文政宝島事件
古文書鵜を楽しむ会通信講座 第一回 2020 4月23日(木)
史料 文政宝島事件 天保雑記より
〇背景
産業革命後のイギリスは機械の潤滑油と灯油に鯨の油が有効な事を発見し、大西洋の鯨は大方取りつくしてしまう。
1820年頃には日本近海にマッコウ鯨を追い頻繁に出没する様になった。 水と食料調達の為一部は日本の辺境に上陸する
事件が屡々あり、その中のひとつが本史料の宝島事件である。史料は薩摩藩主島津斉興が幕府に届けたもの。
〇原文翻刻又は翻字とも云う
P1 原文一頁はこちら クリックすると画面が開き、その画面クリックで拡大します。
一文政七年甲申秋八月、薩摩国属領へ蛮賊襲来ニ付候ゟ御届 *1824年、ゟ→より
私領薩摩国七島之内宝島へ白帆ノ船一艘漂来、 *漂い来る
橋舟ゟ異国人七人致上陸候ニ付、役々差越シ相尋候処、言語文*ゟ= より
字相不相通、無程本船へ乗戻翌九日橋舟二艘ゟ致上陸、牛望 *相通ぜず *程なく
之由手様致候ニ付、不相調段手様を以相答候、旗印は難見 *手様 手つき 者→は
分候得共エゲレスと申辞迄相分り、野菜相與候処本船へ *与→と
乗帰、又々橋舟三艘多人数上陸致し方々徘徊、海辺へ *橋舟=はしけ
P2 原文二頁はこちら
繋置候牛壱疋打殺、外ニ弐疋奪取在番所江鉄砲夥敷打掛、
本船ゟ石火矢繁打放シ及狼藉候ニ付、目付役として彼島 *石火矢=大砲*狼藉に及び
草村ニ隠れ居、弐匁五分の筒にて打留ル由 *約十グラムの玉の銃
江差置候吉村九郎と申者、鉄炮を以異国人之内壱人打留候
打留ノ異人猩々緋ヲ着タリト云 *赤色服(当時の士官か)
処、其余之者共は不残本船へ逃帰乃テ、午未之方江乗行、同十 *逃げ帰り及びて、南々西
一日迄之間遠沖ニ帆之影相見候へとも、其後何方へ乗行候や
不相分候旨申来候、依之島津権九郎と申者へ人数相付 *これに依り *与→と
彼島へ差渡、其外浦々島々へも取締として厳重ニ申付
置候、打留候死骸地方へ差送り次第警固之者相添、長崎へ *地方(じかた)陸地
送り遣スへき旨、彼地奉行へ委細申達候由国元家来共ゟ
申越候、此段御届申上候、以上
閏八月三日 松平豊後守 *八月の後にひと月挿入
従鹿児島江八月十日ニ申来、江戸へ者閏八月三日ニ申来候由 *島から鹿児島へは八月十一日以降である筈?
〇現代文訳
文政七年甲申年秋八月、薩摩国の属領へ野蛮人が襲ったのでお届けします。 *きのえさる
私の領地である薩摩国の七島の一つ宝島に白帆の船が一艘漂着し、はしけで異国人七人が上陸したので、役人が行って尋ねましたが言葉が通じません。間もなく本船へ戻り翌九日はしけ二艘で上陸し、牛を望むと手真似するので、上げられないと手真似で答えました。 国旗は見分けが困難でしたがエゲレスと云う詞は分かりました。 野菜を与えたところ本船へ戻り、又々はしけ三艘多人数で上陸してあちこち徘徊し、海辺に繋いでおきました牛一疋を撃ち殺し、他二疋を奪取り、警備所へ鉄砲を激しく打掛け、本船からは大砲を激しく打ち狼藉に及びました。 そこで警備役としてこの島に駐在させておいた吉村九郎と云う者が鉄砲で異国人一人を打留めたところ、(草村に隠れており二匁五分玉の鉄砲で打留めたと云う。 打留めた異人は猩々緋の服を着ていたという) 其他の異国人達は残らず本船へ逃げ帰り、南々西の方へ行きました。 同月十一日迄は遠い沖に帆影も見えましたが、其後は何処へ向かったか分からないと報告がありました。これにより島津権九郎と云う者に手勢を付けて彼島へ派遣し、その他(領内の)海岸や島の警備を厳重にする様に指示しました。打留めた死骸は陸地に送り(処理した後)警護の者を添えて長崎に送る様に、島の責任者に詳しく指示した旨を国元(鹿児島)の家来(家老達か)より報告してきました。 この件をお届けします。以上
閏八月三日 松平豊後守 (島津斉興、薩摩藩主、この時は在江戸屋敷)
(書込み 鹿児島に八月十日に連絡あり、江戸へは閏八月三日に報告あった由)
〇古文書学習を最近はじめた人のための補講
1、変体仮名
一般に古文書は漢字と仮名で書かれており、仮名にはひらがな、カタカナ及び変体仮名が使われます。
変体仮名とは本来ひらがな或いはカタカナの元になった漢字(字母又は元字と云う)を色々崩した形で仮名として使われま す。
今回の教材でも「旗印は」の「は」には「者」の崩し、「エゲレスと」の「と」には与の崩し字が使われています。 漢字なのか変体仮名として使われているのかは慣れれば直にわかります。 例えば「者」が漢字として使われた時は「吉村久助と申者」で者がはっきり書いてあり、「旗印は」の者は崩して小さくかいてある等です。同じ様に「エゲレスと」の「と」は原文では与の崩しですが、与力とか与(くみ)頭などの与は一般にはっきり書いてあります。この教材では野菜相與(あいあたえ)と古い与が使われています。
今回第一回目ですから古文書解読入門書等に乗っている変体仮名一覧表を添付します。
変体仮名一覧はこちら クリックで新画面、更に新画面クリックで拡大します
2、漢文の形が使われる。
漢文を日本語的に読むには戻って読む手法が使われますが、簡単な物が一般的でありレ点や一、二等は付いていません。
教材三行目に「致上陸」は「上陸致し」と読み、二ページ三行目及狼藉は「狼藉に及び」と読みます。
3、閏月
陰暦では月の満欠をひと月とするので一年が三百五十四日程度で、季節が段々ズレて行きます。 補正の為三~四年に一度閏月を入れ、一年を十三か月として調整します。 教材の文政七年は八月の次に一ヶ月挿入し閏八月としています。一ヶ月は三十日(大の月)と二十九日(小の月)と決めています。 毎年幕府より翌年の暦で閏月があれば何処に入るかを含め発表されます。