31作ロケ地探訪

2023年1月掲載

2018年9月に発見した31作のロケ地。

あれから約3年・・・

その場所にようやく行くことができた。

2021年10月31作ロケ地探訪

今回は映画のストーリー順に訪れたロケ地をご紹介。

今作の舞台は寅福の故郷 新潟県。

残念ながら佐渡島へは行けなかったが

素晴らしいロケ地を巡ることができた。


ロケ地 船岡公園

桜で有名な静かな公園。信濃川を一望できる。

新潟県小千谷市稲荷町12−2

船岡公園

元々このロケ地は吉川さんのご紹介されていた

「滝沢農園」様のHPで知ることができました。

この場を借りまして感謝申し上げます。

👆クリックでジャンプ

滝沢さんのHPをご覧ください。

寅次郎がいたのは新潟県小千谷市(おぢやし)「船岡公園」

寅次郎が寝ていた茶屋はどこにもありませんでした。

当時はあったのだろうか・・・。

で、検索してみたら小千谷市雑談掲示板で発見!

オープニングで映っているお店が、「まるいち茶屋」というお店のようだ。

船岡公園の四季

船岡公園は小千谷市中央部にある市民憩いの公園です。園内からは、小千谷市街地や越後三山、信濃川を眺めることができ、春は桜の名所として知られています。桜の開花時期になると、ライトアップやボンボリ点灯が行われるため、風情あふれる夜桜を楽しむことができます。。また初夏にかけて、ホタルが舞う幻想的な風景を鑑賞でき、秋は園内の樹木が色づき、紅葉狩りを楽しめます。※冬期間(12月~3月)は閉園となります。

小千谷市HPより

この船岡公園は戊辰戦争の戦没者の慰霊のためにつくられた公園なので、お墓や石碑もあり歴史と密接にある地でもあるようです。

船岡公園西軍墓地

出典:新潟県観光協会

北越戊辰戦争の多くの戦死者は周辺寺院に埋葬されていましたが、明治40年頃、有志により船岡山山頂に集まられ、墳墓が建てられました。

小千谷市HPより

途中まで車で上がることができます。(広めの駐車場有)

あとは徒歩で上ります。

👇公園入口






ロケ地 寅次郎の歩いた田園

ヴィヴァルディ  「四季」より夏:第2楽章がBGMで流れる。

遠くに見える山は、日本海の大パノラマを望む火山「弥彦山」

上が映画、下が今回の写真。その比較である。はさ木が無いのが残念。

道を尋ねる寅次郎  (この方は地元のお母さん。)

👇このお母さんにつきましては、滝沢さんのHPで詳しくご紹介されていますのでご確認ください。👇

滝沢農園~ロケ地新潟

寅次郎が道を尋ねた女性は、巻町並岡の方であるそうだ。

こういった細かな調査まで滝沢さんはしっかりとされている。

寅次郎が見ていた風景である。

はさ木のあったあの道は、現在は排水路に変わっている。

ひとつ外れた場所に当時のような道が残っている。






ちなみに・・・

近くに同じようなバス停は存在している。

映画では松竹のスタッフさんが、新潟交通より古いものを借りたとの事。






ロケ地 中ノ口川(なかのくちがわ)

300年の伝統を誇る白根の風物詩!

「白根大凧合戦」

この凧合戦は、江戸時代の中頃、中ノ口川の堤防改修工事の完成祝いに、白根側の人が凧を揚げたところ、

対岸の西白根側に凧が落ち、田畑を荒らしたことに腹を立てた西白根側の人が、

対抗して凧を白根側にたたきつけたことが、起源と伝えられています。


このため、凧が相手側に向かって揚がる様に工夫して作ってあり、先人の技術に更に改良を加え現在に至っています。

各組それぞれに特色があり、揚がり方や、掛け方に違いがありますが、

組の伝統を守り、技術に改良を加え、一枚でも多く合戦することを目的に、凧を作り、揚げています。


出典:新潟市南区観光協会

この場所からも弥彦山は見える。条件が揃えば映画のシーンに映っていた可能性もある。

映画で奥に少し見える赤い屋根の家が今も残っている。(現在は屋根の色は変わっている)






ロケ地 萬代橋(ばんだいばし)







ロケ地 新潟県民会館

寅次郎がバイをしていた場所は、現在は無くなっていた。

残念ながら建物が工事中の為、近づく事ができず・・・





ロケ地 越後線ガード近く

映っていた看板は「よしや食堂」  寅次郎が立寄った設定の食堂である。

「よしや食堂」も路面電車も現在はもう無くなっている。






ロケ地 良寛堂

良寛堂

良寛堂は良寛の生家橘屋の屋敷跡(当時は現在の境内の2倍はあったそうです)に

良寛の遺徳を顕彰し良寛を偲ぶために、郷土史家、佐藤耐雪翁(余談ですがサッカーの反町康治監督は耐雪氏のひ孫です)が発案し、

安田靭彦画伯が設計、大正11年(1922)9月竣功しました。

その後翁から出雲崎町に寄贈されたものである。

ゆったりとした建物は素朴で心豊かな良寛のイメージをいかしています。

堂内には良寛が常に持ち歩いたという石地蔵をはめ込んだ多宝塔に

「いにしえにかわらぬものはありそみとみかひにみゆるさどのしまなり」

の良寛自筆の歌が刻まれており、

境内裏には良寛の母の国佐渡ヶ島を見つめるように座っている良寛像があります。

良寛とは

人物紹介

良寛(りょうかん)

(1758~1831)

越後出雲崎に生まれ、詩人・歌人・書家としても知られる江戸時代後期の禅僧。

良寛は俗名、号は大愚。幼名は山本栄蔵、15歳で元服し文孝と名乗りました。


生涯無欲恬淡な性格で、生涯寺を持たず、諸民に信頼され、良く教化に努めました。

良寛自身、難しい説法を民衆に対しては行わず、自らの質素な生活を示す事や、簡単な言葉(格言)によって

一般庶民に解り易く仏法を説きました。

その姿勢は一般民衆のみならず、様々な人々の共感や信頼を得ることになりました。

良寛は「子供の純真な心こそが誠の仏の心」と解釈し、子供達を愛し積極的に遊んだと云われ、

高名な人物からの書の依頼は断る傾向がありましたが、

子供達から凧に文字を書いて欲しいと頼まれた時には喜んで書いたと云われています。


また戒律の厳しい禅宗の僧侶でありながら般若湯(酒)を好み、

良寛を慕う民と頻繁に杯を交わしたそうです。

これも形に捉われない良寛の魅力ではないかと思われます。


すべての生きものに愛をそそぎ、老若男女、富者貧者を問わず等しく交流し、

人としてどうあるべきかを常に問いかけた良寛の心は、

現代にも共通する心として多くの人に共感をあたえています。



出典:出雲崎町観光協会

ロケ地 出雲崎港 防波堤灯台

撮影当時はテトラポットだけだったが、現在はしっかりとした防波堤が完成している。

この31作では、度々「砂山」という曲がBGMで流れている。

砂山(童謡)

海は荒海 向こうは佐渡よ♪

日本の童謡/北原白秋が新潟の寄居浜から見た日本海の荒波

この歌は、倍賞千恵子さんも歌われています。よろしければどうぞ。

どうも最近歳のせいか、めっぽうこういった曲に弱い。

都はるみの歌も同じ。子供のころから聴いているのに、今聴くと心に沁みる。


31作は、単に渥美さんがファンだった都はるみが出ているだけの作品と思っていたが、

いやいやどうして、これはとても良い作品だ!


寅福の好きな作品のひとつに変わった。











出雲崎港を見渡すと、何とここからも弥彦山が見えるのである!裏テーマに弥彦山があったのかもしれない。

おしまい。