良寛和尚遺墨 すもり宛書簡
良寛和尚遺墨 すもり宛書簡
人も三十四十遠(を) *人も三十四十を
越て者(は)お東(と)ろへ *越えては衰え
由久(ゆく)も乃(の)な礼者(れば) *行くものなれば
随分御養生可被 *随分御養生遊ばさるべく
遊候、大酒飽淫 *候、大酒飽淫
は実耳(に)命を *は実に命を
きる斧な利(り) *伐る斧なり
ゆめゆめ春(す)ごさぬ *ゆめゆめ過さぬ
よふ爾(に)あ所(そ)ばる *よふにあそばる
べ久(く)候、七尺乃(の) *べく候、七尺の
屏風もお東良(とら) *屏風も躍ら
者(ば)な登(ど)か越さ *ばなどか越ざらむ
らむ、羅綾の *羅綾の
袂も比可(ひか)はな *袂も引かば
東加(とか)堂(た)へさ良(ら)む *などかたえざらむ
遠乃礼本理(おのれほり)春(す)る *己欲する
登(と)ころな利(り)東(と)毛(も) *処なりとも
制セは奈(な)東(と)可(か) *制せばなどか
や未(ま)さ良(ら)む *止まざらむ
春毛理(すもり)老 良寛 *すもり老 良寛
出典:市販軸物
良寛は宝暦八年(1758)に越後の出雲崎の名主(山本家)の長子として生まれた。 名主見習いを始めたが18歳の時に突如出家し、曹洞宗の寺で修行した。 以後僧として名を残し天保2年(1831)死去する。 この書簡は自分に代わり名主の跡を次いだ弟、すもり(山本由之)への書と云われている。 趣旨は人間も年を取ると段々衰えるものである。 特に酒と女は寿命を縮めるものであるから過ぎない様に。 欲望は抑えれば決して止められないものではない、と云う事である。 この書簡には変体仮名が頻繁に使われ、余り見かけないものものあるので現代人には読み難い。
註1 などか→どうして・・しない事があろうか
註2 羅綾(らりょう) 上等な生地の着物
註3 貝原益軒の養生訓でも、「酒色ともに限りを定め、節に越ゆべからず」と繰りかえし述べている。
註4. 七尺の屏風ーーー羅綾の袂
平家物語の巻五咸陽宮の段で、秦の始皇帝を燕の刺客荊軻が暗殺しようとし、荊軻が始皇帝の袖を掴み剣を突きつけた時、始の寵愛する花陽夫人が琴を弾き、「七尺の屏風は高くとも、躍らばなどか越えざらん、一条の羅穀はつよくとも引かばなどかは絶えざらん」と歌ったので始は袂を引きちぎり、屏風を飛び越えて危機を逃れたという故事を語っている。 ここでは酒色の欲を節制する事はやればできると云う比喩として使っている。 平家物語にこの挿話が入っているのは、強大な秦(平清盛))に弱小国燕(源頼朝)が滅ぼされるのも時間の問題という事で引用している。