丑八月
一 先達て幕府より毛利淡路守様・吉川監物様御尋ねの趣之有り登坂の段芸州より申し来たり候、右に付き完戸備前殿芸州へ持参差し出され候御書面の写し、左の通り
今般御尋ねの儀之有り毛利淡路・吉川監物登坂仕り候様仰せ出され、早速罷り出御尋ねの趣拝し承り仕るべく義は勿論御座候、然る処先達て私共より未だ家中迄歎願仕り置き候趣定めて御承知あらせらるべく容易ならず企て之有るとの□事にて、御再討仰せ出され候段仄かに伝え承り仕り実以て驚愕の至り、只管苦心罷り在り候折柄両人御召し寄せの儀御沙汰あらせられ、闔国の人心疑惑を生じ大膳父子日夜不安寝食謹慎中再び紛擾ヶ間敷事件自然差し起り候ては、天朝慕府へ対し奉り恐懼痛心此の事に御座候、素より御尋ねの趣は条理明白御答え申し上ぐべく候へ共、只今の形勢にて急速登坂に相なり候時は、国内の動揺覚束無く御断り申し出候ては弥々以て相済まず、彼是苦心の至りに御座候、右人心疑惑の厚き由を申し上げ候得ば、昨年来謹慎恭順を尽し官位御称号等召上げられの儀も尖(先)に御請け申し上げ、尚又益田右衛門介を始め三老臣並びに参謀の者夫々厳科に処し御詫び申し上げ微衷聊か貫徹仕り候、尾州前大納言様を始め御陣払い相なり其の後間無く、領内において争闘の儀も之有り候へ共、外向へ障り候訳にては之無く尓来も弥々謹み罷り在り遠からず御寛大の御沙汰仰せ出されべく候と待ち奉り候処、図ずも此の度御進発の御様子に付いては、士民一件泣血悲歎に堪えず因りて僻地頑固の風習にて鎮静方行き届き兼ね、畢竟不肖の私共其の任当らず怺惶の至りに御座候得共、右等の情実篤と御寛察なし下され御隣藩の御交誼捨て置かされず何分と然るべく様御周旋なし下され度偏に懇願奉り候、尚淡路・監物両人よりも申し上ぐべく候、以上