こんにちは!アフリカ地域専攻4年の山本貴仁です。
2024年8月下旬から2025年9月上旬までガーナ大学に派遣留学し、現地では日本のNGOの現地スタッフとしての業務も行っていました。
1年間の膨大な量の体験を順序立てて整理することは難しいものですが、私のガーナでの経験を大まかに分類したパートとガーナ生活での気づきなどを記したパートなどに分けて書いていきます。
1年間の留学中、さまざまな媒体に寄稿させていただきました。
テーマごとに書いておりますので、ご関心のある方はお読みいただけると幸いです。本ページの最後にそれぞれの記事へのリンクを掲載しております。
なお、ガーナという国やガーナ大学などに関する基本情報は私の1年前にガーナに留学された江川さんや久我さんの留学体験記を参照していただければと思います。また、アフリカ地域専攻のプロジェクトとしてガーナ大学留学組で制作したガーナ大学の紹介ビデオも、現地の雰囲気を掴む上で役に立つと思います。
目次
ガーナ留学の2つの軸―学びと仕事―
1-1. ガーナを選ぶまで
1-2. NGOでの仕事
1-3. 問いを見つける
1-4. ガーナ大学での学び
外大とアフリカの交換留学制度を支える
現地で組み立てていく旅―ガーナの外での経験―
3-1. サントメ・プリンシペ
3-2. マラウイ
3-3. ザンビア
3-4. チュニジア
散歩と挨拶と電話
終わりに―AI時代のアフリカ留学―
書いた記事など
私は計量経済学を専門とする出町ゼミに所属しています。また、サブゼミとして文化人類学系の大石ゼミにも参加しています。当初、西アフリカの通貨統合やパンアフリカニズムなどの地域統合の動きの最前線を見ることを目指して、ガーナを留学先として選択しました。
同時に、フィールドワークに憧れがありました。数字というマクロデータを扱う経済学とは異なり、社会に飛び込んでよりローカルな世界とも向き合いたいと考えていたからです。私の中から強く湧き出てくるフィールドワーク上の興味関心はまだ見つからなかったため、ひとまず経済学とも関わりそうなモバイルマネーに関する問いを設定してガーナに向かいました(写真1)。
写真1: ガーナに到着して3日目・ガーナ大から外大に留学していたリサと
私は、東京に本部を置く特定非営利活動法人SDGs・プロミス・ジャパン(以下SPJ)のインターンとしても活動しています。SPJはガーナ・Ashanti州Amansie West地区Manso Nkwantaにて、外務省のODA事業である職業訓練校の建設・運営事業を行っています(写真2)。
留学中はガーナのプロジェクト地やアクラで関係機関との調整や広報業務、現地状況の調査・分析などを行いました。職業訓練校の学生や先生、NGOのスタッフ、地域の行政機関や王室、職業訓練政策を統括するガーナの政府機関や資金を拠出する日本政府など、開発事業の上流部から現場の下流部まで多くのアクターと関わる機会があったことは、大局的に事業を見つめるきっかけとなりました。
写真2: 職業訓練校での授業風景
現地にはガーナ人の駐在員がいますが、日本からのスタッフは常駐していません。現地と東京の関係性には少し距離があるように思われました。当然、業務に直接大きく関わる内容については報告が上がっているわけですが、プロジェクトの成功のためには現場レベルで得られる小さな情報の積み重ねが必要です。現場の状況を東京での意思決定やドナーへの相談などに活かせるよう、現場レベルで得た情報を本部職員が知ることができるよう橋渡しする役割に徹しました。
当初、私は何かフィールドワークをやってみたいという漠然とした気持ちで現地に向かいました。しかし、五感を用いてフィールドと向き合っていると、自分が知らなかったことに対する色々な興味が湧き出てきます。
事業地における深刻な金の違法採掘の状況、特定の曜日には農業や鉱業をしないタブーの存在、王権が非常に強いことなど、次から次へと興味深い事例に出会うことができました。紆余曲折はあったものの、SPJでの仕事を通して自分自身も関わったガーナにおけるチーフ制について、その現代的役割に関するテーマに落ち着きました。
ガーナでは、各地域に君臨するチーフと呼ばれる伝統的な王様が現在でも強力な権力を有しています。チーフの地位はガーナの1992年憲法と関連法でも保障されていますが、その役割は曖昧です。
私が滞在していた地域では、特に王権が強くMMDAs(Metropolitan, Municipal, and District Assemblies)と呼ばれる市役所のような行政機関と並立する形で地方行政の役割の一部を担っています(注1)。
注1: Boateng, K., & and Bawole, J. N. (2021). Are two heads better than one? Challenges and prospects of chiefs and local government collaborative community development in Ghana. Community Development, 52(5), 554–572.
近代的なシステムと両立する形で、伝統的権威が存在しているという点で興味深いトピックです。また、各チーフはガーナの80%の土地を所有しているとされています。チーフは、現在でも土地や領内の人々の安全を守る守護者(custodian)として、地域の問題の調停や開発エージェント、文化の継承者としての役割が期待されています(写真3)。
写真3: チーフが集まる会議の様子
実際に、SPJの職業訓練校事業はチーフの要請を受け、チーフから土地を借用して実施しています。学校に関する問題はチーフに必ず相談し、学校の理事会の理事長は王室出身者が務め、王室は行政機関とともに事業に強く関与しています。
ガーナ大学では、このような自分の関心に沿った講義が開講されていました。「Chieftaincy and Development」(チーフ制と開発)という授業や「Culture and Development」(文化と開発)といった授業などを履修し、自分で見聞きした現場の情報を踏まえて、伝統的権威についてより体系的に考える機会となりました。
確かに、ガーナ大学の授業は理論の暗記に偏重しているようにも見受けられ、また講師の熱量によって授業の面白さが大きく変わるという問題はあります。一方で、何か自分で学びたいテーマがあれば、授業をきっかけとして教授陣や学生にもアドバイスをもらいながら学びを深めていくことができるでしょう。
当初の目的に近い「History of Pan-Africanism」(パンアフリカニズムの歴史)という授業も履修しました(写真4)。講師や学生たちとのアフリカとその他の世界における現代的な格差に関する講師や学生たちとの議論は大変白熱し、とても意義深いものとなりました。
写真4: 授業の一環で訪れたパンアフリカニズムの父W.E. Du Bois記念館
ガーナ留学中、多くの時間を割いて向き合ったことがアフリカの協定校から東京外大へ留学する学生の渡航資金を確保するためのクラウドファンディングの実施と返礼作業です。
文科省による日本とアフリカの間の学生交流への支援事業である世界展開力(アフリカ)プロジェクトの終了を受けて、経済的な理由から自費での来日が難しいアフリカからの留学生の渡航費を捻出するために実施しました。交換留学は相互の学生派遣を前提としているため、アフリカからの留学生が来日できなくなると、制度の根幹も揺らぎかねません。
過去にインターンとして担当したSPJでのクラファン経験を活かし、学生チームの司令塔のような役割で多くの業務に携わりました。また、日本とアフリカの人材交流の重要性は従来から唱えられていることもあり、ガーナを訪れた日本政府関係者などに交換留学の意義を説明する機会も多くありました。
学生という立場ではあるものの、制度を発展させるための活動に参加できたことは、社会に何をどのように訴えるべきかという点を考え、実際に行動する貴重な機会となりました。
詳しくは、以下のクラファンのページをお読みいただくとよくわかるかと思います。
「アフリカの留学生を東京外大へ!日本とアフリカの交換留学を続けたい。」(2025年)
URL: https://readyfor.jp/projects/asc-frica2024
これを読んでいる後輩の皆さんも、アフリカの大学との交換留学制度は多くの人々の努力によって維持されているということを知っていただければと思います。そして、留学する際には、制度を支える「担い手」としても、ぜひ積極的に関わっていただけたら嬉しく思います。
アフリカは、地域によって大きく異なる多様性あふれる大陸です。アフリカを専攻する学生として、その多様性を肌で感じたいと考え、サントメ・プリンシペ、マラウイ、ザンビア、チュニジアを旅しました。建前としては立派な理由ですが、実際にはガーナ料理の辛さに胃が悲鳴をあげていたため、少し他の国に逃げたいと思っていました。
ガーナから飛行機で1時間半のポルトガル語圏の島国です。英語が通じた島民は片手で数えるほどで、コミュニケーションは伝えたいという「パッション」とGoogle翻訳で取るしかありません。言語が通じない中でも、なぜか親しい友人が2人もでき、一緒にビーチに遊びに行ったり、料理をしたり、マーケットで一緒に干し魚を売ったりしました(写真5)。
写真5: サントメ島での相棒David
言語にとらわれていた中で、信頼関係を構築するための言語以外の要素の重要さを、身をもって体験する機会となりました。街も自然も美しく、料理は素材の旨みを活かすシンプルな味付けで、安くて美味しいコーヒーとパン、人々は優しさの塊で大好きな国となりました。同国に就航している航空会社が限られ、日本から渡航するハードルは高い島ですが、今後ガーナに留学する方はぜひ訪れてみてください。
マラウイでは、マラウイコーヒーの販売収益を用いて、現地で給食支援事業を行っている特定非営利活動法人せいぼじゃぱんの活動を視察しました(写真6)。現地での視察の様子は、せいぼじゃぱんのホームページにて報告書が公開されています。ご関心のある方は本ページ下部のリンクからぜひご覧ください。
写真6: せいぼじゃぱんの活動地域の小学校にて
マラウイからザンビアへはバスに乗って12時間ほどで、日本国籍保有者はビザが必要ないこともあり、マラウイ訪問のその足でザンビアを訪れました。
主な目的は東京外大に留学していたザンビア大学の学生に会いに行くことでした。5日間の短い滞在でしたが、毎日ザンビア大学に通い(?)、授業に出たり、教会に行ったり、放課後に話し込んだりとザンビアでの学生生活を追体験しました。
共に旧英国領で、資源国であるガーナとザンビアは表面上の共通点は多くあります。一方で、街を歩いたり現地の学生たちと議論したりする中で、ガーナの特異性を理解する機会にもなりました。
ガーナと比べると、ザンビアでは人々が民族性を意識しているように思われ、また、物価の安さからか富裕層と外国人以外の人々もショッピングモールで日常的に買い物をしている様子には驚きました。
日本では私が彼女たちをサポートする立場でしたが、ザンビアでは彼女たちからの温かい歓迎を受け、外大で生まれた関係性は一生続いていく大切なものだと実感しました(写真7)。
写真7: ザンビア大学から外大に留学していたリタとトセとの再会
初めての北アフリカ、そしてアラブ世界。綺麗な高速道路や鉄道網、地中海沿岸の新鮮な野菜や海産物を用いた料理。サブサハラ世界とは全く異なる環境に驚きの連続でした(写真8)。
イスラム国家ではあるものの、かなり世俗的であることも特徴的で、首都では昼間からビールを飲んでいる人々の姿も印象に残りました。カフェの数は日本のコンビニのような規模で、路上で仲良くなった友人たちとはカフェで歓談しました。
写真8: ガーナにはないバゲットの世界
特にテーマは固まっていないけれど、アフリカでフィールドワークをしてみたいと思う学生もいるかもしれません。まずは散歩をしてみましょう。家を飛び出すと、すぐに誰かに話しかけられます。少し慣れてきたら、こちらから現地語で挨拶してみると良いでしょう。
陽気なガーナ人はすぐに興味を持って仲良くなってくれます。日本でいう散歩は、個人的なものです。道を歩いていて誰かと仲良くなることはまずあり得ません。一方で、ガーナでの散歩は、偶然の出会いが必然的に生まれる機会です。私のガーナでの親友と呼べる人たちの多くが散歩中に出会い、その後の継続的なやり取りを通じて関係性が構築されていきました。
その代表例が、アクラの下町Madinaで出会ったママゲティの家です。
陽気なテイラー見習いのプリスラー姉さんに声をかけられて始まったこの家との繋がりは、偶然の出会いから生まれました。毎週日曜日にこの家族と教会に行き、家に戻ってガーナ料理を作ったり、子どもたちと遊んだり、時にはお出かけもしました(写真9)。
写真9: 私の「姪っ子」のAseda
ガーナの家族の様子は、アフリカ地域専攻の先輩、小佐野アコシヤ有紀さんの著作をぜひ読んでいただければと思います(注2)。本の中の世界だったガーナの「家族」の中に、私もその一員としていつの間にか参加していました。これからも、日本で暮らす「親戚」としてこの家族に関わっていくことになるでしょう。
注2: 小佐野アコシヤ 有紀. (2023年). ガーナ流 家族のつくり方 世話する・される者たちの生活誌. 東京外国語大学出版会.
友人に対してのWhatsApp上での挨拶も重要です。特に用もなくても、「How are you?」と頻繁に連絡をしてくるガーナの人々の真意が最初はよくわかりませんでした。
しかし、会話の内容というよりは、相手を気にかける姿勢そのものが大切なのだと徐々にわかってきました。当然、出会った全ての人と密な関係性を築くことは不可能ですし、そうする必要もないと思います。
ただ、特に仲の良い人たちに対して、定期的に連絡を取り合うことは心がけると良いでしょう。ドライな関係性を好む日本では、要件がないLINEをすることはあまりありません。ガーナ人に言わせてみれば、1ヶ月も連絡を取らない相手は友人とは言えないようです。小佐野さんの言葉を借りると、連絡を「さぼらないこと」が大切です。
日本に帰国し、久しぶりに新聞を開くと人工知能(AI)に関する話題が連日大きく報道されています。AIの進化は目覚ましく、留学中のさまざまな業務や情報収集には大いに役立ちました。
一方で、フィールドに入り、人々と信頼関係を築きながら現地を主観的にも客観的にも捉える行為は人間でなければできません。
AIが持つ情報は、情報を積極的に発信できる立場の人々から流れてきた情報で、AI自身が情報を作り出すわけではありません。少なくとも2025年現在も、ガーナの村のことは村に行かなければ正確に掴むことはできません。
たとえば、ガーナで深刻な金の違法採掘の問題をとっても、違法採掘から遠い首都にいる人々の間では、利己的な人々によって水源が汚染され、森林が破壊されているのだから軍隊を派遣し、違法採掘者を射殺するべきだという乱暴な議論も見聞きします(注3)。
注3: Tetteh Abeni, C. (2025, June 3). “Shoot to kill”: The only policy left to successfully curb the illegal mining (galamsey) menace of Ghana? GraphicOnline. URL: https://www.graphic.com.gh/features/opinion/shoot-to-kill-the-only-policy-left-to-successfully-curb-the-illegal-mining-galamsey-menace-of-ghana.html
しかし、採掘が盛んな地域で暮らすと、地方の雇用不足、周縁化が引き起こした普通の人々が関わる問題であり、短期的な摘発は根本的な解決にはならないとわかってきます(写真10)。また、首都のメディアは取り上げることはありませんが、家族関係や社会の伝統の衰退など、社会構造に大きな影響を与えているように思われます。
写真10: 学校の裏でも行われている深刻な金の違法採掘の様子
留学や言語・地域を学ぶことの意義について、AI時代における外国語大学の存在意義が問われています。AIができることはAIに任せ、人間的に泥臭く歩き回り、現地の人々と対等にコミュニケーションをとり続けることができる人材こそがこの時代には求められているのかもしれません。AIが強くなればなるほど、人間的であることは意味を持ってくるように感じます。そして、その人間的な社会がアフリカにはあります。
最後に、この留学を支えてくれた家族、東京外大留学生課、展開力アフリカ、現代アフリカ地域研究センターの教職員の皆様、ガーナ大学国際局の皆様、SPJのスタッフ、奨学金を給付いただいた業務スーパージャパンドリーム財団の皆様、そして私の留学を彩り豊かにしてくれた全ての友人に感謝します。
ガーナ留学中に執筆した記事などを列挙しています。ご関心に応じて、ご覧ください。
・特定非営利活動法人SDGs・プロミス・ジャパン
「ガーナ現地レポート」Part 1〜 Part 10、「マンソ・ヌクワンタにおける金の違法採掘の現状」(2025年3月)など
URL: https://sdgspromise.org/archives/tag/ガーナにおける職業訓練校建設
・特定非営利活動法人せいぼじゃぱん
「マラウイ給食支援現場、コーヒー農園訪問記」(2025年5月)
URL: https://www.seibojapan.or.jp/malawi-visit-2025-report/
・特定非営利活動法人FENICS
URL: https://fenics.jpn.org/tag/山本-貴仁/
メルマガ「私のフィールドワーク① ガーナのクリスマスと年越し」(2025年1月)
メルマガ「私のフィールドワーク② 「世界」を横断すること」(2025年3月)
メルマガ「私のフィールドワーク③ オブロニからKwabenaになるまで」(2025年5月)
メルマガ「私のフィールドワーク④ ガーナのチーフ制の小噺」(2025年7月)
メルマガ「私のフィールドワーク⑤ ガーナに居場所があること」(2025年9月)
・Ready For 現代アフリカ地域研究センター クラウドファンディング
活動報告「【ゴールまであと3日】外大にアフリカ社会があること」(2025年1月)
URL: https://readyfor.jp/projects/asc-africa2024/announcements/357032
最終更新:2025年10月1日