古文書を楽しむ会通信講座第四回 二〇二〇年五月二十一日(木)
〇背景
今回は短い文を二件読みます。出典は街談文々集要、及び安政雑記
一件は文化六(1809)年江戸でも大雪が降り、野菜の値上がりの咄など。
もう一件は安政四(1857)年全国的に風邪(インフルエンザか)が流行り、幕府からの注意書です。 現在と同じ様に密を避けたようです。
第三十一 大雪は豊年を示す 街談文々集要
風邪流行に対し通達 安政雑記
〇解読1
第三十一 大雪示豊年 *大雪ハ豊年ヲ示ス
文化六巳年十月十二日、初之雪ふり積る事壱尺余、夫ゟ *千八百六年 *それより
十一月三四日大雪寒サ烈にして、十二月迄解ず、十二月四日中雪、
同月十四日大雪、同廿七日と先キの雪解ざる内ニ降り積るゆへ、道
路甚あしく大雪三度小雪三度 以上六度午ノ正月ニ至り大小雪降五六度 五六十年以来ニて *道路甚だ悪しく
ケ様之大雪者無之事ニ而、中ゟ已下之者共ハ難義大方ならず *中より以下の者共
青菜壱わニ付五十文位なりしか、のちのちハ百文、百廿四文位
迄にて、売買甚た六ツケ敷ありしなり、其節異曲 *難しく *異曲 狂歌と同意味
四方真顔 *狂歌師、戯作者 本名鹿津部真顔
降雪に江戸も越後になりにけり
うす着のものハ縮おるかな *越後の名産、縮織に掛けて縮おるとしたか
*寿→す 能→の *那→な
〇現代文訳 省略
〇解読2
安政四丁巳正月下旬頃ゟ御府内風邪流行ニ而、湯屋・髪
結床相休ミ、或は早仕舞、売買向ニ寄相休候向も有
之由、大坂御城代御家来にも流行、長崎表も同様候由、尤 *耳→に
重柄之人は少く、北国筋も流行候由、加州之人も咄したり *重役、*加賀国、越前国地方
二月十三日御目付江口上ニ而御達
此節一統流行風ニ付、長髪ニ而罷出候義并供廻等も *並びに
格外ニ減召連候而も不苦候旨、無急度御目付江申渡、*苦しからず *急度なく=きっと
大目付江も右之義相達候様、是亦申達候事
一風邪押而罷出居候者ハ御用済候者勝手次第早々 *御用済まし候は
退散致し候様、無急度是又達候事
〇現代文訳
安政四(1857)年正月下旬から江戸で風邪が流行しており、風呂屋、髪結床は休業したり、早じまいしている。
商店も業種により休むところも有るという。 大坂城勤務の家来衆にも流行し長崎でも同様との事だが、
重役の人々の感染は少ない。 北國の加賀・越前方面でも流行っていると加賀の人の咄である。
二月十三日、目付衆へ口頭で通達されたのは、この際全国的に風邪が流行っているので長髪のままとか
供回りを少なくして出勤(登城)しても宜しいと緊急に連絡せよとの事である。
又大目付へも以上の事を緊急に連絡する事
一風邪を押して出勤する者は用事済まし次第すぐに退去する様に是も又緊急に連絡する事
註1 目付は旗本武士の取締まりを行う役目で若年寄の管轄下にあり、旗本のエリート武士。
大目付は諸侯(諸国大名)を取締る役目で老中の管轄下にあり、大名への連絡部署。
註2 文章から見る限り、江戸城に出勤する人々(旗本及び参勤諸侯)に対する出勤上の注意で
庶民に対する注意事項ではない。
幕府の指示は江戸庶民に対しては町奉行から、全国天領の庶民に対しては勘定奉行から代官へと通達される。
町奉行、寺社奉行、勘定奉行、大坂城代、京都所司代、遠国奉行など何れも老中の管轄となる。
諸侯への指示は老中から大目付経由で伝達する。
〇古文書を始めて間もない人への補講
江戸時代の貨幣は三種類がある
1 金 一両=四分(ぶ) 一分=四朱
2 銀 一貫目=千匁 壱匁=十分(ふん)
3 銭 一貫文=千文
各貨幣の換算レートは江戸時代初期と末期では異なるが、大まかに金一両=銀六十匁=銭六貫文である。
現在の円に換算する定数はないが、そば一杯が十六文と云う数値から逆算して一両=十万円とするケースが多い。
この場合十六文は現在価値で375円となる。
しかし米値段(幕府公定一石=一両)をベースに現代価値にすると一石(約百五十キロ)は六万円になる。
その場合銭一文=十円、銀一匁が千円となり目安が直にわかる。 旅館一泊二百―三百文(二―三千円)、
風呂屋十文(百円)、米一升(1・5キロ)百二十文(千二百円)、豆腐一丁八文 (八十円)、
酒一升百五十文(千五百円)などの記録がある。
収入はピンキリだが落語で出てくる住込み丁稚奉公の若者が一年間働詰めて三両の給金を主人から貰い、その全額を持って
吉原の最高級の高尾太夫に会いに行く。 感激一入だが再来は又一年後でなければ来れないと嘆く咄がある。
又大工の手間賃は一日三―五匁(三千―五千円)と云う。 落語の八さん熊さんの職業は不明だが人夫の手間賃は
一日二百―三百文(二千―三千円)程度の由。