諏訪家(さくらの家)
2008/9/11
さくらたち親子3人は
結婚当初より柴又駅近く線路脇にあるアパートで暮らしていた。
フーテンの兄貴からは、あまりの狭さに「潜水艦アパート」と言われる始末。
そんな諏訪家ではあったが、第26作「男はつらいよ 寅次郎かもめ歌」では
念願の一戸建てのマイホームを遂に月賦で購入するのである。(茶色い外壁に青い屋根、手前より2件目)
そしてその戸建ては、シリーズ内で合計4回変わっているのはご存知だろうか。
そんな諏訪家の歴史を今回はご紹介したい。
■第26作「寅次郎かもめ歌」で初登場した諏訪家戸建て。この作品でさくらが言った「そこはお兄ちゃんの部屋よ。」というシーンは何度観ても胸が熱くなる。
■「諏訪家 潜水艦アパート」
先ずはその狭さから寅に「潜水艦」と言われた最初のアパート。
そんな「潜水艦アパート」、実は名前がちょいちょい変わっている。こちらは吉川さんより教えて頂いて初めて気がついた。
第4作「新 男はつらいよ」
第4作「新 男はつらいよ」ではアパートの名前は
『江戸川荘』
第5作「男はつらいよ 望郷篇」
第5作「男はつらいよ 望郷篇」では
『コーポ江戸川』
第20作「男はつらいよ 寅次郎頑張れ!」
第20作「男はつらいよ 寅次郎頑張れ!」では
『こいわ荘』
と、なっていくのである。ちなみに柴又の隣に「小岩」という町がある。26作で戸建を購入して、合計4件の家を使用しているが、最後の2軒の住所は「小岩」である。
(話はアパートに戻って)
実に興味深いアパート名遍歴である。気がつかなければそのままスルーしていたに違いない。教えて頂き、ありがたや、ありがたや。
「潜水艦アパート」の昔(映画)
現在(2007年)
もうアパートはありません。
現在(2008年)
そして、アパート脇の線路沿いの昔(映画)
現在(2007年)
現在(2008年)
ちなみに、このアパートから「とらや」に向かうには「柴又駅」方面より来るのが一番自然に思われる。
つまり映画の映像で考えるなら、店内から参道を見た場合、左からさくらさんが来るのが自然であるよう思われる。
細かい事ではあるが・・・
■「諏訪家(戸建)1番目」(第26作~第40作 15作品)
そして念願の戸建ては第26作より登場している諏訪家戸建て。
「そこはお兄ちゃんの部屋よ。」というさくらさんの言葉に、何度観ても胸が熱くなる。
今は家はなくなり鉄塔のみが当時の様子を伝えてくれる。
2008年撮影。この頃はまだ映画の時と同じブロック塀が残っていた。(画面左の家の塀)
2020年撮影。
鉄塔が見えているので錯覚してしまうが、実は諏訪家のあった場所は鉄塔のそばではない。
こちらも鉄塔のそばと勘違いしてしまうアングル。
鉄塔の後ろには江戸川土手が見える。
寅さん記念館から歩いて約7分程の距離。江戸川を眺めながら風に吹かれて歩いて来れる。
さくらもよく自転車で走っていた土手。さくらの見ていた風景が見れるのも楽しい。
では諏訪家の戸建ては、正確にはいったいどこにあったのか。映画登場から4年、1984年の航空写真を見てみた。青い屋根が諏訪家戸建てである。
映画では近くに見えている鉄塔は、諏訪家戸建てから100mほど離れていることがこの航空写真からわかる。
そして1989年には、北総線高架建設のため諏訪家は立ち退き取り壊され無くなっている。この頃第42作「~ぼくの伯父さん」が公開されていた。
※参考・・・1991年(平成3年)3月31日 北総・公団線(第2期)京成高砂駅 - 新鎌ヶ谷駅間開業
諏訪家戸建ての位置を確定させるために目印をみつけてみた。丁度目の前にあった家が、黄色の丸印で囲ったオレンジ色の屋根の家。こちらは1989年にもしっかりと存在している。
実はこちらのお宅、現在もしっかりとあるのだ。
こちらのお宅を目標ポイントとして、現在の写真に諏訪家戸建てがあった場所に印をつけてみた。(ピンク囲み)
この公園には白っぽい椅子のような突起があるが(向かって右の方)、そこから奥へ進んで行った突き当りの辺りに諏訪家戸建てはあったと思われる。
画像を入れてみた。こんな感じで諏訪家があったと思われる。
その場所にこんな目印を建てて頂けたら非常にわかりやすいと思った。
さくらの家を散策される寅さんファンは少なからずいらっしゃるので、「諏訪家 跡」という目印があれば喜んでいただけると思う。訪れた方はすっきりした気分になれる事間違いなし!(多分・・・(;^_^A)
現在の風景を合わせてみた。
■「諏訪家(戸建)2番目」(第41作と第42作の2作品)
2番目に諏訪家となった住宅は2作のみの登場と、シリーズ中一番短い諏訪家である。
第41作「~寅次郎心の旅路」 第42作「~ぼくの伯父さん」
2件目の家。
映画の頃は空地だった左隣に現在は家が建っている。
当時色んな問題があったようだが、隣に家が建つことも次の「諏訪家」を探す理由にのひとつとなったらしい。
この諏訪家は唯一内階段が家の左側にある。
2008年撮影
40作で「とらや」が「くるまや」に変わり、42作で満男の物語が中心になったりと映画自体も色々と変化のあった時期の諏訪家。
隣に家が建つことや諸々の事情がなければ、この諏訪家ももっと色んなドラマが生まれていたに違いない。
そんな視点から考えると何とも可哀想な戸建諏訪家2代目である。
ちなみに・・・・
この諏訪家から散歩先生の自宅はすぐそばである。
余談である。
■「諏訪家(戸建)3番目」(第43作~第45作までの3作品)
3番目に諏訪家となった住宅は現存していない。ここもまた数多くの思い出のある場所である。
■第44作「寅次郎の告白」より
2008年撮影
■第44作「寅次郎の告白」より
全体的な現在の姿である。
2008年撮影
江戸川土手にはこういった風景があるのだが、これがまた良く似合いそして美しい。
■「諏訪家(戸建)4番目」(第46作~第48作までの3作品)
この道にさくらさんが立っていたと思うと・・・
何だか感慨深いものがこみ上げてくる。
2008年撮影
■第48作「寅次郎紅の花」より
まさに、ここには博がいて、さくらがいて、満男がいて・・・・
そして第48作、最後のシーンがこの場所で・・・・もうひとつの「男はつらいよ」の物語。
さくらと博の長い長い48作の物語はこの場所で最後を迎えた。
堤防の拡張予定が現実に起これば、この場所もいつかはなくなるのかもしれない。
ここで起こった映画のシーンを、この場所に立ってこうして想い出す事はかなわぬ夢となることだろう。
■第47作「拝啓車寅次郎様」より
※2008年撮影(現在はもっと変わっています。)
今が貴重に思う。
おしまい。