第22作・蓬莱橋

雲水(大滝秀治さん)とのシーン

雲水(うんすい)とは・・・

(雲がどことさだめなく行き水が流れてやまないように)

諸国を修行して歩く僧、行脚(あんぎゃ)僧。

22作最後のシーン。大井川鉄道の「塩郷駅」で寅は雲水と再会する。

「塩郷駅」


現在の「塩郷駅」は当時とはかなり様変わりしている。

改札口は今はもう無い。

駅のホームも当時とは全く違っていて

反対側に渡ることはない。

柱の立っている位置が

わずかに当時を思い出させてくれる。

かつては枕木と土盛によって作られた簡素なプラットホームであったが、並行する静岡県道77号川根寸又峡線の拡幅工事と護岸工事に伴って本線が大井川寄りに5m程移設され、

それに伴い現在のコンクリート作りのプラットホームに改められた。 またプラットホームそのものも県道側(元の本線跡)に向きを変えて改築されている。

塩郷は近くにある久野脇橋(塩郷の吊り橋)が有名でこの日も多くの人が渡ったりSLを撮影したりしていた。

「啖呵バイ」シーン     ロケ地場所はここ

静岡県島田市伊太 「大井神社」とあるが地元の方はここを「伊太神社」と仰っていた。

ちなみに「大井神社」という神社はすぐ近くに別にまたある。

このシーンで真ん中にある大きな樽は賽銭箱。

寅啖呵バイ引きの画

この場所がロケ地である物証

上のこのシーンでのピンクで囲んだ「丸善石油」のマークに注目。

その場所には現在一軒の家が建っている。白い塀が何やら怪しい・・・

寄ってみると・・・

昔のペイントの跡が!!

これは丸善石油と同じカラーイング。

そして更なる地元の方の証言!

ここで山田組は昭和53年12月4日に撮影したという。しかも一度他でロケをした後にまた戻ってきて前回は人が多すぎたから、という理由で撮り直しまでしたらしいのだ!!

これぞ地元の方の知る貴重なお話!  でも本編採用はその人が多すぎた方なのでは…?

改めて観てみると

人・・・確かに多すぎなような気が。。。

さぁラスト!いよいよ「蓬莱橋(ほうらいばし)」

17時30分頃「蓬莱橋」に到着。 日没までもうあとわずか!!

明治12年(1879年)1月13日に完成

通行料金は歩行者の大人で一人100円 (2016年7月現在)

全長は897.422m(巾2.7m)

長い、長い・・・ホントになが~い。

何度か災害による崩落被害があったという。直近では2011年9月、台風の影響で橋脚が流失。翌2012年3月に修理完成で3月31日に開通。

日も傾き残り時間わずか


ここは下に降りれなかったため雰囲気で。

さすがに壊れている部分はなかった。

この橋は難しかった・・・

雲水(大滝秀治)とすれ違う寅。


<雲水>

もし・・・

旅のお方。

背景の山の形に合わせて撮影。

<寅>

何か?


<雲水>

誠に失礼とは存じますが

あなたお顔に「女難の相」が

出ております。 お気をつけなさるように。

<寅>

わかっております。


物心ついてこのかた

そのことで苦しみ抜いております。

では・・・

「蓬莱橋」南側入り口

平成9年(1997年)12月30日  「世界一の長さを誇る木造歩道橋」でギネスブック認定<蓬莱橋情報:Wikipediaより>

「蓬莱の島台」からの眺め

夕暮れの「蓬莱橋」  到着後ほんの数分間であっという間に日没。

今回の最終目的はこのアングルでの「蓬莱橋」の撮影。

かなり高い位置であり、なかなか見かけない蓬莱橋南の左からのアングル。

<蓬莱橋 全景>

<位置確認>

当時の撮影位置は恐らくこの辺り。

アップで確認

しかし残念ながら現在は山を削られ同じように撮影ができない。

似たような場所がないかとウロウロしていると「蓬莱橋」南側入り口に向かう林道の途中で黄色い矢印の角度で偶然木々の間から「蓬莱橋」が見えた!

その位置がこちら

この黄色い矢印の方向で撮影した写真が、それがこちら!

写真ではわかりにくいが

現場では真ん中の白い線のように「蓬莱橋」が見えた!

もう、すっかり山が削られて無くなっているのがわかる。

今はこの見え方で限界なのかもしれない。

可能性で考えるなら寒い季節で天気の良い日であればもう少ししっかりと「蓬莱橋」が確認できるはず。

結局このアングルでの撮影はできなかったが、誰もが知る撮影ポイント以外にも「蓬莱橋」の新しい撮影ポイントになれそうな場所を発見できたことはとても満足いくものであった。

あっという間の一日であったが、今回も収穫の多いロケ地巡りとなった。

これでまた22作を観るのが楽しくなる。