平家物語評判秘伝巻第十之上

平家物語評判秘伝抄巻第十上

   頸渡

寿永三年二月十三日に検非違使共六条

かハらに出向て、平家の首ども請取申

けるに、範頼、義経奏聞もうされけるハ、東

洞院を北へわたして獄門の木にかけ

らるべきよし申上られければ、法皇此

事いかがあらんずらんと思召わづらハせ給ひ

て、太政大臣、左右の大臣、内大臣、大納言忠

親卿に仰合せられければ、五人の公卿

申されけれハ、むかしより卿相の位に

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至る人の首大路をわたされたる先例なく、

中にも此輩ハ先帝の御時より戚里

の臣にて、朝家につかふまつる、範頼義経

が申条、強に御許容有べからずと申され

ければ、わたさるまじきに定られたり、し

かども範頼義経重て申されけれハ、保元

のむかしを思ふに、祖父為義があた、平治の *仇

古を按に父義朝がかたき也、されバ君の

卿憤を休奉るに、父の恥をきめんが為

に命をすてゝ朝敵をほろぼす、今度

平家の頸大路をわたされさらんにハ、自今

以後何の勇有て兇徒を退けんやと

しきりに訴申されければ、法皇も力

およバせ給ハずして、終に首ども大路を

わたされける事

 評曰、それ兵をおこし軍をつらぬる事

 ハ義をもつて不義を討、邪を改て正

 道となさんが為也、いかんぞ私の意趣

 をもつて天下の大乱をハ起すべきや

 設(たとえ)小人私の憤によつて兵乱を発し

 たると云とも是終に勝利有べからず

 然るの範頼義経先例を背て平氏

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 の首を大路をわたさんとの奏聞、是大

 道をしらざる小人の智たり、次に王

 名をかへして重てのそうもんに、平氏の

 首わたされざらんにハ、自今以後何の勇

 有てか、兇徒を退候べしと申さるる事

 僻事たるべし、正道を好、邪道を悪(にくむ)

 時ハ幾度も兇徒あらば退ざるべけんや、

 縦此度平氏の首大路をわたされざらん

 時ハ残所の平氏をバたいらげずして

 横行せしめ給ふべけんや、是ただ上を

 掠る僻事たるべし、然ども平氏代々、源

 氏の大敵にして意趣少からず、且ハ祖

 父の為なれば、一往ハ奏聞有事も

 許べきか


   内裏女房

さるほどに本三位中将重衡をバ大路  *清盛五男

をわたしての後故中御門藤中将家成

卿の室、八條堀川なる所に居奉てさび

しく守護し奉る、院の御所より御

使有、蔵人右衛門権佐定長、八條ほり川

へそ向ける、仰下されける事ハ八島へ帰

たくハ一門の方へ云送て三種の神器

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を都へかへし奉れ、然らバ八島へ帰さるべし

との御気色也、三位中将申されけるは

さしも吾朝の重宝を重衡一人に替

まいらせんとハ、内府以下一門のものども

がよも申候まじ、去ながらも居ながら

院宣をかへし奉る事ハ其恐候へばとて

三種ノ神器の事ハ八島へ云つかハされける事

 評曰、上をうやまふ礼儀を知たるに似

 たりといへども却て礼儀に当るべからず

 いかんとなれば、今一天の主ハ安徳天皇

 にてわたらせ給へば、此君の帯し御座在

 

 処の神器をいかんぞ法皇へかへし給れと

 申事礼道とすべけんや、又重衡□が

 ごとく、さしも本朝の重宝をしげひら

 一人にかへ給ふべき事にあらず、八島 *仮令

 の母義、又ハ宗盛なとの方より三種ノ  *清盛三男、後継者

 神器に重衡をかへんと宣ひつかは

 されたりとも、重衡武門の義を存ぜ

 らるる時ハ、其旨にしたがふべからず、然に

 是よりやしまへ云つかハされたる心の中

 こそ拙きものなれ、古人曰片時の快楽

 を好て末代の名を穢すことなかれ

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 と云り、爰にてこそ仏氏の説、一切有

 為法、如夢幻泡影、如露、又如電の観法

 もよろしかるべけれ、つゆの身のきえ

 やすく、石火の間またぬ者に末代の恥

 辱をかへんとおもハれける事、重衡の

 心のうち、つたなしといふに足ず

 重衡かかる身と成給ひて女に逢給ふ

 事不覚也、としごろの妻女などにて

 有とも、かゝる時にハ武士たるものは

 其心待有べきにまして是ハさもあらざる

 女に逢給ふ事、大なる不義也、されバ北方

 の事しふ思出給ふべきに、今此女房の事

 思出給ふ事道にあらず、漢書曰夫婦は

 人倫の始、五教の端也と云々、然るに此卿其

 道大にうしなひ給へり、但良将知略権謀の

 為にハかゝる事なくても有べからず

 木工右馬丞知時、重衡へ参事義士たらざれ *重衡の昔の家来

 ども女房の方へ参り対面の才覚不智也

 縦重衡此事を宜とも、知時智あらば義に 

 あらざるよしを諫べき所也、されバ古人も

 智者の敵とハなるとも愚者の伴とハなる

 べからずと云り、かゝる事にて知べき道也

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 實平が事、重衡女房に対面有たきむね *土次郎實平 源氏側武将

 を乞給ふ処にゆるしける事、是情あるに

 似たりといへども、婦人の仁とて道に当

 ず、さればとて言下にかなふまじき由を

 申まじきにもあらず、實平重衡に向て申べき 

 ハ公も既に平氏の英士にてわたらせ

 給ひ一方の大将軍にておハしましたる

 身の、今かゝる身と成給へばとて、かやうの

 時に愛執恋慕の心になどひかれ給ふ婦妻

 にもあらざる女などにあひ給ハん事、且ハ平氏

 の名の穢なん事に候へバ、後代の謗を思召

 て先暫御慎も候べし、又次にハ實平不肖

 に候といへども、此度侍大将を給て罷下、公

 をあづかり奉る処に、かほどの不義を免し

 奉らバ、共に武の名を穢候べし、是併痛を

 存まいらするが故にて候へば、力及ずかなふ

 まじきよしを申さば、ゆるさぬとて重衡

 うらミ給ふべからず、故に是小人の憐にて

 智者の憐にあらず


   請文

 院宣の御使、重衡の文を持参する処に

 平宗盛、大納言時忠をもって二位殿へ院 *清盛妻、宗盛、重衡母

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 宣の趣并に重衡の文をしらせ給ふ事

 愚成べし、かやうの事ハ二位殿に知せ給て

 益なき事なれば、いかにも隠密有べき

 事也、喩(たとひ)しらせ給ふとも、是敵よりの謀に

 申つかハしたり、全実に重衡ともに許

 諾して申つかハしたるにあらずと宣時ハ

 さのミ二位殿の歎深かるべからず、知らせ給

 事ハ是偽なき道にして孝行に似たり

 といへども、却て不孝に当れり、此偽ハ親の

 心を安ぜん為の偽なれバ、全神明三宝も

 是を悪ミ給ふべからず、されバ孝行ハ親の

 心を安ぜんが為也、事をはかる時ハ千差万別

 の事を用ると云とも、必孝に当るべし

 其上敵よりかやうの院宣有とも其実

 意を諸人にしらしむべからずして、味方

 の利有べき便を計てよろしき様に

 風聞するもの也、兵法曰、善悪ともに是を

 利し、善悪ともに是を害す、是良将智権

 の術也と云り、さればむかし晋楚の両国

 互に挑争て軍を張時、晋の副将、楚に

 返忠をなさんと欲す、然に又楚にも晋

 に心を通ずる者有て、此事を忠進する

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 晋王是をひそかにして、諸卒に向て宣ひ

 けるハ、楚の諸大将楚王が不道を悪(にくん)で何

 も朕に心を通じ、却て楚をほろぼす

 べき事を申つかハしたり、是先軍の吉瑞

 たりとて、悦給ひたれば、晋の副将是を

 聞て速に楚に此由を通ず、楚王実也

 と思て諸将を疑けるによつて、其軍終(ついに)

 楚の負と成て、晋戦ずして利を得

 たる事有、今爰をもつてミる時ハ宗盛

 の智、愚なるにあらずや、然ども二位殿に

 向て申されけるハ、其義一代の金言たる

 べし、并知盛院宣の御使の返状異見申

 ざれける事、智義ともにそなハるべし

 平大納言時忠、法皇の御使御坪の召次

 花方に焼しるしを当されける事、小人

 たり、今の法皇ハ帝王の祖父にて渡

 せ給ハざるや、縦敵ミかたの異なる事有

 とも、豈人倫の比例を行べきや、喩(たとひ)又非

 礼たりと云とも、敵を怒しめて戦術の

 謀成べき時ハ、いかやうの事も有べし、良将

 の策ハ偽をもって誠を助る方便なれバ

 一旦の非礼たりと云とも、天に背事なし

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 今此ふるまひ何れの道にも叶がたし、兵

 法曰、千言利せずんバ言(モノイハ)じ千業利せずんバ

 為(なす)べからずと云り

 請文の文義、心と言葉と相違にして

 是詞章の俗文也、中にも政堯舜の古

 風訪(とぶらふ)処に東夷北荻党をむすび群をなす

 ごと有事何ぞや、此文筆者の誤たるべし

 政堯舜の古風を破る処に東北の義兵

 ども起るにて有ければ、是如何、東夷北狄

 と申べきや、堯舜の政、今の平家のごとく

 なる時ハ、誰かハ聖人ならざるべけんや、此

 文末代に至て却て平氏の恥辱を記(しるし)

 のこしたるもの也

 伝曰、或時武蔵坊弁慶、四郎兵衛忠信、伊

 勢三郎義盛、会合之刻、忠信、義盛に

 問曰、去八島院宣之時、平氏の請文ハ何

 の益なき請文也、若かやうの時に臨で

 却て利を得べき謀有やとtふ、義盛

 曰、平氏良将ならバ此度の請文に申やう

 有べし、東夷平氏に対して讐(あだ)を

 なすといへども十善の君に向奉て

 弓箭を帯し、鳳輦に箭を放ちかくる事

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 是天下の大邪行たり、今主上を帝都

 へ還幸なし奉り、当家の本領安堵

 の旨子細なきにおひてハ源氏に意恨

 を存べきにあらず、若しからハ源平相互

 に人質を給、神約を定て主上并三

 種神器をかへし奉るべしと請文を申

 て、暫源家の心を引見るべき事也と

 云り、弁慶聞曰、天なるかな是時終て

 又はじまる、更に参ぜよ二十有年と

 云て出去る

  戒文

 三位中将八島よりの請文を聞給ひて

 自申つかはされたる事を後悔せられける

 事愚中の愚也、先に申つかハさるゝ時に

 此心千ニ一ツなりともおハしなハ、申されぬこそ

 中々快かるべけれ、然に無益の事を申

 されて、今更後悔詮なき事也、始より此

 事かなふましきとおもひもふけ給ふと宣

 事ハ、今更の詞成へし、されバ小人ハ僅の利

 を得んとてハ不定の事をも先深頼と

 するによつて、其事叶ざるに至て、又大

 きに憂となる、古人曰、利を好者怪(あやうさ)を待

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 大喜得ざる則(ときんば)必又憂を為(なす)と云り、仕や

 せましせずやあらなんとおもふ事をば

 始よりなすまじきもの也、凡古今の愚人

 うたがハしき事なれども、若(もし)やの欲に

 ひかれて、云まじき事をいひ、なすまじ

 き事をなして、後に必悔事多し、故に

 是大なる愚痴と云べきもの也

 重衡出家のいとまをこハれけるに、義経

 法皇へ申されける事ハ愚に似たれとも

 礼智にかなへり、応報の宣下に頼朝

 にミせてこそと仰らるゝ事ハ智にも礼

 にも当るべからず、関東へハ理をつくされて仰

 下され、都にて速に誅せらるべき事也

 かかる事を上より下に下知をうけん事

 是如何が出意とすべけんや、却て智

 権をうしなふ其一ツ也

 重衡、法然上人に逢給ふ事こそせめて

 の事なれ、上人の説法尤重衡の気に

 応じ、殊勝と謂べし、維摩経ニ曰、仏以一音

 演説法、衆生随類各得解と説給ひて、其

 根気に応じて説給ふとミえたり、され

 ども十戒をたもたれける事ハ過分の事

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 也、志を九品に分て、行を六字につづめなハ

 易行頓悟の法錠にして、是円頓の妙

 戒たるべし、然るに又十戒とハ何ぞや、

 却て又平地に波乱を生じ錦上に花を

 敷と云べきか

   海道下

三位中将重衡卿鎌倉まで召下す事

 大事の囚人と云、又召下て益なし、速

 に誅すべき事也、人馬の費と云、又ハいか

 なる野心の者や有なん、かたがた詮なき

 事なり


 千手前

 頼朝、重衡に対面有て、身の高言有事

 詮なし、重衡を生捕にしたるを、その

 身のてがらとおもひて、此定でハ大臣殿の

 見参にも入候べしと有事よしなし

 其身平治の合戦やぶれて平家へ囚、弥

 平兵衛宗清が手にあづけられ給事有、

 誠に殷湯ハ夏台に囚、文王ハ□里に囚

 るゝ事有、況此重衡などにおいて恥とす

 べきにあらず、次に南都炎上の事問給ひ

 て詮なく重衡に云すてあられ給て、平家

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 を頼朝が私の敵とハ努々(ゆめゆめ)おもひ奉らず

 と宣事、詞大に違り、是関東まで下す

 まじき人を下したるが故に、云べき事なく

 して無益の事多し

 重衡、頼朝に向給ひて、平家の繁昌の

 縁起物語詮なし、一言成とも敵の威を

 くぢき、敵中をわけ、人々のうたがふべき事

 をいひ、其身ハはやく死を乞べき事也、但良

 将ハ死すれども愚にして死を乞ず、ただ後

 世にもミかたの利を計て、敵を謀ると見

 えたり、次に千手前をもって出家のいとま

 をこワれける事非也、以前にはやく死を乞

 れけると相違有もの也、されども命を

 全して功を守りなハ、石燐をなめても

 命を延て、くわいけいの恥を濯と見え *会稽の恥 越王句践の苦労

 たれば重衡出家の望も其心審なら

 ず、只執得てハ放すまじき事也、然に

 東国へ下し、又南都にのぼせ給ふ事

 重々の非義たるべし

 重衡湯殿の時、二人の女御垢にめされ

 ける事ハ苦しからず、重て夜のつれづれ

 に千手の前を召よせられ、対面酒宴の

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 事道に非ず、頼朝より重衡の気情

 をうかがハれん為なれば、益なき対面

 たるべし、善悪の誂判益なき事なり

 其上重衡ハ都にて法然上人より

 十戒をたもたれける事有、然らバ十

 戒のうちにハ尤飲酒戒、淫戒、歌舞伎

 楽戒有、此三つのうち必やぶられたり、

 と見えたり、今此をもってミる時ハ

 以前法然上人の前にて頭陀乞食の

 行をなしても後生を助りたきと

 申されたるハ、虚言に似たり、真実より

 道心をおこし、出家の望あらバ、縦有髪

 成とも心ハ出家となし給ひ、千手前

 にも対面有まじき事也、是以前に

 出家をのぞまれけるハ命を助らん

 との謂と見えたり

   横笛

小松三位中将維盛、八島を忍出給事

 評曰、武の本意に非ず、実に死を極

 給ハじ、敵のよせんを待て討死し給ふ

 か、然らずハ腹切て死し給ふべき者也

 一歩と云とも主上、一門をすて奉り

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 にぐると云事ハ武道の要義に当らず

 其上那智の沖にて入水の事、然る

 べき最後にあらず

 滝口が事不孝也、此の上世上ハ夢中也、僅の間

 に心にも入らざるものを片時もミて

 何かせん、又心に入べきものを見んと

 すれば、父の命に背く、しかじ実の道

 に入らんと申事、凡色にまどひ淫愛

 におぼれ、親の諫、世の謗をも省ず

 吾心のまゝにふるまふをバ、是を第一

 の非道と云也、此非道を止て、父の諫に

 したがふこそ、真の道成べきに、おやの命

 に背のミならず、其家をやぶる者如何

 ぞ、真の道と云んや、されば実の道の

 ごときんバ父の命にしたがひ、横笛を

 捨べき事也、如何ぞ女をすて家を破て

 父に背を実の道と申べきや、ひろき

 世界を夢とおもハんより汝が心中の述

 懐の心こそ大きなる夢なれ、夢より夢

 に入ぞうたてしき、されとも悪行にくらぶ

 れば善行也、大善の為にハ又悪行なり、

 仏法久発心出家と云事の心を失して

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 多、かやうに成ぬる人世々に多し、棄恩 *注1

 入無為の文の心に惑ぬる事ハ理成べし

 或人問曰、何をか真の出家と云、答、経ニ曰

 三界を出離したるを名付て出家とす

 と云り、三界とハ貪瞋痴是也、故に三界全

 他界にあらず、自己の心中に在て生死流

 転する事、日々に千生万死なり、此故に三毒

 を出離するを名付て真の出家とす

 世上凡夫などの存、又此滝口が出家の

 如きハ、頭を剃、父母に背て家を出るを出

 家と心得たり、天地のうち一切世間也

 世間を出て世間に入ハ是則流転たり、

 六祖大師曰、正見を出家と名付、邪を世 *注2

 間と名付と云り、仏法全山中に在ても

 清からず、市中に有ても穢ず、唯人の心

 によつて善悪あり、経ニ曰、此心清けれバ仏

 土きよしと云り、心外無別法何ぞ外に

 求べきや、是ハこれ真の出家の入門活眼

 の活路也


注1棄恩入無為 恩愛、世俗を棄て悟の道に入る 

 注2六祖大師は達磨大師から数えて六番目の祖師、

慧能大鑑(えのう・たいかん。638年~713年)禅師

   高野ノ巻

滝口入道、三位中将を見奉り、是ハ現

とも覚候らハぬものかな、扨も八島をば何

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としてかハ遁させ給ひて候やらんと申

ければ、三位ノ中将、さればとよ都をバ人

なミなミに出て、西国へ落下りたりしか

ども、故郷に置たりし幼者どもが俤

のミ身にひしと立そいて、わするる隙も

なかりしかハ、其ものおもふ心やいハぬに

しるゝミえけん、大臣殿も二位殿も此人は

池の大納言のやうに、頼朝に心を通じて

二心有なんと思ひ隔給ふ間、いとど心も留

らで、是迄あくがれ出たん也、是にて出家

して、火の中水の底へも入なばやとハ思へ

ども、但熊野へまいりたき宿願有と宣バ

滝口入道申けるハ、夢幻の世中ハとても

角ても候ひなんず、唯ながき世の闇こそ

心うかるべう候へとぞ申ける、やがて此滝口

入道を先達にて、堂塔巡礼して、おくの   *奥の院

ゐんへぞまいられける、高野山ハ帝城を

さつて二百里郷里を離て無人声、晴嵐

梢をならしてハ、夕日の影長閑(のどか)也、八葉の

峰八つの谷、誠に心も澄べし、花の色ハ林

霧のそこにほころび、鈴の音ハ尾上の雲

に響けり、かハらに松生垣に苔むして、星霜

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ひさしく覚たり、むかし延喜の帝の御宇

御夢想の御告有て、ひはだ色の御衣を

まいらさせ給ふに、勅使中納言資澄卿

般若寺の僧正観賢を相具して、この

郷山にのぼり、御廟のとびらをおし

ひらき、御衣を着せ奉らんとしける

に霧厚隔りて、大師おがまれさせ給す

時に、観賢ふかく愁涙して、我悲母の

胎内を出て、師匠の室に入しより以来、

いまだ禁戒を犯さず、されバなどか拝奉ら

ざるへきとて、五体を地になげ、発露啼泣

し給へバ、漸霧晴て、月の出るがごとくに

大師おがまれさせ給ひけり、其時観賢随

喜の涙をながして、御衣を着せ奉り

御ぐしのながう生(おい)のびさせ給ひたるをも

そり奉るそ有難き、勅使と僧正ハ拝

給へども、僧正の御弟子、石山ノ内供淳祐

其時ハいまだ童形にて供奉せられたり

しが、大師をばおがミ奉らずして深う

嘆沈でおハしけるを、僧正手を把て大

師の御ひざにおし当られたりければ、

其手一期が間香しかりけるとかや、其

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うつり香ハ、石山の聖教に残て今に

有とぞ承る、大師、ミかどの御返事

に申させ給ひけるハ、吾むかし薩埵に

あひ、まのあたりに悉印明をつたふ、無比の誓

願をおこして辺里の異域に陪(はんべり)、昼夜に万

民を憐んで普賢の悲願に住せり、肉親に三

昧を澄(せう)して、慈氏の下生に待とぞ申させ

給ひけり、彼摩訶迦葉(かせう)の雞足の洞に籠

て氏頭春風を期し給ふらんも、角やとぞ覚

ける、御入定ハ承和二年三月二十一日寅の一点

の事なれば、過にし方ハ三百余歳、行末も

猶五十六億七千万歳の後、慈尊の出世、三会の

暁をまたせ給ふらんこそ久しけれ

評曰、三位中将、滝口入道に向て宣けるハ、都

 をハ人なミなミに出て西国に落下たりし

 かども、古郷にとどめをきたりし幼き者

 どもが俤の、身にひしと立そひてわするる

 ひまもなかりしが故に、大臣殿にも二位殿

 にもうたがハれまいらせたりつれハ、心もとまらず

 して、是迄あくがれ出たりと宣ふ事

 更に心得がたし、それ武門の家に生れてハ

 戦場に出る日よりハ親をさへわするる習

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 なるをや、まして子を忘れざる事ハ不忠

 の道たるべし、其上彼人、大臣殿にも二位殿

 にもうたがハれ給ひける事、縦頼朝へこそ

 心を通じたまハざらめ、平湖と心を一に

 して、難にかハりて其身を捨、終の本懐

 を達せんと思ひ給ふ心がけなりし上ハ、

 是又二心有に等、さればいとをし悲しかり

 し妻子を此年月までそだてはごくミ給

 事ハ、是何ゆへぞや、平氏の世長久成し間ハ

 其恩によつて月日を送給へり、然るにいま

 彼さいしの事をふかくおもひ、平氏の恩を忘

 給事、是流によつてミなもとを穢し、木

 陰にあつて枝を枯すがごとし、いかんぞ

 武門の本意たるべけんや、中将彼妻子

 を歎きたづね給ひたりとも、天下源氏

 の代と成なば、日本の中には尺寸の間

 も身を立給ふべき事かたかるべし、夫

 武門の家にハ妻子を憐かと云事、百姓商

 人の類とハ同じかるべからず、譬武士有て

 妻子を憐み、金銀家財をゆづらんとおもふ時

 ハ是商人の心にして武門の心にあらず

 金銀財宝といふものハ武士ハ何れの所

P22

 より設出す物ぞや、よくよく其源を

 尋見給へ、全く利銭売買より出るもの

 に非ず、ただ其先祖の勇功知徳より

 出たるもの也、先祖才覚勇長に有し

 故におおきなる高名を遂て、其名を

 世に高くなしぬる故に金銀財宝に

 不足なし、然るに先祖よりの相伝

 にて国郡を持たる人も、此国此地行を

 己持故を知らず、おやよりの相伝に

 して、ただ持来ものとのミおもひ、終に

 其持所の故を知らず、明暮(あけくれ)安きに

 

居て危をわすれ、一生忙然とくらす人 *茫然

世に有べし、故に武士として子にゆづる

処の物、全金銀家財をゆづるにあらず

唯々其父の名を高く明にして是を 

子孫に遺物とすべし、此ゆづる宝こそ

火にも焼けず水にもおぼれず、他人も奪

とらず末代くちせぬ重宝たるべけれ

然るに末世の人此宝よりして彼

宝を得たる事を知ずして其子の

代に至てハ父の名迄けがし終に其

家を破るもの多し、然バ大なる不孝

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 の道にあらずや、故に此宝伝へたる武

 士ハ父の時の名よりも其名を高く、父

 の家よりも其家を大きにして、又

 己が子にゆづるべし、是をよく父の恩

 を報ずる子と云べし、然るに此中将

 維盛、今却て父の名をけがし、父の

 家をやぶらるる人なれば、是大なる不道

 たるべし、故に末世の武士謹で武門

 の孝を守り給へ

 滝口、三位中将に逢奉つて、夢幻の世ノ

 中ハとでもかくても候ひなん、只永きよの

 

 闇こそ心憂けれと申事、いまだ仏法を

 夢にだも知らず、ただ尋常の無智の禅

 門法師たり、凡衆生の迷妄をかなしミ

 心法を演説し給ふといへども、凡夫

 業障(ごっしょう)ふかくして悟らず、故にしバらく

 有為をかつて無為にたとへ、世の無

 常を観せしめんがために、経ニ曰、一切有

 為法、如夢幻泡影、如露又如電、応作如

 是観と説き、或ハ松樹先年も終に是朽

 ぬ、一生ハ夢のごとしと云々、松樹千年

 終にくつるハ天地の常也、一生は夢の如

P24

 と云て、外に万事を捨たりとも、

 七十八十まで存(ながらへ)あらバ、永き夢たるべし

 其間にハ幾(いくばく)の財禄か費べけん、是

 人間一代の事を一生と云にハあらず

 ただ人の心中に向て一念の生ずるハ夢也

 と云事也、瞋(いかろ)うとすれバ喜、喜うとすれ

 ば歎き、嘗て妄念常住にあらず、一生悉く

 是夢也、かくのごとくに観する時ハ万法

 に転惑せらるる事なし、万法に惑はざる

 時ハ邪心一如にして、真如実相也、しかるに

 滝口、仏の真実を悟らずして、夢の世

 と云事愚なるに似たり、然ども小根(しょうこん)の

 凡夫を教化するに、直に実相もつて説

 べからず、有為を喩(たとえ)てもつて無為を示す

 べきもの也、次に又今生ハともかくもあれ、

 末世こそと申事、過去の業因(ごういん)によって

 当来の此憂目に逢給へり、然らバ未来

 を歎時は当来こそ大事たるべけれ、ミらい

 の悪果は、今生の作法正しからず

 不義邪道を事とするが故也、然らバ今

 生正しくんバミらいなんぞ恐べきや、是

 偏見小乗の法師にして終に頓教の沙

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 門に非ず、経ニ曰、娑婆即寂光浄土と云々

 或人問曰、弘法大師入定ましまして

 延喜御門へ衣を乞はせられければ、般若

 寺の僧上観賢、彼山に登り、衣をきせ奉、

 御髪(おぐし)のながく生のびさせたまひたる

 までを剃り奉ると云事有、次にハ末世

 のけふに至まで大師五幾内をバ遊

行し給ひて、不慮のものに逢給

よそを承、それ人生有時ハ必滅有、然

に大師入定し給ひて、不生不滅の身

となり給ふ事不審、迷有、仏は

実にかやうならバ、何ぞ釈迦如来、抜提河*古代インドマツラ国の河

の辺にて入滅有けるぞや、吾この

惑有て仏道を信ずる事あたハず。

願(ねがハく)ハ此理を述て迷情(めいじやう)を解せしゆめ

給へ、答曰、諸仏の方便無量の慈悲有、

是広大甚深(じんじん)の大方便なるが故に、轍(たやすく)

一句一言にして説尽がたあい、設(たとい)我其理一

句にして是を説と云とも、末世の人又予

が句意に通ずべからずして、却て邪

見に落べし、それ日本ハ元来神国たり、故

に神道をもつて是を説べし、それ大道の

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始たる事ハ天竺、震旦、我朝、是三国ともに

ミる神道をもつて肝要とす、故に経にも

神咒(しんじゅ)を説給へり、震旦にハ易道をもつて

神道とせり、故(かるがゆえに)観の卦云、天の神道を

観じて四時惑はず、聖人ハ神道をもって

教を設て天下を服すと云う、故に易の大要
 人事と天道とミな悉鬼神の功用に一

貫通達するが故に、人事を離て天道も

なく、天道を離れて人事もなし、次に日本

の神道ハ神代より以来今に至るまで

相伝りたる道也、故に上代ハ神道をもって

天下を治めたりしかども、聖徳太子より

以来、仏法神道に交わり、両道をもつて天下

の法とせり、其後両部習合の神道と云

事有、是は伝教・弘法・慈覚・智証、此四大師より

流出せり、故に神道仏道元来隔てもなき

事、古(いにしえ)弘法も一通し給へり、先ず日本の神

道の本ハ陰陽不測の本元をあきらめ      *明らかにし

ぬれば、其本来ハ一念未生のものなり

いま諸(もろもろ)とわかれ、さまざま有といへども、衆生の

一念六根に出入し、六境に対して六識

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 悪行をなす時ハ、神道にハ六根を抜清る

 道有、目に諸の不浄をミて心に諸の不

 浄を見ず、耳に諸の不浄を聞て心に

 諸の不浄をきかず、鼻に諸の不浄を嗅ぎ

 て心に諸の不浄をかかず、口にもろもろの

 不浄を言て心諸の不浄云わず、身に

 諸の不浄を触れて心に諸の不浄を触れず

 意に諸の不浄を思いて心に諸の不浄を

 思わずと云事、六根清浄の大抜に在り、目に

 諸の不浄をミて心に諸の不浄をみずとハ

 眼ハ本来より明白虚霊なるもの也、故に

万法万物自から備わって、一切を明覚せしむ、然に

 其眼にてミる故に心に其事を取り納めて

 そのものを愛し、其物をおもふ時ハ、本来

清浄の鑑に大きなる疵の出来てとこ

やミのごとくにかきくもるがごとし、譬(たとえば)一人の

美女をミる時、其美女のうつくしさ、絵にも

花にも、神にも仏にもたとふべきかたなく

美しき美女なる時ハ、扨も扨もうつくしき

美女かなと、是を真直ぐに見て、其心に愛執

恋慕の心なき時ハ、是を目によく見て心に

見ずと云也、彼美女を見てうつくしきと

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 思ふも不浄也など存る事ハ、是ハ仏道にてハ

 外道と云、神道にてハ魔性と云也、うつくし

 きをミてうつくしきとしらざる時ハ殊勝を

 ミて殊勝とせず、清浄をミても清浄と

 すまじきや、故に美女ハ美女、悪女ハ悪女、宝ハ

 たから、親ハおや、子ハ子、敵ハ敵、みかたハ味方と、

 万法を明(あきらか)に見、明に聞く、明に云を、人とす

 是即六根清浄の人也、かくのごとくに六根

 清浄になる時ハ、一念未生の本来にかへる、一

 念未生の本来にかへる時ハ万法純一の元

 初に帰す、是即一気未分の元神と云也

 故に一念纔にミだれて、眼に動き迷乱する

 時ハ、万法ともにくらミ一気未分の元

 神ハたちかくれましまして、己が見、魔行の

 棟梁と成て、為すほどの事皆々大悪行

 也、故に神と云ものハいかなるものぞや

 己が六根を清浄にして、一念未生の本

 来をミよ、元本宗源の神、明(あきらかに)ミゆべし、今

 六根不浄にして、とこやミの心をもつて

 いかんぞ神霊をミたてまつる事を得べけん

 や、故に弘法の入定ましまして飛行通

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 力の方便を垂給ふ事、何としてかしる

 べけんや、末世凡夫の邪知にて甚深の

 仏力を知らず、皆偽り成るべし、人ハ生有時ハ

 滅有とおもうへり、不生不滅の有事、六

根不明の人知る事あたふべからず、故に

本心を悟り得て来たれ、九万八千七社の神

と、三世の諸仏を拝見せしむべし、されバ

知らずや観賢僧正の御弟子、其所に有

ながら大師をおがミ奉る事あたはずして

手を取ておしあくられたる事を、かくの

ごとく凡智愚眼にてハ、真の物ハ見えざる

もの也、若此語によつて信心生ぜハ、来て

我に需よ、意に諸の不浄をおもひ有、心

に諸の不浄を思ハざる事を、此道理を

知て、此の理を身と心に行い得る時に、始めて

神眼仏眼ひらけて、とこやミのうちをハ  *常闇

出(いず)べきもの也

平家物語評判秘伝抄巻第十之上終

注 六根 六根とは視覚、嗅覚、聴覚、触覚、味覚の五感と意識。