はじめに
『榊陰年譜』は、幕末期、長州藩明倫館の教授として招聘された笠間藩士加藤櫻老の手になる日記である。『榊陰年譜』は、笠間稲荷神社によって編集・刊行されており、そこには、文久二年元旦から明治三年十二月晦日までの期間の日記が収録されている。このことは、主な歴史事象を上げてみると、坂下門外の変から八・一八の政変、そして禁門の変、第一次、第二次長州藩追討の事変を経て、さらに薩長倒幕同盟、大政奉還、戊辰戦争そして明治新政府の黎明期までの約九年間の記録が収められていることを意味する。
櫻老は、長州藩世子に従って一旦京都に赴くが、文久三年、八・一八の政変により長州藩に西下し、その後、「五箇条の御誓文」(明治元年三月)が発表されて、上京する明治元年四月までの五年間を長州藩で過ごす。
本論は、加藤櫻老が江戸から京都に到着するまでの期間の日記を研究対象とし、櫻老が長州藩に招聘されるにいたった経過、および櫻老と長州藩倒幕派志士との尊王対幕に関する見解の相違の紹介等を通して、幕末期長州藩の激動の歴史の実相の一端を明らかにすることを目的としている。