芝居場所替一件

木挽町狂言座場所替一件

天保の改革時、奢侈禁止令から範囲が広がり、幕府は庶民の楽しみである芝居の隆盛を押えようとした。 その頃中村座、市村座、森田座(河原崎座)の三座制で、夫々堺町、葺屋町、木挽町で興行していた。 堺町、葺屋町が火災で中村座、市村座が類焼したのを機会に同所での再建を許さず、替りに辺鄙な猿若町での興行を許可した。 此文書の天保十三年はニ座は既に猿若で興行直前になった。 そこで残った木挽町の座を類焼した訳ではないが猿若町に移し、三座纏めて管理するという方針で処理を進めたのが本文書である。