浦靱負日記
文久三年
七月大乙巳
朔日 天気
一 例刻出勤致し候事
一 越後殿今日取繕われ出勤致され候事
一 若殿様政事堂へ御出で成られ例の通り聞し召し上げられ、それより屋形へ御出で成られ御父子様御一処に御用申し上げ候事
一 筑前殿・越後殿・拙者小座敷へ召し出され、当月々番筑州へ仰せ付けられ候段仰せ渡され候事
一 桂主殿御礼使者として江戸罷り登り□御□不人にて当分差留め置かれ候処、関地の様子承り押して江戸表先達て出立の義は、書状を以て当役中へ申し越し今日爰元着いたし候、御勤済みの義は先達て書状を以て当役中へ御注進に及び候間、今日は御目見一通り召し出され候、披露出頭役拙者御取合せ仕り候事
一 白井小輔・赤祢幹之允御雇御沙汰、左の通りにて候事
覚 浦靱負家来
一 御扶持方弐人 赤祢幹之允
一 米三石弐斗 白井小輔
右切り廻しの時勢を憂い京・摂・関東辺へ数度罷り出で、攘夷の変に艱難せしめ候段追々上聞に達し候、抽んでて有志の者に付き、その身一代御雇に召し出され、御忍扶持前書の通りこれ下され無給支配に仰せ付けられ候、尤も子供の儀は昵近の御沙汰にてこれなく候事
一 御両殿様明日勅使御迎えの為三田尻御茶屋まで御越し遊ばされ候に付き、拙者俄に殿様御供仰せ付けられ候段、宿下がり已後新一郎参り申し候、猶山田宇右衛門・中村誠一も参りその段申し候に付き、筆者壱人御用達これなくては差し閊え候間、この段詮議致し候様噂いたし候事
右に付き内輪その沙汰いたし支度く仕らせ候事
一 佐田新一郎三田尻へ参る筈に相成り候事