2022年度(令和4)

2023年度(令和5)3月例会


【ミニ・シンポジウム】「漢詩文を典拠とした翻案――『史記』から現代まで――」 


武藤那賀子「『古今和歌集』の「仮名序」「真名序」が翻案したもの/しなかったもの」(趣旨説明)

物語研究会の過去の年間テーマを見てみると、2017、2018年度は「翻訳」、2019年度は「翻案」であった。3年続けて類似したテーマが続いたことは初めてで、このテーマに対する興味関心が高かったことがわかる。しかし、当時の発表・論文を見てみると、基本的に「かな文」が中心になっており、漢詩文資料が少ない。そこで、本シンポジウムでは、過去にテーマとして「翻案」を扱った際に対象にしてこなかった漢詩文資料を基に、今一度「翻案」について考えたい。漢詩文資料が、その後の作品にどのように「引用」されているのか、あるいは「何が引用されていないか」に焦点を合わせる。

シンポジウムでは、最初に、コーディネーターから『古今和歌集』「仮名序」「真名序」を例に挙げて趣旨説明を行なう。続いて、布村浩一氏は、引用された故事と異なる意味で使用される語句が用いられる句題詩について論じる。笹生美貴子氏は、『源氏物語』の和歌を採り上げ、平安期に漢詩文から翻案された言葉/概念が、現代になって中国語に再度翻案されるところに着眼する。村松弘一氏は、『史記』に登場する徐福の伝説が、現代日本においてどのように伝播/変遷しているのかをみる。なお、本シンポジウムには、他に、間テクスト性、原エクリチュール、アレゴリーといったキーワードが設定できる。参考文献は以下の通り。


報告1:布村浩一「〈成長〉する漢故事――句題詩の本文の描写を例として」

 漢故事(中国故事)の受容は、必ずしも、原拠に〈忠実に〉祖述される形で引用・享受されていくわけではない。漢故事の原拠には叙述されておらず、主題とも関わらない事物の描写が、享受過程で付加され、新たな故事として意識され引用されていくこともある。

 本発表では、句題詩の本文(故事に基づき、頷聯・頸聯で題意を敷衍・換言する詠作規定)の描写などを例として、そうした引用・享受されていく過程で変化し、増補されていく、いわば漢故事の〈成長〉していく過程について概観・考察したいと考えている。


報告2:笹生美貴子「漢訳された物語・和歌の特徴――言語構造・漢籍引用部分の翻訳方法を端緒として――」

 『源氏物語』や和歌がどのように翻訳されているのか。本発表では、漢訳(中国語訳)をとりあげ、その特徴や諸問題について主に取り上げる。考察を深めるにあたり、江戸・明治期に漢訳が試みられた和歌についても取り上げつつ、時代を越えて共通する問題意識についても提示したい。

日本と中国では、言語構造は異なるものの、漢字文化圏という点が共通している。また、『源氏物語』では漢籍引用が多く見られる。日本古典文学に大きな影響を与えた側の国(中国)で翻訳された『源氏物語』の漢籍引用部分には、具体的にどのような特徴があるのか。日本漢文引用部分の訳出方法にもふれつつ考えてゆきたい。


報告3:村松弘一「「徐福伝説」の来た道」

 『史記』秦始皇本紀の始皇28年(前219年)の条に、徐巿(徐福)なる人物が海中の三神山(蓬莱・方丈・瀛洲)に住むという仙人を求めて童男童女数千人を連れて琅邪(山東半島)から出発したという記述がある。結局、徐福は仙人と神薬を始皇帝のもとに持ち帰ることはなかったが、その後の『史記』淮南列伝では、平原広澤を得て王となったとあり、さらには、『後漢書』東夷伝では、会稽の東の夷洲・澶洲にとどまり、代々続き数万家になったとある。徐福が不老不死の薬を求めたのが日本であったのかは、定かではないが、南は佐賀・鹿児島から和歌山新宮・熊野波田須・京都伊根、そして富士吉田、熱田神宮に至るまで日本各地には徐福伝説が存在している。本当に日本に来たのかということに興味を持つ方もいるかもしれないが、今回の発表では、徐福が日本に来たという「徐福伝説」はいつごろ、どのように日本国内に広まったのかということに焦点をあてて検討したい。例えば、新宮では、「西国三十三ヵ所名所図会」(暁鐘成、嘉永6年[1853年])には徐福渡来の図があり、熊野で卒し、子孫は秦氏と言ったと記述があり、「新宮本社末社図」(嘉永年間)には徐福塚や徐福宮、蓬莱山が描かれている。本発表では、仁井田好古によって天保5年[1835年]に書かれた「秦徐福碑」(和歌山から新宮に運ぶ途中で不明)の拓本を手がかりに、江戸末期に至るまでの日本における「徐福伝説」という物語の形成過程を考えてみたい。特に、新宮の「徐福伝説」は、熊野信仰(熊野詣)と深く関係しているように思われ、それと「徐福伝説」の広がりとかかわるのか、皆さんと考えてみたい。

2023年度(令和5)1月例会


自由発表】

大貫正皓「『一条摂政御集』「とよかげ」の部の読者と増益」   

 藤原伊尹の家集『一条摂政御集』の冒頭から四一番歌までは、伊尹を「大蔵の史生倉橋の豊蔭」という卑官の人物に仮託した内容を展開している(以下、冒頭から四一番歌までを「とよかげ」と称す)。発表者は現在、師輔、伊尹、兼通、兼家、高光らに関わる個々の作品を基に、一〇世紀中葉における九条流藤原氏の文芸活動の、体系的な把握を試みているが、その視座から「とよかげ」の実態を明らかにすることを本発表の目的とする。

まず、「とよかげ」が設定していた読者について考える。作中で豊蔭の相手として登場する女性たちは、そのほとんどが豊蔭と同等の身分の者、また宮仕えする立場の者たちとみられる。そういった女性との内容を主軸として描き、また「大蔵の史生倉橋の豊蔭」という極端に身分の低い人物に伊尹が自己を仮託することの要因として、「とよかげ」が実際に豊蔭を恋愛対象として見ている、女房たちを読者と想定していた可能性を提示する。また『蜻蛉日記』、『本院侍従集』などの周辺文芸についての検証も援用し、「とよかげ」の享受の場についても推測を試みる。

検証の二つ目として、「とよかげ」の形成及び増益の実態に迫る。発表者はかつて、現在みられる「とよかげ」は、伊尹作の原「とよかげ」成立以後、第三者による増益を経たものである可能性について論じたことがある(【参考論文】拙稿参照)。本発表ではその検証を再度確認し、その上で後代の作品である『源氏物語』帚木巻、竹河巻における草子地の叙述を援用し、増益の実情を推測する。伊尹作とみられる原「とよかげ」が、伊尹一門に享受された後、伝播の過程で異なる集団の手に渡り、伊尹の意図していない内容や伊尹を貶める内容が語り伝えられること、そしてその内容が本文として残されていった可能性を提示する。なお『源氏物語』の草子地を援用資料として捉えるにあたり、それが現実における物語伝播の実態を反映したものとみる先行研究にも触れたい。

【参考文献】

2023年度(令和5)12月例会


自由発表】

深澤徹「忌まわしき〈嵯峨〉のトポス・拾遺―六条院における、式部卿、朱雀院、光源氏三者の「算賀」の位置づけをめぐって―」  

 「うつろの楼閣、六条院―慶滋保胤『池亭記』の影を、そこに見てとる」(深沢『新・新猿楽記』現代思潮新社2018、所収)、および「忌まわしき〈嵯峨〉のトポス―『源氏物語』の作者紫式部にみる、ひそやかな反逆」(深沢『日本古典文学は、如何にして〈古典〉たりうるか?』武蔵野書院2021、所有)の一連の論考において、六条院のトポロジー(空間の意味性)について論じた。その骨子を示せば、慶滋保胤が『池亭記』で描いた邸宅は実在せず、それが紙上のフィクションでしかないのをあらかじめ知っていて、そこから想を得て六条院は構想されたものであり、完成なったその六条院へと迎え入れられる明石母子の系譜をたどれば、嵯峨の地に「隠者」として暮らし、しかも保胤の上司であった兼明親王へと結びつき、その人的ネットワーク(ソーシャル・キャピタリズム)の輪を、見事に閉じるという趣旨ものであった。今回は、そこで取り落とした「五十」という年齢階梯の問題を取りあげ、論じる。「忌まわしき〈嵯峨〉のトポス・拾遺」と題した所以である。

「若菜」の巻名は、長寿を祝う「算賀」の場で、引き出物の「若菜」を献ずることに由来し、光源氏四十の賀と、朱雀院五十の賀がテーマとなる。それぞれの「算賀」がどのような経緯をへて執行され、あるいは執行されずに延引され、ついには執行されないまま終わったのか。そのテーマを基軸に据え、「地」に沈めて、六条院に集った女性たちの確執が、「図」として浮かび上がる。「算賀」のテーマは、「乙女」の巻においてすでに先取りされていた。そこでは紫上による父式部卿宮の五十の賀が企画立案される。光源氏三十七歳、そろそろ四十の声を聞き、六条院の造営にとりかかる。白楽天が『池上篇并序』を、兼明親王が『池亭記』を、保胤が『池亭記』を書いて、そこを終の棲家と定めたように。だが皮肉にも、女三宮の参入により、そのあるべき理想の邸宅は、ガラガラと音を立てて内部から崩れはじめる。クリストファー・アレクザンダー曰く、「都市はツリーではない!」。

とりあえずの参照文献として、山田尚子「白居易の「吏隠」・「中隠」と慶滋保胤「池亭記」」(『藝文研究』117号、2019)、クリストファー・アレクザンダー『形の合成に関するノート/都市はツリーではない』(鹿島出版会、2013)、稲葉暘二『ソーシャル・キャピタリズム入門』(中公新書、2011)の三点を挙げておく。源氏関連の先行研究については、これからリサーチすることとなろう

2023年度(令和5)11月例会


テーマ発表】

張培華「『源氏物語』に見る美的容貌の交差性」 

 『源氏物語』における美的文化についての論考は、優れた業績が積み重ねられてきた。ところが、美的容貌に関する考察はそれほど多くはない。美的容貌とはいわゆる美人である。

 『源氏物語』における美人に関わる描写の場面は少なくない。例えば、桐壺巻では、作者が繰り返し引用した『白氏文集』巻十二感傷詩「長恨歌」及び「長恨歌絵」の楊貴妃は、すなわち唐代の美人である。また須磨巻における古代中国の胡の国に遣わした女性の典拠人物は、絵合巻に書かれた漢代の王昭君である。王昭君も古代中国の美人である。『白氏文集』巻十四律詩「王昭君二首」がある。これらの古代中国の美的容貌はどのような形であろうか。『源氏物語』作者がどのように古代中国の美的容貌を理解したのか。つまり   『源氏物語』における古代中国の美的容貌に関わる絵のイメージはどのように認識すればよいだろう。『源氏物語』における美的容貌は古代中国の美的容貌と似ているのか似ていないのか。古代中国と日本の美的容貌の交差性が如何に見られるのか。

 これらの疑問について、本発表は、できるだけ古代中国と日本に関する絵の歴史文献、正倉院所蔵絵資料、長恨歌絵巻、源氏物語絵巻、アメリカボストン美術館所蔵唐代の絵資料などの文献を取り上げて、古代両国における美的容貌に関する審美的な史的変遷を考察し、古代両国の美的容貌の交差性を明らかにしてみたい。『源氏物語』における美的容貌の特徴を考えてみたい。 

2023年度(令和5)9月例会


【自由発表】

藤井貞和「源氏物語の空間、時間――六条院と二条院」

 紫上の死去を、八月と見るのが大勢のようであるのに対して、七月死去ではないかと考えたい。このことに関連して、旧暦源氏というか、発表の日、9月16日は(旧)8月2日である。(旧)七夕(星逢い)が8月22日(この日も物研の大会の中日でした)、中秋の名月(十五夜)は9月29日で、かぐや姫が昇天する(今年の月見だんごは13個)。七夕の一週間のちが旧のお盆で、7月13~15日、まさに紫上は死去する。送り火とともにこの世を去る勘定である。「篝火」巻の篝火は夕顔の霊の迎え火と見たい。夕顔の死去はかぐや姫とおなじ日。葵上の命日が8月20日過ぎ。

 つぎに、「藤裏葉」巻の帝・院を迎えての賀宴を、西南の町、秋の御殿で行われたのではないかと論じてみたい。秋好中宮は当時、宮中にあったかと思う。従来の通説だと、東南の町、春の御殿でのこととするのではないか。大きな話題なので、通説とはいえ、それを批判する論文が当然出ていておかしくないから、もし私の意見が二番煎じならば謝罪する。

もう一つ、紫上の逝去にもどって、その直後、通説では光源氏が紫上の剃髪をいそぐといわれる場面があり、夕霧に押しとどめられると言われるところ。この場面には不思議なことに紫上への敬語を見ない。もしかして光源氏そのひとが自分の出家を強行しようとするところなのではなかろうか。

物語作者として、人物関係や場面など、わかったつもりで書いて、読者には読解上の困難をきたしているということがないかどうか。拠るテクスト(写本など)を変更したり、他本によっておぎなったりというのでなく、淡々と読み進めての意見を出してみたい。旧構想から新構想への展開という話題にはいれたらはいりたい。 


【テーマ発表】

上原作和「思想史としての「つきのわ」 清少納言伝における〈地名〉の交差性」

 『公任集』に「清少納言の月の輪に帰り住む頃」とある清少納言晩年の地については三説ある。それは東山の月の輪(岸上慎二説)、愛宕山月輪寺(萩谷朴説)、西坂下月林寺(現・曼殊院・後藤祥子説)に集約されるが、東山は月輪殿九条兼実以降に発生した地名であり、愛宕山と西坂下とが考察の対象となる。後者は、比叡山麓にあり、康保年間、勧学会が開催され、清原元輔の『元輔集』にも「小野宮太政大臣、月林寺に、桜の花見にまかりて侍りし」とある名勝であった。ちなみに小野宮家は、実頼が小野にゆかりの文徳天皇皇子惟喬親王の小野宮邸を伝領したことから、このように呼ばれる。月林寺は惟喬親王の領有した小野に在ったことから命名されたもののようである。ただし、月林寺は、道長の時代には荒廃し、勧学会は兼家の法興院で再興されたという(『本朝文粋』『本朝麗藻』)。いっぽう、愛宕山月輪寺には父元輔と清少納言の墓があることから、清少納言伝にはふたつの「つきのわ/げつりん」なる地名が存在することになる。愛宕山は『源氏物語』「東屋」巻「愛宕の聖」のモデル空也ゆかりの寺でもある。また、長徳の変の藤原伊周が西山(愛宕山)に逃げ隠れた報を得て、小野宮実資は検非遣使を派遣した九二四㍍の幽谷の霊峯である(『小右記』)。『栄華物語』では、木幡の父道隆の墓に詣でていたとする別伝もあるが、このような情報操作には、山城守でもあったからか、愛宕山月輪に別荘を持つ藤原棟世と清少納言も関係しているとわたくしは見る(『紫式部伝』勉誠出版、十月刊行予定)。また、藤原頼通が妹妍子危篤の報を受けて愛宕山白雲寺にお忍びで病気平癒を祈願した信仰の山でもある(『小右記』)。本報告は『愛宕山縁起』『河海抄』等の関連テクストを読み解きながら、清少納言伝における<地名>の交差性を、ひとつの思想史として考えてみたい。 

2023年度(令和5)8月大会


【テーマシンポジウム】「インターセクショナルな語り/語りのインターセクショナリティ」


「シンポジウム趣意文」

 「物語研究会」の二〇二三年度における年間テーマは「インターセクショナリティ」(=交差性)である。パトリシア・ヒル・コリンズ&スルマ・ビルゲ『インターセクショナリティ』(下地ローレンス吉孝監訳、小原理乃訳、人文書院、二〇二一・一二)が邦訳されたことで、「人種、階級、ジェンダー、セクシュアリティ、ネイション、アビリティ、エスニシティ、そして年齢など数々のカテゴリーを、相互に関係し、形成し合っているものとして捉える」概念ツールであるこの語は、近年では文学研究のみならず、現代社会の諸問題を実践的に考察する際にも参照されることが増えてきている。このことは、たとえば『現代思想』(二〇二二・五)の「インターセクショナリティ――複雑な〈生〉の現実をとらえる思想」という特集タイトルにも端的にうかがえるが、「批判的探究の一形態としてのインターセクショナリティは、批判的実践から切り離されては成立しえない」という前掲書における「インターセクショナリティ」のテーゼを示していると言えるだろう。すなわち、「インターセクショナリティ」はある人の〈生〉の複層性を把捉(=探究)するだけに留まらず、そこから現実の社会を変革(=実践)してゆく方途を丁寧に探っていくための分析ツールとしても用いられなければならない。「探究」と「実践」は不即不離であらねばならないのである。

 さらに、人種、階級、ジェンダーといった如上のカテゴリーは、分析の際には有効な指標であるが、それ自体が硬直化/規範化されてしまうことには注意を払う必要も同時にあるだろう。既にあるカテゴリーは時として拡縮するとともに、新たなカテゴリーが自在に呼び込まれ、問い直されてゆく可能性に常に開かれている。「インターセクショナリティ」を用いて特定の事象を検討する際には、以上のような事柄を念頭に置く必要があるだろう。

 本シンポジウムでは、上記の「インターセクショナリティ」というテーマのもと、三名の講演者が「自伝的民族誌」、「在日朝鮮人女性の/と文学」、「民話」というそれぞれの関心領域に沿った内容をご報告くださる。石原真衣氏は自身の語りのスペース、康潤伊氏は在日朝鮮人女性の生を描く女性作家の小説、髙畑早希氏は民話を聞き書くことを取り上げる予定であり、そこには〈語り〉の問題もまた浮き上がってくるであろう。活発な討論を通じて、分析の対象となるものはどのような〈交差点〉に差し掛かっているのかを見定めるとともに、さらには私たちそれぞれの固有の〈交差点〉とはいかなるものであるのかが浮き彫りにされていくような双方向的な場になることを目指したい。


報告1:石原真衣「自己たりえない「私」」

 野口裕二は『物語としてのケア ナラティブ・アプローチの世界へ』のなかで、「わたしのもっともらしい部分を語ろうとするとき(中略)「自己物語」の形式をとらざるをえなくなるはずである」といい、「自己は「自己語り」によって更新されていく」と述べる。私はオートエスノグラフィを自己エスノグラフィとは訳せなかった。それは「私」が近代的個人のような自己であることが不可能であったためだ。個人でも、自己としてでもなく、しかし私を記号化・エロス化・非人称化/集団化する名づけによってでもなく、私は「私」がなぜ沈黙するのかについて明らかにしたかった。「プロパーなマイノリティ」でも「プロパーなマジョリティ」でもない私の語りのスペースはいかに確保できるだろうか。本報告では、個人でも集団でもない「私」を拓く可能性としての自伝的民族誌について考えてみたい。


報告2:康潤伊「在日朝鮮人女性の/と文学 ――民族・生殖・帰化――」

 在日朝鮮人女性を表した次のような一文がある。「女は「民族」を理由に否定されることから自由になろうとすれば、今度は女というジェンダーを理由に自己否定をよぎなくされていく」(鄭暎恵「開かれた家族に向かって」『女性学年報』15号、1994.10)。民族差別からのアジール、あるいは抵抗の拠点としての家族または当事者集団が、性差別を深く内面化しているため、在日女性は二重の否定にさらされている。彼女たちの生は男性作家によって多く作品化されてもいるが、本発表では女性作家の小説を中心に取り扱う。特に、女性の出産が民族的アイデンティティや父権への抵抗と強く結びついている金真須美と、ジェンダーが漂白されているかのような深沢夏衣の小説を対比的に取り上げることで、在日女性の困難な生の一端を読み取りつつ、エンパワーメントたりうる表現も探ってみたい。


報告3:髙畑早希「民話を聞き書くことと〈交差性〉――宮城と山形の事例を中心に」

 本発表は1970年代以降の日本で生じた「民話運動」という文化運動に着目する。

 1960年代以降、地域の図書館や家庭文庫で「子どもに語りを」というスローガンを掲げたストーリーテリングや絵本の読み聞かせが盛り上がりをみせたが、そのような動きは、地域に伝承されてきた昔話を子どもに語ることへの関心も高めていった。ストーリーテリングに関心を持つ女性のなかからは、文字資料から語りを勉強するだけでなく、採訪とよばれるフィールドワークへ出て「民話」を聞き書きする人も生まれた。

しかし、実際の採訪では、彼女たちの想定していた「昔話」とは異なる類いの「話し」や語り手との遭遇があり、そこでの経験をもとに各地域での民話運動の模索が開始された。

 本報告では、採訪者が接触した地域の「交差する権力関係」(『インターセクショナリティ』人文書院、2021年、p.16)や、「民話」という語に内在する普遍性への志向を整理したのちに、「インターセクショナルな経験」に対して「民話」や「聞き書き」という方法がどのようにアプローチし得たかを考察したい。

具体的な事例としては、宮城県の民話採訪者であり「みやぎ民話の会」の中心人物であった小野和子の活動と、口承文芸研究者であり山形県の「外国人花嫁」問題に取り組んだ野村敬子の活動に焦点をあてる予定である。

【参考文献】


【自由発表】

武藤那賀子「「在明の別れ」に始まり「暮れの別れ」に終わる物語――『明の別』の冒頭と結末」

 『在明の別』の冒頭は、従来、後に続く本文と関係ないと言われてきた。しかし、本文の繋がりに不審はない。また、この作品の結末は途中で終わってしまっているとされている。たしかに、侍従の内侍によって左大臣の出生の秘密が明かされんとするかのような場面で終わる箇所は中途半端な感があるものの、本当に途中で終わっていると言えるのか。そもそも、現存する状態で文章が途中で終わっているわけではない作品であれば、一つの作品として読む試みも必要であろう。本論では、この『在明の別』の冒頭と結末を具に検討し、この問題について考察する。なお、本論では、天理図書館蔵『在明の別』の影印を本文として使用する。


【自由発表】

越野優子「創作作品の続編が生みだすものとは何か――『雲隠六帖』の惟秀という人物の考察を中心として」

物 語を生成するのは作者だが、創作活動に参加して作者側に関わり当事者になりたい人は読者にも批評者にもいる。著作権のある現在でも夏目漱石の『明暗』(1916年)に対し水村美苗の『続 明暗』(1993年)が生まれた。またサブカルチャーでは手塚治虫の『ブラックジャック』は25巻で終了したが(1995年)熱心な読者が単行本未収録の話をまとめて26巻を作成したことで、著作権の関係から訴訟問題に発展した(2003年)(注1)。法律の整備された現代ですら当事者/関係者になりたい欲望を抑えるのが難しいとしたら、それ以前の時代はどれ程であっただろうか。物語を続行したいと考える者がいてもむしろ当然であろう。

 このような点を踏まえつつ本発表では、『源氏物語』の続編として位置付けられることが多く光源氏の出家と死そして夢浮橋巻以降の世界が語られる『雲隠六帖』(作者未詳・室町期成立)に焦点を当て、『源氏物語』とのつながりを意識しつつ論じたい。今回は『源氏物語』には登場せず『雲隠六帖』に登場する人物である惟秀(惟光の子)を中心に論じることとする。

 『雲隠六帖』の冒頭雲隠巻から登場する惟秀という人物は『雲隠六帖』で初登場の人物であり惟光の息子である(「惟光が子に惟秀とて」『雲隠六帖』雲隠巻より引用)。『源氏物語』で光源氏の側近である惟光には子供は二人確認でき、娘は藤典侍、息子は兵衛尉である。この兵衛尉は少女巻・梅枝巻に登場していたが『雲隠六帖』には記述は無い。これが惟秀に変更された可能性もあろうか。『源氏物語』の惟光は夕顔巻に唐突に初出するとの指摘があるが『雲隠六帖』の惟秀も同様である。『源氏物語』の惟光・兵衛尉の描かれ方と『雲隠六帖』の惟秀の描かれ方の比較を通して物語世界を考えたい。

 更にこれらについて、阿里莫本源氏物語六十巻内の『雲隠六帖』の伝本に触れつつ論じることも可能な限り試みたい。阿里莫本源氏物語六十巻(天理大学附属天理図書館蔵)とは元禄五年の漢文奥書(偽跋か)もつ高坂松陰筆の源氏物語の伝本で、『源氏物語』五十四帖及びそれと付随して『雲隠六帖』六帖が備わっている全六十巻のことである(注2)。阿里莫神社旧蔵という経緯がありこう呼ばれる。当該伝本の『源氏物語』五四巻部分の本文系統は麦生本との類似が指摘されており全体としては別本を多く交えた混合本といわれる。阿里莫本の特筆すべき点として『源氏物語』五四帖と『雲隠六帖』六帖が同筆であることがあげられ、つまり阿里莫本において『源氏物語』と『雲隠六帖』は本要旨前半で述べたように一体の世界なのだ。このことは惟秀の解釈にも影響を与えよう。出来ればこのようなことも踏まえつつ論じる予定である。

【参考文献】

【注】


【自由発表】

東原伸明「一九八〇年代「思考」の足搔き=高橋亨「作品テクスト」の内実――もしくは「作品」と「テクスト」概念の折り合い」

 今から振り返ってみると前世紀末の一九八〇年代は、まさに「テクスト論」実践の時代であったといえよう。ジュリア・クリステヴァの間テクスト性(インターテクスチャリティintertextuality)概念の導入・流布した以前と以後とでは、意味の生成に対する捉え方が一変してしまった。

以前とは、つまり作者よって創られた作品、その作品という物に込められていたであろう、(唯一の正しい)意味を解読しようとする、「在る意味」(=コード)の解読の姿勢。対して以後は、読者のスタンスの違い、個々の読み手の姿勢の違いにより、複数の「成る意味」を実践を通し、提示してみせた。前者は既に「在るもの」=系が閉じられた「構造」じたいの分析にほかならないから、帰結として静態的にならざるをえない。

 さて一九八二年に『源氏物語の対位法』(東京大学出版会)を上梓した時、高橋亨は若干三十五歳の若き研究者であった。また高橋はその五年後、前著に引き続き『物語文芸の表現史』(名古屋大学出版会)を刊行している。テクスト論全盛の中で、高橋も「テクスト」というタームを用いているのだが、特異なのは、どうやら高橋は従来の「作品」概念と移入された「テクスト」概念との折り合いを図って「作品テクスト」という一見、理解しがたいタームを用いてしまったことである。

 今回の私の発表は、いってみれば、「テクスト」と「構造(主義)」という概念の総括であり、この方面の研究をリードしてきたと、世間からみられているモノケンの会員のひとりとして、私自身の責任を果たすことにある。ひとことで結論を言ってしまえば、高橋亨の認識していたであろう「テクスト」は、残念ながら「テクスト」ではなくて、「構造」なのであり、最初にボタンを掛け違った高橋は、それと気づかずに、ずっと「構造」の分析を、「テクスト」を分析していると誤って、実践してきたといえよう。遺憾ながら…。

2023年度(令和5)7月例会


【自由発表】

斉藤昭子「玉鬘系物語におけるメタ物語性―求婚譚の力学と男同士のつながりの臨界―」

 源氏物語におけるいわゆる玉鬘系の巻々は、その短編的(あるいは「習作」(藤井貞和)的)な性質ともあいまって古物語なものとの関わりが深い。帚木巻・空蝉巻は帚木伝説の古伝、末摘花巻・蓬生巻は唐守物語、夕顔巻に張り巡らされた漢籍や伝承はさまざま読み解かれているし、玉鬘の流離は古本住吉物語と関わるなどである。一方、語りのありように目を向けると、帚木三帖を枠取る長く特徴的な草子地、蓬生巻の巻頭、巻末の草子地など、「語ること」への構えが紫の上系とは異なっていることも看て取れる。物語による〈物語〉の対象化、「物語を語ること」そのものへの姿勢の表れ、その最たるものとして螢巻の物語論を位置づけることもできるだろう。

 また、古くは岡一男の指摘(「『源氏物語』のテーマ・構想・構成」(『源氏物語の基礎的研究』))、それを発展させた村井利彦「帚木三帖仮象論」(空蝉は桐壺―藤壺―紫の上という源氏物語の展開を指示するための機能を賦与された仮象の存在であるとする)があるように、玉鬘系の巻々は本発表の内容に引きつければ紫の上系の物語を補完するあるいは紫の上系の物語の「仮象」とする構造的な捉え方がある。

 本発表では、玉鬘十帖におけるメタ物語性の一つの様相として、玉鬘求婚譚の語られ方を改めて整理する。この求婚譚の中の玉鬘は、「くさはひ」と位置づけられ、これまでにない語られ方をしている。これによって求婚譚がいかなる動因によって生成されるか、それ自体が語りの対象となっていく。光源氏の敷設した六条院の栄華の一端、女を「くさはひ」とする語りは、求婚譚における欲望の力学、男同士のつながりの質を解き明かすこととなる。こうした(求婚)「譚」をメタレベルに捉えるメタ物語性によって、玉鬘の物語が紫のゆかりの物語といかに比照しあうかを見定めたい。


【テーマ発表】

西原志保「『恋せぬふたり』における仕事/ジェンダー/セクシュアリティ」  

 本発表では、20221月から3月までNHK総合(夜ドラ)において放映されたテレビドラマ『恋せぬふたり』(脚本:吉田恵里香、全8回)について、「人種、ジェンダー、階級などが交差する複合化されたことばの、相互に利害を異にし、矛盾対立する不協和音を丹念に聴き取ることにより、これまでのカテゴリー別のアプローチにおいて見過ごされてきた複合的な暴力を可視化する」(2023年度物語研究会テーマ呼びかけ文)。

『恋せぬふたり』は、他者に恋愛感情を抱かず、性的に惹かれないアロマンティック・アセクシュアルを扱ったことで話題となった作品であり、「アセクシュアルの女性が、同様の男性と同居し、心の安定を得るまでを極めて低い声で、しかも明るいトーンで描いている」(「第40回向田邦子賞」『TOKYO NEWS』、東京ニュース通信社、202245日、選考委員:池端俊策ほか)、「恋をすることが誰にとっても幸福であるという固定観念を覆し、パターン化した家族関係、人間関係の描き方に一石を投じた」(「第59回ギャラクシー賞/NPO放送批評懇談会プレスリリース」NPO放送批評懇談会、2022428日、選考委員長:古川柳子)などと評価されている。ただし、アロマンティック・アセクシュアルとして異性愛規範に苦しめられていることは同じでも、主人公たちふたりの経験は大きく異なる。

そこで本発表ではまず、『恋せぬふたり』における「階級、ジェンダー、セクシュアリティ」「アビリティ」「年齢など様々なカテゴリーを、相互に関係し、形成し合っているもの」(パトリシア・ヒル・コリンズ、スルマ・ビルゲ『インターセクショナリティ』、16頁)として捉え、考察する。次にそれによって、「どういう資格でテキストに向き合うのか、その読者(=研究者)の位置取りにより、意味を微妙に違えてしまうことばのあれこれを、加害と被害の観点から丹念に腑分けしていくこと」(呼びかけ文)を試みる。

最後に古典研究への応用可能性として、『源氏物語』のセクシュアリティに言及することで、発表者自身の立場を問い直したい。『源氏物語』においては、登場人物たちは自身のセクシュアリティに悩むことはなく、そもそもセクシュアルアイデンティティが存在するのか不明である。階級が大きく異なる場合、人間が人間と見なされないような身分制度の存在する社会におけるアイデンティティーズや権力構造を問題にする場合、翻って浮かび上がってくるのは、考察する側のアイデンティティーズだろう。

 

【参考文献】

2023年度(令和5)6月例会


【自由発表】

兵藤裕己「物語・語り物とテクスト――盲僧の物語伝承と神事――」

 1979年だったか、物語研究会にわたしが入会した頃は、しばしば「語り」が年間テーマになっていた。当時のモノケンの「語り」は、しかし舶来のナラトロジーに限らず、もっと幅の広い、リアルな日本語の実態と、その伝承の現場をもふまえた「語り」論だったと思う(でなければ、そもそもわたしの入会もありえなかった)。その延長上で、1981年の秋だったか、故Mさんなども含めて10人ほどで「神道集」ゆかりの群馬県の温泉旅行などもした。そんな雰囲気のなかで、わたしはナラトロジーやテクスト論を批判するような論文を書いたのだが(「物語・語り物と本文」『国語と国文学』1980年9月)、その前提となる口頭発表(1980年2月だったか)の司会は神野藤さんが引き受けてくださった。

そして80年代から90年代にかけて、わたしは「語り」の現場を(孤独に)歩きまわり、そのとき収録した数百本の録画・録音のコレクションは昨年までにデジタル化され、成城大学の民俗学研究所に「盲僧琵琶の語り物・兵藤コレクション」として収蔵された。こんかいの口頭発表では、そのコレクションの一端を紹介しながら、たとえば、「身毒丸」や「オグリ」を生成した物語テクストと、「語り」の現場とがどんな関係にあるのか、限られた時間のなかで話してみたい。


【参考文献】


【テーマ発表】

内田裕太「〈旅人〉であること――川端康成「伊豆の踊子」の〈交差性〉」  

 川端康成「伊豆の踊子」(『文芸時代』一九二六・一、二)は、川端文学を名実ともに代表する作であるとともに、「読み終へた時の、ほつとした感動の結末を受けとつてゐるものは、それを与へた箇処ではなく、この作品の大骨になつてゐる筋と情景の甘美さである。青春の叙情である」という伊藤整の言(「川端康成の芸術」、『文芸』一九三八・二)に象徴されるような、〈青春文学〉としての佇まいを一般読者に示してきた。二十歳の〈私〉が伊豆の旅の道中、踊子・薫を含む旅芸人の家族と出会い、ともに旅をしたのち下田の港で別れる数日間を描く「伊豆の踊子」の筋立ては、たしかにそうした評価に相応しい。しかしながら研究史においては、その背後で物語を規定する、社会階層やジェンダーといった観点にも徐々に関心が寄せられ、〈私〉の識閾下の差別意識や暴力性が考察の俎上に載せられることも増えてきている。

 本発表では、こうした近年の研究動向にも目を配りつつ、「交差する権力関係が、様々な社会にまたがる社会的関係や個人の日常的経験にどのような影響を及ぼすのかについて検討する概念」(コリンズ&ビルゲ『インターセクショナリティ』)を意味する、〈インターセクショナリティ〉を補助線として用い、「伊豆の踊子」の再定位を試みてみたい。「人種、階級、ジェンダー、セクシュアリティ、ネイション、アビリティ、エスニシティ、そして年齢など数々のカテゴリーを、相互に関係し、形成し合っているものとして捉える」、〈インターセクショナリティ〉の分析視角は、作中の多様な人々の存在の仕方を二項対立図式に落とし込むのではなく、より複層的な視座で捉えることができると考えられる。

「伊豆の踊子」における〈私〉の旅の軌跡は、現代を生きる私たちにどのような問いを差し向けているのか、そうした点を念頭に置きつつ、作品世界を多角的に検討してみたい。


【参考文献】

2023年度(令和5)5月例会


【自由発表】

張培華「『源氏物語』「夕顔」意象考」

 『源氏物語』「夕顔」という女性については、先行の研究では多様な角度から考察してきた。しかし、古代中国の文学理論である意象論の視点からみると、また新たに解釈できるところが見える。それはなくなった夕顔と彼女の娘の玉鬘の間に必然性が潜伏してきた痕跡が露呈しているところが見られるということである。すなわち帚木巻の中で頭中将によって登場された常夏の女である夕顔自身より、頭中将が隠した幼い娘、これが夕顔の物語の第一伏線と見える。つまり夕顔の物語では子孫が繁栄することを予示している。また光源氏が愛している藤壺に近づくできず、夫が持つ空蟬に拒否され、完全に空蟬に負けた際、ある夕方に不体裁の宅に咲いてきた夕顔の花と遭遇したということは、夕顔の物語の第二伏線と考える。それは夕方に咲いて翌朝に枯れる夕顔の意象によって、光源氏にとっては夕顔の恋は一瞬にして消えさるという兆しである。だからこそ夕顔は急になくなるのであろう。これは夕顔の物語の第三伏線と考える。重要なことは、なくなった夕顔の子孫である玉鬘が残しているということである。夕顔の意象は、表面的な植物である夕顔の花から内面的な命と子孫に関わる動物の意象との関係がどのようにあるのか。本発表では、この疑問点を、古代中国の文学理論である意象論から解明してみたい。 


【テーマ発表】

石垣佳奈子「『枕草子』における〈下衆〉〈えせ者〉――〈女房〉の述作という枠組みとの力関係――」  

 『枕草子』には、「下衆」「えせ者」に関する記述が多い。これらに対して「ある男の家の焼けたるを笑へる、また長谷に詣でて、賤しき人のわが前に蹲まれるを、追ひ退けしめんと悪みいへるが如き、清少納言はいかに女らしからざる女なりけるよ」(藤岡作太郎『国文学全史 平安朝篇』)といった非難がされたこともあった。

しかし、近年では、「黙殺することも、無視することもできた〈外〉の人々に目を向け、同情とも、憐れみとも違った生きた交流を持つことを、枕草子は中宮定子の逼塞の時代に学んだのである」(三田村雅子)という論や、火事で焼け出された「下衆男は清少納言達の危機の体現者」(中島和歌子)という論があり、単なる下衆蔑視とは異なる方向性を論じていて首肯できる部分が非常に多い。

ただし、〈下衆〉〈えせ者〉を描く章段の中には、「正月十余日のほど、空いと暗う」における畑の様子や、「うちとくまじきもの」における海の描写など、宮中との関わりが一見希薄な段もある。そもそも、〈清少納言〉は、定子に仕えた女房であり、ひとりの女性であり、『枕草子』の書き手でもある。本発表では、「個人のアイデンティティズは交差するものであり、パフォーマティブなものとして扱うインターセクショナリティの研究」(コリンズ&ビルゲ p.242)を参照しながら、〈清少納言〉の複数のアイデンティティズが『枕草子』においていかに交差しているのかを見ていきたい。「個人のアイデンティティズは、人がある状態から次の状態へと抱えていく固定された本質なのではなく、ある社会的文脈から次の社会的文脈へと異なる形態で演じられて(パフォーム)いくもの」(コリンズ&ビルゲ p.242)だとするならば、『枕草子』にはどのような「社会的文脈」が存在しているのか。

『枕草子』を女房の述作として読むことで見失ってきたものとは何かと思うほどに、『枕草子』には宮仕えとは直接関係しない記述は少なくない。一方で、諸本や注釈は、〈女房〉というアイデンティティによって、『枕草子』を総体としてつなぎ止めてきたという面もあると考えられる。たとえば、三巻本では、前述した「うちとくまじきもの」の船旅の描写は、巻末近くに配列することで下向する女房像としての位置づけを与えられている(石垣)。記述の断片をひとつの総体としてつなげようとする諸本の努力と、それとは反対にばらけていこうとする各章段の緊張関係が作り出す綱引きを、本発表では見ていきたい。

 

【参考文献】

2023年度(令和5)4月例会


【自由発表】

橋本ゆかり「『枕草子』雪山の章段と『源氏物語』朝顔巻――雪山作りをめぐる回想の語りと鎮魂(レクイエム)」 

 『枕草子』のいわゆる雪山の章段には、内裏の外、大内裏の内にある職御曹司に居た定子の雪山作りと、清少納言の賭けが語られている。『河海抄』では、この『枕草子』定子の雪山作りを、『源氏物語』朝顔巻で光源氏が回想して語る藤壺が雪山を作ったことの准拠として指摘する。光源氏の回想の語りの相手は紫の上である。その夜、光源氏の夢枕に藤壺の亡霊が立ち、光源氏は泣きながら目覚めることをする。朝顔巻は光源氏の誰にも言えない孤独な祈りと歌が語られて閉じられる。一方、『枕草子』雪山の章段は、三巻本では、他には記録のない、定子が職御曹司から密儀入内を果たしたことが記され、帝と定子の揃う場における和やかな笑いで閉じられる。『枕草子』全体の中でも極めてめでたさの際立つ、明るく喜び溢れた瞬間をとらえた、重要な章段と理解できる。

 本発表では『枕草子』の雪山の章段の「回想の語り」に注目し、『源氏物語』朝顔巻、藤壺亡霊出現のきっかけとなる場面の『枕草子』引用を考察したい。 


【テーマ発表】

深澤徹「「真衣」、その裸形(むきだし)の〈顔〉――ベンヤミンにいう「神話的暴力」に抗する「神的暴力」の可能性、もしくはランシエールによる「自由間接話法」のパフォーマティブ――」 

 「趣旨文」を共同執筆した立場上、最初の「呼びかけ」的な意味を込め、あくまで試行的な発表であることをお許し願いたい。「インターセクショナリティ(交差性)」は人種差別(レイシズム)やジェンダー差別に対する対抗言説としてあらわれたもので、白人(男性)至上主義がいまだ続くアメリカ社会の宿痾がその背景にある。これを日本の文脈に落とし込むに当たり、媒介項として石原真衣著『〈沈黙〉の自伝的民族誌―サイレント・アイヌの痛みと救済の物語』(二〇二〇、北海道大学出版会)を中心に扱う。

アメリカ社会では、ほんの一滴でも非白人の血が混じれば、非白人(=黒人)に人種分類される。メーガン妃の出自をめぐるイギリス王室のスキャンダルが、記憶に新しい。その分類基準でいえば、日本人もまた「黒人性」を担った位置づけでしかないのだが、石原はアイヌに出自するクオーター(四分の一)であり、日本の社会の中で、「和人」か「アイヌ」かの二択しか許されない状況下、一方的に「アイヌ」に分類されてしまうことへのとまどいを表明する。人種区分を第一優先順位に位置づけ固定化するそうした分節構造を、「インターセクショナリズム」は、その分析視角を通して複線化し、流動化させ、単なる便宜的な社会的役割(そのときどきの演技)へと減殺していくことで、人種分類やジェンダー差別の解消をめざそうとする。だが一方で、「プロファイリング(顔認証)・システム」というかたちで、犯罪捜査に活用(誤用、流用、悪用)される負の側面も併せ持つ。表紙に大きく写し出された石原の〈顔〉は、そうした「プロファイリング(顔認証)」の問題をも喚起する。

ついては、同じく表紙に〈顔〉(こちらは白人女性だが)を大きく映しだす、ロビン・ディアンジェロ著『ホワイト・フラジリティ―私たちはなぜレイシズムに向き合えないのか?』(二〇一八、明石書店)と対比させつつ、「インターセクショナリティ」の可能性と限界を踏まえた上で、その乗り越えとしての石原の、「自伝的民族誌」(私見によればそれは「自己言及」の方法化である)の積極的な〈選びとり〉を、ベンヤミンのいう「神話的暴力」に抗する「神的暴力」や、ランシエールにおける「自由間接話法」の行為実践と結びつけ論じたい。

本来なら、これをさらに日本文学のテキスト分析に落とし込む必要があるのだが、今回は時間的にそこまで行かない(=行けない)ことを、あらかじめお詫び申し上げる。

 

【参照文献】(趣旨文で挙げたもの以外で)

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【物語研究会公式サイト】