「光仁天皇紀宝亀十一年十二月、左右京ニ勅スラク聞如ラク、此来、無知ノ百姓巫覡ヲ構合シテ、妄ニ淫祀ヲ崇メ、蒭狗之設符書之類百方怪ヲ作シテ、街路ニ填溢ル。事ニ托シテ福ヲ求メ還テ厭魅ニ渉ル。唯誠ニ朝憲ヲ畏レ不ルノミニ非ズ亦長ク妖妄ヲ養ハン。今自リ以後厳カニ禁断ヲ加フルコトヲ宣ク。」
[現代語訳]
「光仁天皇の時代、宝亀十一年(七八二年・奈良時代・長岡京)十二月、左右京に出された勅(みことのり)によると、最近、無知の百姓が、巫女(みこ)と一緒になって、しきりに淫祠(いかがわしい祠)を崇め、つまらないお札や書き物など様々な怪しいものを作って、それが町中に溢れ返っている。これは幸福をもたらすというもので、人々はそのことに魂を奪われている。これはまさに、朝憲を恐れないというばかりか、今後容易ならざる事態となる恐れがあり、ただちに厳禁の措置を取る旨、宣(みことのり)が出された」(日本書紀)。