「論文要旨」
本論は、論述対象の時期を嘉永六年六月の「ペリー来航」から「安政の大獄」、「桜田門外・坂下門外の変」を経て、文久二年七月の一橋慶喜の将軍後見職就任の時期に設定している。
水戸藩士を中核として実行された「桜田門外の変」および「坂下門外の変」は、水戸学で培われた「神州(皇国)史観」、「尊王・大義名分論」の実践化であり、それは「尊王斥覇」の論を必然的に内包するものであった。
本論では、水戸藩と「水戸学」(尊王思想)との関係において、「桜田門外の変」、「坂下門外の変」、およびそれ以後の尊皇攘夷派武士集団の策動はどのように位置づけられるのか。そして、幕末期の水戸学の主宰者であった徳川斉昭は、幕府との関係においてどのような立場をとり、また、その「本意」はどのようなものであったのか、という命題を基本に据え論究を進めている。