蝦夷地上陸英人書簡
蝦夷地上陸英人書簡
古文書鵜を楽しむ会通信講座 第二回 2020 5月7(木)
史料 天保二年蝦夷地上陸英人書簡 天保雑記より
〇背景
文化文政年間(1804―1829)、英国の鯨漁船やロシアの貿易要請など幾つかの外国とのトラブルで、幕府は文政八(1825)年に無二念打払令と呼ばれる方針を全国に出し、諸外国にも長崎出島のオランダ商館経由で通達した。 これは日本の陸地には理由を問わず近付かない事、上陸すれば捕縛、攻撃すると言うもの。 この方針の中、天保二年(1833)に北海道の東部厚岸(
アツケシ)村に英国船(測量船と思われる)が着岸上陸し住民との小競り合いになる。英人側が圧倒し、厚岸勤番所の小者(利三吉)が異船側の捕虜となり、書簡を持たされて釈放された。 書簡はオランダ語で書かれていたと思われ、英人側の主張を展開している。 尚日本で英文が理解できるようになるのはジョン万次郎(1853年頃)以降である。
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小者利三吉懐中江送り譜厄利亜人之横文字和解 *アンゲリア オランダ語でイギリスの事
今般私義アシュタナト申村江着船仕候義は乱妨仕候所存 *アツケシ
ニ者無御座候処、貴国地役人之取計ニ候哉、其所ニ蝦夷人を *者→ハ
多勢集メ陣取いたし、我等に戦ふべき様子ニ相見申候、是
ハ全く不存寄義ニ御座候、我等元来船中之薪水不足仕候節 *存じ寄らざる義
は右取入、且は風波之節者間懸り、又者船修覆等之為諸 *盤→は *停泊
国浦々江船を寄セ候事ニ御座候、此度も其心得ニ而着岸仕候所 *茂→も
右之如く不和成仕方ニ御座候而者我等之望を失申義ニ御座候、斯 *候ては
而数日相伺候所ニ、彼方之人数共我等より十倍ニも多勢候得とも
彼等之侮を受候も本意なく存候得共、一戦を遂、彼等を
こらしめ可仕候戦を仕懸候而彼軍去、一人を俘にして旗・鑓等 *古→こ
を奪取、蝦夷人共を焼払んと其村ニ打入候所、村人最早戦を
なし不申候間、我等も愍を起し焼払之義相止、其侭打集引
取申候、但シ如何致候哉一軒ハ焼失仕候、元来我等国人ハ村邑を
打破り焼払等仕候事ハ人情戻候義ニ而願ハさる事候、扨 *戻はそむくの意あり
譜厄利亜ニ而も猛獣悪鬼ニ而も無之候得共、江戸表之御許容を
蒙り、航海之節薪水等事欠候節者貴国之湊江入、値を
以て買入通受之義御免被下候様仕度奉願候、左候ハヽ直に芸 *芸術=技術
術之励ニも相成、莫太之利益と奉存候、斯申候も恐入候得共
今般アシュタナニ而被戦候貴国之人々、軍法至而未熟ニ見請 *戦われ *軍事
申候、譜厄利亜ニ而者十二万之軍法を召抱置候而、常々調練 *軍隊、軍備
仕候儀故、私共少人数ニ而アシュタナ之多勢相待申候、欧羅巴
人笑種ニ成可申候 *成り申すべく候
欧羅巴州教法之儀者貴国ニおいてハ忌ミ悪れ候間、往昔伊斯 *にくまれ *イスパニア
把仁亜及ひ波爾杜瓦等之僧徒を令刑罰御座候義も *ポルトガル *刑罰せしめ
及承申候哉、乍併我譜厄利亜国ニ者別ニ厳法相定り国人皆 *前後から判断し宗教か
々相守申候、永代不易之教□御座候間、既ニ長崎ニ被差置候 *与=とか?*差し置かれ候
和蘭陀者我等同教之者ニ御座候得共、貴国ニ而者和蘭陀而 *原文は自に見えるが同と読む
巳格別ニ御助力を御蒙り罷在申候、我等も和蘭陀同様貴国 *而巳 のみ *まかりあり
之法を妨候者ニ無御座候
小者利三吉の懐中に押込まれていたイギリス人手紙の和解(わげ=日本語化)
今般私達はアシュタナ(註1)という村へ着船し乱妨をする積りは無かったのですが、貴国の地役人が蝦夷人を多勢集めて陣を敷き、私たちと戦う姿勢に見えました。全くこれは思いもよらぬ事でした。 私たちは元来船中の薪水が不足したら是等を入手したり、風波の強い時は停泊や船の修理等のために諸国の浦々へ船を付けてきました。此度もその積りで着岸したところ、前記の様に非平和的な方法で私たちの希望は砕かれました。
数日様子を見ていたところ、彼等の人数は当方の十倍程の多勢ですが、彼等の侮を受けるも面白くないので、仕方なく一戦を遂げ彼等をこらしめようと戦いを致しました。彼等が逃げ去ったので一人を虜にして旗・鑓等を奪取り蝦夷人達の村を焼払おうと村に打入ったところ、村人はもう戦う様子もないので、かわいそうになり焼払うのは止めました。 しかしどうした事か一軒だけはもう焼いてしまいましたが、元来私たちの国民は村々を焼く事は人情に反する事であります。
ところでイギリスとて決して猛獣悪鬼ではありません。江戸政府の許可を受け、航海に必要な薪水等が欠乏の節は貴国の港で購入できる様にして戴きたく存じます。 そうすれば直ぐに技術向上の励みにもなり、莫大な利益になると存じます。
と申しますのは失礼ながら今般アシュタナで戦われた貴国の人々は兵器が至って未熟に見受けられました。 イギリスでは十二万の兵力を持ち、常に軍事訓練をしておりますので、私共少人数でもアシュタナの多勢を相手にできます。 そうでなければヨーロッパでは物笑いになります。(註2)
ヨーロッパ各国の教義を貴国では忌み憎んで居られ、昔イスパニヤ及びポルトガルの僧徒達を追放された事は聞き及んでおります。 しかし私たちイギリスには別の厳格な教義があり、国民は皆守り続けております。既に長崎に置かれているオランダも私たちイギリスと同じ教義です。 貴国ではオランダのみ特別に許容しておられますが、私たちもオランダ同様に貴国の法を妨げる者ではありません。(注3)
註1 日本側の記録では厚岸(アツケシ)村になっている。アツケシをアシュタナと聞こえ、それをオランダ語で書いたものか。
註2 蝦夷人(主にアイヌ族)の武器が弓矢、鎗刀だった事と思われる。 当時のオランダ語訳の日本語は今でいう科学技術も芸術と訳している例が多い。
註3 イギリスもオランダと同じプロテスタントの国で、スペイン、ポルトガルのカソリック国ではないと言う事と思われる。
註4 この英国船の素性は関連史料からも鯨漁船や商船ではなく調査活動の軍船と思われる。この十年後位にデンマークやイギリスの測量船が日本近海に出没した例があるので、この船も地図作成の為の軍の調査船と推定する。 利三吉の供述でも片側に四砲門があったと述べている。
〇古文書を始めて間もない人のための補講
・候の使われ方及び意味
近世古文書では丁寧語である「候」が頻繁に使われ、前後の接字で色々意味が変わってきます。
代表的の例、読み方、意味を次に記し、太字は特に頻出するものです。
候 候(そうろう) ~です
有之候 これあり候 あります
無之候 これなく候 ありません
御座候 御座候 ございます
無御座候 御座なく候 ございません
候得共 、候(そうら)へども ~ですが *存候得共、多勢候得とも
候得者 候(そうら)へば ~ですから
候ハハ 候(そうら)はば ~すれば *左候ハヽ そうですから
候間 候あいだ ~ますので *なし不申候間 なさないので
候而 候て ~して *仕掛候而 仕掛けて
候処(候所) 候ところ ~ですが
致候 致し候 致します
仕候 仕(つかまつ)り候 いたします
不致候 致さず候 致しません
不仕候 仕らず候 ~していません
致居候 致し居り候 致しております
致度存候 致したく存じ候 致したく思います
致間敷候 致すまじく候 致さないつもりです ~してはなりません
可被成下候 成し下さるべく候 なさって下さい
相成候 相成り候 なります、なりました
相成申候 相成り申し候 なります、なりました
可相成候 相成るべく候 なるでしょう
相願候 相願い候 願います 、願いました
申候 申し候 申しています
申上候 申し上げ候 申上げます
候由 候よし ~であるそうです
候哉 候や ~でしょうか
候得、候へ そうらえ ~しなさい 丁寧な命令
・変体仮名の活字化
手書文書を活字化する時、一般的に変体仮名はひらがなに変換します、但し者(は)、江(え、へ)が助詞として使われる時は右に小さく書いてあり、同じ様に小さく書きます。 而(て)はそのまま活字にしている場合が多いようです。
ゟ(より)は変体仮名の与利の省略が記号化したものと思われますが、これも頻出します。
・近世古文書頻出文字
被 られる 被申(申され)被致(致され)等は頻出し、崩し字も多種ある。
罷 罷在(まかりあり)→あり 強調
相 相談は現代もあるが、それ以外に相済、相願、相成など頻出する。 強調