2025年1月某日
気候も良く、1月とは思えぬ暖かな朝のスタートだったので
午前中のうちにかねてから訪ねてみたかったロケ地へ行ってみた。
そのロケ地とは、第48作で登場するリリーの母親が入所していた「青陽園」。
実在する特別養護老人ホームで場所は八王子にあるのだ。
撮影当時と季節を合わせて行きたいと思っていたので、本当は昨年の12月に行こうと思っていたのだが
仕事が少々忙しかったことと、自身が入院してしまったため今回の訪問となった。
リリーの母親はシリーズで2回(11作と48作)出てくる。
ちなみに母親役の演者の方はそれぞれ違う。
11作で登場したリリーの母親役は、「利根はる恵」さんである。
娘のリリーにお金を無心する母親であった。
二人が会っていた場所は西五反田1丁目付近
アンタんとこへ三遍も電話したんだよ、いつも留守ばっかりでさ
あ〜痛っ
歯が痛くてね、腫れちゃったんだよ
で、持ってきてくれたのかい
バッグからお金を取り出し手渡すリリー
どうもありがと、助かるよ
物入りでね〜近頃は
酒は上がるし、ベンチは壊れるし
歯医者は高いしさ
あ、そうだ
お前こないだそこのサクラメントで歌を歌ってただろう
どうして寄ってくれないんだよ
池田さんて不動産会社の社長さんだけどね、リリー松岡って私の娘だって言ったら
わざわざ見に行ってくれてさ
とっても褒めてたよ
帰りに多分寄ってくれるだろって、ずいぶん待っててくれたんだけどね
どうして寄ってくれなかったの
お店で私の名前なんて出さないでって言っただろ
だって親子なんだからいいだろう?
親のつもりなの、それでも
ハッキリ言うけど私アンタなんか大っ嫌いよ
いなくなればいいと思ってんの
なんて事を、そんな・・・
私だってね
アンタに言えない%&#$だってあるんだよ!
ばか、ばか
あははは・・・・(泣き崩れる母親)
無言で立ち去るリリー
ばか!(怒鳴る母親)
それから20年以上の月日は流れ、再びリリーの母親登場。
以前のような関係なのだろうか・・・
「青陽園」の看板を目印に
左へと曲がっていく。
画面は変わって「青陽園」の敷地内
このシーンのロケ地に今回行ったのである。
アンタ今どこにいるの?
お母ちゃん、何遍言ったらわかるの
奄美大島
綺麗な海のそば
母親ほったらかしにして
そんな遠いところ行っちゃって
よく言うよ
ほったらかされたのは娘の私の方だよ
好きな男と遊び歩いて
ろくにうちにも帰ってこないで
私はね
中学の時からお母ちゃんの世話になんかなっていないの
航空写真で昔と今を比較し、実際にどこで撮影していたのかを検証。
赤い🔴印がリリーのいた場所。
タモ?で何か掬ってる。池があることがわかる。
現在は「第二青陽園」という大きな建物が建っている。リリーの後ろに見えていた池は無くなっていた。沿革を調べてみると2013年完成のようで、それ以前に訪問できていたならギリギリ池は残っていたようだ。
左が2010年、右が現在の比較写真
唯一の手掛かりの住宅供給公社の松枝住宅。
この建物が無くなっていたら位置合わせは難しいことになっていただろう。
感謝!
カメラ位置を考えながらアングルを調整。
もう少し右からの撮影だが、遠くに見えるマンションが木に隠れるためこの位置で撮影。
この場所で間違いない!ピンポイントで恐らく世界初登頂!(かなぁ〜笑)
位置関係はこんな感じだろうか。
春になるとこの場所は、桜が咲いてきっと綺麗なんでしょうね〜
反対側はこんな感じ。左が「第二青陽園」、木を挟んで右が「青陽園」とその隣が「からまつ保育園」
一年に一度
ここにきちゃぁ私のこと
いじめんだよ、お前は
お母ちゃん、島に来る?
一緒に暮らしてもいいんだよ
空気は綺麗だし
魚は美味しいし
長生きできるよ
嫌だよ
あたしゃ暑いとこ嫌いだよ
この時の母親役は「千石規子」さん。
完全関係修復とまではなっていないが、11作の時のような刺々しさはお互い無くなっている。
何よりリリーは「お母ちゃん」と呼んでいる。
老人ホームに入園する前に、リリーの心に変化をもたらす何かがあったのだろう。
ここについては私たちが勝手に想像できる山田監督が用意した「余白」の部分だ。
どちらにしてもお互いの関係が良き方向に向かっていることに安堵感を覚える。
結果的に最終作となった48作。
山田監督は11作でのストーリー回収を、しっかりとシリーズ内で描き切っていたのであった。
やはりどうしても母親の前では素直になりきれないのか、
それともどうにも照れくさいのか、サングラスを外せないリリーなのであった。
「いなくなればいいのに!」と11作で言っていたリリーが
今作では「長生きできるよ」と、母親のこれからを気遣っている。
その言葉を聞けたことで11作をより深く見返すことができる。
思えば寅次郎とリリーが最初に出会った第11作の網走。
このシーンは何度見ても切ない。
リリーのテーマも相まって浅丘さんの演技からリリーのこれまでの人生が見えてくるから不思議である。
私たちなんてアブクも同然。いなくなっても誰も気にしない。
船で仕事に出かける父親を、手を振り見送る家族。
その姿を見つめるリリー。
中学の頃家を飛び出し、そのままフーテン生活となったリリー。
思えばリリーの想像する家族というのは、リリーの憧れからくる妄想だったのかもしれない。
家族とはどういうものなのか。
家族の姿を知らずに成長したリリーは
より一層の孤独感に苛まれていたのだろう。
11作では燃えるような恋がしたい、と言っていたリリー。
リリーは愛に溢れる女性なのだ。
本来は家族に向けるべき愛も行き場を失っている。
だからこそ燃えるような恋をしたいのだ。
愛し愛されたい。
寅次郎のそれとは違った愛の形。
母親に対しては厳しいリリーだったが
第15作では父親との思い出をスラスラと語っている。
博と同じ印刷工であったことや
お弁当を持って父親の印刷所へと通っていたこと。
また、鉛は体によくないからと活字を触ることに対し父親は怒っていたという。
自分のことを心配してくれる父親の愛を感じていたに違いない。
そんな父親がいて、母親がいて・・・・
貧しいながらも愛のある家庭。
夜汽車の窓から見える一つの灯りで涙ぐんでいたリリーは
自分の思い描くそんな家庭を想像していたのだろう。
リリーが生きてきた旅がらす人生は、
愛の溢れる「家族」探しの旅だったのかもしれない。
第15作でリリーは寅さんに絡みます。
「寅さんにはこんないいウチがあるんだもんね。私とは違うもんね、幸せでしょ?」
リリーは気づいていたのだ、寅次郎と自分との決定的な違いを。
「寅さん、何にも聞いてくれないじゃないか、嫌いだよ!」
そう言ってひとり旅立って行く
リリーなのであった。
しかしリリーは寅次郎と出会ったことで、
これまでにない代え難い経験を得ていた。
リリーが思い描くような愛の溢れる楽しい団欒。
溢れる愛で接してくれる柴又の人たち。
たまにフラッと寄っただけでも心から歓迎してくれる。
自分の存在を気にかけてくれる。
そして寅次郎の優しさ。
寅次郎と出会ってからの22年でリリーの心は変わったのだ。
くるまやの面々と触れ合ってきた時間
寅次郎と過ごした日々は、リリーの閉ざされた心を癒し
家族とはどういうものなのかということを感じとっていったのだろう。
自分にはちゃんと肉親がいる。単に自分が目を背け向き合っていなかっただけ。
親なんだからと、自分のこだわりを押し付けていたのは自分の甘えであり
一人の人間として、その人を理解することで母親の人生を認めるようになったのではないだろうか。
この何気ないシーンは、シリーズ最終作に相応しい
リリーが辿り着いたひとつの「家族」の形なのである。
しかし年老いた母親はもうそんな自分の変化には気づいてくれない。
家族というものは、時にそんな面倒な一面もあるのだ。
もどかしさを感じながらもリリーはリリーなりに
自分の家族の形にしっかりと向き合って今後を過ごしていったのだと思う。
と、そんな勝手な想像をしながらロケ地に佇んでみたのであった。
リリー・・・俺と所帯持つか
やっぱりこのシーンって・・・泣いちゃいます。(T ^ T)
おしまい。
追記
1月25日
朝日新聞で「山田洋次 夢をつくる」という連載があリまして
そのシリーズ37回目でリリーについて山田監督が語っています。
一部抜粋にてご紹介します。
実はルリ子さんが演じたリリー像にはモデルがいます。
ほくの妻の友人の教師が、この子は家庭というものをまるで知らないから、お宅に時々お邪魔させてほしいと、今は更生しているけど少女時代はかなりの不良だった女性を連れてきて、それ以来、わが家の友人になったK子さん。
大きな目をした色白の美人でちょっとかすれた声、腕と太ももに入れ墨があった。
両親の顔も知らずに育ち、中学生のころから不良仲間とフーテン暮らし、何度も暴力沙汰を起こして少年院送りになったが売春は絶対しなかった。
そのころのK子さんは横須賀の米兵相手のバーで働いていたが、それまで長い間住所不定だったという。
暖かくなると北へ移動して札幌に行ったり、寒くなると南の温泉地に行ったりのフーテン暮らし。
寅さんと同じ世界にいるといっていい。それまでの遠い憧れのように恋をしていたマドンナとはかなり色合いが違うキャラクターを、ルリ子さんは的確に演じてくれた。
K子さんは生みの母親を懸命に探していたが、ある日とろとう母親が見つかり会ってきた、と報告してくれました。
記憶もない母親の前に立っていても何の感動も湧かなかったという話に、ぼくと妻は懸命に涙をこらえたものですが、この話は「寅次郎忘れな草」の中の母娘のシーンに生かされています。
K子さんは横須賀を基地にした米軍の航空母艦の水兵と結婚して、アメリカ暮らしをするようになったけど、たまに日本に帰ってくると神保町に行って安い古本を山ほど買い込んで船便で送っていました。何でもいい、本を読むのが何よりも楽しみだそうです。ぼくは時々思うことがある、この頭のいいK子さんが子供のころから、もしまっとうな教育を受けていたら立派な学者になれたのではないかと。
このK子さん像をもとにぼくが浅丘ルリ子に種をまき、それが芽を出して幹が伸び枝が育ち、リリーという美しくて妖艶な花が咲いた、ということなのでしょうか。
出典:朝日新聞より