とらやとくるまや

寅さんが旅から帰ってくるところは

東京葛飾柴又、帝釈天参道にあるご存知


とらやである。






その「とらや」がナゼか第40作「~サラダ記念日」より名前が

くるまやに変わる。





何があったのだろう??



特に映画の中では説明はなし。

出演者も何の疑問も無く昔より続く老舗として

「くるまや」に違和感を持っていない。



これは物語とは関係なく現実として

何か問題があったのでは?

そう考えるのが普通と思われる。




パッと思いつくのは例の羊羹老舗「虎屋」と

何か関係があるのでは・・・


映画が売れすぎたために名前の使用で訴えられたのでは??




どうやらそれは違うようだ。





どうも帝釈天参道にある「とらや」さんと

何か関係があるらしい。





元々こちらのお店は「柴又屋」という名前のお店だったのだが

「男はつらいよ」の映画がヒットした後に

お店の名前を映画と同じ「とらや」に変更したようなのである。


これは「柴又屋」のお店を経営されている方が変わったことも

名前変更のひとつの要因だったようである。




営利目的のために映画のヒットにあやかって名前を変えた、

と思われても仕方のないような経緯ではあるが

生活していくための已む無さもあったに違いない。




事情を知らない私たちがとやかく言えたことではないが

「男はつらいよ」の制作側としては

そのままでは済まされない状態だった模様だ。


何せ同じ名前の店が本当に柴又に実在するわけだから

訪れた方々はその気になってしまう事は間違いなく

その事で逆に参道にある他のお店に

多大な迷惑を掛けてしまう・・・



特に映画の撮影を支えてもらっていた「高木屋」さんへの

影響は計り知れないと考えての苦渋の決断になったようである。



それでも松竹スタッフは再三「とらや」という名前を

やめてもらえないだろうか、と相談を持ちかけていた

ようであるが、それは聞き入れてもらえなかったため

結果的に映画制作側が折れ、劇中の店の名前を

「とらや」から「くるまや」に変更となったようだ。




決して誤解して欲しくないのは「とらや」さんが

一方的に悪いわけではないということ。

当時を知らない私の判断材料は人から聞いたり

本を読んだりするしかないのだが、

「柴又屋」さんの軒先には映画で使った小道具

「とらや」の看板が、撮影が終わった後も

そのままになっていたりしていたようなのである。


そうなれば柴又を訪れるファンの方も「とらや」と思い込んでしまう

だろうし、また経営している方も、だったらいっその事「とらや」に

変えちゃえと思うかもしれないだろうし・・・。



当時は色々あったようだが、取りあえずファンとしては

TV版「男はつらいよ」の「とらや」の最初のモデルは

参道入り口の「えびすや」さん、その後映画版の「とらや」の

間取りのモデルとなったのは「亀家」さん、

そして撮影隊のベースとなったのは「高木屋」さんであった

ことは覚えておきたい。




結論としては映画に登場する軸になるような特別なお店が

現実に存在してはいけないから店名の変更となった、

といったところであろうか。



現実の話としてはこんなところ。


この問題を掲載した当時の新聞が亀家さんの軒先に置かれています。

詳しくは「亀家さん」↓のページをご覧ください。