、自身の「戦後文学」を切り拓いていこうとする姿勢を表していると言えるだろう。その試みとして、膨大な古典作品からの引用が見られる「反橋」(一九四八)、「しぐれ」(一九四九)、「住吉」(一九四九)という、いわゆる〈反橋連作〉を皮切りに、茶の湯(「千羽鶴」、一九四九~一九五一)、能(「山の音」、一九四九~一九五四)を主要なモチーフとして取りこんだ、戦後の代表的な長篇が書き継がれていく。そして、そのような系譜に連なるものに「たまゆら」(『別冊文藝春秋』一九五一・五月号)という短篇がある。
本発表では、「たまゆら」を俎上に、戦後川端文学における古典文学、ならびに伝統文化の特質の一端を明らかにしてみたいと考えている。具体的には、作中における「勾玉」や「和歌」等の引用の方法に着目しつつ、読者である私たちが作品を読むにあたり、作者との共同性により、どのような世界が立ち現われてくるのかについて検討したい。
【テーマシンポジウム】テクストにとって「読む」とはなにか―実証主義・歴史主義・作家主義に抗して―
「シンポジウム趣意文」
近年の日本の文学研究は、実証主義的な作品へアプローチや作家論、作品論へ、あるいは諸本論へと回帰する傾向を見せている。その一方、カルチュラル・スタディーズ以後、「歴史化せよ」(フレデリック・ジェームソン)という要請のもと、同時代的文脈への過剰な接続がなされてきた。テクストの同時代での意味作用を重視するあまり、〈読むこと〉の創造的可能性を抑圧してきたのではないか。あるいは、安直な実証による「歴史化」や、作家中心の作品論をカルチュラル・スタディーズ的読解と誤認してきたのではないか。そこに〈読むこと〉の批評性は果たしてあっただろうか。
本シンポジウムでは、「テクストを読むとは何か」という根源的な問いを起点に、旧来のしかし最近の多数である実証主義・歴史主義・作家主義といった枠組みを超えて、テクスト分析のアクチュアリティを再考する。ここでいうアクチュアリティとは、現代の文脈においてテクストが立ち上げる意味作用であると同時に、テクストが本来的に孕む潜在的な力の顕在化でもある。テクストを読むことが現代においていかなる意義・意味・効果を持つかを考えながら、実際の精緻なテクスト分析を行うことで、今一度〈読むこと〉の意味を問い直し、テクスト分析の重要性を文学研究の枠組みのなかに再配置してみたい。
併せて、古典文学テクストを〈今―ここ〉で読むことの意義・意味についても問い直してみたい。古典文学が現代において新たな思考の場となりうる可能性を、多角的に探る機会になればと考えている。
報告1:高木信「〈朝顔〉の悲劇/亡霊たちの〈憂鬱〉」
古典を〈読む〉ことにいかような〈力〉が秘められているのか。その〈潜勢力〉をいかの現在に噴出させうるのか。このふたつの課題に取り組むためのレッスンとして本発表はある。同時代の、あるいは〝常識〟化した読みを相対化し、突き崩しながら、その読みの背後にあるイデオロギーを炙り出し、失効させる。そのような〈読み〉が必要であるとした上で、である。
1990年代、文学研究はテクスト論からカルチュラルスタディーズへとその方法論は移行した(日本風テクスト論やカルチュラルスタディーズへの批判はいくつかの論文で書いてきた)。カルチュラルスタディーズは、イデオロギー批評を主とするはずであったが、その主たる批判は「国民国家」へと向かうだけであった。読者(享受者)が、テクストの生成や享受において重要であるという認識の元での批評がなされていたが、ヤコブソンのコミュニケーション図式に則った、コンテクストの発生、コンテクストの呪縛のもとでの、同時代の一義的な意味生成を記述するものでしかなかったのではないか。
不要と言っているのではない。そこで終わる文学研究だけではだめだと言いたいのだ。脱コード化する読者として、語る主体がコード化しようとする一義的意味に対して抵抗する。それにより一義的と思われていたコンテクスストも複数化されるはずである。再コンテクスト化あるいは脱コンテクスト化とでも呼べばいいのだろうか。
このような脱コード化をなす読者について、実体的な研究も(・)必要であろう。実際には、読者研究としては、こちらが主流となっている感がある。「内包された読者」と同様に、テクスト内部に脱コード化をなす読者が内包されていないテクストなどありえるのであろうか? 本発表は、「内包された脱コード化をなす読者」の可能性を、すなわち語る主体がコード化しようとする読み方に抵抗する読者の可能性も探ってみたい。それはかつて小森陽一や安藤徹の未発に終わった「聞き手論」の再開になるかもしれない。
さて、今回の発表は、謡曲《朝顔》、もしくは室町時代物語「相模川」を対象とする予定である。
謡曲《朝顔》ならば、『源氏物語』によって接合された「朝顔という花」と「朝顔の姫君」という悲劇が、『伊勢物語』や『和漢朗詠集』古注釈、あるいは小野小町(たとえば《卒塔婆小町》)を経由する複数の線を引くことで、怨霊化された「朝顔」の解放がどのように可能かを考えてみたい。その可能性が『源氏物語』に還っていくかも同時に考えたい。本タイトルは謡曲《朝顔》で発表するときのものである。
【発表目次・予定】(時間の都合で割愛する箇所がある。)
テクスト論、カルスタ批判―ヤコブソンを超えて
抽象的読者論の可能性―内包された読者を超えて
古典テクストの分析―亡霊論的テクスト分析の可能性
古典文学研究の拓く可能性―潜勢する〈力〉の可能性
【参考文献】
安藤徹「予言する源氏物語―夕霧と源師房の遠近法―」(高橋亨編『源氏物語の遠近法と表現史』翰林書房 2025年)
上野俊哉・毛利嘉孝『カルチュラル・スタディーズ入門』(ちくま新書 2000年)
高木信「日本的な、あまりに日本的な…―テクスト理論の来し方・行く末」(『平家物語・想像する語り』森話社 2001年)
高木信・鈴木泰恵・ほか「座談会 〈国語教育〉とテクスト論、その未来に向けて」(『〈国語教育〉とテクスト論』ひつじ書房 2009年)
高木信「展望 百花繚乱、古色蒼然、自己矛盾―生き延びた者たちの思ひ出ばなし?―」(「日本近代文学 第97集」2017年)
高木信「「あなたに聞いてみたいのはステキな〈物語論〉の忘れ方―来るべき亡霊論的カタリによるテクスト分析のために―」(中古文学会「中古文学114号」 2024年)
高木信「〈鈴木泰恵―と―ともに〉、あるいは「鈴木泰恵さん」から遠く離れてしまって」(東海大学「湘南文学 60号」 2025年)
高木信「物語と映像の〈心的遠近法〉―『平家物語』「木曾最期」のアダプテーションとインターテクスチュアリティ―」(高橋亨編『源氏物語の遠近法と表現史』翰林書房 2025年)
報告2:伊藤禎子「三島由紀夫『獣の戯れ』を読む——「生田川伝説」のひろがり」
たとえば『浜松中納言物語』は、ながらく本文整理の研究が続き、物語の中身に対する議論まではなかなか進まずにいた。物語のテーマとして「夢」について考察されるも、「転生」というキーワードが論考のタイトルに取り上げられるのは、時間が経過してからだった。その間にあったのは、三島由紀夫の『豊饒の海』の存在である。三島が「春の雪」の巻末に「『浜松中納言物語』を典拠とした夢と転生の物語」と明示することで、『豊饒の海』の「夢と転生」のドラマが同時代に受け入れられ、同時に「夢と転生」の物語としての『浜松中納言物語』も古典研究に浸透する契機を与えた(参考、木谷真紀子「三島由紀夫「夢と転生の物語」の生成法―『浜松中納言物語』と『豊饒の海』とそのアダプテーション作品と―」『文学・語学』2024年)。このように、古典とは、その時代における読解のみによって完成するものではなく、異なる時代からの受け取られ方によって誕生した「支流」によって、あらためて「源泉」の意義が見直されていく一つの「現象」である(参考、外山滋比古『異本論』1978年)。
今回は、三島由紀夫の『獣の戯れ』をとりあげる。この作品は、二人の男と一人の女の物語であり、最終的に三人の墓を並べたところで終わる。小西甚一の指摘どおり、「生田川伝説」を踏まえている(参考、「三島文学への古典の垂跡――『獣の戯れ』と『求塚』」『国文学 解釈と鑑賞』33(10)、1968年8月)。「生田川伝説」の広がりは、『源氏物語』の浮舟、謡曲「求塚」、森鴎外の戯曲、川端康成の「たんぽぽ」など幅広い。この伝説の大きさにあらためて気づかされるが、三島由紀夫はどのように己の作品に取り込んだのか。「生田川伝説」と『獣の戯れ』の往還を探りたい。
報告3:坪井秀人「物研との対話のために」
今回お声がけいただいた全体テーマの趣旨を拝見し、静岡の三島まで査問を受けに行くような気分でいます。この趣旨がターゲットにしている日本文学研究の悪しき傾向とは、実証主義・歴史主義・作家主義という三つに要約されるようです。物語研究会が物語文学を主体とする(比較的に理論的傾向の強い)古典文学研究者が中心に集まって構成されてきた、そして現在もそうであることは私のような者も、指導していただいた先生やその仲間たち、敬愛する年長や同世代の文学研究者がこちらを拠点にして活躍されていたこともあって、よく知っているつもりです。物語研究会に近現代の研究者も参加することがあることも知ってはいますが、それはまず少数派でしょう。そしてこの趣旨文が指摘している悪しき研究の傾向とは多分に近代文学の研究を意識しているように思われてなりません。もっとも私が近代文学の研究者を代表して、無用な被害者意識を感じて傷ついているということはありません。私は業界的には近代文学研究をなりわいとする人間ですが、近代文学という領域があるとして、それがどうなろうと知ったことじゃないと思っていますし、どちらかといえば近代文学業界ではその傍流や周縁を歩んで来たというねじくれた矜持だけはあります。ですからもしも実証主義・歴史主義・作家主義という病原菌三点セットが近代文学研究を意識しているとすれば、なんとなくその〈診断〉もわからないではないのです。此頃近代文学研究ニハヤル物、出版研究、メディア研究、検閲研究、草稿研究、書誌研究、そして作家単位の研究コミュニティ……とくれば、それも肯けなくはない。ただそれなればこの病原菌三点セットがでは古典文学研究においてどのような悪風をまき散らしているのかについてもうかがってみたい。なにをもっての実証なのか、なにをもっての歴史なのか、なにをもっての作家なのか。古典文学研究ではたしてそんなことが純粋にできるのだろうか、と。もちろんしよーもない実証が行われていることは私もちょっとは知っていますが、端から興味がないのです。もう一つこの趣旨文がある種の仮想敵にしているのはカルチュラル・スタディーズ(CS)ですが、この指摘についても私はかなりの困惑を覚えます。カルスタとかポスコロと揶揄されてきたこれらの思想は、フェミニズムと同様に、私にとってそれぞれ表象や言説が現実を変革させる可能性を委ねられた思想であって方法論などではないからです。ですから今回の趣旨文で糾弾されている病原菌三点セットもまた本来は思想であったのでしょう。それが自己目的化した方法論に堕落していったのは、この日本において理論というものの受け皿をつくる土壌が脆弱だったからでしょうか。いずれにせよ自己目的化した方法論は適当に使い倒されて廃棄されていくのがオチです。思想ならばお互いに闘争することが出来ます。しかし自己目的化した方法論は所詮道具主義のコンクールにしか参加できません。方法論はそれを用いる主体を根源において変えることはなく、主体によって使い捨てられる対象にしかなりません。それは信仰の対象にもならなければ偶像破壊の対象にすらもなりません。寺山修司は〈1968年〉に先がけること3年に『戦後詩』という、彼としては最も理論的な著作を上梓しました。そこで彼は現実を記号性(それを彼は《記号的経験》として表現しました)へと持ち込む歴史主義を否定し、記号性を現実に持ち帰る《直接の詩》というものを主唱しました。アクチュアリティということを言うのならこの寺山のアクショニズムにどのように〈読む〉ことが対峙できるのかが問われます。そこに私は〈物研〉との対話の緒を探したいと思います。
【自由発表】
橋本ゆかり「『和泉式部日記』月となぐさめの世語り―詠む/読む、書く/読む、記憶のミルフィーユ―」
本発表では、『和泉式部日記』を〈和泉式部〉が自身を「女」と三人称化して物語るテクストとして読み解いていく。
恋の始まりから順に季節をめぐり四季折々にふさわしい歌が交わされ、敦道親王の邸に和泉式部が入り、北の方が出ていくところでこの日記は終わる。敦道親王との出会いから、二人の間でさまざまなヴァリエーションの歌の贈答が語られる一方、和泉式部が敦道親王の邸に入ってからは、二人の間における歌の贈答は語られない。同時に、月が二人の間をつなぐものとして繰り返し語られるのだが、和泉式部が宮邸入りした後には月も語られない。
『和泉式部日記』では、月夜に敦道親王が訪れ「逢瀬がなければどう世語りとなるのか」と語りかけて、和泉式部との境界にある御簾をくぐり抜けた。和泉式部を宮邸に迎えるために敦道親王が現れたのもまた月夜であった。『和泉式部日記』は元恋人為尊親王を偲ぶ胸中から語られ始め、それが為尊親王の弟敦道親王との出会いへと展開するが、この日記が成立したのは、為尊に続き敦道親王が亡き人となった後、すなわち「女」が二人の恋人を引き続き失った後のことである。宮邸入りして北の方が出て以後の和泉式部と敦道親王を語るのは、『栄花物語』や『大鏡』など世間のまなざしに映る二人の姿であった。そして、『和泉式部日記』には随所に『源氏物語』を連想させる表現があるが、本発表ではその中でも、次期東宮候補として(角川ソフィア文庫注など)忍び歩きを諫められる敦道親王と『源氏物語』の匂宮との類似にも注目してみたい。
二人の恋が、「詠む/読む、書く/読む」行為を経て、いくつもの位相を重ねて世語りとなっていくさまを、読み解いてみたい。
【自由発表】
越野優子「『源氏物語』匂宮巻と『雲隠六帖』雲隠巻を繋ぐものと分かつもの―傍流として、主流として揺れ動きつつ」
本発表は筆者が継続して研究している『雲隠六帖』と『源氏物語』の関係から読み解けるものを論じるものである。2024年度の論考にて筆者は、『源氏物語』の補作として位置付けられることが多く光源氏の出家と死と夢浮橋巻以降の世界が語られる『雲隠六帖』(作者未詳・室町期成立)に焦点を当て、同作品に初登場する人物である惟秀を中心に論じた。その結論でまとめたように、『雲隠六帖』は紫式部とは別人の補作でありながら『源氏物語』の核となる思想(「光」の喩)の意味を外すことなく惟秀という人物造型を行っていた。『雲隠六帖』は『源氏物語』の下に置かれることが多いが、『源氏物語』の享受のありかたを考える上でも、また本作品自体が中世の物語の補作のあり方を考える上でも重要な作品であることは論を待たない。
本発表では引き続き『源氏物語』と『雲隠六帖』を比較考察する。筆者が以前論じた『源氏物語』匂宮巻が、源氏物語』における幻巻と匂宮巻を繋ぐ巻であることに着目し、そうした立ち位置が『雲隠六帖』では雲隠巻に該当することから、両巻の相違とそこから読み解けるものについて論じる予定である。
【参考文献】
小川陽子校注『中世王朝物語全集14』(笠間書院 2021)、特にその『雲隠六帖』の解題部分の文言p210
拙稿「欠如で幕開ける物語 : 国冬本源氏物語匂宮巻について」(『物語研究』 第20号pp62-78, 2020-03)
拙稿「創作作品の続編が生みだすものとは何か : 『源氏物語』の補作『雲隠六帖』の惟秀という人物の考察を中心として」(『埼玉学園大学紀要人間学部』24 356(1)-343(14), 2024-12-01)
岡嶌偉久子「源氏物語阿里莫本―「源氏物語大成」不採用二十六帖について」(『ビブリア : 天理圖書館報 = Biblia : bulletin of Tenri Central Library / 天理図書館 編』 (90) p34-46, 1988-05)
【自由発表】
東原伸明「『源氏物語』「東屋」巻と『国宝 源氏物語絵巻』「東屋(二)」の対話的分析―二十一世紀におけるテクスト論の実践報」
源氏物語研究にテクスト論的方法が適用されたのは、一九八〇年代のことです。振り返 ると四〇年も昔です。こんなにも古くさい研究方法を、今あえて問し直すことに何の意味 があるのかと思われるかもしれません。 しかし、「読むことによる意味の生成」というコペルニクス的転回は、この一九八〇年 代のインターテクストの思想(J・クリステヴァ)の移入と共に、同調(シンクロ)して起 こった古注ブームに拠ったものです。現在、インターテクスト論、テクスト分析の方法を 応用することに意義があるとするならば、たとえば『源氏物語』(物語文学)とは異質な分 野との対話的分析にあるのではないでしょうか。 当該発表においては、『源氏物語』「東屋」巻と『国宝 源氏物語絵巻』「東屋(二)」と を対等なものと認識のうえで、対話的な分析を行います。源氏本文には描かれていない「空 所」・「空白」を描いてている絵巻と、対等に対話させることで、新たな意味の生成を問 いたいと思います。 なお、モノケンの発表なので特に、先行する三谷邦明と髙橋亨などの方法を徹底的に批判したうえで、自説を展開したいと考えています。乞う、ご期待!
【テーマ発表】
ローレン・ウォーラー「「朝顔」を「木槿」と訓むこと―和漢文学の異種交雑性(ハイブリディティ)に関する考案」
古代日本文学において植物が比喩表現として読まれる際、その意味がどのように生成されるのかは複雑な問題である。『和漢朗詠集』の「槿」の段には、白居易の「槿花一日自為栄」の句と、藤原道信の「朝顔をなにはかなしと思ひけむ人をも花はいかゞ見るらむ」が対照に配置されている。このことから、「槿」を「朝顔」と訓み、同様に「朝顔」を「槿」と読む(解釈する)立場が確認できる。古代日本の「朝顔」は何を指しているのか、木下武司(『萬葉植物文化誌』)が「その基原をめぐってこれほど古今の万葉学者・本草学者を悩ませた植物はないだろう」というように、「朝顔」の「ムクゲ説」「キキョウ説」「アサガオ(牽牛子)説」が頻繁に比較検討されている。
しかし、日本文学でしばしば注目されているこの問題は、中国の「木槿」も多くの名称で呼ばれていたという点と合わせて論じられることがほとんどない。古代日本でもよく読まれていた『藝文類聚』の「木槿」の項に「『晋の潘尼の「朝菌賦」の序』曰く:朝菌なる者は、蓋し朝に華つけて暮に落つ。世(よよ)之を木槿と謂ひ,或ひは之を日及と謂ふ。詩人は以て舜華と為し、宣尼は以て朝菌と為す。其の物たる晨に向ひて結び、明るきに逮びて布き、陽を見て盛んに、終日にして殞つ。其の異なるを以てせざるか、何ぞ名の多きや。」とあり、花の名が多いのみならず、『荘子』の冒頭に見える「朝菌」も「朝華暮落」という『説文解字』の定義に当てはまるため、「木槿」「日及」「舜」と同じである解釈を説く。つまり、「木槿」の「名」は、その実体よりも「朝華暮落」という「はかなさ」のイメージを指しているが、その反面、日ごとに開く花として「永続性」「長生」といった意味合いも確認できる。
『藝文類聚』の「木槿」の例で見られるように、言葉の裏にある意味は、インターテクストによって生成される異種交雑性(ハイブリディティ)の特徴をしばしば示している。したがって、植物に代表される文学的比喩は文献的本草学によって成立していると言える。
【テーマ発表】
西原志保「よむことと編むこと、縫うこと、織ること、紡ぐこと」
織物=テクストに見るように、古来、手芸は文芸行為と重ねられてきた。また、手芸には女性的なイメージがあるが、ロレッタ・ナポリオーニ『編むことは力 ひび割れた世界のなかで、私たちの生をつなぎあわせる』(佐久間裕美子訳、岩波書店、2024年、原書2020年)は、フェミニズムや社会運動を支えるツールであり、社会を「編み直す」ものとして編み物を位置づけている。そこで本発表では、『源氏物語』やヴァージニア・ウルフ『灯台へ』、飛浩隆『ラギッド・ガール』(2006年)など、手芸が文芸と重ねられる作品や、文学作品における手芸表象をいくつか概観した上で、読みの実践として佐藤亜紀『喜べ、幸いなる魂よ』(KADOKAWA、2022年)を取り上げ、編み物や紡績の表象に注目して考察する。
【テーマ発表】
兵藤裕己「〈よむ〉ことの文献学――記載と口承」
声としてのことばは、発話の音調(トーン)によって、ことばの意味内容を超えたメッセージを聴き手に伝えている。手書き文字のばあいは、筆勢や書体によって発話行為の身体性の一部を代替することができる。
わたしたちは、手書きされた書面から書き手の気分や感情、人がらなどを読みとっているが、そのような言語化(分節化)されないメッセージをふくめた総体として書記テクストを解読するのが、書き物(ビブリオ)の学としての書物の学、いわゆるビブリオグラフィー(書誌学)である。
もちろん書誌学で扱われるのは、数十年あるいは数百年単位で過去にさかのぼるテクストであり、用いられる紙やインク(墨)、書式、装丁も、歴史的・文化的な所産である。そうした書き物からすべてのメッセージを読みとろうとする批評(クリティーク)は、テクストの社会学ないしは歴史学にならざるをえないが、そのような書誌学で扱われるメッセージの総体が、ことばの本来的な意味でのテクストである。
ラテン語のtexere(編む)に由来するテクストという語は、素材が編み目状になった織物をいう。テクストから素材的な諸条件を捨象し、その言語的な側面だけを抽象したテクスト(本文)という観念は、テクストのもとの意味からすれば、あきらかに派生的・比喩的な用法である。
20世紀に起こったさまざまな文学批評の理論、フォルマリズムからポスト構造主義、ディコンストラクションへいたる一連の批評理論が、20世紀に普及した無機的な外観をもつ印刷形式によってつくり出されたことは、ほぼ自明の事柄といえる。
テクストの生成過程におけるヒトの複雑な働きへの関心を消去してしまうような批評の自己陶酔は、近代のある特定の印刷形式(書物形式)がもたらした思考の一様式として相対化されるのだ。そんな基本的認識を出発点として、〈よむ〉ことの文献学(Philologie)について述べる。
※参考:兵藤著『物語伝承論』(青土社、6月25日刊)「序説ーテクストという問題系」「結語ー物語の文献学へ」
【自由発表】
馬場淳子「平安文学を題材とした春興狂歌摺物―岳亭春信画「本町連物かたり十番」について―」
摺物とは、一般的に売品の多色摺版画である錦絵と区別して、注文制作による少部数の配り物である一枚摺のことを指す。俳諧や狂歌を交換する手段として用いられ、その多くは正月用であった。春興狂歌摺物は、我々現代人の年賀状よりも遙かに時間と費用を惜しまず制作された、狂歌を嗜む趣味人による贅沢な新春の挨拶状なのである。「連」や「側」などと呼ばれる狂歌グループ内で制作された色紙版シリーズ摺物は、近世の文化後半期から天保中期にかけて大流行した。文政(一八一八~一八三〇年)初期の成立と考えられている、岳亭春信画「本町連物かたり十番」は、「本町連」という狂歌グループによるシリーズ摺物で、平安時代の物語や日記に狂歌と絵を付した作品群である。後期物語を題材とした「濱松中納言」と「狭衣」については簡単な報告をしたことがあるのだが、その後、新たに所在が判明したものも含めて、現存九種(元は十種あったと想定される)すべての検討をする必要が出てきた。版本として流布しなかったマイナーな作品を題材にすることもあれば、版本になっていても挿絵が付されていない作品、絵入り版本として広く知られるメジャーな作品など、取り扱う作品や絵の知名度は様々である。摺物絵としての描き方も一様ではないが、それぞれの読解とシリーズの全体的な特徴や傾向について考えてみたい。
【テーマ発表】
布村浩一「先行テクストを〈翻案=訓む〉とは」
テクストは、先行する様々なテクストの表現・内容を織り込みつつ、新たに生成されていくものであり、とりわけ「典故」をテクストの生成条件として重んじる漢文学では、重視される要素である。また、(特に平安後期以降)漢文学のテクスト(漢文・漢詩)を和文(和歌・物語など)として翻案したテクストが生成されていくが、「翻案」は原拠を「等価交換」して新たなテクストを生み出す行為(模倣)ではなく、異なる文化基盤(教養)に基づき、自ずとズレが生じるものである。
本発表では、先行詩歌や中国故事を〈翻案=訓む〉という、一種の再解釈・再創造行為について、『和漢朗詠集』『新撰万葉集』『唐物語』『蒙求和歌』などを検討対象にしながら、考察してみたいと考えている。
【自由発表】
キャサリン・ワトレー「平安・鎌倉物語における暴力の音景──『源氏物語』と『平家物語』に聴く「乱」の響き」
本発表は平安・鎌倉文学における「音」と「暴力」の関係を考察する。近年、軍事支出の増加や戦争の頻発を背景に、古典文学において暴力がどのように理解され、語られ、物語化されてきたかを再考する必要性が高まっている。本発表では「乱」という言葉に注目し、中世における「乱」の意味が単なる物理的な暴力行為を指すのではなく、社会の調和が失われたという感覚、秩序の崩壊の時代に生きているという世界観を表していると主張する。そのような世界観が暴力的場面にどのように現れるのか、さらにそれが音といかに関係しているのかを明らかにする。
本発表では『うつほ物語』『源氏物語』『平家物語』などを分析し、暴力の描写およびその後の感情表現と関連する音の記述が、物語における暴力表象の中心的要素であることを示す。泣き声、涙、楽器などの分析を通して暴力やその後の影響を表す音が単なるオノマトペだけではないことを主張する。また、泣き声や涙に関連する場面に注目することで、音が暴力に伴う人間の苦しみを伝えることができると論じる。
【テーマ発表】
福里将平「地方で「読むこと」/地方を「読むこと」」
高等学校の国語科では「言語文化」や「古典探究」という科目で、古文・漢文を読む授業が展開されている。そこで使用されている教科書は、その性質上、いわゆる「定番教材」とよばれるものが多く取り上げられる。ところで、発表者は沖縄の中高一貫校で国語教員として働いているが、沖縄で『伊勢物語』や『源氏物語』を教えることについて、違和感を覚える瞬間がままある。同じく、沖縄で教え・学んだ研究者である関根賢司や末次智らもエッセイの中で同様の違和感を表明している。当然、日本の地域の大多数が、平安京とは違う気候・風土を持っているはずで、そこに違和感を持つものもいるはずだが、沖縄ではその歴史的経緯からよりはっきりと感じられやすいのであろう。そこで、沖縄で/地方で古文を教育活動の一環として「読むこと」の意味を考えたい。
【自由発表】
畑恵里子「『落窪物語』の「盗人」たち」
平安時代中期に成立した継子物語である『落窪物語』では、男君である道頼のみならず、女主人公の落窪の女君に仕える女童のあこきという名の侍女までもが、「盗人」として叙述されている。同じく女性を主人公とする継子物語の『住吉物語』では、そのような叙述は見られない。そのため、女君の結婚をめぐる複数の「盗人」「盗む」とは、『落窪物語』の独自性ととらえられよう。また、あこきは、女君と男君との結婚時において、女君と袴を共有しているという特徴を持つ。そこから見えてくるものとは何か。「盗人」たちあってこそ、落窪の女君の結婚が初めて成立していることをたどってみたい。
【テーマ発表】
西野入篤男「「よむこと(読・詠・誦・訓)」の諸相」
2025年度のテーマは「よむこと(読・詠・誦・訓)」である。日本語は、この「よむ」という音に複数の漢字(意味)を当ててきた。発話行為としても、また視覚的な認識プロセスや創造的行為としても「よむ」という言葉は用いられ、何をよむのか、どのようによむのか、何のためによむのかなど、その目的や用途に応じて使い分けられている。そんな「よむ」という多義的な言葉をテーマに据えることで、どのような課題や問題を見出し、議論していくことができるのか。射程の広いテーマだと思われるが、年間テーマを開始するにあたり、その方向性を模索するための叩き台を提示したいと思う。
デジタル通信技術の革新やメディアの発達が、私たちの「よむ」ことをめぐる環境を大きく変化させている。ただし、そうした変化は古来より繰り返されてきたことでもあろう。漢字との出会い、仮名の発明、印刷技術の登場などが「読み書き」の環境に大きな影響を与えてきた。「技術」や「メディア」、それを介して行われる「コミュニケーション」といった事柄を視野に入れつつ、「よむ(読・詠・誦・訓)」ということばの共通性や差異をテクストを通して見定め、テーマを深める糸口を探りたいと考えている。視覚・対象・記憶(記録)・解釈(翻訳)・リズム・パフォーマンスといった問題系がアプローチの際に注目されるのではないだろうか。