2021年度(令和3)

2021年度(令和3)3月例会


【ミニ・シンポジウム】「ポスト・ヒューマンの物語と動物表象」


「趣意文」

 1980年代以降、欧米を中心に、環境問題などを背景とし、人間と動物の共生のあり方や関係の枠組みを問い直す学問領域「アニマル・スタディーズ」(animal studies)が成立し、動物に関するテーマが文学批評においても重要な位置を占めつつある。近年の動物に着目した研究は、ジェンダー批評やポストコロニアル批評の系譜を継承し、ジャック・デリダやジョルジョ・アガンベンを参照しつつ、他者表象としての動物に注目する。

日本では、南アフリカ出身の小説家J・M・クッツェーや、ジョルジョ・アガンベン、ジャック・デリダなどを参照しつつ、日本の戦後文学における動物表象について論じる村上克尚『動物の声、他者の声―日本戦後文学の倫理』(2017年)が画期となり、主に近現代文学研究において、近年の動物論への注目が高まりつつある。


江口真規「アニマル・スタディーズと物語の中の動物」

 「アニマル・スタディーズ」(animal studies)とは、動物と人間の関係や共生のあり方を考えるための人文学や社会科学、自然科学を融合した研究の枠組みであり、主に1990年代以降、欧米を中心に学際研究の一領域として成立している。数ある動物についての学問の中でも、アニマル・スタディーズは、動物の権利擁護と解放に主眼を置いている点が特徴的である。動物の権利擁護の立場か、あるいはアニマルウェルフェア(動物福祉)の立場かなどの相違はあるものの、大規模な近代的工場畜産と不要な動物実験への反対は共通した認識であり、ヴィーガニズム(絶対菜食主義)への関心は年々高まっている。

 このように動物解放のためのアクティビズムと結び付いて発展してきたアニマル・スタディーズの領域において、必ずしも文学作品の研究は盛んであるとはいえない。物語の中の動物に関しては、比喩や象徴の解釈に留まり、動物自身や人間と動物の関係については十分な考察がなされていないと指摘されてきた。しかし近年、文学作品に描かれた動物は、人間の文化に根付いている動物の抑圧を可視化し、動物に対する認識的・倫理的感受性や共感を高める役割を担っていると主張する研究もある。アニマル・スタディーズにおける文学の意味を考えるならば、「声のない」(voiceless)ものとされる動物の「声」を代弁し、あるいは動物自身が語り手となる作品など、多様な動物の表象や動物の主体性を可能にする点に意義がある。

 本発表では、菜食主義をめぐる意見の対立そのものを文学的な主題とし、メタフィクションの構成をとるJ・M・クッツェーの『動物のいのち』(The Lives of Animals, 1999)や、屠畜場や実験室を舞台とする作品の例を挙げながら、アニマル・スタディーズにおける文学研究のあり方について論じる。また、英語圏文学の研究が主流であるアニマル・スタディーズの中で、日本文学・日本文化の観点からどのように関与していけるのかについても考察したい。


富澤萌未「童への名付け、犬への名付け」

 平安時代の物語を読むと、「犬」「牛」といった動物名を童名が確認できる。たとえば、『源氏物語』の「若紫」巻、「紅葉賀」巻には「犬君」、『うつほ物語』には「犬宮」(藤原仲忠の女子)、「山犬」「里犬」(源仲頼の男子)といった「犬」の名が付く童が登場する。古記録を確認しても、「犬宮」と呼ばれた敦良親王や「犬」と呼ばれた藤原実経がいる。「牛若」と呼ばれた源義経、「牛飼」と呼ばれた藤原実頼など、「牛」、他にも「鶴」や「馬」、「亀」、虫の名前が付いた童名もある。

 本発表では、このように動物の名をなぜ童に付けたのかを検討し、さらに犬の名前「翁丸(まろ)」の意味や、犬が童を食う記録・説話を確認した上で、「人」ではない異形として捉えられた童と動物の類似性を考えたい。


吉良佳奈江「犬とベトナムをつなぐ加害意識」

 韓国文学にはよく「犬:개」と言う単語が登場する。「犬:개」という単語には、人間にもとる存在という否定的な含意があるようだ。

 韓国文学では韓国に流入してきた移住者を動物と重ねる表象が見られるがそこでも犬が現れる。ジョン・インの「他人との時間」(1)では、話者である「私」の視点で、飼っていた犬のハノが死んでからの現在と、ベトナム人の妻との出会いから別れまでの話が平行して語られる。

 ベトナム人の妻は悲劇的に描かれるばかりではない。チョン・ソンテの短編「えさ茶碗」(2)は骨董品をめぐる滑稽話で、ベトナム人妻の存在は後景化されている。犬を売ってくれという犬買いに向かって姑は言葉の通じない嫁が大事にしているからと一度は断る。言葉での疎通が難しい異国で、言葉のいらない犬が妻の愛玩の対象になるのは「他人との時間」と同様だ。

 犬が愛玩の対象であると同時に、食肉でもあることは韓国文学における大きなテーマである。ハン・ガンの「菜食主義者」(3)では、主人公のヨンヘは肉食をやめ菜食主義者になる。ヨンヘが菜食主義者になったきっかけは夢のせいだが、血塗られた夢は飼っていた犬を父親が残忍に殺したこと、その犬肉を自分も食べた記憶へとつながっていく。家父長的な父親はベトナムの参戦兵士でもあるヨンヘは決して被害者としてのみ描かれているわけではない。夢の中では自分が殺されたのか、殺した側なのかわからず朦朧としている。

 韓国の作家たちは、国家が時として暴力の主体となることに自覚的だ。本発表では犬を、犬食に象徴される韓国社会の暴力性を暴くモチーフとして考察する。

  1. 日本語訳がないので「他人との時間」試訳を事前に共有する。

  2. 『二度の自画像』吉良佳奈江訳(2021、東京外国語大学出版会)

  3. 『菜食主義者』きむふな訳(2011、クオン)ハン・ガンは『少年が来る』井出俊作訳(2016、 クオン)では光州事件を主題として、国家の暴力性を告発している。


2021年度(令和3)1月例会


【自由発表】

張培華「『源氏物語』「若紫」考」

 『源氏物語』「若紫」という表現は巻名にしか見えないが、若紫巻の物語の内容に基づいて、若々しい紫草という寓意を内包している。いわゆる作者が擬人化の手法を使って、わざと「紫草」として、女の主人公である紫上を創出したと考えられる。なぜなら、紫上の祖母の尼君や男の主人公である光源氏らが和歌の中で、はっきり「紫上」のことを「若草」と詠んでいるからである。光源氏が若々しい「紫上」を、二条院に迎え育てたのは光源氏が深愛する藤壺に会えない代わりに、自らの不足な心を慰めるためである。本発表は、なぜ作者が若々しい紫草を「紫上」と暗示するのか。この点について、古代中国文化の受容の視点から、草の効用は、病気を治す草薬であるから、光源氏が愛している藤壺に会えず、心の悩みを治す象徴で、紫上を草に暗示したのではないだろうか。


2021年度(令和3)11月例会


【自由発表】

橋本ゆかり「御前の呉竹と分身たちの声―『枕草子』「五月ばかり月もなういと暗きに」、帝のメディアパフォーマンス」

 『枕草子』「五月ばかり月もなういと暗きに」の段は、定子のいる職の御曹司に殿上人たちが清涼殿の御前にある呉竹を持って現れ、御簾に差し入れたところ、清少納言が「おい、この君にこそ」と答えたところからエピソードが始まる。「この君」とは、『晋書』王徽子伝の故事にある「此の君」が踏まえられていると殿上人たちは受け取る。この段は、これまでの研究史では、清少納言の自讃譚として理解されてきた。

 本発表では、定子の女房と帝の御前からやってくる殿上人たちを、定子、帝のそれぞれ〈分身〉〈メディア〉として捉え、この場面における内裏と門を隔てた外側にある職の御曹司という〈社会的距離=ソーシャルディスタンス〉におけるコミュニケーションを読み解き、〈分身〉たちによる帝のメディアパフォーマンスとその語りについて論じたい。

 帝と定子を相対化すべく、『枕草子』屈指の笑い話とされる「里にまかでたるに」の段――清少納言の元夫・則光が「布(わかめ)」を頬張るエピソードが語られる段――での、則光と清少納言の「布(わかめ)」を介した秘密のコミュニケーションについても言及する。宮廷内で共有される知、あるいは二人だけに共有される約束の暗号がどのように機能しながら、他者のまなざしや噂との攻防の中で世論を作り、二人だけのコミュニケーションを成立させていくのか。〈清少納言〉という女房の視点と語りを通して書かれた『枕草子』という「物語」について考えてみたい。

※なお、発表資料及び要旨の著作権は発表者に帰属します。


【テーマ発表】

池田大輔「『「記憶」の創生〈物語〉1971-2011』から一〇年過ぎて」

 年間テーマ「物語研究会50年の歩み」において、発表者は1990~2010年代を担当する。2000年前半は、西洋から輸入した文学理論による闘争がやや落ち着いた時代であったと実感している。そして、担当期間の20年間における成果のひとつが、物語研究会40周年記念論文集『「記憶」の創生〈物語〉1971-2011』(翰林書房、2012年3月)の刊行であろう。本発表では、改めてこの論文集を紐解いてみたい。そこには、50年を迎えた現在同様に人文学の危機と研究会の未来という問題意識があり、課題や今後の方策が提示されている。

 したがって、論文集刊行から10年が経過し、研究会がどのように進んだのかを確認する作業から始めたい。具体的には、論文集の「物語研究会四〇周年記念シンポジウム 物語学の現在」と、安藤徹氏、河添房江氏、小嶋菜温子氏、高橋亨氏による会の回顧と展望を書いた学術エッセイ「「物語研究会・回顧と展望」で提示されていた課題とその後を検証することで、これから目指すべき物語研究会の未来について考えたい。

また、1996~2005年にかけて刊行された『源氏研究』1~10号は、物語研究会の会員も多く関わっているので併せて取り上げたい。特に第10号の特集「物語の未来へ」での座談会「『源氏研究』の十年―ジェンダー・身体・源氏文化」で示されている課題を、物語研究会の今後と重ねて考えてみたい。

物語研究会が、これまで積み上げてきた知的闘争の場としての意味を再確認しつつ、40周年というひとつの節目に提示された問題と振り返りながら、持続可能な研究会の未来について議論したい。

〈参考文献〉

  • 『「記憶」の創生〈物語〉1971-2011』(物語研究会編、翰林書房、2012年3月)

  • 『源氏研究』第10号(三田村雅子、河添房江、松井健児編、翰林書房、2005年4月)


2021年度(令和3)9月例会


【テーマ発表】

斉藤昭子「物語研究とジェンダ―論のあとさき―90年代バックラッシュと年間テーマ〈性差〉(’94)・〈性〉(’95)から―」

 かつて物語研究会の会員向けに毎月発行されていた(私文書としての)新聞「狐狸言集覧」に、「ジェンダーの問題について啓蒙的な投稿を」との依頼による依田富子の文章が寄せられたのは1994年5月のことであった。90年代は一見矛盾した2つの流れの交差地点にあるとし、「「女」の政治的な主体性を主張し、男性中心主義の体制に拮抗する女性の団結を喚起することと、「女」を記号として相対化することは、はたして両立できるものなのか、というジレンマ」を言っていた。そうした批評の現在に照らして「平安文学(テキスト及びその受容/研究史)とフェミニズムとの対話を展開させるためには、まず平安文学研究に根強いジェンダー本質主義を様々な角度から批評していくことが必要だ」と述べていた。年間テーマ〈性差〉が始まったばかりの頃である。94年の〈性差〉・95年の〈性〉と、物語研究会はジェンダー・セクシュアリティの問題系と向き合ったが、折しも社会は大きなバックラッシュのうねりも生じてくる頃であった。機関誌『新物語研究』3(「物語〈女と男〉」95年、有精堂)・4(「源氏物語を〈読む〉」96年、若草書房)に寄せられた諸論考や会員諸氏の著作にまとめられた成果をふり返り、このテーマによって物語研究会が切り拓いたもの/残されたものについて考える。さらに90年代の「ジレンマ」を生じさせた「2つの流れ」がその後、どのような道筋をたどって深化したかを整理し、物語研究に蓄積され、また残された問題をいかに新しい時代へ接続するかを考えたい。具体的な分析としては源氏物語第二部を扱う予定である。


2021年度(令和3)8月大会


【シンポジウム】

事務局「趣意文」

 「語ること」は、物語研究会にとって中心的な主題でありつづけてきた。モノガタリとは、モノを語るのか、モノが語るのか、そこにおける「カタリ」はどこまで「騙り」であるのか。書かれた語りとしての「物語」は、口承の文学とどのようなダイナミズムを形成するのか。私たちはこの五十年のあいだ、そうした思索をつづけてきた。

 その間にはっきりしてきたことがある。近代口語文、そしてそれを操るとされる近代的自我を持つ主体。両者は決して、歴史の必然から生まれた「置きかえのきかない何か」ではない。グローバル化の進展と産業構造の変化によって、国民国家や近代に揺さぶりがかけられた。その結果、別の形の書きことばや自己意識を持ちえていた可能性を、私たちは自覚するに到った。紅葉や露伴、一葉が歩んだ先に、今ある言文一致体とは異なる小説文体が拓ける見込みはなかったのか? 鏡花のエクリチュールは、特異な才能がつくりあげた一代限りの芸と見なしてよいのか? 「簡素平明」を旨とする文章美学――小説文体のみならず学校作文をも支配する――は、どこまで普遍性をもつのか?

「語り、騙ること」と「主体」。このふたつの関係を、物語研究会設立五十周年にあたり、問いなおしてみたい。そのことを通じて、来るべき発語の形と、それを担う新しい主体の姿を探ることができればと考える。

 物語研究会は、主として古典テクストを対象としてきたが、それを「聖遺物」として祭りあげるために設立されたわけではない。前近代を問うことで、近代のオルタネイティヴを構想することは、物語研究会の大きな課題の一つである。今回のシンポジウムを通して、その原点に立ちかえる方途を探りたい。

〈参考文献〉

  • 兵藤裕己『物語の近代――王朝から帝国へ』(岩波書店、2020年11月)

  • 石原千秋『読者はどこにいるのか――読者論入門』(河出文庫、2021年7月)


兵藤裕己「「語る主体」をめぐる言説編制(物語)の前近代と近代」

 『源氏物語』の「作者」は、紫式部か、それとも藤原定家なのか。たとえば、尾崎紅葉が推敲・添削した『義血侠血(滝の白糸)』が、「なにかし」の作者名で『読賣新聞』に連載されたのは、明治27年(1894)11月である。その本文(仮名遣い以外は『鏡花全集』所収本と同文)を、現存する鏡花の草稿本や清書本と比較すると、推敲や添削の域を越えて、人物名からストーリーまで変えられている。そんな『義血侠血』(このタイトルも紅葉の発案)が鏡花作とされたのは、紅葉の没後であり、それも鏡花が望んだわけではなく、出版社(春陽堂)の版権上の都合からだった。

 かつて近松門左衛門が、自作正本の内題に「作者近松門左衛門」と明記したことも含めて(『出世景清』貞享2年刊)、「作者」とは、すぐれてメディア論的な問題であり、それは近世・近代の出版メディア、あるいはまた中世公家社会のキャノン形成をめぐるさまざまな政治的・経済的な力学のなかで生成した。そして「作者」の発生と成立は、物語・小説類の語り(narrative)のあり方を根底から変えてゆくのである。そのような「作者」をめぐる言説編制(物語)の前近代と近代について考える。

〈参考文献〉

  • 拙稿「ものがたりの書誌学/文献学」「王朝の物語から近代小説へ」『物語の近代――王朝から帝国へ』所収


助川幸逸郎「柄谷行人史観の始原と現在」

 私は一九六七年の生まれであるが、私と世代の近い「文学青年」は、柄谷行人の『日本近代文学の起源』および柄谷が蓮實重彦・浅田彰・野口武彦・三浦雅士とおこなった連続座談会「近代日本の批評」からつよく影響された。

 これらにおいて柄谷が提示した歴史観に、実証レベルで多くのあやまりがあることはすでに指摘されている(私の四月例会での発表でも、柄谷の「誤謬」の一端に触れた)。しかし、その「あやまった歴史観」が、私ばかりでなく、多くの「文学研究(志望)者」を酔わせていた事実はうごかせない。そして、そうした柄谷の影響力が何を背景としていたかは、まだ十分に解明されていない。四月例会での考察をさらに深め、紅葉、美妙、一葉の位置づけをとらえなおすことを通して、柄谷史観の思想史的文脈にせまることにしたい。

 柄谷はモノケン設立メンバーと年齢もちかく、彼の思想的な歩みはモノケンの歴史とも交錯する。柄谷の「切断主義=進歩主義」のナラティブを嘲笑するのではなく、批評的に乗り越えること。そこを標的に発表をすすめていきたい。モノケン50年の遺産を若い世代に手渡す一助となればと考えている。


石原千秋「高度経済成長期とバブル期と文学研究」

 物語研究会の歩んできた道は知らない。しかし、「噂」はよく耳に入った。

 50周年と言えば、高度経済成長期の終わり頃の設立である。高度経済成長期は、明治維新以来百年が経って、ようやく「近代」が形になり、それと戦後民主主義が手を結んだ時期だった。オイルショックがいったん「近代」を減速させたが、バブル期には高度消費社会が誕生し、「現代」の原型が作られた。この時代に「多様性」という概念が「正しい」というより「正義」として、思想から教育まで行き渡った。資本主義と民主主義との関係が最も密になった時代だったろう。

 いまの世界情勢を見れば、資本主義はもっとも機能しやすい政治体制を乗り物にしてきたにすぎないことが見えてくる。それが、近代では民主主義だっただけの話である。近代文学研究に限るなら、こうした時代状況の影響をもろに受けてきた。「語り手」と「主体」という相容れない概念が平気で両立していたのも、時代の影響抜きには考えられない。 商品を差別化するかのように、「書いた人」を分割してきたのだ。

 文学の話はあまりしたくはない。文学研究のみならず、文学が資本主義に都合のいい乗り物ではなくなってきたことだけを言っておきたいと思う。


【自由発表】

西原志保「『秋の夜長物語』翻案としての稲垣足穂『菟』―動物表象とジェンダー」

 『一千一秒物語』(1923年)や『少年愛の美学』(1968年)によって知られる作家、稲垣足穂(1900―1977年)の小説『菟』(1939年)では、『秋の夜長物語』が明確に引用される。「何かお伽草子めく雰囲気」「観音様の影」など、広義のお伽草子に分類され、稚児が観音の化身とされる『秋の夜長物語』を思わせる符丁も多い。しかしながら、『秋の夜長物語』は少年である稚児と僧侶の物語であるのに対し、『菟』は成人男性と儚く死んでしまう少女との恋愛が描かれる、「足穂にしてはやや特異な作品」(高原英理「少女という機能を逃れて」『少女領域』国書刊行会、1999年)である。この少女は、「身体的性別に拘束されない」(同)とも指摘されるが、そのような特異な少女のありように、『秋の夜長物語』引用はどう機能しているだろうか。また、『秋の夜長物語』の稚児梅若が桜や梅、紅葉など植物に喩えられるのに対し、『菟』の少女は動物であるウサギに喩えられている。

 そこで本発表では、稚児(少年)から少女へ、そして植物的イメージからウサギへという転換に注目し、『秋の夜長物語』の翻案としての『菟』を読み解きたい。


2021年度(令和3年度)7月例会


【自由発表】

竹田由花子「平安文学における「鬼」と「人」―『伊勢物語』を中心とした考察―」

古代における「鬼」は、「隠(おん)」が語源の一つとなっており、人の目にはその姿かたちがはっきりとは見えないものの、何だか恐ろしいものと捉えられていたようである。平安朝の物語作品にも「鬼」という語は度々登場し、例えば『伊勢物語』六段「芥河」では、蔵の中に潜み、女を一口で食べる恐ろしい怪物として描かれる。が、後人注と言われる部分では、女を取り戻しに来た兄たちが「鬼」であったとも示されている。また、同作品の五十八段「荒れたる宿」では、「色好みなる男」を見て騒ぎ立てる田舎の女たちを「鬼」のようだと表している。

このように、当時における「鬼」という語は、「人」とは全く異なる存在を指すこともあれば、「人」そのものを指すこともあった。『源氏物語』においては、「心の鬼」という語が複数回使われることからも、「鬼」とは「人」の中に存する邪悪な何かであったとも捉えられよう。

本発表では、平安文学における「鬼」は「人」と両極を成す存在であるか否か、考察を試みる。

【テーマ発表】

上原作和「亡霊化するテクスト論/甦る作品論-物語研究会2000-2021

わたくしが物語研究会に入会したのは、昭和の末、19884月、國學院大學での例会であった。すでに発足してから16年を経過、「解釈と鑑賞」「國文學」の物語特集では、主要メンバーがほぼ独占的に執筆していた時代であった。新時代社の「物語研究」特集・語りと引用、二集めの特集・視線は今なお、わたくしの記憶に鮮明である。時代はバブル景気全盛、旧社会党左派のマルキストが起こしたこの版元は、ミハイルバフチン著作集と「物語研究」で書店の棚を賑わせたのも束の間、バブル崩壊後、連絡すら途切れた。結局、それも経済崩壊の余波であったことが、この度、判明した。機関誌は有精堂、若草書房を経て終刊。現在、自前で作る「物語研究」が21号を数えた。

 そこで、国文学系出版社の系譜、2000年以降の年間テーマ、ミニシンポ一覧、 「中古文学」投稿論文(24/男性執筆者5)、架蔵の会員単著(141)を総覧しつつ、この20年余の会を取り巻く状況と、会の成果、現状を分析してみたい。

 おおよその見通しからすれば、少数派となった理論派の奮闘にも関わらず、テクスト論のみならず、方法論そのものが退潮、忘却化され、作品論が甦りつつある、という構図が透かし見えてくる。テクスト論を忘れたことは、この会がふつうの研究会となったことを意味する。かくして、物語研究会の未来はあるのか、「若き研究者」のみなさんの積極的、建設的な御意見を期待している。

2021年度(令和3年度)6月例会


テーマ発表】

三田村雅子「身体論・王権論から見た物語研究会―女性・在外研究者の視点から―」

 物研(モノケン)の第1世代にやや遅れて参加した三田村は第1世代に対する尊敬や憧ればかりで独自の路線を生み出すことなく、ひたすら追随するのみであったけれど、やがて台頭してくる女性研究者たちの動向と、海外の参加者がモノケンに与えた影響、モノケンが彼ら彼女らに与えた影響について考えてみたい。モノケンの主たる潮流となった王権論・語り論と、女性研究者によって担われることになった身体論との拮抗関係についても考察していければと考えている。


2021年度(令和3年度)5月例会


【テーマ発表】

長谷川政春「五十年を経た物語研究会の過去・現在および〈ゆくえ〉

 こんな昔語りから始めることにする。三谷さん(早稲田大学)・藤井さん(東京大学)・加納さん(東京教育大学)と、私(國學院大學)の4人による『源氏物語』の座談会があって、その終了後に「物語研究会」立ち上げの話が出た。三谷さんの発議であったと思う。私は3人に初めて会ったが、設立のことは2、3分で決まったはずである。「若き」物語研究者の会である。各自の所属する「大学のしがらみ」を脱した「若き」研究者が考究しあう場を目指した。設立後10年になって、「若き」が問題になってきた。字義どおりなら、我ら4人は退会しなければならなかった。

 「物語研究会」の活動50年の内容への私一己の(独善的)感想・感慨は発表の折に。

【テーマ発表】

藤井貞和「分析批評と主体性論議」

 数名でパネル式に話す程度かとお引き受けしたらば、「二つの昔……」(神野藤昭夫)を聴いて、続けてお話する材料も私にはないので、三谷邦明論の繰り返しである。新帰朝者、小西甚一が物語研究会の初期のころにやって来て(加納重文が呼んだと思う)、一枚のプリントを配布した。それをいま見つからなくて、しかし「源氏物語の分析批評――「語る主体」への流れ」(伊井春樹編『講座源氏物語研究』一「源氏物語研究の現在」、二〇〇六)を書いた時までは持っていた。自由間接話法、フローベール、述主、話主、作者など、きらきらする術語があふれていた。小西は玉上琢彌の「三人の作者」論をえらく腐していたが、西郷信綱を合わせてその三人はまったく同世代の友人同士、研鑽しあう仲間であり、旧世代を拒絶する、新しい研究がかれらのもとから生まれつつあった。その小西が「若き研究者集団」物語研究会に向かって何を訴えようとしたか、いまからは痛いほどよく分かる。会場は異様な雰囲気に包まれ、そのまんなかに三谷がいた。三谷には、栄一を別格として、もう一人、深刻な「影響」を与えた人に、(岡一男と同年の)時枝誠記がいたと私は睨む。最晩年の時枝が早稻田大学の教壇に立ったことを三谷は許せなかったろう。時枝の主体性論には幸か不幸か、『文章研究序説』(一九六〇)に見ると、「物語論」(語り手論)のたぐいがすっかり欠落している。その隙間に向けて三谷の闘志が燃えていた。参考文献は上記の「源氏物語の分析批評」(藤井『構造主義のかなたへ』〈二〇一六〉所収)で、これだけは読んできてください。


2021年度(令和3年度)4月例会


【テーマ発表】

神野藤昭夫「二つの昔〈近代国文学と物語研究会と〉そして私と

 昨今、私の得意としているのはしどけない炉辺閑話である。ご依頼の意向に沿うかどうかおぼつかないが、しばし懐旧談におつきあい願いたい。

 どうやら私の研究人生、東京都本郷区出身モノケン部屋と刺繍されたジャケットを羽織ったころから始まるらしい。だから、物語研究会はなんであるか、なんであったかということについては、私個人にとっても大きな意味をもっている。

 物語研究会というのは、どんな存在として登場して来たことになるか。そんなことをボンヤリ考えるたびに、私は、ひとり槍と盾をもったドンキホーテになって、風車に立ち向かう滑稽を演じることになる。モノケン昔(話)の前に、今回もその妄想の枕から話し始めたい。

 それは、〈私たちの学問〉というものをかんがえるたびに、いやおうなく振り返らざるをえない話題、近代の国文学という学問はどんなことをめざして出発したものかということである。

 私が、国文学を学ぶ学部の学生となったのは、東京オリンピック(昭和39年・1964)の前年のこと、新入生になりたての私は、風巻景次郎とか西郷信綱とかを読んで、〈文学史〉というものに関心を持ったのだった。じつは、この〈文学史〉なるものは、近代の国文学にとって、大きな学問目標であった昔があるわけである。

 ところが、学部の3年生の秋から、授業料値上げ反対に端を発した、昭和40年代の学生運動へと続く季節がやって来て、それは既存の大学の枠組みや学問からの脱却と刷新をはかろうとする新しい機運へと展開する。それはわが国にとどまらない国際的な潮流でもあったわけだが。

 物語研究会も古くて閉鎖的な大学組織のしがらみを離れ、新しい研究者集団による新しい学問創造を目指して生まれて来たものたった。当時の気概は、物語研究会成立史をたどることで、昔を知らない人たちにも感じていただけよう。

 しかし、既存の学問からの脱却あるいは挑戦といった志は志として、それで物語研究会らしさがたちまちに生まれ出たわけではなかった。物語研究会らしさが醸成されて来る、その柱となったのが、会員が共通の問題意識をもちうる年間テーマの設定だったのではないか。そして、この年間テーマがしだいに新しい研究方法や領域を切り拓くことに繋がってゆく。

 しかし、個人としての私は、こういう物語研究会の動向に大いに学びつつも、その動向の進展になかなかついてゆけない。自分なりにがんばって追いつこうと努力するうち、自分がどこかに行ってしまう気がして来た。学びつつも、自分の背丈に見合った、自分らしい研究をするにはどうしたらよいか、どうやって自己確立をはかるかということが、個人的には切実な問題となって来た。モノケンに半身とっぷり身を浸しながら、どんなふうに距離をおくことで自分らしさを繋ぎとめるか。最初にモノケンというジャケットを着たものにとっては切実な人生課題があったのである。脱ぎ捨てるのではなくて、いかにして自前のジャケットにして着こなしてゆくか。

 で、私は脱ぎ捨てる(会員をやめる)のではなく、なんとか着つづける(会費を払いつづける)ことで、自由でありたい、そういう道を選んで来たし、今後もそうありつづけたいと思っているが、人生だんだん深まって、不如意の時が近づきつつある。

 少しは資料や映像を用意しておしゃべりしたいつもりはあるが、片目が不自由になり、手術の事後でもあってうまくゆくかどうか。目だけではない。頭も錆びついて来ている。これらもまた不如意の訪れである。やんぬるかな。 

【自由発表】

助川幸逸郎 「〈身〉が〈心〉をつくるという系譜~田山花袋『蒲団』と前近代紀行文~」

田山花袋『蒲団』は、「自然主義文学の基礎をつくり、ある意味で日本の近代小説の本流を定めた」(中村光夫)と評される。しかしそこに頻出する「作中人物が、外国文学のキャラクターの〈身〉におのれをなぞらえて、心情を形成する」という場面形成のありようは、、前近代の紀行文に見える「文学名所へ行き、そこにゆかりのある故人の〈身〉に同一化して句や歌を読む」という構図を彷彿とさせる。

本発表では、『蒲団〉のエクリチュールが、いかに前近代文語文の影響をうけているかを問う。最終的には、田中実がいう「近代小説」と「物語」の差異―作中人物の心情を語り手が叙述する〈虚偽〉と向きあうか否か―が、近代以前から持ち越されていたことをあきらかにしたい。

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