[注]この「史料44:『伊保庄賀茂神社縁起由来』」は、山口県柳井市伊保庄にある賀茂神社の宮司脇村弘道氏より贈呈(平成十二年)された『伊保庄賀茂神社縁起由来』(伊保庄賀茂神社総代会・平成十二年一月)を抜粋したものです。(寂石)
伊保庄賀茂神社御鎮座九百年紀念誌発刊の序言
現在私たちが守護神と仰ぎ、遠く平安の昔から篤い思いで守り継いできました賀茂の社は、今から凡そ九百年前に、このふる里の氏神として鎮まりました由緒深い御社であります。
平安時代の後期、堀河天皇の御代、多年にわたる冷害と不作、悪疫の流行による人心の荒廃を嘆かれた帝は、万民安泰、五穀豊穣の祈願をこめられ、今までの宮中の武徳殿において催されてきた競馬会の行事を、京の総氏神である賀茂の大社に奉納して催されることゝなり、その御料地として全国から二十箇所の荘園を寄進されました。
(中略)
この編書を基に一層の完全な伊保庄賀茂神社史を研究されて、後世に伝えたいと心から望みます。尚、戦前戦中日本の国策上、日本独特の思想である神道が歪められ悪用されたが、戦後の反動で神道の研究が絶えたのは惜むべきことである。戦後既に五十有年も経た。本来の研究を望みたい。