廿日 天気
一 例刻出勤の事
一 周布勘解由内々申し候は、老中任じられ丹後殿後役仰せ付けられ候由御座候申すに付き、誠に以て有り難き義にては候へ共大に当惑いたし候事
一 朝飯後御座之間において記録所役披露御椽頬へ着座にて御時宜仕り候
御前御移り遊ばされ候に付き御側近く罷り出候処、是迄の御役差替えられ老中任じられ、江戸当役仰せ付けられ候段仰せ渡され候[i]、誠に以て冥加至極身に余る有り難き義に存じ奉り候、御次に下がり上下着用にて御椽頬着座にて御礼申し上げ候、今日は御日並に付き御熨斗は下さらず候、一応下がり左候て御用□申し上げ候事
[i] 浦靱負の家臣、秋良敦之助の『浦元襄君略伝』に、「弘化四年我が君は五十三歳で、毛利公の近衛隊長として、公に従い江戸にのぼった。毛利公は、我が君を大抜擢して家老になさり、行相(江戸当役・江戸での毛利公の側近)に任命なさった。(略)行相であること、前後十年におよんだ。五回、毛利公に従って江戸にのぼった」とある。