成田山横浜別院延命院

2009/6/22

「成田山横浜別院延命院」  成田山延命寺

嬉しい出来事が起きた。


実は最近までずーっと謎だったロケ地が遂に判明したのだ。


とは言っても自力ではなく、いつも大変お世話になっている

彰(あきら)さんの執念ともいえる探求によるものである。

(彰(あきら)さん、本当にありがとうございました。)


その場所は・・・


神奈川県横浜市西区宮崎町にある

成田山新勝寺の横浜別院。

通称は野毛山不動尊、

横浜成田山 

(-Wikipedia-より)


登場するのは第6作『男はつらいよ 純情篇』



かなり以前から個人的に強く疑問に思っていた場所。

どの「寅本」で確認しても「帝釈天縁日」としか出てこなく・・・

というか元ネタは「寅さん大全」からそのまま転記しているのではと

思ってしまうほどどれもこれも同じ。

私のような素人が「おや?」と思って見ているのに

なぜプロ中のプロたちが疑問に思わないのか。

不思議である。


本題に戻る。


第6作『男はつらいよ 純情篇』に登場した

寅さんが啖呵バイした場所。


晴れ渡る青空をバックに、石垣の高台上に見事な屋根をした建物が見える。

とても品格高く、由緒正しき場所なのではないのかと思えてしまうその場所で

寅さんはラーメンの器などを啖呵バイしていた。

いつもとはちょっと違った感じの啖呵バイ。

それはお客を楽しませモノを売る本来の姿ではなく

まるで大道芸人のように「啖呵」を聞かせ金を稼ぐ。

この寅さんの背景には屋根が映っている。


こんなにも高い位置にあるような場所を柴又では見たことが無い。


これはきっと柴又ではない!




最初に立てた仮説である。



しかし仮説は立てたがその他の情報はまるでない。

あるとすればその他のロケ地が長崎と浜名湖という情報くらい。


その2つの場所のどちらかでロケをしたのだろうか?



疑問を確かめる資料は何も無かった。

とりあえず片っ端からネットで検索をしてみる。

まるで手掛かりなし。。。



そんな中、彰(あきら)さんより貴重なお写真の提供が!!!


それは撮影の合間での渥美さんを写した白黒のスチール写真。

寝そべった寅さんの背景にはぎっしり密集した屋根がいっぱい写っている。


これはもしかしたら東京なのでは?

しかもかなり町の真中では?


そう思った。


そのスチールにはもうひとつ貴重な情報が。

何と屋根の上に看板が掲げられている建物がある。


 「石栄●●所」


しかし、肝心要の「●●」の部分が解読不能。


手掛かりを元にまたネット検索するがヒットなし。


この貴重な情報をもってしてもこれまでか、と

これからの長期戦を予感していた矢先

彰(あきら)さんより朗報が飛び込んできた。



それが冒頭でご紹介した

横浜成田山

なのである。

彰(あきら)さんは所蔵する膨大な寅資料の中から

「野毛山ロケよりスタート」という一文の載った記事を見つけられたのである。

まさに執念と奇跡である。

彰(あきら)さんの記憶力にはいつも感服するところではあるが

その集中力こそが彰(あきら)さんの真骨頂なのだと思われる。



そんな彰(あきら)さんのご恩に報いるためにも

そして自分の疑問を更に解決するためにも

何としても実際の現場に行かなくては、

一刻も早くこの目でこの足でしっかりと確認しなくては!!


強い気持ちがどんどんと心の中に広がっていったのである。

2009/6/23

「成田山横浜別院 -2-」  成田山延命寺

横浜駅からJR京浜東北・根岸線で大船方面へ一駅行くと

桜木町駅に到着する。


何回かこの辺りは来ていたのだが、

まさかこんなところがあったとは。


全く気がついていなかった。



桜木町は旧横浜駅である。


1872年(明治5年)に日本で最初の鉄道が

東京-横浜間に開通した当時の横浜駅なのである。


その桜木町駅を下車して北口より表に出て

「音楽通り」を目指す。


「音楽通り」の信号を右に曲がり

一方通行の細い道を入る。



直ぐに左に曲がり、商店街の中を進んでいくと

突当りに「成田山」の文字が見える。


意外とあっさりと見つかる。


上の方には記憶にある屋根が見える。

「間違いない!!」



入り口である。

入って直ぐに急勾配の階段が続く。

どんどんと階段を上る。


段々と高くなっていく。


階段の外側は崖である。


結構険しい崖である。


下から見上げた様子↓

崖の所々には石像が立っている。


都会的な桜木町からは想像できないほど異空間である。

階段に戻る。


階段を上りきるとこの場所に出る。

いきなりの登場である。

この場面が脳裏をかすめる。

右手を見てみる。

あ~、この場所である。

彰(あきら)さんのHPにあった狛犬も当然ある。

そしてここが寅さんのいた場所。

ちょっと階段を上って上から見てみる。

映画では寅さんの後ろには階段があるように見える。


これがこちら。

階段は坂道となってずーっと続いている。

ちょっと遠くを見てみる。

感慨深い・・・

実に、実に・・・

感動である!!!!


38年前、確実にこの場所に寅さんはいたのである。


更に階段を上ってみた。

延命院である。

1859年に横浜港が開港し発展したこの地には、成田山を信仰される方が

大変多くいたとのこと。

当時、人数が300人以上いる講社(同じ信仰をもつ人たちが集まって作った団体)

があり、その方々から、もっと近い場所に別院を構えて欲しいという要望が

多く寄せられた。

その要望に応え、1870年(明治3年)に現・南区西中町に開創。 

その後、1876年に現在の場所に移り、

1893年(明治26年)に延命院と称し「成田山 横浜別院」となった。

通称野毛山不動尊とも呼ばれている。


ご本尊は不動明王。






高い位置から彰(あきら)さんの秘蔵写真と比較してみる。

道路の感じから、どうやら丸印の家が「石栄●●所」ではないかと思われる。


下に降りてみた。

何か手掛かりがあればと思ったが

どうやら廃墟のようである。


手掛かりなし。非常に残念である。




しかし本来の疑問部分は遂に全貌を確認する事が出来た。

感無量である。


本当に本当に彰(あきら)さんに感謝である。

ありがとうございました。



天気は梅雨空であったが

気持ちの中ではとても晴れやかで清々しい気分に浸っていた。


今後第6作は更に幅を広げた形で鑑賞することができる。


嬉しい事である。



当日はかなりのハイテンションだったため

ひとり場違いな雰囲気の寅福であったことは・・・間違いない。



追記


では、彰(あきら)さんのリクエストにお応えしまして・・・