天保九戊年御仕組大野取(天保九年御聞及び御仕組事草案) 天保九年
一、御仕組と申すは、従来の流弊御改め、節倹の御政事を以て、千載の後までも御仁政、万民へ行き届き候様仰せ付けられ候事と存じ奉り候。世上には衆歛の御政事の様に相考え候者も御座候に付き、申し上げ候。
一、古語に物、本末有り、事、終始有りと申す譬は、一軒の家建て仕り候にも、古家の得失、相考へ、新たな指図出來、寄せ・地突・石居・小屋組と順々に仕る事にて、地突半端の中に柱立て・小屋組と相運びては、建家の後ひづみ出申す可く候。孰胸中に一軒の家相調へ候後、斧初めて仕る事に付き、此の度の御仕組も御目途、聢と相立ち候て順々仰せ付けらる可き哉と存じ奉り候。
一、慶長五年より享保七年まで百二十三年に当り、吉宗公方様御代諸事御改め、御献上の真の御太刀は作り太刀と替り、銀三百枚下被れは、三十枚と極まり申し候。御家に於いても、吉元公御代、享保九年諸事省略の御改め之有り、干今、享保の法を以て多分沙汰仰せ付けられ候。享保七年より当天保九年まで百十八年に相成り、最早御改めの年数にも相叶う可く申す哉。
凡そ百年も相立ち候得ば、人事の盛衰、物の軽重自然と出来仕る事に付き、諸事御改め御座無く候ては、御所帯益々御難渋に立ち至り申す可く事と存じ奉り候。諸事歩引き・兼引き等仰せ付けられ候とも基本より御改正之無くては、末にていか程心配り仕り候ても、其の詮御座無く候。譬は、百坪の家にて修甫の廉々減らし方吟味仕り候よりは五十坪と省略仕り候へは、修甫は申すに及ばず、日々の雑費自然と劣り申す可く候。
去りながら有来の百坪を唯今五十坪に減少仕る事は御実力にて御座なくては改り申す間敷く候。此の度御仕組の眼は此の處に御座有る可き哉。御当家も九ヶ国より両国へ御莟み遊ばされ候御事に付き、諸事行き成りを以て、大造りに取り扱ひ、慶長・元和の比より当天保九年まで二百四十五年の間、御借銀無しと申す時節は余り有る間敷く御座候。