早慶戦

第一回早慶戦野球の始まり

米国で起こった野球が日本に入って来たのは明治五年頃である。 慶応野球部が創設されたのは明治21年、 早稲田大学野球部は明治34年であるという。 この古文書は明治36年に早稲田が慶応に挑戦した書状であり、これにより第一回の早慶戦が行われた。 この時の結果は9対6で慶応が勝ったという。

明治三十六年の手紙であるが江戸時代の書き方を色濃く伝えている。 但し江戸時代の古文書では決してないような送り仮名が頻繁に遣われており、読み難い。 例えば候 →候ふ、 為→為め 可→可く などなど。 早慶双方の文章にこのような使い方がみえるので、過渡期の流行か?

早稲田より慶応への挑戦状

拝啓仕候、陳者貴部益御御隆盛

之段、斯道之為め奉賀候、弊部 *斯道 此の分野

以前として不振候、従ふて選手皆

幼稚を免れす候に、就ては近々の中

御教示にあづかり、以て大に学ぶ

所あらば、素志此上も無之候、*素志 兼ねての願い

貴部之御都合は如何に候ふべき哉

勝手ながら大至急御返翰被下度

御承知之上は委員を指向け

グラウンド、審判官之事など万々

打合せ仕るへく、此段得貴意候也 *貴意を得候也

十一月五日 早稲田退学野球部

委員拝

慶応義塾野球部

委員御中

同封書

早稲田大学野球部委員拝

十一月五日

芝区三田

慶応義塾野球部御中

糊 十一月八日

三田慶応義塾

寄宿舎 高浜拝

府下豊多摩郡戸塚村

下戸塚鈴木様方

泉谷祐勝様

慶応から早稲田に対し同意状

拝啓

秋気相催し候所

益大ニ御練習之

御事と推察いたし候

偖而貴校と当校

とは是非共マツチ

を致す可き者と、啻に

門外漢之風評

のみならず、当方の弥次

連も非常に希望

致し居り候様子ニ

御座候へ共、兎角

申込云々の角立て

たること有之候為め、

幹事の内にも之ニ

欠しかね居る向も

有之候様子なれば

此際御校にて御

申込相成候はば、直に

成立可致候、此頃は

丁度よき時節ニ候へバ

此期をはすしては正に

互方に此後益々

都合悪しく相成申可く候

と存せられ候、小生

なとは貴兄の対手

となることの変んな者

と存し居り候へ共

然仕合□是非いたし

度心掛居り候

御校之御様子ハ

如何候哉、双方議

熟して戦ふと云ふ風

至極おもしろしと存候

御校さへよろしく候

へば当方は小生

より申出候、幹事

達へも勧告致し

見る覚悟ニ候間、

御一報煩し度候

先は右迄

如斯ニ御座候

敬具

十一月八日 夜八時半

高浜徳一

泉谷祐勝様

机下

出典: 野球殿堂博物館