尊攘英断録(島津久光宛上書/文久元年十二月)
平野國臣 著
謹みて天下の形勢を観るに、西洋鴃舌の猾夷、邊陲に陸梁し、将に赫々たる神明国をして腥羶(しょうせん)の荒域と為さしめんとす。譬えば癰疽(ようそ)を醸するの勢いのごとし。その機安んぜざる、固より論なきのみ。
癸丑(一八五三年)夏、墨夷始めて江門に至りしより今に九年、先哲往々建言上策ありといえども、ことごとく空論死談を作る。ここにおいて忠臣骨を解く、寔(まこと)に惜しむべき也。
幕府の有司、ただに一英断士のなきのみならず、讒諂(ざんてん)面諛(めんゆ)の徒、府廳に跋扈し、内比周して以てその君を愚にし、外諌めを拒みて以てその明を蔽う。宗族ことごとく遠(はる)か、忠臣ことごとく黜(しりぞ)けらる。水黄門烈公、またすでに即世す、兄弟踏に鬩(せめ)ぎ、外その努めを召し、竟に魁車(かいしゃ)を覆す。軋軌(あつき)箴(戒)めず、泄々(えいえい)沓々今日に至るは何ぞなり。
曰く苟且(こうしょ)に安じたる長治に狎(なれ)るのみ。今に於いて黯然(あんぜん)として察せずんば、益々黠夷(かつい)の術中に陥らん。開港籍地、しかして四海八面咸(みな)を渠(かれ)の巣窟となさしむ。且つ四方の海湾に続碇するの蛮舶、およそ百余り。迭更往復、必ず物を運び財を射る者、要する所は糧を敵に因るの術なり。その虜の国の膏澤を浚(さら)うは、猶繭の緒を抽くがごとし。盡くさざれば止まず。詩に云う池の竭きる、頻りに自ずと云わざらんや。又云う誰か雀角なしと。何を以て我家を穿つ。浸淫漸漬(ぜんし)、深謀遠慮せざるべし哉。殊に虜は商売を事とし、利を惟いこれ計る。故に奪わざれば饜(あ)かず。狡黠貪浪、習いて性となる也。これを以て庸吏を眩惑し、姦売を啗誘(たんゆう)し、贋銀を鉤(いた)し、洋銭を餌して、以て吾が金銭を釣り、吾が穀畠を網し、諸を海外に運ぶ。謂う所兵を寇に籍(か)し、糧を盗に齎すの失策也。国その国の幾(都)にあらず。歔欷(きょき)して足らず。且つそれ海内限りあるの物を以て海外疆(かぎ)り兂(ママ・な)きの万国に售(売)る。必用を以て浮冗に易(か)う。いずくんぞ、困窮することなきを得ん哉。これ我が神州を奪わんと欲し、術を施すの門戸、粮を絶つの活策也。鄣(しょう)あらずんばべからず。