はじめに
幕末維新史はさまざまな政治的事象や人々の思いや行動が圧縮されて、複雑な模様を織り成している。これまでも、維新をテーマとした論説や小説が多く書かれ、テレビや映画など映像による作品も多数製作されている。しかし、それは一定の時期、一定の場所や一定の人物に焦点をあてて描かれることが多く、全体像としてその本質に迫るという形はあまり取られてこなかったように思われる。それは幕末維新史が二百年ほど前の出来事であり、資料が豊富に残されているということも手伝って事象的にも、関わった人間の数においても膨大な内容をもって、しかも複雑な関連性をもって現在に伝えられているという一面が原因しているためであろう。
また、これまでの明治維新史の描かれ方を見ると、「桜田門外の変」や京都での「討幕派」や「新撰組」が展開する流血の抗争はじめ、「戊辰戦争」など内乱による殺戮行為を「英雄視」したり「当然視」したり、諸事象を「受動的」、または「消極的」な「悲劇」として描く傾向があるが、それは現代に生きる者としての視点、つまり幕末維新史を批判的に検証して「伝える」、という姿勢に不十分さがあるためではないだろうか。
わたしは、幕末維新史の本質、本源的動機に迫るために、一人の人物に着目し、その人物の維新史への関わり方の有り様を通して、維新史の全体像を探るという手法をとった。複雑に綾なされた維新史をひもとくための一筋の糸口を見つけ出したいというのが本稿の目的でもある。