村田清風の「天保の改革」の実相
-『村田清風全集』研究-
長洲 寂石 著
はじめに
天保期、長州藩の行財政改革の第一任者として改革を推進した村田清風の「天保の改革」の評価に関して、「藩内の抵抗にあって失敗」したとする論調が一般的なものとなっている。
たとえば、小説『義なくば立たず、幕末の行財政改革者、村田清風』[i]では、「三七ヵ年賦皆済仕法」をとり上げ、「清風は、自分が描く理想の実現のためには、「荒治療しかない」と、思いつめていたのである。その荒治療といえる施策が「三七ヶ年賦皆済仕法」であった」。その仕組について、「商人達からの家臣団の借金(私借)は、すべて藩が借りたものとして、その利息だけは、藩が支払っていく。しかし、元金だけは三七年間支払を延期するというものである」と解説し、「借金を踏み倒されるに等しい商人たちにとっては、たまったものではない」と憤る。[ii]
そして、「六月(*天保十五年)[iii]、清風は罷免され、代って坪井九右衛門が登場した。九右衛門は「三七ヵ年賦皆済仕法」を廃し「公内借捌法」を取った」と述べている。[iv]
また、『江戸時代人づくり風土記三五、ふるさとの人と智恵、山口』[v]では、次のように述べる。
「村田清風は江戸・国元両方の財政改革係に任命され、みずから改革に腕をふるう立場になりました。彼は中級武士の出身でしたが、いまや中級の身分でも熱意と能力のある者が政治の要所につくことになったのです」
「そこで村田清風は藩士の借金を軽くするため、天保十四年に「借金を三十七ヵ年賦で返済する法令」を出しました。(中略)しかし、金貸しの商人たちは怒りました。「まるで借金の踏み倒しではないか。これからは金を貸してやるものか」ということで、武士たちは金をかりることもできずかえって困ることになりました。有力商人たちから借金返済の令への猛烈な反対運動が起こり、世論もここにきて、「改革全体が悪いのだ」とするに至って、村田清風は辞任。郷里の三隅村(三隅町)に引退します。ここで天保の改革は断たれます」[vi]
また、『村田清風―その業績と感懐』[vii]では次のように述べる。[viii]
「三十七ヶ年皆済仕法(三十七ヶ年々賦償還)」という、気の遠くなるような長期的で煩瑣な返済方法など、商人としてたまったものではない。その上新しい借金は罹りならぬというのであるからまさに致命的である」
「やがて反対派の策動に会い、清風が責任者の座を坪井九右ェ門に譲った時、「三十七ヶ年皆済仕法」は直ちに、「公内借捌法」に取って替えられた事によってもその事は理解できるのである」
「仁政もここまでゆけば古今稀な美事ではある。しかし、反面、清風派が折角踏み固めた財政基軸は、脆くも崩れ去っていく」
そして、『明治維新と教育』[ix]では清風の評価を次のようにおこなって
いる。
「一方、藩財政の建直しにしても、天保十三年(一八四二年)の「公内借捌草案」および翌十四年の「三十七年賦皆済仕法」にみられるような、借銀踏みたおしにひとしい荒治療でしかなく、直接の被害者である萩城下の特権商人層の抵抗はもちろん、借銀によってなんとか生計を維持してきた家臣団からも苦情が続出する有様であった。新計画の発表後、一年そこそこの弘化元年(一八四四)六月、早くも清風の退陣がさけられず、しかもその理由が「民心の離反」であったことが、その間の事情をなによりもよく物語ってくれる」[x]
長い引用となったが、本論の意図するところを明確にするには、必要な手続きなのである。これらの論述は時代をさかのぼって時系列で紹介している。他にも当然、清風の評価に関する論述の存在は想定しうるが、ここに紹介した論述は、時間的経過における論理継述の一端を十分に示している。これらの清風評価の論述に共通する「キーワード」は、「三十七ヵ年賦」、「民心の抵抗と離反」、「改革の失敗」による清風の「退陣」である。
これは、村田清風の「天保の改革」研究における、今日における清風評価の一定の到達点をしめしていることは明らかである。
しかし、『村田清風全集』[xi]にある、清風の書いた論述内容、および同『全集』にある『年譜』史料からは、このような評価は導き出し得ないのである。したがって、本論は、清風の行なった天保の改革の実相はどのようなものであったかを明らかにすること、そしてまた、その実相研究の知見にもとづき、先に紹介した既存の清風評価の検証をおこなうことを目的としている。
そのために、『村田清風全集』に掲載してある清風の諸提言のうち、特徴的ないくつかの「上書」をとりあげ、次の第一章から第二章にわたってその内容を吟味、紹介し、「おわり」において、本論の「論題」につき論究を展開したい。
[i] 真鍋繁樹著(講談社・一九九六年四月)
[ii] 『義なくば立たず、幕末の行財政改革者、村田清風』二二六頁―二二八頁
[iii] (* )は、筆者による訂正または註。
[iv] 『義なくば立たず、幕末の行財政改革者、村田清風』二二二頁
[v] 農山村文化協会発行(一九九六年二月)
[vi] 『江戸時代人づくり風土記三五、ふるさとの人と智恵、山口』六九頁―七〇
頁
[vii] 平川喜敬著(東洋図書出版・一九八〇年五月)
[viii] 『村田清風―その業績と感懐』九五頁
[ix] 海原徹著( 京都ミネルバ書房・一九七二年一〇月)
[x] 『明治維新と教育』七頁
[xi] 山口県教育委員会編集・発行(昭和三十六年十二月)