会津ロケ地の旅
ー 1日目 ー
2023年9月22日掲載
まだまだ夏の暑さの残る9月、
私は寅仲間と共に福島県会津へと向かった。
今回の目的は、福島県湯川村にある「湯川たから館」(山田組のキャメラマンとして、多くの山田洋次監督作品を撮り続けた)の高羽哲夫さんの記念館への再訪であった。
そのため、時間的な余裕もないと思いロケ地巡りについては、ほぼ予定していなかったのだが・・・。
赤マルの場所が「湯川たから館」のある場所。今回の旅の目的地である。
会津といえば 第36作「男はつらいよ 柴又より愛をこめて」のオープニング。
ロケ地エリアとしては、黄マルと青マルの2箇所のエリアがあるのだ。
時間的な余裕はないが、それでもせっかくここまできたのだし、また、2泊3日という日程のうち1日目は「湯川たから館」さんが定休日だったため、初日は移動のみを予定し余裕を持って向かっていたので、どちらか1箇所だったら行けるだろうということになり青マルエリアのロケ地に向かうことにしたのであった。
この度も長い長い内容となっておりますが、お楽しみ頂けましたら幸いです。
また、いつもながらロケ地にご興味のない本編派の方は、これより下のご高覧はご遠慮ください。
🔳 オープニング約3分間の旅 〜其の1〜
今回、個人的に一番の目的としていたのは、田園広がる風景でのタイトルバックロケ地。
撮影するからには只見線を走る列車と一緒に、映画と同じショットでの撮影が目標であった。
この場所は、「会津高田駅」より下り方面へ1分ほど進んだ場所になる。
私たち寅仲間の中での第一発見者は吉川孝昭さん。
何としてもこのポイントでの撮影は是非とも押さえたい!
1ー① 「弘安寺 中田観音堂前」
会津に到着して最初に私たちが向かったのは、オープニングで一瞬しか映らない↓こちらのシーン。
ひょっとしたら、見逃している方もいらっしゃるかもしれない。
お忘れの方は、どうぞ本編映像でご確認ください。
通称:ボータラのシーン。
先述した通り、個人的には田園風景のタイトルバックの場所へ向かいたいところではあったが、
吉川さんのご希望で、中田観音へ最初に向かう事となった。
実はこちらも同じく数年前に吉川さんが発見され、来るべき場所の一つなのだ。
◼️棒たら
松平容保公がもたらした会津の郷土料理
カチカチの「鱈」の干物を水でもどし、砂糖、醤油で味付けして長時間骨までやわらかく煮込んだ、会津の代表的な郷土料理です。
内陸にある会津若松は新鮮な魚介を仕入れることが困難だったため、長く保存できるように海産物を加工し、貴重なたんぱく源として重宝しました。
(出典:極上の会津プロジェクト協議会より)
高速を降り車で約10分、私たちはそのまま中田観音へと向かった。
14時頃に現場へ到着。
残念ながらこの日は映画に映っていたお店は両店とも営業されていなかった。
映画の画面奥に映っていたお店は、下の写真の左側に写っているお店「花紋屋旅館」さん。
上の写真右に写っているお店、
「つるや旅館」さんの軒先にボータラが下がっていた。
ここは、数年前に寅友のちびとらさんが貴重なインタビューをされたお店。
私も同じくインタビューできればと思ったのだが・・・
残念ながらお店はお休みで、お話をお聞きすることは叶わなかった。
◼️ 中田観音(弘安寺)
会津三十三観音三十番札所です。弘安2年に建立されたので弘安寺と称され、中田の観音様と親しまれる会津ころり三観音のひとつです。本尊の十一面観音は縁結びや安産などのご利益があります。野口英世の母シカが息子・英世の火傷治療と立身出世祈願のために月参りしたことでも知られます。観音堂には「だきつき柱」があり、信仰心のある方が抱きつくと何事も念願がかなえられるといわれています。
出典:公益財団法人 福島県観光物産交流協会HPより
なんと、野口英世の母が月参りしていたお寺だったとは!
幼少の頃「野口英世 記念館」へも行ったことがあり、少なからず野口英世の生い立ちを知っているので
そのゆかりのある場所に来れたということは、別の意味で何とも感慨深い気持ちとなった。
寅さんが歩いたルート(黄色矢印)
撮影風景(出典:ネットより)
カメラ位置のわかる貴重な写真
そして、高羽アングルに合わせて撮影。
カメラ位置からの全体的な写真。
数秒のシーンだけでこの地を訪れた山田組。
高羽さんの故郷なので、何か繋がりがあってこの場所に来たのではないかと想像してしまう。
そして寅さんが歩いたルートを辿ってみた。この景色を寅さんは見ていたのだ。(ここを左に曲がっていく)
花紋屋旅館(左)と、つるや旅館さん。参拝者の方を迎える門前のお宿なのである。
今回は近隣にある別のお店「きんつば屋」さんで、撮影当時の様子を少しだけお聞きすることができた。
ありがとうございました。
1ー② 「田園風景のタイトルバック」
中田観音での散策を終えまだまだ時間もあったので、次は念願の田園風景のロケ地に向かうことになった。
15時に現場へ到着。
遠くに見えるはずの山の稜線が、この日は全く見えないため位置合わせの確認ができず。
そして、この時間には列車も走っていいないため今日の撮影は断念。
ロケ地としての物証も見つけられず・・・
ただ、この場所であることは間違いないという確信はある。
翌日に、改めて列車の時間に合わせて再訪することにした。
1ー③ 「柳津ダム周辺」
田園風景が早い時間で終わったので、今度はもっと離れたエリアに行くことにした。
離れたと言ってもそんなに遠いわけではない。
向かったのはダム近くにある民家。
ここもかつて昔、吉川さんが発見された場所なのである。
田園風景の場所からは車で約30分くらいの場所。
日差しの残るまだ明るいうちに十分に行ける距離であったので向かうことにした。
15時50分頃、東北電力 柳津(やないづ)発電所近くの民家に到着。
この場所、お分かりであろうか。
映画では↓のシーン。
映画では、寅さんがこちらの茶店で一休みしている。
反対側には東北電力の発電所が見える。寅さんが見ていた風景である。
川下に目をやると、何やら見覚えのある風景。自然とテンションが上がってくる!
話を戻そう。
現在は、映画のような茶店を思わせる看板などは一切出ていない。
撮影当時は商店を営まれていたそうだ。
ただ、映画に映っていたコカ・コーラの看板は今も健在だった!
こちらは新潟の滝沢さんが2018年にご訪問され、インタビューをされている。
そのインタビューが全てと判断し、特にお声がけすることはやめることにした。
映画のアングルに合わせようとすると、当時は無かったトタンの壁で家が見えなくなってしまう。
今回は映画のアングルからは少しずれ、雰囲気が合うように撮影してみた。
只見川を望む
寅さんの後ろにある蔵が、時の流れを感じさせる。撮影から38年である。
最後の最後に日差しが。美しい眺めである。
1ー④ 「さくら家駄菓子店前」
まだまだ陽があるのと、車で5分くらいという近さから、遂には柳津へと私たちは向かった。
当初はここまで回る予定ではなかったのに・・・。
16時15分 「あかべこ通り商店街」に到着。
寅さんの後ろに見えるのが「さくら家駄菓子店」さん。
寅さんが寄った下駄屋さんがその向かいにあったはずなのだが・・・
残念ながら「会津桐下駄 小川屋」さんは、今はもうなくなっていた。
2014年迄は、Googleストリートビューで確認できる。
その後廃業されたようだ。
「花春(はなはる)」という名は漢詩「花開酒国春」から生まれました。戊辰の役の落城で会津が悲嘆にくれる中、花のような明るさと春のような和やかさを取り戻したいとの願いが託されてとのことでした。昔も今も酒は格好のコミュニケーションツールです。特に日本酒は海外でも評価が高まっています。会津から日本全国へ、そして世界へ。花春が人々の心を繋ぐお役に立てたら・・・。
出典:花春酒造HPより
「花春」のアーチが見れなく残念であったが、
「おみやげ」の看板が変わらずあったのはとても嬉しかった。
1ー⑤ 「柳津まんじゅう本舗小池菓子舗」
この後は本来であれば圓藏寺へ行きたいところだったのだが、
残念ながら開門時間帯に間に合わず、本堂へ参拝することができなかったのである。
●本堂開門時間
夏季(4月1日~11月30日)6:30~17:00、冬季(12月1日~3月31日)7:00~16:30
※予定時間より早く閉門する場合があります。
桜の見頃:4月中旬~下旬頃
紅葉の見頃:10月下旬~11月上旬
うしろ髪引かれる思いで私たちは、小池菓子舗さんへと向かったのである。
ぐんぐん坂を登って歩いていくこと約6分、
小池菓子舗さんに到着。
お店は改装後で綺麗になっていた。
もし改装中のタイミングであったらが寄れなかったわけで、それを考えるととてもラッキーであった。
当然この場所もすっかり変わっていた。
お店のご紹介
店内には旧店舗のイラストが。
改装前の旧店舗はギリギリGoogleで見れた。
あわまんじゅう、購入しました。とてもおいしかったです!
1ー⑥ 「銀山川 中橋(なかのはし)」
1ー⑦ 「只見川 瑞光寺橋からみる円蔵寺」
この場所から見える景色は
秋は紅葉、春は桜と、とても風光明媚な場所なのである!
今来ている私たちって一体・・・(^_^;)
この時点では再びお寺に来ることは考えていなかった。
そして次に日へと続くのであった。