小田原藩敵討(かたきうち)一件
敵討(仇打ち)は中世では曽我兄弟の敵討、 江戸時代では赤穂浪士の敵討、伊賀越え鍵屋辻の敵討が三大敵討とされているが、それ以外武士だけでなく農民の敵討が合法的に認められていた。 江戸時代には法制化され、規則を外れると殺人罪となったが、手続きに従い成功すれば大いに賞賛された様である。 教材の敵討は小田原藩所属の足軽兄弟が父の敵を討つケースで、敵役が同藩から逃亡し行方不明だった事もあり、藩としても兄弟の探索、敵討を応援している。 兄弟は数年に渡り、全国探索し水戸藩内で敵を見つけて本望を遂げる。 又幕府に敵討を事前に届けており、水戸藩でも敵を討った兄弟を保護している事がわかる。 成功した兄弟は小田原藩では足軽身分から侍身分に昇格する