この論文は、天保期から明治初年にかけての時代に「焦点」を当て、徳川幕府から天皇に政権が「移譲」され明治新政府が「誕生」するまでの過程を「研究対象」としている。
「明治維新」は、元和偃武(一六一五年)以来二百五十数年間続いた徳川幕藩体制が崩壊し、天皇を主権者とする「立憲政治体制」へと日本の「統治体制」が「激動的」に「変更」されるという歴史事象であった。
『浦日記』は、靱負が三十一歳であった文政八(一八二五)年から七十六歳で没する前日の明治三年五月晦日まで書き綴られ、四十五年間、六十二冊に及ぶ膨大なものである。この日記は、袋とじ半紙本、見開きで横約二十二行、縦約四十字という極めて細密な原稿立てがされており、草書体による和漢文・候文の形式をとっている。日付、天候の記述に続いて内容ごとに条を立てて記事が記載されている。(図一)
浦靱負は晩年まで家老職扱いの立場にあり、藩中枢部の情報を知り得る立場にあった。『日記』には日常生活のこまごまとした事柄や、幕府および長州藩の沙汰書や達書、建白書、落書など手に入れた資料にもとづき、時勢を反映する関心事が丹念に記録されており、『浦日記』は明治維新史をひもとく上で第一級の歴史史料である。
本論文では、歴史的転換点となった当時の『浦日記』の特徴的な部分、つまり長州藩内からみた幕末期の歴史の記述に依拠しながら、「幕末維新史」を構成する諸事象の分析をおこない、先に述べた明治維新史の「本質」は中央政局における「政権移譲史」であることの論証を展開することになる。