長崎虫眼鏡下
十七 来朝并漂着
南ばん人日本へ渡海之事、寛 *ポルトガル人
永十六卯のとし。かたく停止せら*1639
れぬ、しかるところに天かわ *マカオ
より使者船のよしにて、なん
ばん人七十四人、あくる辰のとし
五月十七日入津す、是によって
御上使かゝ爪民部殿六月十四日 *大目付 加賀爪民部
当地へ下着にて、同十五日なん
ばん人七十四人ともに籠舎 *牢舎
同十六日にしざかにて斬罪セ
らる、船ハすゝれの沖にて
やきしずめらる、のこり十三人
小唐船壱そうならひにせん
中、粮料・酒・さかな・たき木 *薪
P31
○承応四未のとし七月九日に *1655
下町石津長右衛門方江来たる
あんかいふねに木庵おしやう *和尚、隠元高弟
乗来朝、是ハふくさいぜん寺へ*福済禅寺
あげらる
○明暦三とりのとし二月十六日*1656
即非おしやう、諏訪町河南呂 *和尚
干所へ来たる、舟山船に乗て
来朝せらる、則崇福禅寺へ
あげらる、くわん文十壱年亥 *1670
五月廿日にせんげ *遷化
○万治元戌のとし六月廿四日に*1658
国せんゟ使者ぶね壱艘入津す*国姓爺=鄭成功
人数百四十七人乗わたる、本は
かた町京会所いわた七さへもん *東?
P30
なんど給わりて、七月ニ帰 *等
国す、其のちくわんふん三卯の*1663
とし、当所炎焼によって
地下町としより、そのほかしょ
やくにん拝領して右之船ニ
積しずめし銀、内外おとな一人
宛出合、是をあげ、ろはく町
にて灰ぶきにし、銀座江 *灰吹き
両がへし相応にわつふせしとぞ *割符
○正保四亥のとし、南ばんぶね
弐そう、六月廿四日比いわうか島へ*伊王島
きたる、廿六日入津す、是によつ
てきん国の大名衆にんじゆ、あ *近国 人数
また兵船引ぐしけいごセらる *引具し警固
しかれとも、別儀これなきよし
御ゆるしかうふり八月四日に帰 *蒙り
国しぬ、御ばん所御当ばん
松平右衛門佐殿
○承応弐巳のとし七月十七日 *1653
いなさにて唐セん、わきふね *唐船、脇船
壱そう、船たつるとて翌日 *建つる
もとおくぜん町中尾長三郎江 *本奥善町
来たる、わんかひふね也、当地にて *安海船 福建省船
船をつくり帰りしとぞ
○承応三午のとし七月四日ニ *1654
黄ばく山いん元おしやう、万や町*隠元和尚
いとや七郎右衛門方へ来たる、あん海*黄檗宗
出しのあきなひ船にのりて、来
朝セらる刻、こうぶくぜん寺へ * 興福禅寺
あげらる *住持となる
かたへ宿仰付られ、数日逗留す
しかれども使者并進物等御うけ
なされず、九月廿日荷物つミ出して
帰帆す
○万治弐亥のとし、たかさごのお*1659、高砂
らんだ人をこくせんよりおいおとし*国姓爺
たかさごをこくせん江取申よし *高砂=台湾
にて、おらんだ船おほくなが*鄭成功の台湾占拠
さきへにげ来たる、此時をんな
おらんだあまた来たる、 *数多
○万治三子のとし、日本へ渡海の *1660
陳辰官が船、ちうふ川といふ所より
出せんのところに、おらんだ人 *出船
かの川口へ出むかひ、船・荷物おし
とる、これによって右のこぎ手
P32
弐拾人小おらんだ船に乗けるが
俄に逆風にあひ薩摩・こし *甑
きの前へたゝよいよりぬ、さつま
番所よりばん船を出し、みぎの
ふね。こしきの陸へ引上、彼地ゟ
けいごをそへ、かの船ならびに *警固を添え
唐人ともに当地へおくらる、則 *共に
御せんぎあつてくわれうぎん *詮議、科料銀
おらんだ人かたゟ出し申へきむね
おらんだ通詞志築孫兵衛方へ
仰わたさる、同九月十九日銀弐百
七十弐貫六百目余、高木作右衛門
かた迄持参、町田市左衛門かたに
宿せし二嫏と申たう人 *唐人
よび出され、右之銀相わたさる
唐人ハ別船ゟかえりぬ
○おらんだ人朝せんの地にて
破船のよし、ながながてうせん*長々朝鮮
におり、かの地にて八人小船に
乗、五島へながれ来る、則五島ゟ
長さきへおくりこさる、寛ぶん
六午のとし八月十三日事也 *1666
右のおらんだ、いまだ七人てうせんニ
残り居るよし、いろいろそせう *色々訴訟
いたし、対馬よりおくりわたさる
○くわんぶん十いぬのとし八月 *1670
おわりのくわいせん逆風にあひ *尾張の廻船
いこくへ漂着し、やうやうふぢ *異国
からげの小ふねを作り、十一人乗
長さきへ帰朝す、則ろうしゃ、 *牢舎
P33
そのゝち尾はりへ送らる、壱人 *尾張
まへに紺の布子壱つ、もめんはた*木綿肌着
着壱つづゝ下しおかる、けいご *警固
として与力同心・町使・日行
事人足已上十七人相そへらる *以上
○延宝元丑のとし、えげれす *1673 英船
船五月廿四日着がんす、しかれ共
御ゆるしなく、船中つかひ用
ほど商売し、同七月廿六日
帰国す
○延宝八申のとし六月十七日 *1680
ひうが伊東出雲守殿かたゟ *日向飫肥藩主
はたに人十八人送られぬ、則*パタニ(マレー半島)
もりた与三右衛門方へ一宿いたし、
あくる十八日 政所へめし出され
御せんぎのうえ、同日十せんし、小 *十善寺
屋がけへめしおかる、是によつて
内外おとな・くミがしら両にんつゝ*乙名、組頭
一日一夜ばん相つとめ、しよじ *諸事
帳めんにしるし、毎朝
御奉行所江ぢさんす、にんそく *持参
内外町ゟいだす、右いこく人十八
にんのうち、十弐人だんだん病
死す、けんしのため与力同心・唐 *検死
つうじ・町つかひ、当番のおとな
くミがしら、水野小左衛門まかり出
崇福禅寺へ是をそうす、九月 *葬す
十九日右はたに人乗来たるふね
ならびに船道具どもうりはらひ *売払い
銀子、のこる六人のものともへ *者共へ
P34
P35
つかわされぬ、此外布子六・ほし*干魚
うを・白米弐石、ぢさんのため *持参
くだしおかる、出島へつかわされ、
おらんだふねゟじゃがたらまで*ジャカルタ
おくりとどけ申へきよし
○貞享二丑のとし六月二日 *1685
南ばん船入津
しゅわんはうてだす
まにやるきゃる
右両人口上書
一日本人あまかわのうち、まかれい*マカオ
らと申島へ、当二月七日に
へうちやく仕候よし、あまかわ *漂着
かしら分のものうけたまハり
此たび乗来たり候、せん
頭をまかれいらへつかわし、ぎん *吟味
ミいたし候之ところに、あまかわ
住宅のもの、日本人のよし
申候ニつき、あまかわかしら分
の者、日本の御儀を大せつニ
存たてまつり、此たびわざ *此度態と
とふねをしたて、此弐人を相
そえ、すなはち日本人十
弐人おくりさし上申ニつき、
あまかわかしらぶんのもの *マカオ頭分
書付け一通にとうじん *唐人
やわらげいたさせ、相そへさし*翻訳
上ケ申候、商売之存いれ
御座なく候ゆへ、荷物少も
つみ来たり申さす候
P36
もつとも今度の渡海何
かたへもよせ申さず候、こん
ど日本人十弐人日本へ
つれこし御上申候、御
うけとりあそばされ、御せう*御証文
もん拝領なさせられ下さる
へきむね、あまかわかしら分*マカオ頭分
のもの申わたし候
一日本人に南ばん宗門申聞
候やと御たづねあそばさ
れ候、双方ともニことば通ジ
申さず、ことさら日本御さ *御作法の段
はうのだん、かねてつぶさニ *兼て具さに
うけ給わり、かつて宗もん
申きけず候、その上日本人
あまかわとうりう中、別宿を *天川逗留中
申付、召置しゆへ、いさゝか宗
もん之儀など申聞ず候、以上
丑六月二日 両人
入津之日本人十弐人
口上書
一わたくしども儀、伊勢国わた *渡会郡
らえのこほり神社むらの者 *郡
どもにて御座候、たき木
商売のため、われわれ手船
十八反帆に乗、去子八月
十八日国元出せん、同日くま *熊野
野の内三うらと申ところへ
右漂着者拾弐人名
はゝ一人あね一人 太兵衛 とし廿二
さいしこれあり 与兵衛 四十四
あね一人 ぜん八 三十四
父一人あね一人 利右衛門 廿八
両おや兄弟三人 冶右衛門 廿四
はゝ兄弟二人 三四郎 廿二
兄だい三人 治郎 十七
此ぶん神社村
はゝ兄弟四人 庄三郎 四十
父兄弟三人 甚三郎 三十一
両親兄弟五人 庄五郎 廿五
しもだ御ばん所にて御あらため *下田御番所
にあひ、十二月廿五日までとう *逗留
りう仕、同日七つじぶん出せん *時分出船、
あくる廿六日のばん、いせ大山と*六日の晩
申沖より北風にふきながされ
三十二日のあいだ、山一えん見へ*山一円
申さず、当正月廿六日あま *天川沖の島
かわの沖のしまにとりつき
申候、同廿九日たうせん見かけ *唐船
申候て、わたくし船よりはし *端船
船をおろし、たうせんにつかわし*唐船
米三斗ほどもらひ申候、すな
わち此たうせんにたすけられ *唐船
二月五日天川ゟ弐里ほど下に
かゝり申候ところに天川ゟ *掛り=係留
P38
けんしをつかわし、わたくしども *検使
つれまいり候、同六日引ふねまいり *引船
候て七日にあまかわと申所へ
引付申候、同八日九日両日船道
具ごとごとくあらため、のこら *悉く改め
ずくがへあげ申候、同十日より *残らず 陸
せん中人数おかへあがり、やし *船中
なわれ申候、その上かたびら・ *帷子
帯、あまかわかしらぶんゟたま *天川頭分
わり候、いろいろしんしゃく仕り*色々斟酌
候へども、たつてつかわし申
候につき申うけ候、しんしゃく *斟酌
仕り候だん、ことば通じかね *言葉通じ兼ね
候へども、とし比七十ばかりの *年頃
日本人女出あひ、せうせう日 *少々
本ことば通じ申候故、右の
だん申候
一わたくしどもふねに葉たば *私共船に
こ五千五固江戸ゟつミまいり *積み参り
申候、あまかわにてすておき申
べきと仕候ところに、あまかわ
かしらぶんの者一えんせういん *一円承引
是なく、銀八百廿五匁ニうり
はらひ給わり候、ふねをも *船をも
うりにつかわし申され候へども
買手御座なく、かしらぶん
ゟ大工つかわし、とかせ申され*解かせ
船いたのこらず銀六百目に *船板残らず
うり給わり候、右の銀の内
より百五十匁大工ちんに *大工賃
P39
はらい申候、残てつな・いかり*手綱、碇
帆麻・道具買手御ざなく *御座なく
此ふねにつみまいり候 *船に積み参り
一われわれ天川とうりう中 *逗留中
右のばばをもつて宗門の義 *婆(日本人老婆)
申聞候やと御たづねなさせ
られ候へども、かねてさやうのき*兼て左様の儀
一言もうけ給わらず候、尤
せん中においてことば通じ *船中
申さずゆえ、猶以うけ給ハり
申さず候
右のとをり、いつわり申上ざるし *証拠
やうこハ御さき下田両御ばん *三崎
所のてがたぢさん仕さし上ケ申候 *手形
以上
丑六月
覚
一昨日御けんしをもつて御た *検使
ずねなされ候、今度あまかわへ
ひょうちゃくにつき、かのちとう *漂着、かの地
りう中、またハ船中すがら四 *逗留中
十七人の南ばん人壱人にても
此十弐人の日本人に南ばんの
宗もんおしえ申候や、またハ *教え
日本人のうち壱人にても宗
門のぎ、ならひ申候や、有てい *宗門の儀習い
に申あぐべく候、昨日日本人
御うけ取なされ候あいだ、御せん *御穿鑿
さくのうへ、白状いたし候へば
P40
われわれども申ぶんさういに *申分相違に
罷なり候あいだ、せん中したした *下々
なをなをせんぎいたし、かくれなく *猶々
申上べきむね仰聞られ、せう *承知
ち仕候、一昨日御出の御けんしへ
申上候とをり、われわれ弐人の *候通り
ものハ申におよばず、せん中
したした壱人にても、かつて *下々壱人
しうしすすめ申さず候 *宗旨
まして双方口通じ申さず候
うへハ、宗門おしえ申さず候
その上日本御ちやうしのだん *御停止の段
かねてうけ給わりおよび、宗
門伝へ申心さしそんしよりも *志し存寄り
御さなく候、そのためかくの *御座なく
ごとくに御座候、以上
丑六月四日 南ばん人二人刺
右漂着者拾弐人名
はゝ一人あね一人 太兵衛 とし廿二
さいしこれあり 与兵衛 四十四
あね一人 ぜん八 三十四
父一人あね一人 利右衛門 廿八
両おや兄弟三人 冶右衛門 廿四
はゝ兄弟二人 三四郎 廿二
兄だい三人 治郎 十七
此ぶん神社村
はゝ兄弟四人 庄三郎 四十
父兄弟三人 甚三郎 三十一
両親兄弟五人 庄五郎 廿五
P41
おや兄弟四人 十兵衛 三十八
二親兄弟妻子 太郎兵衛 三十八
此分ふじハら村
藤堂いずみのかミ殿領ぶん*藤堂和泉守
あまかわかしらぶんゟ弐本人へ
つかわし候いんぶつ *遣し候音物
かたひら 十二 *帷子
あさぎかたひら 十二 *浅黄帷子
しまのおび 十二 *縞の帯
島小きれ 弐ツ
金四十両壱歩
銀廿壱匁七分
唐銀三十八匁
右せん頭 太郎兵衛方へ
米 六俵
干魚 三からけ *絡 束
はん 十六袋 *パン?
銀 八匁
金 五両三歩
右 理右衛門かたへ
○貞享四卯のとし十一月六日に *1687
紀伊のくにへ呂宋船漂着のよし*フィリピン船
紀州様ゟ引ふねあまたにて御
おくり有之、死残るるすん人
壱人きたる、船ながさ十弐けん*船長さ十二間
江戸町大はとにめしおかる *江戸町大波戸
○元禄五未のとし五月松たいら *1692 島津家
さつまの守殿ゟ唐人弐人御こし、*御越す
たう人、おらんだその外はうはう *方々
通詞いろいろ口つかひ見せ候へとも*色々口使い
P42
一えん口通せず、是によって *一円
らうしゃに召おかる、薩摩にて *牢舎
八人有之内六人相はつる *相果てる
但かはやん人と申たう人 *唐人
にてこれあるよし
○元禄六とりのとし、なつ船に *1993 夏船
唐僧三人長さきへ来朝せり
福州寺、南京寺、とんちう寺へ *泉州寺?
壱人つゝ居住あるべきのよし
江戸ゟ申来る
○同年八月四日、しゃむ壱艘 *暹羅 タイ国
入津す、此ふねにかうちのおんな *交址=ベトナム
たう人九人乗来たる、すな *女唐人
はち船よりあげ、御せんさくの *御穿鑿
ところに、海上にてはそんに *破損、破船
あひ、たすけのせ来たるよし *助け乗せ
しゃむ人申によつて、またしや *暹羅人
むじん船よりきはんす *帰帆す
○同年八月八日、しゃむぶねニ
日本しあくのもの七人のせ *塩飽
来たる、是ハ去ねん十月の比
風にふき流されたるをふだ *普陀山
せんゟたすけ置、此だひ、しや
むふねに乗来たるよし *暹羅船
政所江めしよせられ、口上御
きゝなされ、江戸左右是ある
まであがりやへめしおかる *揚屋
○同八月廿九日、ふだせんゟ日本
人七人のせ来たる、同あがりやに
召おかる件の者同国のよし
P43
十八 雑説并炎焼
○そのかミ日本人異国へとかい *その上 渡海
いのまゝなりき、そのゝち *意のまま
御奉書てうたいし、いこくへ *御奉書頂戴
とかい商売儀なす右のおも *右の趣
むき、くわん永十一いぬのとし *1634
かたくとどめらる *堅く留めらる
○慶長十六いのとし、まつくら *1611亥、松倉
修理殿奉行にてやきしず 焼沈める
むる所の南ばんふねのきんぎん *南蛮船の金銀
好雲・水学などいふもの、あげ
来たるところに、久しくとど
められて、あぐる人もなかりしを
承応弐巳のとし、町としより *1653 町年寄
中へしづみ荷もつ、きんぎん *沈み荷物、金銀
はいれうし、江戸町町田市左衛門 *拝領
才覚にて十ヶ年余あぐる
○くわん文三卯のとし三月八日 *1663
下ちくご町ひぐち宗右衛門、に
わかに乱気、自家に火を付 *俄に
巳の刻より、あくる九日巳の刻
までやくる、その比ハ町数うち *焼くる
そと六十六町也、内六十三町や
くる、但此内六町ハ半分やくる
家数弐千九百壱軒
本町の間にして
百廿四町三十四間弐尺弐寸七歩
但両かわ町 百五町三十間六寸六
片かわ町 十九町四間壱尺六一
やけのこる町 数九町
P44
内六町半ぶんのこる
家数三百五十壱軒
本町の間にして
拾三町半拾弐間五尺五歩
但両かわ町 拾弐町半三間四尺四
片かわ町 壱町八間壱尺弐寸五
米ぐらえんせうによつて、ちく前 *米蔵炎焼
肥前、肥後、大むら、平戸、島ばら
あまくさ江米大豆之儀、仰
つかわされ、米大豆石高一万
五千九百八十一石弐斗五升を
右七ヶ所ゟさしこされ、ねだん*値段
そうばゟげじきにて町中へ *相場下直
拝借仰せ付らる
町はば 通りすじ四間 *通り筋
わき町 三げん
みぞはば 壱尺五寸 *溝巾
右之とをりひろくなる *右之通
御上銀 弐千貫目
内 千貫目 内町
千貫目 外町
たつのとしゟ十ヶねん銀
上納御さだめ、はいしやく
内町 壱間口ニて
弐百九十匁弐厘三毛三弗
外町ハ上中下有之
上之町 百弐拾壱匁九分四厘四
中之町 九十七匁五分七厘七
下之町 七十三匁壱分六厘六
是も壱間口に付て也
P45
寺社方三十三ヶ所えんしゃう *炎焼
銀子合弐十三貫弐百五十匁
両奉行御屋しき類火、是に
よつて松平肥前守殿奉行
にてふしん在之 *普請
手伝 末次 平蔵
高木作右衛門
獄屋えんしやうによつて、松平
丹後守殿奉行にて、竹木大工
人そく等迄さかゟさしこさる *佐賀ゟ差越さる
えんしやうのみぎり、めしうど *炎焼の砌、囚人
ども、出しまへめしおかれ、国々ゟ *出島
うけ取のししゃ来たり、御 *使者、御預け
あづけ有之、そのゝちらうや *其後牢屋
出来之上、本のごとくめしおかる *本の如く
註1塩飽(しわく) 岡山県と香川県の間の大小28の島で塩飽諸島という。 戦国時代には塩飽水軍の本拠地であり、船の製造や操船に長じていた。 江戸時代は海運に携わる者が多かった。 咸臨丸がサンフランシスコ往復した時の水夫50名の内35名は塩飽水軍の末裔だった由
註2普陀せん 中国上海の南に舟山諸島があり、その中の舟山島に普陀山がある。 この文では舟山島を指すと思われる。 アヘン戦争の初期段階で英国がこの舟山島を占領して基地としたが、香港割譲で舟山は返還している。
P46
宗もんのおんな 三十一人
右大むらへ *大村
同 をとこ 四十人
右島はらへ *島原
同 をとこ 六十一人
右ひぜんへ *肥前
合百三十弐人
○くわん文七未のとし五月、諸方 *1667
の者てうせん江渡海し、商 *朝鮮
売するのよし訴人これあり、
御せんさくのうへ、同十一月晦日ニ *御穿鑿
めしうど共八人斬罪せらる
家財ハ御闝所、妻子ハ奴に
下さる、対馬之者ハあくるとし
正月につしまへ渡され、ちうせ *誅せられ
られけるとなん
○くわん文十弐子のとし、内そと *1672
大町ゟ御そせう申上、御わけ *御訴訟
是あり、出じま町ともに内外
町かず八十町になる *町数
築町 今下町
新奥善町 大こく町
東上町 上筑後町
出来大工町 南馬町
本吉川町 東古川町
中紺や町 東はま町
出来かぢや町 新石灰町
已上十四町也
但出来かぢ屋町ハあくるとし
御わけ有之
P47
○くわん文子のとし町中へ御銀 *1672
拝領して、町々門をたつる *建つる
○延はう四辰のとし、すへ次 *延宝四1676
平蔵并家来かげ山九太夫 *陰山
唐つうじ下田弥三えもん *唐通司
弥留九郎右衛門、唐人江ミつ *密談
だんし、異国へあきなひ舟 *商い
仕出すべきくわだて有之よし *企て
正月九日ゟ御せんぎはじまり
同二月十八日、平蔵父子ならびニ
婿平左衛門を松平右衛門佐殿
へ御あづけ有之、浦五とう町
くら屋しきへ召おかる、平蔵
母儀ハ大久保加賀守殿御
あづかり、新町くら屋しきニ
召おかる、御せんぎうえ、かげ山 *御詮議
九太夫、下田弥三えもん、弥留
九郎右衛門、此三人の者ども、四月
廿五日ふゆうがしまにて誅
せらる、子ども斬罪あるひハ
流罪、さてまた四月廿九日
平蔵父子改易流罪、配所ハ
おきの国松だいら出羽守殿ゟ *隠岐国
使者三人来たりうけ取行、
母儀ハ平戸御領江ながさる
平左衛門事ハ御赦免ならびに
息女弐人ともに上方へ引こし
平蔵屋しき家財等御闕所、
同年冬屋しきハ高木作右衛門
はいれう、平左衛門屋しきも *拝領
P48
めし上られ、御糸改所となる
平蔵につきそひ行小姓
角弥と申もの年十六
右平蔵御せんさくのため *御穿鑿
松たいら主殿頭殿当 *松平主殿頭
地へ御こし有之
○えんはう八申のとし、しよこく*延宝八1680
不作によつて、八木高じきに *八木=米 高直
なり、下々こんきうする事 *困窮
はなはだし、御すくひとして肥後 *御救い
米五百たわら下しおかる、内そと *俵
町中ぎんミのうへ、壱人まへに *吟味の上
弐升弐合弐夕九才宛、とりの *酉 延宝九
二月わつふす、同四月五百俵 *割符=配分
これハふくさいじへつかわされ *福済寺
かゆ米にす。是ハ正月十七日ゟ
ふくさいじにて、かゆをたき、一 粥を炊き
日に一ど宛、是をせぎやうす *施行
此米不そくによつてなり *米不足
はじめハ三千人余毎日来た
り、しだいしだいにおほく成まゝ*次第に多く
町々ぎんみのうへ、ふだを出 *吟味の上
せしによつて、弐千四五百ほど
ありしとなん、他国にハ餓死
もありけるよし、長さきニハ *長崎
ひにん、こつじきおほけれども *非人、乞食
餓死するものハなかりし
○延はう九とりのとし、唐船 *延宝九酉 1981
九そう、やうやう銀高千六百
くわん目、是によつて長さき中
P49
こんきゅうにおよび、そうふくじへ*困窮、崇福寺
施行のかゆたかせらる、およそ *炊かせらる
取に来たる人数五千百五十
人ほどありき
○元禄五申のとし、当はるゟ *1692
唐人・おらんだのほかハぶた、 *豚(肉)
にはとり等食する事を *鶏(肉)
とゝめらる *留めらる
十九 白糸貨物代物替
○白いとわつふの儀ハ *白糸割符
東照大神君 厳命によつて
はじまる、なつ船に来たる *夏船
糸、上中下をわけ、此ねだんを
もつて、冬船あくる春船の
いともおなじねだんにして *同じ値段
中間へ取事也、しかるところに
承応三午のとし、冬ふね *1654
ひつじのとし春船、しらいと高
十三万斤余つミ渡る、是に *約78トン
よつて上かたそうば下ぢきニ *上方相場、下直
なり、わつふ中間そんしつ有、*仲間、損失
唐人手前ねだん立かへたき *立替たき= 値決め変更
むね、たびたび申といへども唐
人承引なく、右之ふゆふね
越年す、同四年四月十六日
わつふ御やぶり捨、右のいと
御公儀へめし上られ、代銀として
五千五百貫目、唐人かたへはらひ
つかわされ、右之いと弐千七百
廿弐丸、出じまにて荷つくり
P50
ありて、内千三百六十壱丸ハ大
さかへ御のぼせ有之、相残る分
当所おとな、くミ頭并ニ地下中、
たびの商人江しんだいそう *身代相応
おうに元ねだんにて下さる
此元代銀、京都常是包ニ
して、極月十五日に大坂
御蔵へ上納す、そのゝちしら糸 *其後
も諸色同前に相対の商ば *商売
いとはなりぬ、しかるところに
貞享子弐年にしらいとハ *1685
東照神君 御しおきのごとく *御仕置き
わつふ中江ねだん相きわめ *相極め
いとかひ取まし銀、五ヶ所わつ *割符
ふ中としてはいふんす、丸高ハ *配分
せんれいのごとく *先例
京百丸 江戸百丸
大坂五十丸 堺百丸
長さき百丸
右五ヶ所丸高のほかに、分国の
ごふく所わつふ高ありといへとも
しげけくれハ略し侍る *稠ければ
○くわん分八申のとし三月廿二日 *1668
御奉書到来
いこく江御ちやうじものゝ*異国、御停止
しなじな
絹 わた 麻 布類
おり木綿、ならびにくりわた
うるし 銅(あかがね)
但あかがねハ御そせう申上*御訴訟
P51
御ゆるし
油 酒 此の弐色ハせん中ニて
つかひ用ほど御免
いこくゟ日本江もちわた *異国
るまじきしなじな *品々
たんがら につち *丹がら、丹土
きゃら皮 ひよんかつ
生類 きんし
さんごじゅ らしゃ *
らせいた 小間物道具
やくしゅにならざるから木 *薬種、唐木
やく種にならざるうへ木類 *植木類
おらんだのまげもの
そうじてもてあそびものゝ*惣じて弄び物の
たぐひ 衣類になら
さるけつかう成おり物 *結構なる織物
右之おもむき唐人、おらんだ *趣
内通詞方へ仰わたさる
○くわん分十弐子のとし、おらんだ *1672
方へハ金子壱両代六拾八匁がへ *替
唐人方へハぎんすにてあい *銀子にて
わたすべきよし仰わたさる
○同としくわもつ御一法
はじまる、そのゝち貞享弐 *1685
丑のとし御やぶりすて、此
とし迄十四年になる
○貞享弐丑のとし、秋ふねゟ
おらんだ銀高三千くわん目 *貫目
唐船銀高六千貫目あわせて
ぎんだか九千間目、此分御定
P52
○同五たつのとし、秋ふねゟ
唐人船かず七十そう仰つけら *船数七十艘
れ、商売いたすべきむねおほせ *仰渡さる
わたさる、あくる元禄弐巳のとし *1689
春船廿艘、なつ船三十そう
冬船廿艘都合七十そうぶん *七十艘分
商売仰付られ、あまり舟ハ
つミもどす、おらんだ舟かずハ *船数
御かまひなし、そのゆへハおらんだ
一ぶん銀高御さだめのゆへ也
唐人ハ国々たかふによつて *国々違う
船かずをもつてわり付けらる
此としゟ唐人、十せんじやし *十善寺屋敷
きにめしおかるゝ事とハ
なりぬ
○元禄八亥のとし八月、江戸ニ *1695
おいてふしミや四郎兵衛に *伏見屋
唐人、おらんだ方にて、高
千貫目代もの替おほせ付 *仰付け
られ、十月八日長さき江下着す
いまだ秋船長さきに残り居、
是にて商はいす *商売す
高千貫目
内
六百六拾六貫六百目余
右ハ唐人方
三百三十三貫三百目余
右ハおらんだ方
右千貫目徳用之内
千五百匁 御運上
P53
七十貫目 唐人商売方
徳用一わり、地下江遣ス
拾五貫目 おらんだ方
徳用五歩地下江遣ス
合百七拾五貫目
○元禄九子のとし正月、ふし *1696
見屋四郎兵衛につがう銀高 *都合
五千貫目代物替仰付らる
右之内
四千五百貫目 唐人方
五百くわん目 おらんだ
春船弐十艘 千貫目
夏船弐十艘 千百巻目
同 十そう 四百廿貫目
同おひわり *追加 四百八十貫目
秋船弐十艘 千四百貫目
同おひわり 百貫目
おらんだ方 五百貫目
都合五千貫目也
右之利銀合
弐千七百三十貫四百三拾匁三分三りん
内
銀六百貫目 金壱万両分
右 御運上銀也
四十貫五百三拾七匁九分弐リン
右代物替会所入用
さし引して残り高
弐千八十九貫八百九十弐匁四分壱厘
是を三ツわりにして壱ツ分
P54
六百九十六貫六百三拾匁八分五毛
地下中へ遣ス
同弐つ分
千三百九十三貫弐百六拾壱匁六分六
ふしミ屋ぶん
○元禄十丑のとし正月廿一日
ふしミや四郎兵衛代物かへ召上られ *代物替
長さき江仰付らる、めうがの *冥加
ため四万五千両のこらずさし *残らず差上
上申へきむね、地下中ゟ申あぐる
其内壱万両地下中江くだし
おかれ、残ル三万五千両御うん *御運上
上と成けると也
P55
廿 異国渡端物字尽
羅 綿 紗 紦 紬
縐紗 縮緬 兎羅綿 *ちりめん とろめん
襪綿 緞子 閃緞 *どんす
綾機 綸子 綜綾子
紗綾 金緞 柳□
雲絹 絹綢 繻子
八糸 綾木綿 花布
葛布 天鷲誡 木綿
鎖服 芭蕉布 五糸
繻珍 七糸 二彩
紕綃 □絹 □絹
金巾木綿 羅背板
羅紗 咬留吧嶋 算崩
霜付花布 光花布
金花布 □花枝花
毛氈 毛氈
右之外反物
さむそぎ さらさ
あるめんさい べるへとわん
さらさ金入 さんとめじま
ぎがん またふぎがん
P56
せいしす かわさのめん
またふ ちうて
あれしやかいき あれしや
こんてれき ふらあた
べんから おくしま
□□どうる かべちよ嶋
さあや ころふくれん
あるめんさい さえつ
かかさい さるせ
はれいた
日本渡海御停止国々
阿馬港 呂宋
いすはにや ほるとぎす
かすてら まんていら
ぱぱやん えげれす
右は南ばん人と号し則
切支丹国也
或人のいわく、日本ともに文
字通ずる国々ハ、はしを
もつてものをくふ、横文字の
国々ハ手づかみにして食
P57
するとなり
横文字のくにぐに
占城ちゃんぱ 太泥たに
六甲ろっこん 暹羅しゃむら
呱陸まじやわ 番旦はたん
母羅伽もろこ 咬瑠吧じゃかるた
阿蘭陀 東浦寨かぼうちゃ
もうる
唐人のほか
朝鮮 琉球
東寧たかさご だいわんともいふ
東京とんきん 交址かうち
右の外本唐人国々多く
事繁き故、爰にしるさず
廿一 海上路程
ちやんぱ江 壱千七百里 *ベトナム南部
たに 江 二千弐百里 *マレー半島
ろつこん江 二千二百里 *タイ、マレー半島
しやむろ江 弐千四百里 *タイ(アユタヤ)
ましやま江 三千五百里 *ジャワ(ジャカルタ)
はたん 江 三千五百里 *スマトラ
もろこ 江 壱千七百里
p58
じゃがたら江三千四百里 *ジャカルタ
おらんだ江 壱万弐千九百里
かぼうちや江 千八百里 *カンボジャ
もうる 江 三千八百里余り*ムガール(インド)
朝せん 江 対馬ゟ四十八里
りうきう江 三百四十里 *琉球
たかさご江 五百廿六里 *台湾
とんきん江 千五百り *ベトナム北部
かうち江 千三百廿り *ベトナム中北部
南京 江 三百四十り
北京 江 五百り
広東 江 九百り *広州
此国夏至の日いただきのうへに *頂の上
ありてかげなし *影
福州ほくちう江 五百四十り
台州ちやくちう江三百弐十り
漳州はんちう江 六百里
蘇州 江 三百里
是明州の津也、しかれども今ハ
寧波が来たる故、此国ゟ入津なし
寧波 江 三百り
阿媽港あまかわ江 九百り
呂宋 ろすん江 千八十里
P59
廿二 唐音遣用字つくし
まづ唐音をしらむとおもはば *知らんと思はば
左にしるす五十の字をもつて
文字のよみやう、二首のうたニて *二首の歌
しるべし、是を知るときハ御経
詩文何にても唐音によま
るゝなり、常にいふことばに
も唐音有、行灯(あんどん)蒲団の
たぐひなり *類
一 二 三 四 五
あ い う ゑ を
か き く け こ
さ し す せ そ
た ち つ て と
な に ぬ ね の
は ひ ふ へ ほ
ま み む め も
や ゐ ゆ 江 よ
ら り る れ ろ
わ い う ゑ お
歌にいわく
一ハ五に、二ハ四にかよひ、五ハ三に
二三のときハ本座かゑしぞ
一ハ五 五三
唵 アン和 東 トウ和
ヲン唐 ツン唐
本庄
今 コン和 通 ツウ和
キン唐 ツン唐
松 シャウ和
スウ 唐
P60
うたニ
引ハはね、はぬるハはぬる、入声の
二字ハ下略、三字中略
入声 ふくつちの かな付き
たるをいふ たとへハ
合ゴフ ガ唐 十ジフ ジ唐
陸リク リ唐 楽ラク ラ唐
悦エツ エ唐 鉄テツ テ唐
日ニチ ニ唐 吉キチ キ唐
右之分下略にしていふ
三字入声
陟チョク ト 極キョク コ
力リヨク ロ 職シヨク ソ
引ハはねとは
竟キヤウ キン 忠チウ チン
頎ケイ キン 孔コウ クン
はぬるハはぬるとハ
春シュン シン 辰シン シン
何れも此格を以てしるべし
左に唐音少々是をあぐ
単杉タンスンひへ物 布杉フスン かたひら
破子ビツ よぎ 縐紗チエーウフ ちわん
麻布マアブ ぬの 帯テアクー おび
金子キンツウきんす 銀子インツウぎんす
p61
一両イーリヤン一りやう一銭イイチエン 壱匁
茶瓶ザヒヘン 茶わん 茶壺スフ 茶つぼ
糸線スチエン いと 脚炉キョル こたつ
沈香チンヒャンちんかう火筋コト 火ばし
硯匣ケンア すずり 水滴スイテ 水入
筆子ヒイツ ふで 墨子ボツ すみ
飯フワン めし 粥シイ かゆ
酒チリ さけ 盃ポイ さかずき
饅頭ハンテウまんぢう豆腐テノウフとうふ
荀子フンツ竹子 芋子イツ いも
餅ビン もち 菓子クーワツ かし
祖父ツフ ぢい 祖母ツム ばば
父親フチン ちち 母親ムチン はは
阿叔アシュ をぢ 阿伯アハ 同
姨娘イニヤン おば 児子ルツ 子
阿姐アチャ あね 阿妹アハイ いもうと
姪児 おい 堂兄タンヒン いとこ
岳父コフ しうと 岳母コム しうとめ
女婿ニイレイ むこ 媳婦シフ よめ
朋友ハリユウともだち 啞子ヤアツ をし
医生イスエン いしゃ 盲子マーウツめくら
p62
下雨ヒヤイ あめふる 下霜ヒヤスンしもふる
虹霓コウゲイ にじ 米雹ヒンパウ あられ
地震デイシンぢしん 風涼フーリヤン すずし
路湿ルシ みちしるし 街上キヤイシャン町
房子フアンツ いえ 方柱ファンチュ はしら
亮□リヤンソンまど 厨房チウフワン 台所
竹筧チヨケンかけひ 卓子ヅツ つくえ
妖精ヤウチンばけ物 鬼魅くいむい おに
眼 エン め 耳 ジ みみ
鼻 ビイ はな 舌 マ した
歯 ツ は 髪 パ かみ
腰 ヤウ こし 胸 ヒヨン むね
腸 チヨン はらわた 背 ポイ せなか
イヽル サンス ウ ロ チ パ キイ
一 二 三 四 五 六 七 八 九
シ ヒヤ チヨン ワン ヲ
十 百 千 万 億
長崎虫眼鏡終
元禄十七年申正月吉祥日
大坂高麗橋壱町目
富士屋長兵衛 板行
出典:国会図書館