申年三月、赤心報告の輩、御大老井伊掃部頭殿を斬殺に及び候事、毛頭幕府に対し奉りて異心を挟み候義は之無く、掃部頭殿は執政己来自己の権威のみを振い、天朝を蔑如奉り、只管戎狄を恐怖致し候心情より慷慨忠直の義を悪み、一己の威力を示さん為に専ら奸謀を廻らし候体、実に神州の罪人に御座侯故、右の巨奸を倒し候はば、自然幕府において御悔心も出来為させられ、向後は、天朝を尊み、戎狄を悪み、安危人心の向輩に御心を附けさせられ候事も之有る可きと存じ込み、身命を拠て、斬殺に及び候処、一向に御悔心の御模様も相見え申さず、弥御暴政の筋のみに成り行き候事、幕府の御役人一同の罪に候へ共、畢竟は御老中安藤対馬守殿執政の及ぶ時より同服にて、暴政の手伝いを致され、掃部頭殿死亡の後も絶えて御悔悟の心之無くのみならず、その奸謀詭計は掃部頭殿にも越し過ごし候様の事件多く之有り、