こんにちは。 2020年度入学、中国語専攻の巻山梢と申します。
私は2022年8月末から2023年6月中旬まで、台湾の国立台湾師範大学に交換留学していました。日本帰国後、いとこが働く西アフリカ・ベナンに遊びに行った際、「アフリカっておもしろい!」と惹かれ 、再度の交換留学を決意しました。
正確には、最初は「おもしろい」よりも、今まで知らなかった世界にとにかく「びっくり仰天!」という感じでした。
乗合バスのフロントガラスは割れまくり、雨季の雨でタイミルクティーみたいな色の川ができて(写真1)、下水も混ざっていそうなその川をビーサンが流されないように気を付けながら進まないと家に帰れず、道路上のクレーターみたいなへこみに合わせてバスはぼこんぼこんと上下し、長距離バスの休憩所でドアも無い、ただのちっさい穴にトイレをして、流すための水をもらうだけでお金がかかり、食べ物は全部辛くて食べきれず、お腹を壊してグロッキーな状態でお尻の大きいママに圧迫されながら5時間乗り合いタクシーで南下しなければならないという、、。
写真1: 雨でできたタイミルクティーのような川
正直に言うと、ベナンにいた一週間の間は衝撃や体調不良などの大変さしか感じず、ポジティブな感情は湧きおこりませんでした。ベナンのあと、他の国も回って一か月後に帰国し、自宅でのんびりお団子を食べている時に初めて、「あぁ、なんだか全然違う世界にいたんだな。同じ地球の上なのに、こんなに違うなんておもしろいな」と、日本とのギャップに面白味を感じたわけです。
ということで、2024年7月から11月まで の1セメスター、ザンビア大学に通い、留学終了後の約1か月半、南部アフリカを周ったりベナンを再訪したりし、2025年1月下旬に日本に帰国しました。
私は先述の通り「アフリカっておもしろい!」という好奇心から、アフリカの長期滞在を検討し始めました。方法として、インターン、ボランティア、青年海外協力隊 (以下、協力隊と略します)、交換留学、休学(私費)留学などがあると思います。
しかし私は「現地で貧困問題についてより理解を深めたい!」「現地のスタートアップで働いてみたい!」などという具体的な「やりたいこと」がなかったため、ボランティアやインターンは考えていませんでした。
ベナンで働くいとこは協力隊の元ベナン隊員で、相談した際も協力隊を提案されました。派遣先国の言語の授業が無料で受けられ、現地での生活は保障され、日本での積立金もできる。協力隊は(合格すればですが)、一般のボランティアよりも、安全に活動できる環境が整っていると感じました。
いとこに「やりたいこと」が無いから応募するのは腰が引けてしまう、と言うと、「協力隊同期でも学生で、ただアフリカに来たかったから応募したっていう子もいたよ」と言われました。しかし私には「現地の人との関係構築力」「課題発見・解決力」「周りを巻き込む力」に自信がなく、またビジネス経験がないまま行っても、現地のために自分ができることって何かあるのかな、と疑問を感じたため、協力隊には応募しませんでした。
残った選択肢は留学です。現地の国立大学に留学すれば、日本の大学よりも学費が安く済むと思いました(アフリカの私立大学の学費についてはよく知りません)。
しかし私は業務スーパージャパンドリーム財団奨学金に応募したいと考えており、この奨学金には「学内選考がある留学プログラムへの応募であること」という条件があるため、これに賭けて、交換留学を選択しました。
少し話がそれますが、この奨学金には無事合格しました。ですが奨学金の最終的な合否発表が2024年の4月中旬で、それまでは不合格の場合に備えてアルバイトで貯金もしていました。後で留学にかかった費用を計算したところ、渡航費や現地での旅行費も合わせて60万円程度に抑えられたので、頑張ればアルバイトの貯金だけでも十分やりくりできたと思います。ですがザンビアでも物価が上昇していたりビザ代がとても高かったりし、こまごまとした出費がかさんだので、奨学金を頂いていたことは心の余裕になりました。
話をもとに戻します。以上の経緯で私は交換留学を選びましたが、明確な「やりたいこと」というものがなかったため、今振り返ると現地での時間の使い方が少々もったいなかったかも、と感じます。
自分なりに頑張ってはいたと思いますが、もっと精力的に活動していれば、もっと色んな事を吸収できたのではないかと思います。
ザンビア留学中、私が具体的に何をしていたかと言うと、
1.授業 に出る(でもしょっちゅうキャンセルになる)
2.聖歌隊の練習に参加する(週1~3回)
3.協力隊の方々の活動現場を見学させていただく(計10回ほど)
4.駐ザンビア日本大使館 のイベントにボランティアで参加する(計2回)
5.在留邦人の集まりに参加する(週1以上)
です。
同じザンビア大学に留学されていた宮川さんの体験記にもありますが、とにかく授業がよくキャンセルになります。しかも当日に。2コマ連続の授業で、教室に集まって1時間待ち、結局先生が来なかったということもありました(写真2)。
また、先生が毎回真面目に来る授業でも、授業が面白くなかったり、10月は暑すぎて集中できなかったり、ということで、自主的にお休みすることもありました。
先生によるとは思いますが、取っていた3つの授業(注)のうち2つの授業では、先生がカンペを読み上げ、学生がそれをひたすらノートにディクテーションをする、という形式でした。初めて見たときは「これが大学の授業?」と驚いてしまったほどです。同じ授業を受けていたチェコ人の留学生は、「授業に出席しない代わりに課題を提出することで単位がもらえる」よう先生と交渉までしていました。
自分の英語力が足りていなかったというのももちろんあると思いますが、授業に集中するのはとても難しかったです。
写真2: 2コマ連続の授業で、2コマ目に先生が来るかもしれないので1時間待つ学生たち
注:私はHumanities and Social Sciencesという学部のGovernment and Management Studiesという学科に所属し、
・War Economies and Peace Building
・Ethnicity and Race in World Politics
・Politics of Africa
の3つの授業を取っていました。
ザンビア大学のキャンパス内にある教会の、学生のみで構成されている聖歌隊にサークルのノリで参加していた、ということです。もともと歌うのが好きで、またその教会のミサに参加した際、聖歌隊が歌っていた歌が現地のベンバ語で、聴いていてとても面白い、自分も歌ってみたいと感じたのが理由です。
週4回の練習でしたが、週2回くらいのペースで参加し、適度に楽しんでいました。コンサートや合宿、亡くなられた教授のお葬式に参列して歌を歌うなど、色々と貴重な体験ができました。特に合宿ではザンビア人20~30人と日本人1人という環境の中、3日間行動を共にしました。時間の感覚が本当に違うことを改めて痛感 することになり、聖歌隊の活動の中で一番印象に残っています。
ちなみに合宿では合唱の練習よりも楽しむことがメインでした。カフエという首都ルサカから車で1時間強のところに行き、カフエリバーのそばを散策したり、人工の湖(?)がある大きな公園でBBQのようなものをしたり、最後の夜は学校に内緒でお酒を持ち込んでパーティをしたり...(写真3)。
予定より3時間遅れることがデフォルトのようなこの合宿ではフラストレーションが溜まることもありましたが、反面、留学の中でザンビア人と一番濃い時間を過ごせた良い経験でした。
写真3: 合宿中、人工の湖(?)で泳ぎ、BBQをしたあと
おそらくアフリカに留学する学生は皆さん一度は経験があるのではないかと思います。私はコンパウンド(低所得者の居住エリア)にあるコミュニティスクールや公立学校で教えられている隊員さん、農業、畜産業の隊員さんの活動地などを訪問させていただき ました。
中には、隊員さんが企画したコミュニティスクールの運動会にも参加させていただく機会もあり、子どもたちとたくさん交流できました。
現地の人との交流機会が増えただけでなく、
①協力隊の方々が実際にどのような場所で、
②限られたリソースを用いてどのように活動されているのか、
③活動の中で感じられている悩みや課題などについても伺うことができ 、
いつかは協力隊に応募したいと考えている私にとっては、大変参考になる貴重な機会でした。
たとえば、
①子どもたちの身長に合っていなさそうで、かつ大人数を詰め込んでいて狭い長机、全員分はないイス、暗くて狭い教室(写真4; あくまで私の感想です)
②クリスマス会、遠足などをやるために子どもの親から少しずつお金を徴収し、いかに安くバスを手配するかといった情報を隊員同士で共有し合う工夫
③隊員は人手不足の学校でマンパワーとして求められており、活動期間が終わった後に何か残せるものがあるのか、という悩み
などなど。
写真4: 日光が射し込みにくいコンパウンドの中の学校
なお、隊員の方々とは週末のサッカーや隊員さんが催すイベント(コミュニティスクールで日本文化を教えるイベントや運動会)にボランティアで呼ばれた時などに知り合いました。
ザンビアに着いた時は当然サッカーの集まりがあることも場所も時間も知りませんでした。が、ちょうど私の前に1年間ザンビア大学に留学をしていて、1週間後に帰国を控えていた外大の学生と運よく滞在期間が被ったため、その人に案内してもらい、在留邦人のグループに溶け込めました。
もしその人がいなかったとしても、ザンビア大学で日本語を教えられている協力隊の方が私たち留学生が住む寮に住んでいらっしゃり、入居した際にハウスキーパーの方が紹介してくれたので、その方経由でも在留邦人の集まりの情報は共有していただけたと思います。
そのような方が身近にいなくても、スーパーやショッピングモールで遭遇する可能性は十分ありますし(ザンビア大学の裏にあるイーストパークモールはとても大きいのでちょっと離れたところに住んでいる日本人もよく買い物に来ていました)、もし現地に到着しても全くつてがないということであれば、筆者にご連絡いただければ、在ザンビア邦人の方に繋げられるかもしれません。
2024年はザンビア独立60周年、そして日本とザンビアの国交樹立60周年の年でもありました。それを記念しザンビアと日本の大使館が共同で開催したイベントの中の、日本文化を紹介するブースで書道や折り紙などを教えるボランティアをしたり、コミックマーケットの大使館ブースで浴衣の着付けをお手伝いしたりしました(写真5)。
写真5: 折り紙を教えているところ
宮川さんの体験記にもありましたが、在留邦人が集まる週末のサッカーやバドミントン(写真6)、日本人会が開催する年に一度の運動会、1月にある新年祝賀会などで在留邦人の方々と交流していました。体を動かしたり一緒にご飯を食べたりする中で、日々の生活の辛いこと (停電や断水など)を共有し合う貴重な存在でした。
本当に、私はこの在留邦人の方々との交流がなければ4か月もザンビアで暮らせていたとは思いません。それほど、同じバックグラウンドを持つ日本人の存在は貴重でした。
写真6: 土曜日のバドミントン。この日本人コミュニティが大好きでした。
私が最近(2025年5月現在)感じているのは、自分の好奇心に従う行動力が飛躍して伸びた、ということです。台湾の留学で1年間卒業を延ばし、ザンビアの留学でさらに1年間卒業を延ばした私は、現在6回生4年生です。本来であれば卒業研究の授業だけ取ればよく、大学にもあまり通う必要はありません。
しかし私は今年新しくサークルに入り、新入生と同様にそのサークル内での1回生となりました。最初は新歓活動をしている現役メンバーよりも3個も年上ということで、周りに気を遣わせてしまったり気まずい思いをさせてしまったりするかなと思いました。しかし、「入りたかったけど6回生から入るなんて気まずすぎる...」と思って卒業したら、それこそその後悔がずっと残ってしまうと感じました。
まだ入って間もないですが、先輩(大学では後輩ですが)はみなさん本当に楽しそうに活動されていますし、新入生たちもキャラが濃い人たちが多く、ここでの活動が楽しみです。
他にも、外大生ならあるあるかもしれませんが、最後に外大生らしく他の大学ではなかなか学べないような言語をやりたいと思い、ベトナム語とウズベク語の授業を取ってみたり、今までは時給最優先でアルバイトを探していましたが、最後の1年はずっとやりたかったことをやろうと思って映画館のアルバイト(最低賃金)をつい最近始めました。アルバイト先ではよく「4年生から始めるなんて珍しいですね」と言われます。
コンセと呼ばれる、ポップコーンやドリンク、チュロスなどを販売するポジションで働いていますが、映画館の独特な雰囲気の中、映画を楽しみにやってくるお客さんを相手にするのはなかなか楽しいです。最後にチャレンジしてよかったと、まだまだ研修中ながら感じています。
このような、以前だったら「やろうか迷って、勇気が出なくて結局やめておく」というパターンだったものが、アフリカで現地の人や在留邦人や旅人など多くの人と出会い、挑戦をしている人たちを見てきたおかげで、また自分自身も様々な経験をしてきたおかげでフットワークが軽くなり、新しいことを始めることへの抵抗感をあまり感じなくなりました。そういった意味で、このザンビア留学の経験は自分を成長させてくれたと思っています。
こうしてみると色々やってきたように見えるかもしれませんが、自分では「これもやってみればよかった」と思うことがいくつかあります。
たとえば日本語の授業のボランティア。
ザンビア大学で日本語を教える隊員さんから、週に一度日本語の授業を受け持ってみないかと提案(お願い?)されました。しかし私は「外大の『外国人に日本語を教えてみたい人』向けの授業を取ったこともボランティアで参加したこともないしなぁ...」「日本語を教えるのがそもそも難しいのに、それを英語で、しかも20人くらいの大勢の前でやるのは自信がない...」と及び腰で、結局断ってしまいました。同時期に留学していた男の子は引き受けており、私も彼の授業を見学させてもらいましたが、良い経験になっただろうなと思います。
他にも、首都のルサカには日本人の方がやっているNPOや孤児院があり、前の学期に他の大学から留学に来ていた学生はそこでボランティアやインターンなどをしていたと聞きましたが、自分はそうしたことはなにもやりませんでした。
理由としては、情けないですが億劫だったのかもしれません。
「暑い」「日光を遮るものがないだだっ広い道を長時間歩くのがしんどい」「バスの路線が限られていて、路線から外れるとタクシーでないと行きづらい、でも節約したいからあまりタクシーも使いたくない」と言い訳をしたり、今のままで十分だ、という現状維持を志向したり...。
旅行の時は「おもしろい!」と思ったものでも、生活になるとやはり心構えが変わるもので、「日本と違っておもしろい」から「日本と違いすぎて苦痛」という風にも思うようになりました。
ぜ旅行者の時の視点と生活者の時の視点がこれほどまでに違ったかと言うと、旅行者の時はそこでの滞在が面白いと感じられるわずかの間に移動してしまうため「飽きる」ということがありませんし、反対に楽しくない、つまらない、辛い、と感じた時にはすぐに逃げ出せる気楽な心境でいられます。
停電するような宿に泊まっていても、宿を変えたり国を変えたりすれば逃れられるでしょう。特にベナンに行った時は頼れるいとこがいたので何も問題はありませんでした。
しかし生活者となると、自分の生活はすべて自分で面倒を見なければいけません。停電しても断水してもそう簡単に住む場所は変えられないし、一人暮らしなので一人で対処しないといけません(写真7)。相談できる友達はいましたが、同じ場所に一緒に暮らしているわけではないので、寂しさを感じることも少なくありませんでした。
写真7: 停電時間が長すぎて8月下旬、ついに火鉢を買って料理を始めた。
私が留学していた2024年はザンビアの首都ルサカでも未曾有の電力不足で、2日以上電気が来ないこともありました。というのもザンビアは電力の8割を水力発電に頼っているのですが、2023~24年の雨季に十分な雨が降らなかったため、水力発電がほとんど機能していなかったようなのです。
日常的に停電していたので冷蔵庫、冷凍庫、電気コンロが使えず、朝起きた時や夜寝る前にコーヒーやお茶を飲みたい自分にとって、そうしたリラックスできる時間を作りづらかったです。(それまでの生活では当たり前にお茶を飲んでいたため、「自分は水だけでは満足できない。嗜好品としての飲み物が自分にとって生活必需品なんだ」とこの時気がつきました。)
炊いたお米を冷凍庫で保存しても電子レンジがないと解凍できませんし、寮に電気がないと自室でスマートフォンやパソコンなどの充電ができません。私は寂しがり屋で、初めての一人暮らしでもあったので頻繁に日本にいる家族や友達と連絡を取っていました。しかし充電を気にしてあまり頻繁に連絡が取れなくなり、不自由な思いもしました(その後隊員さんに「機内モードと低電力モードを併用して充電を温存する」と教わったり、停電頻度が減ったりしたことで状況は改善しました)。
日本と同じ便利さのレベルを求めるわけではありませんが、長期生活をする中でのQOLが低かったことも「苦痛」と感じた原因です。
そうした困難があり、この困難に対処しているだけでも自分は十分よくやっていると感じていたからこそ、その上の課外活動に手を出さなくてもいいかな…と現状維持志向になっていたとも分析できます。
私がこの体験記で伝えたいのは、明確な目的意識はなくてもいいけど、とにかく体を動かすこと、積極的に行動を起こすことの重要性、です。結局は、留学先にいる貴重な時間を、活かすも殺すもできるのは自分の裁量なのだと思います。
ですので、これからザンビアに限らず、留学に行かれる方に対してアドバイスできるとしたら、「ここで行動しなくていつ行動するんだ」「ここ(留学先)にいられる時間をフルで活用してやる!」くらいの気持ちで、様々なものにチャレンジしてみてほしいと思います。
もちろん、安全と健康には気を付けたうえで。
最終更新:2025年5月10日