オープニングロケ地

男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花

オープニングでのロケ地。

夢から覚めた寅次郎はある場所から出てくる。


群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原398

鎌原神社



鎌原の郷倉

村指定重要文化財(嬬恋村)

OPタイトルの浅間山

この場所は群馬県吾妻郡長野原町北軽井沢

ここは出発直前ギリギリで

覚書ノート管理者の吉川さんから頂いた情報を元に発見。


軽井沢倶楽部 ホテル軽井沢1130さんの公式ブログに

掲載されていた写真から近隣をストリートビューで探索。

寅が立っているこの場所

夢から覚めた寅が蔵の中から外を覗くシーン

蔵から出てくる寅

蔵の前を走り抜ける子供たち

何だ夢か、脅かしやがって…と立ち去る寅

鎌原神社

あれ?左に髪の長い寅さんが?

看板に書いてある内容

嬬恋村指定重要文化財(建造物)

鎌 原 の 郷 蔵

(かん ばら   の  ごう くら)

(指定)平成19年10月26日

(所在地)群馬県吾妻郡嬬恋村大字鎌原字宅地東三九八番地


 永年貯蔵に堪えられる稗(ひえ)等が強制的に積み込まれた備荒貯穀が目的であり、完全な形で保存されている村内唯一の郷蔵である。江戸幕府は天和三年(1683)と享保十年(1725)に貯穀令を出しており、また天明の飢饉の後には代官所を通じて村々に備荒貯穀を命じている。

 天明八年(1788)に建てられたと記録の残る鎌原の郷蔵は、浅間山噴火による集落の被災とともに村人が備荒貯穀した事例である。規模は間口二間余(3.9m)奥行き一間半(3m)と郷蔵のなかでは比較的小さく、集落の再建に際し最低限の穀物を備蓄する規模であったと推測される。外観は防火性、断熱性をもつとされる土蔵となっているが、構造体には手斧(チョウナ)で製材されたマツ材が用いられ、それらが壁隅部で互いに切り欠かれ井の字型に組まれ積み上げられる井籠蔵(せいろうくら)である。

 鎌原の郷蔵は中部地方の山岳地帯における土塗り板倉の特徴を示すものであり、現在では稀な茅葺きの置き屋根を残す等、この地域の近世の蔵の特徴を知るうえで貴重な建造物といえる。


平成20年12月設置

嬬恋村教育委員会

(漢数字を一部横書き用に算用数字に変換してます)

<補足>

●手斧(チョウナ)

※参考写真

<補足>

●井籠蔵(せいろうくら)

井の字型に組まれ積み上げられる

※参考写真(木の組み方はこんな感じのようです)

では映画に戻って…

オープニングタイトル

バックに雄大に映る浅間山

この場所は群馬県吾妻郡長野原町北軽井沢

ここは出発直前ギリギリで覚書ノート管理者の吉川さんから頂いた情報を元に発見。


軽井沢倶楽部 ホテル軽井沢1130さんの公式ブログに掲載されていた写真から近隣をストリートビューで探索。

(Google「ストリート・ビュー」より)

ピンポイントで場所がわかり今回無事ロケ地撮影に成功。


このポイントは思わず声が出てしまうほど本当に感動した。

ひとり歩く寅

群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原

扇紋の蔵

蔵には(未確認なのでおそらく)家紋の「丸に五本骨扇」

白黒逆転しているが今もある。

<扇紋>

古くから扇には神が宿ると信じられており、

守護的な意味合いがあった。

また形状が末広がりなので縁起がよいとされ

家紋に用いられたとの事

※ご近所には「丸に日の丸扇」の家紋もある



その蔵の前の家にお住まいだったおばあちゃん。

(蔵の持ち主の山崎さんへのインタビューで判明)

かなり様変わりしているが、電線の在り方が同じなのと

右奥にある2本の電柱が当時と同じである。

位置的にはこんな感じ。

残念ながら今回発見できなかったのはこのシーン

手掛かりは画面右上にあるバス停のような小屋と

左にある2本の細い電柱。


あとはそのバス停前に何やら看板らしきものが…

この場所をもしご存知の方がいらっしゃれば

情報提供をお願い致します。





今回は朝9時過ぎには高速に乗り

(もうその頃には太陽も高くかなり日差しが暑かった)

帰宅が夜11時過ぎとかなり遅くなったが

大きく分けて3か所と

多くのロケ地を巡ることができた。



思い入れ大きな25作なだけに

個所毎にかなり入念に高羽アングルで撮影を行い

多くの成果をあげられた。


また、当時の山田組や演者の方々の位置に立つことで

その時の息吹を少なからず感じることもできた。


多くの感動的な瞬間を味わう事が出来たのも

ちびとらさん、彰(あきら)さん とご一緒できたからこそ。


深く深く感謝いたします。ありがとうございました。